最凶VS最狂

 

 有馬孝太郎(男子1番)にとって、下柳誠吾(男子7番)というクラスメイトの印象は、「その辺にいるのとさして変わらない人間」という程度のものだった。

 バレー部で、確か運動神経はいい。二年時からとはいえ特進クラスに在籍しているのだから、頭もそこそこ優秀だ。けれど、彼に関して知っていることは、多分これくらい。クラス内の交友関係ですら、正確には把握していない。末次健太(男子8番)とたまに会話しているのを見るくらいだ。おそらく、一人でいることが多いのだろう。

 彼以上に、運動のできる人間もいる。頭は、正直自分の方が優秀だ。加藤龍一郎(男子4番)のような聡明さもないだろうし、須田雅人(男子9番)のような利用価値も感じない。

 だから、彼のことを気に留めたことはない。それよりもおもしろい人間は、このクラスにいくらでもいたのだから。

 

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「なんだ、その顔は。まるで、幽霊でも見たようだな」

 

 乗っているかどうかなんて、考えたこともない。そもそも、彼が生きていることすら、正直忘れていた。そのくらい、興味がなかったのだ。

 意識の外にあったくらい眼中になかった相手が、知らない間にすぐ後ろにまでせまっていた。こちらが銃を向けるより先に、正確に左手を蹴り上げた。そして、銃口を向けられている今、動じることなくそこに立っている。

 雅人から思わぬ反撃を食らった時以上に、想定外の出来事だ。その事実に――少しだけ背中に冷や汗をかく。

 

――いや、偶然だ。不意打ちされたから、動揺しているだけだ。けれど……

 

 身体能力は、少なくとも向こうの方が上。迂闊に引き金を引けない以上、正攻法は使えない。ここは、口で相手の動揺を誘うしかない。

 

「……銃を向けられているっていうのに、随分余裕そうだな」
「撃てないだろ、今のこの状態じゃ。さっきみたいなことになるだろうしな」

 

 見透かしたような言葉に、一瞬怒りの感情を抱く。しかし、すぐにその言葉に隠された一つの事実に気づいた。

 

「へぇ、見てたのか。俺が、冨澤撃つとこ」
「まあな」
「なのに、あいつ助けなかったのか。ひどいやつだな、お前」

 

 相手の神経を逆撫でする言葉を選び、誠吾の反応を窺う。人というのは、多かれ少なかれ“善意”というものを持っているものだ。たとえ自身の得にならなくても、目の前で困っている人を放ってはおけない。たとえ見て見ぬ振りをしたとしても、そこには必ず“罪悪感”を伴う。

 プログラムの最中であっても、それは同じだ。そこをつつけば、大抵の人間は動揺を示す。仕方ないと割り切っていても、自分が何かすれば、結果は変わったのではないか――そんな希望を抱いてしまうものだから。

 

「ああ、そうだな。冨澤がどうなろうと、俺の知ったことではないからな」

 

 動揺も躊躇いも見せないまま、事も無げに誠吾はそう答える。予想外の冷めた返答に、戸惑いを覚えた。

 もしかしたらそれは、プログラムの中で身につけた割り切り方なのかもしれない。人数も大分減ったのだから、そうなってもおかしくはない。けれど、彼の今の発言に、そういった経緯は感じ取れなかった。

 本当に最初から“どうでもよかった”と思っていたかのようだ。孝太郎と同じように。

 

「当たり前だが、二人いっぺんに相手するより、一人でも減った方が効率がいい。それに、冨澤には死んでもらった方が好都合だったからな」

 

 畳みかけるかのように、誠吾は続けてこう発言する。言っていることそのものは、至って合理的だ。けれど、それは、感情も倫理観も何もかも無視した末に導き出されるもの。サラリとそんなことを言った彼の言葉に、一瞬だけ恐怖を覚えた。

 

 孝太郎にも、その考えはある。けれど、同じ考えを、他のクラスメイトが持っているとは思っていなかった。自分だけがこのように合理的な選択ができる。だから、絶対優勝できる。たとえ不利になっても、こうやって感情を揺さぶれば、必ず隙ができるものだと。

 もちろん、全員が全員、このような倫理観を持ち合わせているわけではない。このクラスでも、妹尾竜太(男子10番)小倉高明(男子3番)には、そういったものがあまり備わっていない。けれど、彼らを殺すのはわけない。そんな揺さぶりをするまでもなく、欲に忠実な分、隙は多いのだから。

 けれど、目の前の男にそんな隙はない。冷静に、こちらを観察している。迂闊には撃てないと分かっていても、特別誠吾に有利というわけでもない。だからなのか、何か仕掛けてくるような素振りは一切見えない。ある種、五分五分ともいえるこの状況。

