「あら、有馬くん。お久しぶりですわね」
背後からいきなり声をかけられる。声をかけられるまでまったく気づかなかった己の迂闊さを呪うと同時に、全身に緊張がはしった。それは、その声の主が、このクラスの中で最も警戒しなくてはならない相手だったからだろう。
「……小山内さん。久しぶりだね」
振り向きながら努めていつもの仮面を被り、穏やかに事を進めようと頭脳を回す。マシンガンをそのまま乱射しても、おそらく殺すことは可能だっただろう。ただ、それをさせない“異様な雰囲気”が彼女の全身から発せられていて、無意識のうちにその選択肢を手に取ることができなかった。
「あら? いつもと随分雰囲気が違いますわね」
こちらの仮面を、まるで見透かしたかのような言葉。さすがに今のこの状態では、いつものようにうまく取り繕えなかったようだ。表面上は平静を装いつつ、心の中では冷や汗を流す。冷や汗を流しながら、どうしようかと頭の中で思案する。
やる気であれば、容赦なくマシンガンを乱射する。やる気でなければ、いつものように穏やかな人格を演じ、隙を見て殺す。あるいは、一度仲間になって利用する。おおよそそれで事は済むのだが、それができない例外がいくつか存在する。その一つが、目の前の小山内あやめなのだ。
愛国者である彼女がやる気であることは、自明の理。ならば、さっさと殺せばいいのだが、それを容易くはさせないのが、小山内あやめという人物だ。隙を見せることはほとんどなく、たとえこちらが不意打ちで殺そうとしても、おそらく難なく回避してしまう。それがあながち間違っていないことは、声をかけられるまで背後にいることに気づかなかったことが、何よりも証明している。
一筋縄ではいかない相手は、何も彼女だけではない。しかし、他の人間はやる気でない可能性がきわめて高いことから、いきなり殺されることはないだろうし、状況次第では利用価値がないこともない。けれど、あやめにはそうすることができない。故に、最も会いたくない人物だった。
「まぁ……こんな状況だからね……。いつものようにってわけにはいかないよ」
仮面を剥がしたところで、今のこの状況では、有利にも不利にもならない。なら、せめて一抹の希望で、敢えてそのままの状態で会話を続けた。今のところあやめも違和感を感じる程度で、俺がどういう立ち位置であるか、把握はできていないはず。まだ本性を出してはいないのだから。
うまくいけば、「やる気でない」と思わせておける。そうすれば、あるいは――
「……あぁ、そういうことでしたか」
俺を見ながら、あやめは何か合点がいったかのように、少しだけ口元を緩める。それが、なぜかこちらを嘲笑っているかのように見え、妙に神経を逆撫でされた。彼女に、おそらくそんな気はないはずなのに。
「……今の、どういう意味?」
「ずっと、疑問だったのですよ。なぜ、あなたのような聡明な方が、須田くんのような愚鈍な方と親しくしているのか」
その言葉は、何も間違っていない。友人――実際は友人という体で何かと利用させてもらっている須田雅人は、確かに聡明とは言い難いだろう。要領は悪いし、特待生にはギリギリでしがみついている状態。おまけに、自分の実力を知りながらも、毎年クラス委員に立候補する身の程知らず。あやめのようなタイプからすれば、雅人のこの一連の行動には、かなりの苛立ちを覚えるだろう。事実、彼女の雅人に対する当たりは、かなり強かった記憶がある。
傍から見れば、身の程を知らない愚鈍な人間と、実力があって周りに気を配れる聡明な人間。おおよそ正反対の俺と雅人が仲良くしていることに、疑問を覚える人がいてもおかしくはないだろう。類は友を呼ぶという諺からは、完全に外れているのだから。
もちろん、本当にこういった友人関係が存在することも大いにあり得るのだが。
「確かに、ご自身の優秀さをひけらかすには、それを引き立たせてくれる対象があった方がいいですものね」
意図的か、それとも無意識か。その言葉には、こちらを蔑むような響きがあった。まだ本性をさらけ出していないことを忘れ、思わずあやめのことを睨みつける。けれど、そんな俺の殺意すらこもった視線を、彼女は軽く受け流していた。それも、余裕をみせつけるかのように口元に手を当て、俺にしか聞こえないように小さくクスクス笑いながら。
「己の優秀さを最も効率的に証明するために、あのような方と親しくしていたのですね。しかし、それは有効ではありますが、あまり褒められた方法ではありません。誰かを貶めようとすることで、自分の株を上げるなど。それはある意味、己の力量を純粋に証明できない、愚か者のすることですから」
