最後の砦

 

 あと一時間もしないうちに、八回目の放送が始まる。八回目ということは、プログラムが始まってから丸二日経ったということだ。

 

 そんなことを考えながら、橘亜美(女子12番)は小さく息を吐いた。すぐ隣には、東堂あかね(女子14番)が、膝を抱えて座っている。今いるのは、エリアC-3。若干標高が高いエリアであり、そのせいか遮蔽物になりそうな木が多く生えている。暗いこともあり、ある程度警戒さえしていれば、そう簡単には襲われないだろう。

 あの後、あかねが落ち着くのを待ってから移動を開始した。その前に、須田雅人(男子9番)の遺体を近くの洞窟まで運んで弔い、手を合わせて冥福を祈った。その間も、あかねはずっと泣き続けており、なかなかその場を離れようとはしなかったが、しばらくしてようやく移動を了承してくれた。

 そんなあかねの右手には、かつて雅人が持っていたCZ75がある。今持っている武器は、お互いに銃を一つずつ。雅人が有馬孝太郎(男子1番)から奪った二つのマシンガンと一つの銃は、今ここにはない。

 

『そんな怖い武器なんか……持ちたくない……』

 

 移動する際、あかねはそう拒絶した。亜美にもそう思うところはあったし、必要以上の武器は却って荷物になると考え、特に反対もしなかった。かといって、そのままにしておくわけにもいかなかったので、それぞれの銃と弾をバラバラに禁止エリアに投げ込む形で放棄し、孝太郎を含めた他のクラスメイトが使えないようにした。プログラムが進んだことで、少し歩けば禁止エリアが散在していたことが、この作業をやりやすくしてくれた。

 それでも、雅人の銃だけは、無理矢理あかねに持たせた。いくら孝太郎から複数の武器を奪ったといっても、完全に無力化したわけではない。他の銃器を持っている可能性は十二分にあるわけで、その際亜美の銃一つでは心もとない。孝太郎の銃を持ちたくない気持ちは分かるが、せめて雅人の銃だけは持っていてほしい。そう言ったら、あかねにも思うところがあったのか、思ったよりはすんなり了承してくれた。あと、これは願掛けに近いものだが、持っていれば雅人があかねを守ってくれるような気もしていた。

 腰を落ち着けてしばらくしてから、また銃声が響いた。残っている人数も少ないことから、最悪の可能性が頭をよぎったが、放送が近いこともあり、とりあえずじっとしている。そうでなくても、あかねの精神がこの状態では、積極的に誰かを捜そうという気になれなかった。

 

「ねぇ……橘さん……」

 

 そんなことを考えていると、隣のあかねから声をかけられる。あれから数えるほどしか会話をしていないこともあって、こうして言葉を交わすのが、ずいぶん久しぶりなように思えた。

 

「……どうしたの?」
「もしかして知ってたの……? 有馬くんがプログラムに乗っていたこと」

 

 小さな声でそう問われ、グッと言葉に詰まる。それは、聞かれてもおかしくないことではあるけど、このタイミングで言われたことに動揺を隠せなかった。

 

「弓塚くんを殺したのは……有馬くんなの?」

 

 黙っている亜美に追い打ちをかけるかのように、あかねは質問を重ねる。確信を持っているかのようなその言葉に、咄嗟に嘘をつくことができなかった。

 

「……どうして、そんなこと聞くの……?」
「だって、有馬くんが襲ってきたとき、橘さんも須田くんも、あんまり驚いていなかったから……。それに、今思えばちょっとおかしいなって……。だって、あんなに結香のこと大事に思っていた弓塚くんが、自分を撃った相手のこと全然言わないなんてさ……。見てないなら、見てないってちゃんと言うだろうし……」

 

 断言するかのようなあかねの言葉に、ハッとする。言われてみれば、確かにその通りだ。瀕死の重傷を負いながらも、必死に恋人への遺言を遺した弓塚太一(男子17番)が、一番肝心な“自分を殺した相手”のことをまったく言わないのはおかしい。見てないなら、「わからなかったけど気をつけろ」くらい言うだろう。隣でただ見ていただけの亜美にも、容易に理解できることだ。辻結香(女子13番)を通して太一の人となりを知っていたあかねには、よりそれが顕著なのだろう。

 あのとき、言うべきか言わぬべきか迷いながら話していたせいか、うまく辻褄を合わせるということを完全に失念していた。今更気づいても、どうしようもないけど。

 

――正直に……話すべき……?

