――どいつもこいつも
白凪浩介(福岡県沼川第一中学校2年1組男子10番)は、いいかげんしつこくやってくる、ミーハーな女子にうんざりしていた。ハーフどころか、生粋の日本人家系であるのに、この外国人っぽい顔のせいでキャーキャーいってくる女子が多くて迷惑である。はっきり言って、精神的に集中しなくてはいけない剣道の練習の邪魔。
――なんで、こういつもは静かじゃないのかな。
今日は日曜日。平日が練習にならない為、浩介は大会前でなくても、大体日曜は学校へ来て練習している。一人のときもあれば、同じ剣道部の柿崎春馬(同2年2組男子4番)がつきあってくれる時もある。「モテる男は苦労するねぇ」と言いながらも、浩介の都合に合わせてくれるのだから感謝しなくてはいけないだろう。あんまり相手にならないことはさておいても。
しかし、その春馬は「デートだから。」と言って、今日ここには来ていない。まったく、“恋愛うつつを抜かしている暇があれば、もっと練習して実力をつけろ”と言いたいところだが、そこはグッと我慢した。下手なことを言って、貴重な練習相手にへそを曲げられても困る。
――今日は、どうしようかな…。
そんなことを考えながら、ふと運動場を見ると、かなりの人盛りができていた。親のくらい年齢の人もいれば、自分と同じ学校の生徒や、見慣れない他校の制服も多く見受けられる。まるで、壁が出来上がっているかのような人の多さだ。
――そういえば、今日ってサッカー部の練習試合だっけな。
同じクラスの横山広志(同2年1組男子20番)が、そんなことを言っていたような気がする。ただし、浩介は広志とそこまで仲がいいわけではないので、又聞きであるけれども。
――ということは今日は騒がしいな。どうしようか。
帰ろうか、そう思った時、一人の女の子がいるのを見つけた。今時とは言い難い、よく言えば古風、悪くいえばダサい。そんな佇まいをした、ショートカットの女の子。
――あんな子いたっけな。
いつものミーハーな女の子な中にはいないような子。そもそもその女の子の感じからして、キャーキャーいうようなタイプには見えないのだ。うちのクラスで言えば、森崎あおい(同2年1組女子15番)に似ているような感じがした。
そんなことを考えつつも、そのまま通りすぎようとした。話しかける気などなかったし、ミーハーな女子のおかげで、女の子は少々苦手になりつつある。今の自分に一番縁遠い言葉といえば、“恋”だの“愛”だの言った、むず痒くなるような青春なのだ。
しかし、そうはいかなかった。その女の子が、じっと運動場を見ていたかと思ったら、いきなりなんの前触れもなく浩介の方に向って歩き出したからだ。あまりに突然だったので、避けることもできずにぶつかってしまった。
「あ、すみません。」
一応謝罪の言葉をかけるが、内心「いきなりこっちくるなよ。」とぼやいてはいた。
「こちらこそ、すみません。大丈夫ですか?」
その女の子も謝ってくる。当然の反応ではあるが、その言葉の中に、少々怯えたような、か弱い印象を受けたのは気のせいだろうか。
「すみません。ぼーっとしてて、よく見てませんでした。怪我とかないですか?」
こちらがびっくりするような気の遣い方をしてくる、そこには下心などなく、純粋に心配しているようだった。ただ、そこにはその女の子の親切心だけではない、何かがあるのは感じとってしまったのだけれども。
「そんなに心配しなくても大丈夫。ていうか、敬語使わなくていいよ。同じ二年生だろ?」
上履きの色は浩介と同じ緑であった。この学校では、学年ごとに上履きや体操着の色が異なっている。つまり、上履きの色が同じであれば、必然的に同級生ということになる。
するとその女の子は、浩介の顔を見て何かを考えているようだった。まぁミーハーな女の子もいるくらいなので、浩介は学校ではちょっとした有名人である。有難いなんて、一度も思ったことないのだけれども。
「あの…もしかして同じクラスの人ですか?すみません、名前が思い出せなくて…」
このセリフは浩介になかなかの衝撃を与えた。自分を知らないことはさておいても、自分のクラスの人かどうかもわからないなんて、いくら頭が悪いにしてもひどすぎる。眼鏡なんてかけて、結構成績よさそうなのに。
しかし、それを口に出すほど無神経ではない。一呼吸おいた後、質問の返答をすることにした。
「いや、俺は違うよ。俺は1組だから。君は何組?」
その子が何組なんて、はっきり言ってどうでもいいのだが、ちょっとだけ気になった。機会があれば、そのクラスに行ってみようか。クラスにはどんな奴がいて、彼女がどんな風に過ごしているのか。
「あ、すみません。じゃ、違いますね。私は4組なので…」
4組…、誰かいただろうか。剣道部で4組の人間を探してみると、一人だけ思い当たる人がいた。浩介があまり好きではない俺様な奴、明石貢(同2年4組男子1番)。それと同時に、貢がいつか誰かに言っていたことも思いだしたのだ。
『矢島の奴、今日も休んでいたんだぜ。はっきり言って迷惑だよな。』
その時は聞き流していたのだが、今はっきりとその言葉が蘇った。つまり、目の前の彼女は、貢の言っていた矢島―その人ではないか。となれば浩介のことを知らないのも、自分のクラスの人間かどうかもわからないことも、何とか説明がつく。
