――どうしよう……
私の目には、こちらに背を向けている有馬孝太郎(男子1番)の姿が映っている。誰かと一緒にいる様子はない。どうやら一人のようだ。その右手には、拳銃にしてはやや大きいもの――おそらくマシンガンの類のものが握られている。今分かるのはそれくらいだ。後ろ姿だけでは、プログラムにおける彼のスタンスまでは分からない。
ただそれは、今の私にとってさほど問題ではない。あの人以外のクラスメイトには全員死んでもらうつもりなのだから、取る選択肢は一つだけ。だが、銃器を一つも持っていない私が、マシンガンを持っている孝太郎を殺すためには、必然的に奇襲とか騙し討ちという形になってしまう。選択肢が限られているだけでも難易度は十二分に高いが、それ以上に私を躊躇わせる心理的ハードルが存在する。
視界に映る彼は――東堂あかね(女子14番)がほのかに想いを寄せる異性なのだ。
友人すら殺そうとしているのに、その友人が恋焦がれる異性に対して躊躇いを覚えるなんて、矛盾しすぎておかしな話だ。だけど、同じような恋愛感情でプログラムに乗っている私にとって、それはある意味友人を直接殺すよりハードルが高い。その気持ちを無視して手をかけることは、間接的に自分の気持ちを否定しているような気がするからだ。だからそういう意味では、辻結香(女子13番)の恋人である弓塚太一(男子17番)にも会いたくなかった。放送で名前が呼ばれた時は、不謹慎だがホッとしたくらいだ。
こうして遭遇した以上は、いくら友人の想い人であろうと殺さなくてはいけない。ただ、普段の彼の優秀さを鑑みれば、そう簡単には殺せないだろう。彼は頭の回転も早いし、後ろ姿を見る限りでは冷静さを失っていないようだ。それに、右手にあるマシンガンらしき存在も気になる。もしかしたら、彼が開始直後にマシンガンを撃った犯人なのかもしれない。
そうだとすれば、彼は一度それを使ったということになる。その理由は、正当防衛かもしれないし、事故かもしれない。けれど、理由が何であるにせよ、一度引き金を引いてしまえば、二度目はそれほど躊躇わないのではないだろうか。あるいは、開き直ってプログラムに乗ることも考えられるのではないだろうか。逆に、撃った故の躊躇いも存在するだろうが。
いずれにせよ、早く決めないと。ここで手をこまねいている分、相手に気づかれる危険性も増すのだ。声なんてかけられたら、ますます迷うことは目に見えている。とにかく近づくか、一旦離れて対策を練るか決めないと――
どうするべきか思案する私の視界の中で、背中を向けて歩いていた孝太郎が、ふいにピタリと足を止めていた。あまりに唐突なその行動に、嫌な予感が頭をかすめる。
「後ろにいるの、誰?」
ゆっくりとこちらの方へ振り向きながら、孝太郎が声をかけてくる。どうやら手をこまねいているうちに、私の存在に気づいてしまったらしい。
同時に、孝太郎の右手に少し力が込められたのが分かる。こうなっては、奇襲は難しいだろう。銃器を持って警戒している相手に、銃器を持っていない私が、何か仕掛けたところでたかが知れている。かといって、素知らぬふりはもうできない。ほぼ私のいる方向に視線を向けていることから、おおよその位置まで察しているはずだ。
なら、ここは敢えて姿を見せ、穏やかに接することで警戒心を解き、油断したところで殺すのが一番いいだろう。騙すような形になるので少々心は痛むが、まだ残っている人数も多い。ここは、己の安全も考慮しつつ上手く事を運んで孝太郎を殺し、それからマシンガンを手に入れよう。そうすれば、今後はもっと大胆に動くことができる。
「ああ、こそこそしてごめんなさい。声をかけるべきか悩んでて……」
右手のナイフを鞘に収めた上でポケットにしまい、両手を上げてゆっくりと孝太郎の前に姿を現す。私の姿を見て、彼はなぜかホッとしたような表情を見せていた。
「細谷さんか……。正直、やる気の人間だと思っていたから、ちょっとホッとしたよ」
その言葉に半分驚愕、半分呆れ、そしてほんの少しの罪悪感を抱いた。正直、自分のことを客観的に見れば、あまり信用される部類の人間ではないと分かっている。なので、こうもあっさり乗っていないと思われるなんて、考えてもいなかった。これも、普段あかね達と一緒にいるからだろうか。だとすれば、あの子の人望はすごいなと思う。
けれど、この状況で、その尚早な判断は、決していいものではない。彼の人当たりのいい性格から考えるとおかしくはないが、甘いと言われても文句はいえない思考だとも思う。優しい顔をしてても、裏では何を考えているかなんて、この状況では分からないのだから。
ただ何にせよ、疑われていないのならチャンスだ。心は痛むが、このままやる気でないと思わせつつ、なるべく自然に孝太郎に近づき、隙を見て殺せばいい。それが、一番確実な方法だろう。とにかく、まずは疑われないように穏やかに会話を進めて――
「細谷さん?」
「……あっ。あぁ……ごめんなさい。ちょっとボーッとしてて……」
「そう……」