 

 あかねの言う通り、孝太郎のことは、太一から聞いて知っていた。そしておそらく、雅人も孝太郎のことを知っていた。いや、あれはどちらかというと、推測していたに近いのだろう。澤部淳一(男子6番)らのことも、確信にまでは至っていなかったはず。ただ、最悪の可能性として頭に入れていただけ。それでも、まったく予想だにしていなかったあかねと比較すれば、天と地ほどの差がある。

 あのとき言っていれば、何か変わったのだろうか。一瞬そう考えたけど、やはりそれは違うなと思った。仮に知っていたとしても、何かできたとは思えない。それに、あかねの精神状態を鑑みれば、あのときの判断が間違っていたとは言い切れない。正しいとも、言い切れないけど。

 

「うん……。ごめん……言わなくて……。須田くんにも、話してはいなかったんだけど……」
「そっか……」

 

 正直に謝罪すれば、あかねは鈍くはあるが返事をしてくれた。感情をぶつけることのない、聞いていることを伝えるだけの、どこか上の空な返事を。

 

「いいよ……。私のこと……気遣ってくれたんだよね……? 私が、有馬くんのこと好きだったから……」
「……えっ?」

 

 続けて言ったあかねの言葉が、あまりに予想外であったために、一瞬プログラムであることを忘れ、間抜けな返答をしてしまう。

 

――好き? 今、好きって言ったの? 有馬くんのことを?

 

 そんな亜美の返答もまた、あかねにとっては予想外だったのか。同じような「えっ?」という言葉が返ってきていた。なんだかオウム返しのような形になってしまっているのだが。まぁとにかく。

 

「ち、違うの……? てっきり……知っているものだと……」
「いや……さすがに知らないわよ……。そういうのは、デリケートな問題だし……」

 

 驚いた様子でそう言うあかねの顔は、ほんのり赤い。ああ、完全に恋する乙女のような反応だなと思いながら、想定外の展開に、亜美も少々困惑していた。まさか命がかかっているこの状況で、人の恋愛話を聞くことになるとは。

 そういう恋愛話は、本来親しい友人とするものであって、亜美のようなクラスメイトにするものではない。なので、亜美にあかねの恋心を知る機会は、当然あるわけもなく――

 

――人の色恋沙汰に興味はないし……。そもそも気づかなかったし……。

 

「そっか……。まぁ、そうだよね……。私も、そんなはっきり好きって思っていたわけではないし……」

 

 俯いたまま、あかねはポツリとそう言った。その声色はどこか悲しげで、それでいて後悔するような、そんな重い響きがあった。

 

「ちょっと……ちょっとね……。いいなぁって、思ってたの……。有馬くんのこと。須田くんのことちゃんと見てて、さりげなく助け船を出すところとか……。須田くんってさ、色々言われることも多いんだけど、誰よりも頑張っているから……」

 

 ポツリポツリとこぼされていく言葉は、とても小さい。プログラムに巻き込まれる前だったなら、きっとハキハキと、目を輝かせて言っていたことなのだろう。けれど、今はどこか自信がないように聞こえる。孝太郎のあの変貌っぷりは、プログラムによって歪んでしまったせいなのか。それとも、知らないだけで、あれが彼本来の性格だったのか。きっと、あかねにも分からなくなっているだろうから、そうなっても無理はないだろう。

 太一の言葉を信じるなら、孝太郎は「元からそういう奴」だった。それが、本性として現れただけ。それでも、プログラムがなければ一生知ることのなかった一面でもあるのだ。

 

「でもね……さっきの有馬くん……。私の全然知らない、有馬くんだった……。人のことを見下して、澤部くんたちのことを楽しそうに話して、須田くんのこと傷つけて、ずっと笑ってて……。あれが本当の有馬くんだったとしたら、私……全然人を見る目なかったんだなぁ……」

 

 亜美に話しているというよりは、あかね自身に向けた言葉のように思えた。平気で人を欺き、傷つけ、そのことに欠片も罪悪感を感じない。そんな人だと露知らず、勝手に思いを募らせていた自分が、とても滑稽で、そしてとても惨めだと。そう――自分を嘲るような言葉。

 

「ねぇ……もしかしたらさ、私のせいでみんな殺されちゃったのかな……? 希美とかひかりとか、仲のいい友達はさ、知っていたんだよね……。私が好きだって知っていたから、それで信じたり、騙されたり、殺されちゃったりしたの……かな……?」

 

 それは違う。すぐにそう否定しようと思ったが、それはあまりに軽率な発言だと思い、口を噤んだ。それは決して、有り得ないことではないのだから。

 

 五木綾音(女子1番)鈴木香奈子(女子9番)は、細谷理香子(女子16番)に殺されている。けれど、佐伯希美(女子7番)園田ひかり(女子11番)を殺したのは、理香子ではない別の誰か。その誰かは、孝太郎かもしれないし、乗っていた冨澤学(男子12番)かもしれないし、もっと違う別の誰かかもしれない。それはもう、殺した本人にでも会わない限り分からない。