「あ、俺は白凪浩介って言うんだけど、君の名前は?」
相手の名前を聴くときは、まず自分が名乗ってから。そう思った浩介は、とりあえず自分の名前を明かすことにした。
その女の子は、浩介がいきなり名乗ってきたことにびっくりした様子だったが、正直に名乗ってくれた。
「あ、えっと…、矢島…楓って言います。」
ビンゴ。そんな言葉が浮かぶ。浩介の読み通り、目の前の女の子は、矢島楓という不登校児なのだ。しかし、そんな子がなぜ日曜に学校に、しかもサッカー部の練習試合があるこんな日に学校に来ているのか。
「あのさ、変なこと聞くけど…なんで今日学校に来てるの?サッカーの試合を見るなら、運動場の方へ行った方がいいと思うけど…。」
半ば、失礼な言い方かなとは思いつつ口に出した。大体、浩介なんか毎週日曜に学校に来ているのである。人のことはとやかく言えない。
すると楓は、少し暗い顔をして言いにくそうに、けれどはっきりと、浩介の質問に答えてくれた。
「担任に呼び出されちゃって…。恥ずかしい話なんですけど、あまり学校に来てないんです。だから、いいかげん荷物とかプリントとか取りに来なさいって言われてしまったので、仕方なく…。日曜ならあんまり人に会わなくてすむかなと思ったんですけど、そもそも日曜に学校が開いてるわけないなって、来てから気づいちゃって。そしたら練習試合だったみたいから、今のうちにっと思って入ってみたんです。」
聞きながら、ひどい担任だなと思った。そもそも学校に来たくないから不登校なのであって、そんな人に『荷物を取りに来い』って。その前に、不登校の理由を聴くことが先決じゃないのか?4組の担任って誰か覚えていないが、今度密かにチェックしてやろうと浩介は思った。
「そっか。ごめんな。やなこと聞いて…」
「いえいえ、1組なら知らなくても無理ないから…」
いや、半ば確認犯なんだけど。そんなことを思いながらも、浩介は楓の顔を見つめる。
一言で言えば、美人ではない。けど、どこか惹かれるものがある。なんだろう。今まで見たことのないタイプ。知的な印象を抱かせて、けどガリ勉というわけでもなさそうな感じ。不登校というのだから、てっきり暗くて陰気な感じを想像していたのだが、見ている限りではそんな影は見当たらない。何より浩介のことを知らない貴重な人間。知らず知らずのうちに、楓に興味を抱いている自分がいた。
――この俺が?
恋愛に興味がなく、むしろ毛嫌いしているほどの自分が、女の子に興味を抱いている?
――目の前の女の子に?
春馬がこんなことを知ったりしたら、ニヤニヤしながら、満面の笑みで「ついに浩介も、女の子に興味を持ったのか〜?!」とからかってくるに違いない。
――いかんいかん、絶対言わないでおこう。
「あの…そちらこそ何で学校に?もしかしてサッカー部の試合を見に?」
今度は楓の方が聞き返してくる。まぁ無理もないだろう。日曜に練習しにくる剣道部員なんて聞いたことないのだから。これが全国でも有名な剣道部ならあり得る話だが、残念ながら我が校は中体連一回戦敗退常連校である。だからこそ、春馬みたいにデートでなんて理由で、たまに平日の練習をも休む人間もいるのだ。まぁ、悪い奴じゃないんだけど。
「まぁ、そんなところ、かな」
正直に答えるべきか悩んだが、ここでは敢えて言わなかった。せっかく自分のことをあまり知らない人間に出会えたのだ。いつかはバレるだろうけど、できるだけ長くこの状態が続いてほしかった。
「そうだったんですか。じゃ、これ以上邪魔しちゃ悪いですね。早く行かないと試合終わっちゃいますから。私はこれで失礼します。」
そうやって話を切ろうとする楓を見て、なぜかほんの少しだけ後悔した。正直に言えば、もう少し話ができたかもしれない。なぜそう思うのか。このときの浩介には、まだわかっていなかった。
「こっちこそ、悪かったな。引きとめたりして。」
そう言うことしかできなかった。今さら違うなんて言えないのだから。
「いえいえ。久し振りに同級生、それも男の人と話ができて楽しかったです。もし、三年生になって同じクラスになったら、よろしくお願いしますね。それじゃ。」
そう告げるなり、楓はそのままパタパタと歩いていった。その背中は、不登校児とは思えないほど、しっかりとしている。
――強いな。
そんなことを思った。きっと芯は強いから、担任に言われた通り学校に来ることができたのだろう。きっと本当は、優しくて、人を思いやれる女の子なのだろう。浩介とは違って。
――今日はサッカー部の試合見て帰ろうかな。そして、平日もちゃんと周りを気にせずに練習しよう。春馬にも日曜つきあわせちゃ悪いしな。
そう思いながら、楓はとは違う方向へと歩いていく。その時浩介の耳に、ピーというホイッスルの音が届いていた。
このときの浩介は気付いていない。楓に対して抱いた気持ちが、彼が縁遠くて毛嫌いすらしていた“恋愛感情”へと発展していくことに。そしてこの出会いが、浩介の、そして楓の運命を大きく左右することに。
ただ一つ言えることは、これまで出会った人間とは何かが違うと、感じ取っていたことだった。
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