 彼を殺すためには、どうゆう手段を取るべきか。北村梨花(女子5番)から奪ったアストラプレッシンは、射程距離がかなり短い。故に、このままの状態で撃っても当たるかどうか分からないし、どれくらいの効果があるかも分からない。しかし、今の彼に、近づくことは難しいだろう。刃物の類は持っての他だ。持っているのは、刃の部分が短いナイフの類ばかりだから、切りつける前に避けられてしまう。

 思ったより、八方ふさがりなのかもしれない。ああ、雅人に銃を三つも奪われていなければ、こんな奴簡単に殺せるのに。

 

「そんな銃しか使えないということは、やっぱりマシンガンとか使いやすい武器は持っていないんだな。なら、別に警戒することはないか」

 

 端的に誠吾がそう口にした途端、銃を持っている右手の手首を、ガッと掴まれる。同時に、力をこめているのか圧力を感じる。まるで骨を砕こうといわんばかりの剛力に、思わず手を離してしまった。銃が地面に落ちるような音がし、それを待っていたかのように、瞬間腕をグリンとひねり上げられる。

 

「っつ……!」

 

 そのまま腕を背中に回され、上から体重をかけられ、腹から地面に這いつくばる形になってしまう。すぐに自由な左手で何かしら武器を取り出そうとするが、その前に左脇に誠吾の膝が入り込むことでそれも叶わなくなった。屈辱的だ。いくら殺す手立てがないからといって、こんな奴に組み敷かれるのは。

 誠吾から逃れようと必死の抵抗を試みるが、こちらは男子の中でも小柄な部類で、しかも文化部。対してあちらは、運動部な上に、身長も上から数えた方が早い。さすがにここは体格の差が物を言い、まったくといっていいほど体勢は変わらなかった。

 

「あんまり動かない方がいいぞ。体力の無駄使いだからな」

 

 誰のせいでこんなことになっていると――。そう口にしようとした瞬間、あの忌まわしい首輪ごと、首をガッと掴まれる。まるで、これ以上の無駄口は許さないと言っているかのように。

 

「残りも少なくなってきたし、せっかくだからお前から情報を仕入れておこうか。やる気満々なら、色んな意味で有益な情報を得られそうだしな」

 

 淡々と、まるで世間話でもするかのように、誠吾はそう口にする。やる気満々の人間を前にして、微塵も動揺や恐怖を見せない。そんな誠吾の振舞いは、日常と何ら変わらない。

 変わらないからこそ、却ってその“異常性”が際立って見える。無意識のうちに、ゴクリと唾を飲み込んでいた。

 

「まだ放送で名前を呼ばれていない人間の中で、お前が会ったことのある人間はどれだけいる? ああ、冨澤と八木は除いていい。もう死んでいるしな」

 

 そんな孝太郎の心情をまるで意に介さないかのように、誠吾は勝手に話を進める。何を勝手なことを、と反論しようと思ったが、その前に首にかかる圧力が増した。

 

「……ゲ、ゲホッ……! そ、そんなこと聞いて……」
「いいから、答えろ」

 

 こちらの疑問はどうでもいいのか、言い切る前に冷たい声で遮られた。その声には、“反抗したら殺す”という明確な意思が感じられ、そのせいか全身に鳥肌が立った。同時に、冷や汗がドッと吹き出す。

 なんだ、なんなんだこいつは。こんな奴が、うちのクラスにいたのか?

 

「下手なプライドは、寿命を縮めるぞ。まだ死にたくはないだろう?」

 

 それが最後の通告であるかのように、首により強い圧力がかかる。右腕を掴んでいたはずの手が離れていることに気づき、両手で首を絞められていると理解した。血液が顔に集まっているのか、妙に熱く感じる。唇が段々痺れてくる。味わったことのない未知の感覚に、心から恐怖を覚えた。

 このままでは、本当に殺される――。そう察した孝太郎は、狭くなった気道に必死で酸素を取り込みながら、息も絶え絶えに言葉を紡いだ。

 

「古賀と細谷以外には……全員会っているよ……」

 

 嘘を吐こうという気さえ起こらず、せめてもの抵抗で口調だけは変えずに、素直に質問に答えた。

 その瞬間、背後の空気が変わった。それは、殺意なのか。それとも、歓喜なのか。正体不明の彼の雰囲気に、また別の意味で鳥肌が立った。

 

「……そうか」

 

 その声は、先ほどまでとは違っていた。淡々とした口調に、明らかな興奮が混ざっていた。

 