 ただ、おそらくあかねも思い出しているのだろう。希美のあの凄惨な遺体を。だからこそ、考えてしまうのだ。あんな残酷な殺し方をするのは、何度も銃弾を浴びせるような殺し方をするのは、孝太郎しかいないのではないかと。学のように「生き残るために乗る」人間なら、あそこまでする必要はまったくないからだ。

 希美は、一体どういう経緯で殺されたのだろうか。クラス一優秀な頭脳を持つ彼女を、そうたやすく殺せるとは思えない。三年間同じクラスだったから何となくわかるが、希美のあの優秀さは、決して勤勉さだけからくるものではない。天性の才能というべきか、とにかく頭の回転が速い。人を信じて騙されることはあったとしても、そう簡単に事が運ぶとは思えない。

 ただ、そこに友人がほのかに好意を寄せる相手が絡んでいたとしたら――どうだろう。それは、亜美にも分からない。

 

「もしそうだとしたら……私のせいだよね……? 私がそんなこと言っちゃったから……死んだってことだもんね……? それってさ、私がみんなを――」
「東堂さん」

 

 自責の念に駆られているあかねの言葉を遮るように、そっと名前を呼ぶ。その声は届いてくれたようで、あかねは口を閉じ、こちらに視線を向けてくれた。

 

「それは、違うわよ。仮にあなたの気持ちを知っていて、それで何かあったとしても、決してあなたが好きになったせいじゃない。だって、人を好きになるのは、きっと理屈じゃないもの」

 

 恋の一つもしたことのない亜美が言うのも変な話だが、そう断言できるだけの実例を知っている。生まれた時からずっとそばにいる、大切な両親がそうだから。

 

「私のお父さんとお母さんね、本当はずっと結婚しないつもりだったんだって。一生独身でいるつもりだったんだって。けれど、結果的にはほら、一緒になって、私という子供が生まれているわけでしょ? 恋愛ってさ、きっとそういうものだと思うよ。理屈とか、理由とか、そういうの超越しているものじゃないかな?」

 

 今の亜美と同じ年の頃の両親は、身近な人がプログラムに選ばれたことで知ってしまった。中学三年生になれば、誰しも訪れる最悪の未来のことを。自分たちが選ばれなくても、いつか大人になって、恋愛して結婚して、子供を授かったとき、別の形でまた己の身に降りかかるかもしれないということも。それを回避する最も確実な方法は、子供を作らないこと。さらにいえば、結婚をしないこと。もしかしたら、恋愛することすら、心のどこかで避けていたのかもしれない。

 なのに、現実には好きな人ができ、結婚して、子供まで授かった。いつか訪れるかもしれない未来を思っても、そのときはそうすることを選んだ。それはきっと、理屈とか、そういうものを超えて、そうしたいと思ったからだと思う。そこにはきっと、当人たちしか分からない――いやもしかしたら当人たちにも分からない――何かがあったのだろう。

 亜美自身は、まだ誰かを好きになったことはない。けれど、両親を見ていて思う。どうして身を粉にしてまで、亜美のために働くのか。いっそ放り出してしまえば、楽になれるのに。それはおそらく、そうだと分かっていながら、そうさせる何かがきっとあるのだ。亜美には理解できない――何かが。

 

「それに、仮にあなたが有馬くんに好意を持っていたことが原因で何かあって、それで殺されたとしても、それは絶対にあなたが好きになったからじゃない。その気持ちを、その事実を、利用した相手のせい。全部相手が悪い。それだけは、誰が何と言おうと、私が断言する」

 

 人を好きになることは、何一つ悪いことではない。むしろ、素敵なことだと思う。この世にたくさんいる異性の中で、何人、何十人と出会う中で、たった一人に対して向けられる特別な思い。それ自体は、何一つ非難されるべきではない。

 悪いのは、人を好きになることではない。人を見る目がないことではない。その好意を利用することが、そしてそこに付け込むことが、卑劣で最低なことなのだ。純粋な気持ちを、自身の私利私欲のために利用することが、何よりも悪いのだ。絶対に。

 だから、あかねは何も悪くない。むしろ、それを利用されたのだ。一番の被害者と言ってもいい。そのことは、きっとみんな理解しているだろう。彼女の友人であるなら――尚更。

 

「……橘さん」

 

 たった一言。名前を呼ぶだけの返事に、少しだけ明るさを取り戻しているのが分かる。もちろん、以前のようにとはいかないけど。

 

「ありがとう……」

 

 小さく告げられたお礼の言葉は、とても綺麗に聞こえた。まるで、ハープを奏でたかのように。

 純粋な感情からくる言葉は、音楽を奏でるように聞こえるのかもしれない。そんなことを、ふと思った。

 

「あと、さっきはごめんね……」
「えっ……?」
「友達じゃないなんて……言ったこと……」

 