訝しげにこちらを見る孝太郎の表情に、警戒の色が混ざる。マズい。考え事をしていたせいか、私の振る舞いに不自然さを感じてしまったようだ。そもそも、私はあまり取り繕うということをしない。嫌いな人間ににこやかに笑うなんてしないし、興味のない人間に話題をふったりもしない。本心と、相手に見せる行動がここまで乖離したことは、これまでの人生で一度もない。嘘をつくことが、こんなにも難しいなんて。
いや、そうとは限らない。何せ、今は殺し合いという状況下だ。先ほどの言葉が甘いだけで、このくらいの警戒は普通であるはずだ。
落ち着け。まだ、焦る場面ではない。まだ――
「……これ、欲しい?」
「え?」
「俺の持っているマシンガン」
なんでそんなことを? そんな焦りと驚きが、一瞬私の思考を真っ白にした。そうなれば、身体が素直な反応をしてしまうのは必然だ。汗が噴き出し、目が泳いでしまう。呼吸も少しだけ止まり、そのせいか何も言葉が出てこない。
頭が真っ白な中でも、この反応がマズイことは分かる。これでは、孝太郎の言葉を肯定しているようなものではないか。何とか、うまく誤魔化さなくては。でないと――
「ぷっ……!」
そんな私の反応を見て、孝太郎は何かを察したのだろう。いきなり吹き出し、そしてケタケタと笑い始めた。孝太郎のその行動は、いつもの彼とはあまりに違うその姿は、今までとは別の警戒心を私に抱かせる。
もしかして彼は――。そんな悪い予感から、私は両手を下ろし、ポケットの中に手を入れる。そして、ナイフを握りしめた。
「今、目が泳いだな。そうか。てことは、やる気の側の人間か。お前は」
今まで聞いたことのない、人を蔑むような口調。今まで見たことのない、不快さしか覚えない、嘲笑というべき笑顔。目に映る彼の雰囲気や態度も、先ほどとはまったく異なっている。まるで、別人がそこにいるのではないかという錯覚を覚えるほどに。
その突然の変貌に、警戒心はますます強くなる。けれど同時に、罪悪感や躊躇いといったものが、少しずつ消えていくのが分かった。
「……」
「ああ、もしかしてビックリして声も出ないとか? まぁどうせ殺すし、やる気のやつなら話してもいいか。実は――」
「……そう、あなたもやる気なのね」
偉そうに高説を始めそうだった孝太郎の言葉を、わざと遮る。彼の変貌の理由とか、乗った理由とか、マシンガンの正体はあなたなのかとか、聞きたいことはたくさんあった。けれど、それを上回る不快さが私の心を大きく占め、これ以上何も聞きたくないと強く思った。
「へぇ、思ったよりも切り替えが早いな。もっとビックリして、固まったりするんじゃないかと思っていたのに、なかなか……。やっぱ、お前はあまり他人に興味が――」
「どのみち、殺すつもりだったから。私のこととか、あなたの今までとか、そんなのここでは関係ない。最後の一人が生きて帰れる。それだけが重要だもの」
それに、却って好都合。彼に何が起こったかは分からないが、ここまで殺しやすく変貌してくれたのだ。躊躇いなく殺せる条件は整ったのだから、もう何一つ気に病むことはない。
加えて、都合のいい理由もできた。こんな彼の姿を、あかねに見せるわけにはいかない。知らないまま、あかねには死んでもらわなくては。そのくらいの救いがなくては。
それくらいの慈悲を、これから死んでもらう友人に抱いても――バチは当たらないはずだ。
「ふうん……これはこれは意外。今のお前を見たら、東堂とかどう思うかなぁ。ショックなんじゃねぇの? 友達に殺されるとか、誰に殺されるより最悪だろうし」
「……あなたに言われたくはないわね。そっちだって、須田くんも広坂も殺すつもりなくせに」
別に言っていることは間違っていないのだけれど、孝太郎にそう言われるのは腹が立つ。私がどんな気持ちで、どんな思いで、あの人以外のクラスメイト――それも友人を含むクラスメイトを殺す決意を固めたのか。非難はされるだろうし、罵倒も恨みもあるだろう。その果てに呪われることだって覚悟していた。けれど、この状況を楽しんでいるかのように笑う人に、知ったような感じで説教されるのはゴメンだ。
話しているだけで、その姿を見ているだけで不愉快。こんな奴、早く殺してしまおう。あかねが一生――死ぬまで一生、彼のこんな姿を知ることのないように。
完全に油断している孝太郎の視界から消えるように、素早く横に移動する。死角から一瞬で近づき、一撃で仕留めるために。
「ああ、もう話は終わりか。じゃあ、とっとと死ねよ」
それは私の台詞だ。そう心の中で怒りを抱きながら、孝太郎が銃を持ち上げたのを、じっと観察していた。
――マシンガンは、撃たせてしまえばいい。そうしたら、私の方が絶対有利。
だから決して焦らず、冷静さを失わない。じっと観察して、必ず隙を見つける。今ここで、死ぬわけにはいかない。
あの人を優勝させるためにも。そして、こんな彼の裏の顔を――あかねが知らないままでいられるためにも。
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