「まさかとは思うが、会った人間は全員殺したのか?」

 

 そう問われると同時に、首にさらなる圧力がかかる。それでは何も話せないではないかというこちらの意志を無視するかのように、力はどんどん増していった。このままでは、その気がなくとも、誠吾は孝太郎を窒息死させてしまうだろう。

 こんな奴に命乞いをするのは癪だが、それより死ぬ方がまっぴらごめんだ。

 

「く、苦しい……! これじゃ、何も話せない……」
「……あぁ、つい力が入ってしまった。ほら、これで話せるだろう?」

 

 何てことないかのように、誠吾は軽い口調で少しだけ――かろうじて話せる程度くらいにまで力を緩めた。緩めはしたものの、首から手を離す気はさらさらないらしい。話すから首から手を離せと言いたかったが、これ以上余計なことを言って状況が悪化するのは避けたい。誠吾は、これまで会った誰よりも殺人に躊躇いがない。それだけは、これまでのやり取りから容易に推測できた。

 無性に腹立たしいので、嘘で全員殺したと言ってしまおうか。しかし、あと一時間もしない内に八回目の放送だ。死を確認できていないあの二人が呼ばれなかったら、誠吾に嘘だとバレてしまう。孝太郎が嘘を吐いたと分かったら、何をしてくるか分からない。息一つ乱さずに、こうして拘束し続けている彼の機嫌を損ねてしまったら、どんな仕打ちが待っているか分からない。

 孝太郎は、知らず知らずのうちに、誠吾に恐怖を感じるようになっていた。これまで会った相手とは、明らかに違う雰囲気。人間らしい倫理観を一切無視した、合理的で冷徹な考え方。状況を冷静に判断し、最小限の行動で相手をねじふせる手際の良さ。そしてそれ以上に、孝太郎は誠吾のことを何も知らない。だから、推測も何もあったものではない。眼中にもなかったクラスメイトの中身が底知れないことが、こんなにも怖いものだとは思わなかった。

 全員殺したという嘘は吐けない。かといって、誰も殺してないという嘘も、プライドが許さなかった。本当のことを話せば、少なくとも嘘をついたことにはならない。それを理由に、殺される謂われはない。半ば強引にそう納得させ、孝太郎は渋々口を開いた。

 

「雅人と辻は、殺した……。加藤は俺じゃないけど、死んでいる……。東堂と橘は……」
「殺せなかったのか?」

 

 見透かしたようなその言葉に、妙な苛立ちを覚える。それは、思い出したと言った方が適切なのかもしれない。

 

『それでも今、お前を殺すことはできる』

 

 本当なら、その二人だって死んでいるはずなのだ。あのとき、雅人が邪魔さえしなければ。

 彼自身はもう死ぬというのに、それに気づいていなかったのか。それとも、分かっててやったのか。銃を向けて、マシンガンを捨てさせて、逃げるという最も屈辱的な手段を取らせて。ああ、本当に気にくわない奴だ。飼い犬に手を噛まれたというのは、正にああいうことを言うのだろう。そうだ。雅人のせいで、こんな状況に陥っているのだ。マシンガンさえあれば、こんな奴簡単に殺せるのに。

 けれど、過程がどうあれ、二人を殺せなかったのは事実だ。口で肯定するのは癪だったので、黙っていることで認めることにした。本当に、気にくわない。なぜ、あの二人がまだ死んでいないのか。

 

「返事をしないのは感心しないが……どうやら本当らしいな」

 

 孝太郎の意図を汲み取ったのか、ため息をつきながら誠吾は静かにそう言った。静かで落ち着いた声だが、やはり隠し切れない興奮がそこにはあった。

 

「まぁ、この状況で嘘を吐けるとは思えないし、その二人だけを避ける理由もないからな。良かったじゃないか。俺に、お前を殺す理由はないということになったからな」
「はっ……その二人に用でもあんのかよ……。まさかとは思うけど、どっちか好きなのか……?」

 

 殺されないと分かった瞬間、安堵感からか、これまでの分を取り戻そうとしたのか、そんな言葉が出てきた。誠吾の交友関係を把握はしていないが、その二人と特に親しかった記憶はない。なら、考えられるのは、相手も知らない“好意”という感情を抱いているのではないかということだ。男女という間柄、それは十分あり得ることだろう。特に東堂あかね(女子14番)は、男女問わず好かれるタイプだし、そういう輩がいてもおかしくはない。孝太郎は、むしろ嫌いなのだが。

 けれど、言葉を発した次の瞬間。これまでで一番の殺意が、背後から襲い掛かってきた。心臓の弱い人間だったなら、それだけで鼓動を止めることができるほどの、強烈な殺意を。