 ああ、そういえば。確かに、雅人が死んだ直後に言い争った時、そんなことを言われていたなと今更ながら思い出した。別に事実ではあるし、あかねも取り乱していたし、怒るどころではなかったので、記憶から消えていたようだ。なので、「別に気にしてないから」と軽く返す。

 普段の彼女なら、そんなこと絶対言わないだろうから。それくらい、一年近く同じクラスにいればわかることだ。まぁ、傷ついていないといえば、嘘にはなってしまうけど。

 

「でも、私……もっと橘さんと仲良くしておけばよかったな……。プログラムがなければ……こんな風に二人きりで話すことも、励まされることもなかったと思うし……」

 

 思わぬことを言われ、少しだけ言葉に詰まる。そう、亜美にしてもそうだ。あかねとここまで深く関わることは、プログラムさえなければ一生なかっただろう。卒業前のわずか三ヶ月で、ここまで会話する機会があったとはとても思えない。

 プログラムがあるからこそ、みんなこんなにも傷ついている。その一方で、プログラムがなかったら一生知ることのなかった事実も多く存在している。孝太郎の本性然り。雅人のあんな一面然り。

 知らないままの方が幸せだったのか。知った方が、今後のために良かったのか。それは、もう分からない。

 ただ、そう考えれば、何とも皮肉なものだなと思う。

 

「ねぇ……橘さん」

 

 少しの沈黙の後に、またあかねから話し始める。その言葉は、先ほどと同じようで、どこか儚くも聞こえた。

 

「今からでもさ……友達になれないかな……? 私、橘さんともっと仲良くなりたい……。こんな状況で言うのは変だと思うし、さっきあんなこと言ったから、都合いいように聞こえると思うけど……」

 

 あかねのその申し出に、思わず視線を逸らしてしまう。そのこと自体は、別段悪いことではない。信頼を深める意味でも、友人として関係を築くのはありだろう。本来なら友人というのは、なろうと言ってなるものではないのだから。

 けれど、今はプログラムの最中。最後の一人になるまで終わらない、残酷な状況の中。今ここで友人になったとしても、いずれはどちらか片方、もしくは両方死ぬことになる。もし仮にあかねが生き残った場合、亜美は死んだということになる。そのとき、彼女はまた“友人”を失う悲しみを味わうことになるのだ。

 その痛みも、おそらく覚悟しての申し出なのだろう。けれど、それを分かっていながら、すぐに肯定の返事をするのは、さすがに躊躇われた。

 

――死にたくなくても、死ぬかもしれないのが今の状況だし……。

 

 かといって、拒絶するのも酷というものだろう。今の彼女は、精神的にギリギリのラインを保っている。多くの友人を失い、殺されそうになり、目の前で仲間に死なれて、支えるものがほとんどない状態だ。

 下手な希望は、却って傷つける。それに、先の未来を憂いて、予防線を張るのも大事だ。けれど、それだけではこの悲惨な状況を乗り切れない。今の彼女には、何かしら支えが必要だ。たとえそれが、これからの展開によっては、より悲惨な未来をもたらすとしても。

 

「ここから……。ここから出たら……友達になりましょう……」

 

 それでも、やはり軽率に友人になることはできない。だから、了承でも拒絶でもない、保留の返事を口にした。友達になるには、今はまだ障害が多すぎる。

 だから、その障害がある程度なくなったら――そのときはきっと。

 

「私はまだ……あきらめてないから……」
「えっ……?」
「優勝以外の……別の解決策」

 

 ポツリと口にした言葉は、自分でも情けないほど弱々しく聞こえる。嘘は言っていない、と思う。別の解決策があるのならば、それに越したことはない。心のどこかであり得ないと思っていたことだが、心のどこかでは願っていたことだ。

 もしそれが叶えば、これほど嬉しいことはない。多くのクラスメイトを失っているけど、まだ生きている人もいる。たとえもう十人ほどしかいなくても、まだ終わってはいない。何らかの理由で中止になるかもしれない。誰かが、この状況を打開してくれるかもしれない。限りなくゼロに近い希望だが、決してゼロではないのだ。

 

「そう……だねッ……! うん……うん……ッ!」

 

 静かに涙を流しながら、どこか儚い笑みを浮かべながら、確かに彼女はそう返事をしていた。すべての意図が伝わったかどうかは、分からない。もしかしたら、言葉通りにしか受け止めていないのかもしれない。

 それでも、少しでも、元気になってくれれば――

 

――多分、それでいいんだろうな……

 

 たとえ、数時間後に別れてしまうことになったとしても。いつかは、身を裂くような辛い未来が訪れたとしても。

 それでも今、この瞬間は、確かに一緒にいる。だから――

 

「午後六時になりましたー。八回目の放送を始めまーす」

 

 そう思ったところで、耳をつんざく放送が――始まった。

 

――終盤戦終了――

[残り4人]

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