スラスラと、そしておそらくわざと、あやめは俺を貶めるような言い方をする。その言葉一つ一つが、とてもとても癪に障った。
「でも私は、そちらのあなたの方が好きですわよ。いつものあなたは、どこか気持ち悪いと思ってましたから。いい人ぶって、誰にでも優しくて、まるで自分が聖人であるかのように振る舞って――」
「……黙れよ、くそ女」
ああ、もう止めだ。ここまで見透かされているのなら、もはや仮面を張り付けているだけ無意味。それに、仮面をつけたままでは、殺すどころか、あやめに何もすることができない。こういう時に激昂しない、穏やかで人当たりのいい“有馬孝太郎”のままでは。
殺意も敵意も、むき出しであやめを睨みつける。けれど、彼女はまたもそれをさらりと受け流した。
「あらあら。いくらなんでも、言葉が汚すぎますわよ。いつもの親切丁寧なあなたはどこにいったのです? それとも、こんなに簡単に見透かされて、少なからず動揺しているのかしら? こういう極限状態でそのように余裕をなくされますと、あっという間に命を落としますよ。せっかく、今は条件が対等であるというのに」
変わらずクスクス笑いながら、あやめはそんなことを口にした。これは、明らかに俺を挑発している。が、生憎そんな挑発に乗ってやるほど、俺は安くない。
「対等だって? そういうお前は、随分余裕だな。俺の持っているこれが、見えないのかよ?」
あやめに見せつけるかのように、右手に持っているマシンガンを掲げてみせる。けれど、あやめはわずかに目を細めるだけで、特に動揺しているような様子は窺えなかった。
「あらあら、そんなことを言うなんて。よほど、その武器を信頼していますのねぇ。弾をばらまくだけの、ものの数秒で撃ち尽くしてしまえば、ただのお荷物にしかならない武器を。ある意味拳銃よりも使えない、そんな鉄の固まりを」
先ほどよりも笑い声が、少しだけ大きくなる。マシンガンの弱点――引き金を引き続ければ、あっという間に弾切れを起こしてしまい、マガジンを装填しない限り次が撃てないという、唯一の弱点。それを指摘されたことで、少なからず俺の心拍数は上がる。
「そのマガジンに入っている弾をさっさと全部撃たせることができれば、マシンガンなんて怖くないのですよ。ばらまくということは、裏を返せば正確な射撃ができないということですから。加えて言うなら、あなたのような細腕で完全にコントロールできるとも思えませんし。不意打ちや奇襲という方法でも取らない限り、相手の急所に命中させるのは、あなたの想像よりずっと難しいと思いますよ」
スラスラと、断言するかのように、あやめが高説を述べる。その自信満々な振る舞いは、数か月前にクラス委員を決める時に行った、所信証明を思い出させた。まぁ、それが裏目に出て、みんなの総意を得られなかったわけだが。
「……この距離で、マシンガンの攻撃をかわせるっていうのかよ?」
「試してみます?」
こちらを見る瞳に、恐れや揺らぎはない。見栄や虚言ではなく、本気で彼女は回避できると思っているようだ。確か官僚一家の娘で、一通り武道を嗜んでいるという話は聞いたことがある。妙に光っている刀も、まるで体の一部でもあるかのように、やけに彼女に馴染んでいる。背後にいることい気づかなかったことや、あっさり本性を見抜かれたことから考えても、そんなの不可能だと嘲笑うことはできない。それこそ、愚鈍な奴のすることだ。事実、彼女の言っていることは、まったくの机上の空論というわけではないのだから。
挑発に乗るようで癪だが、今更不意打ちも奇襲もできない。かといって、一端離れて立て直しも難しい。どんな理由であれ、あやめはここから逃がしてはくれないだろう。そんな隙を見せるとは思えないし、残念ながら俺は足が速いわけではないのだから。
なら、ここは敢えて挑発に乗って、そのたった一回の狙撃で殺すのが一番確実だろう。それに、かわせると思っているあやめの身体に弾を命中させ、その自信満々な仮面が剥がれ落ちるのを見てみたいとも思った。
「いいぜ。その挑発、乗ってやろうじゃねぇか」
マシンガンの銃口をあやめに向け、引き金に指をかける。そんな俺の一連の行動を、微笑みを崩さずに見ていたあやめの余裕さは、俺の怒りを一層増幅させた。
――死ねよ、くそ女
引き金を引く一瞬前に、あやめが素早く移動したのを横目で確認し、その動きを追いながら、俺は引き金を引いた。
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