 

「……無粋な詮索は、命を落とすぞ」

 

 そうして、また首に圧力がかかる。今度は、本気で絞め殺そうという意図さえ感じられるほどに強い力だ。気道が狭まり、まともに呼吸ができない。金魚のように口をパクパク動かすも、それで十分な酸素が入ってくるわけもない。

 

「まぁでも……、このまま開放するのも危険だな。念のため、肩の関節くらいは外しておくか」

 

 至って軽い口調で誠吾が告げた言葉は、孝太郎を激しく動揺させた。なんだ、今のは。まるで、帰りにコンビニでも寄ろう、というようなサラッとした口調は。

 反論する間もなく、首からの圧力が弱まり、今度は左腕を掴まれる。瞬時に、先ほどとは比較にならないほど強い力で、背中の方へとひねり上げられた。一切の躊躇も加減もなく、その勢いと力のままに、肩の関節が完全に外される。ゴキィという嫌な音が、身体の内から響いていた。

 

「がぁ……! て、てめぇ……」
「利き腕じゃないから、一応問題ないだろ。まぁ、これに懲りて、今後余計な発言はしないことだな」

 

 なだめるかのように、誠吾はそう告げ、同時に孝太郎から離れていった。離れたら即座に殺してやるつもりだったが、人生で初めて味わう激痛に、呼吸を整えるのがやっとだ。そうしている間に、誠吾は孝太郎が落とした銃を拾い上げていた。

 

「冨澤の銃は俺がもらう。必要だからな。八木の方は、お前にくれてやるよ」
「てめぇ……どういうつもりだ……」

 

 意図が分からない。殺しもせず、武器も完全には奪わず、敵である相手を逃がすとは。誠吾は、優勝を目指しているのではないのか。別の誰かを優勝させるつもりでも、ここで孝太郎を殺しておいた方がいいはず。

 もちろん、殺されるのはまっぴらごめんだ。けれど、目的が見えないこの行為に、どうにも気持ち悪さを覚えざるを得ない。一体、誠吾は何がしたいのか?

 

「お前なんぞに、教えるわけがないだろ。弱みとして使うに決まっている。ただ……そうだな。言わないと、今度こそ殺しそうだから、一応忠告しておこうか」

 

 そう言って、誠吾は孝太郎の背中を思い切り踏みつける。屈辱的だと思う間もなく、囁くような声でこう告げられた。

 

「また会うことがあったとしても……東堂さんと橘さんは殺すな。その二人が死んだと分かったら、今度は本気でお前を殺す」

 

 先ほど告げた、会っていながら殺すことが叶わなかった二人。ぼんやり推測はしていたが、誠吾の目的はこの二人なのだ。

 いや、二人共が対象とは思えない。つなげて考えることが難しいほど、この二人に接点はないからだ。先ほど一緒にいるところを見てはいるが、正直意外な組み合わせだと思ったくらいだから。

 となれば、もう一人は、悟られないためのカモフラージュなのだろう。本当の目的は、どちらか片方だけ――

 

「よかったじゃないか。どういう理由で殺し損ねたかは知らないが、そのおかげでお前はこうして生き永らえているわけなんだから。邪魔した相手がいたんだとしたら、そいつに感謝でもしとけよ」
「……ッ!」

 

 誰が感謝なんかするものか。そもそも、それさえなければ、今この瞬間地べたに這いつくばっているのは、自分ではなく誠吾であるはずなのだ。

 なぜだ。誰よりも優れているはずの自分が、どうしてこんな奴に――

 

「自惚れるなよ。お前は、お前自身が思うほど、優秀なんかじゃない」

 

 まるで心の声を読んだかのようなタイミングで、誠吾が静かにそう告げる。侮蔑といった感情はそこには存在せず、ただ事実を述べるかのように淡々としていた。

 

「クラス全員が、“優等生”というお前の表の顔に騙されていると思っていたら大間違いだ。加藤くらいにはバレているかもなどと思っていたかもしれないが、他にもいるぞ。そもそも、一人くらいにならバレてもいいと思っているあたり、認識の甘さを露呈しているようなものだしな」

 

 誠吾の言葉を、今度はフッと鼻で笑う。そんなわけがない。確かに、龍一郎くらいにならバレてもいいと思っていたことは、甘かったのかもしれない。龍一郎が、誰彼かまわずしゃべってしまったら、少なくとも学校生活に支障が出るからだ。

 けれど、龍一郎みたいなやつが他にもいただなんて、そんなことあるわけがない。彼の友人である弓塚太一(男子17番)はあっさり騙されてくれたし、簡単には他人を信用しない澤部淳一(男子6番)でさえも、紆余曲折はあれど自分を引き入れた。敵意を向ければ、誰でも驚愕したような顔を見せてくれたし、本性をむき出しにすれば、絶望を叩きつけられたかのような表情を見せて楽しませてくれた。

 それもこれも、普段の自分を“真実”だと思っていたからこそだ。龍一郎みたいに、察していて、かつ誰にも言わない人間が、たった三十四人に複数いてたまるものか。

 

「そんなわけないだろ……。口から出まかせかよ……」
「現に、俺はお前が積極的にプログラムに乗ると確信していたし、あと篤……五十嵐も、お前の表の顔に不審を抱いていただろうな」

 

 まったく関係ない第三者の――五十嵐篤(男子2番)の名前が出てきたことに、一瞬耳を疑った。出席番号が並んでいる関係で、何かと接点はあったし、進級時や試験の時は席が前後していた。いつも眠そうで、授業中だろうが、休み時間だろうが、どこでも寝ているような奴で、目立った交友関係はなかったはず。そう、目の前のこの男とも、話したことはなかったはず。彼に関して覚えているのは、このくらいだ。勉強もさして得意ではなかったはずだし、運動も自分とほとんど差はない。そう、知っているのはそれだけ。それ以上の興味はなかった。

 プログラムの中では、篤に一度も会っていない。いつかの放送で名前が呼ばれて、それっきりだ。思い出すほど関わりはなかったし、警戒するほどの人材でもない。きっとどこかで、やる気のやつに殺されたのだろうと、そのくらいにしか思っていなかった。

 

「五十嵐が……? まさか……」
「本人の口から聞いたしな。出席番号が前後していたから、お前の違和感を目にする機会はそこそこあっただろうし。お前、気づいていたか? 教室で、須田が担当官に食って掛かった時のこと」

 

 ああ、あの時。確か、雅人が田添祐平(男子11番)が殺されたことで、担当官にすごい剣幕で迫った時のこと。普段のあいつからは考えられないほど激昂していたから、心のどこかで面白いと思いながら黙って見ていた。ここで庇いなどすれば、雅人共々殺される可能性があったし、人数は一人でも減った方がいい。だから、表向きは驚きながら、どうなるかじっと観察していた。

 そういえば、そのときは健太が雅人を止めたことで、事なきを得たことを思い出した。正直、余計なことをという気持ちが半分存在していたが。

 

「お前、面白くてたまらないって顔していたぞ。まぁ、大半の奴らは須田の方に視線持っていかれていたから、気づいてなさそうだが。少なくとも、すぐ近くにいた五十嵐は、お前のそんな表情に気づいただろうな」

 

 口から出まかせだ。そう否定するのは簡単だ。けれど、それを口にしようとした瞬間、頭の中の自分がそっと囁く――本当に、そう言い切れるのかと。

 

 面白い。そう思っていたのは事実だ。それを、表情に出さないように努めていた自信はある。けれど、果たして、ただの一瞬たりとも、油断をしなかったのだろうか。

 三年間ずっと一緒にいた友人が、一度も見せたことのない顔。普段の振舞いから考えられないほど、激怒した表情。それを見せられて、果たしてずっと冷静でいられたのか。

 そう言われれば、そうとは言い切れない自分がいたことを――否定することはできなかった。

 

「後学のために、一ついいことを教えてやるよ。完璧な人間なんて、この世に絶対存在しない。誰しも、どこかしら笑えない欠点がある。だからこそ、完璧を演じようとすればするほど、どこかで必ずボロが出るし、周囲から妙に浮いて見えるものだ」

 

 まぁ、ここから生きて出られたら、参考にでもしとけよ。そんな軽口を叩きながら、誠吾は笑う。それは、人を見下しあざけ笑うものではなく、普段と何ら変わらないかのような――いや、どこか面白いと思いつつ、隠しきれない興奮がそこにもあった。

 一体、何が彼をそこまで興奮させるのだろうか。少なくとも、孝太郎のように、人を欺き蹂躙することに快楽を見出しているわけではない。目的の人物がまだ生きていることが、そんなに喜ばしいのだろうか。そもそも、彼はどういう目的でその人物を探している?

 誠吾の考えていることがまったく分からないせいか、少々混乱していた。そのせいか、彼がもう一度近づいていたことに、気づくのが一瞬遅れてしまった。

 

「このままにしようかと思ったけど、気が変わった。やっぱお前、少しそこで寝てろ」

 

 は? と思う間もなく、また首を絞められる。加減なく絞められたせいか、抵抗する間もなく視界が暗転していった。

 

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