憧れと友情

 

 いくら身体を休めても、疲れが取れたような気がしない。寝ていないせいなのかもしれないが、それ以上に神経をすり減らしているからだろう。やっていることの残酷さ、いつ死ぬかもしれない恐怖。その二つを抱えて平常心でいられるほど、自分は強い人間ではない。

 

 安定した生活と平和というものは、どれほど貴重で有り難いものなのか。今になって思い知る。

 

 冨澤学(男子12番)は、エリアA-5にいた。自分が殺した小倉高明(男子3番)小野寺咲(女子4番)の遺体があるB-5に隣接する、北の端の方に当たるエリア。本来なら、もっと遠く離れたところまで移動するべきだろうが、そんな気力も体力もなかった。ここに移動をしたのも、五回目の放送が始める少し前だ。

 

――まだ十五人も残っているのに……。こんなんじゃ、いつか誰かに殺されてしまう……。

 

 生きて帰るために、人を殺すことを決意した。そして、既に四人の人間をこの手にかけた。罪を背負うことも、罪悪感に苛まれることも、人としての倫理観を失うことも、全て分かっていたはずだった。時間が経てば経つほど、体力に自信のない自分は不利になるということも。だからこそ、出来るだけ移動して多くの人に会い、早めに終わらせることが肝心なのだとも。

 それでも、現実はそう上手くはいかない。既に一日以上経過しているのに、出会ったのはわずか五人。そして、出会ったにも関わらず、橘亜美(女子12番)のことは逃がしてしまった。正確には、殺すことができなかった。できなかったのは、殺すことを躊躇った己の弱さだ。

 

『……古賀くんに、会ったわ』

 

 彼女から得た情報は、見逃してでも得るべき価値のあるものだったのか。それは、はっきり言って分からない。知らない間にその人物が死んでくれれば無価値になるし、会わない限りは活かす方法がない。いつかは死んでもらわなくてはいけない一人の命を、天秤をかけるほどの価値はあったのか。今になって思う。

 かといって、その取引を反故にしてでも殺すべきだったかどうかも、また分からない。あのとき、銃の引き金を引いたとしても、そのまま彼女を殺すことができたのだろうか。既に何回も引き金を引いている銃だけど、確実に当たるという保証はない。いや、仮に当たったとしても、彼女のあの様子だと、おそらくこちらも無傷ではすまなかっただろう。返り討ちに遭った可能性だってある。

 思えば、これまで殺意を向けられたことがあまりない。五十嵐篤(男子2番)は無抵抗だったし、高明や咲は不意打ちで殺した。唯一敵意を向けてきた妹尾竜太(男子10番)にしても、学のことを舐めてかかってきたからこそ、かすり傷一つ負うことなく殺すことができた。学が完全に乗っていると分かっていて、かつ舐めてかかることのない相手だったとしたら、これまでのように上手くいく保証はない。今後の事を考えれば、避けるべき戦闘は避けた方がいいのかもしれない。

 現実的に考えれば、あのときの選択は、学が“死なない”ためには必要なことだったかもしれない。しかし――

 

『人を殺さない言い訳を作るな。これから誰かを見つけたら、躊躇なくこの引き金を引け。それが、お前が死なないための唯一の方法だ』

 

 生き残るためには、誰であろうと殺さなくていけない。殺さない言い訳など、ここでは無意味。死にたくないのなら、躊躇いなく引き金を引かなくてはいけない。生きて帰れるのは一人だけと決まっている以上、相手は関係ない。仲のいい友人でも、自分を救ってくれた善人でも、死んでもらわなくては生きて帰ることができない。篤が以前言ったことは、まぎれもない真実だ。

 なのに、それを実行することができなかった。確かに、あのとき殺せなかった理由はいくつか存在するけど、殺すために動けなかったことが一番の理由だ。自分のことは元々嫌いだけれど、今となってはここまで弱かったのかと、失望感すら覚える。殺してしまいたくなるほどに、弱い自分が大嫌いだ。

 それでも、死にたくないのは事実で、それだけはプログラムが始まったときから変わらない。なら、やはり取るべき行動は一つなのだろう。

 

『あなたに会ったら、それなりに元気でやっているって伝えてくれって。そう言われた』

 

 弱い。今も昔も、ずっと弱いままだ。強い人間に憧れているのに、憧れている人間はすぐ近くにいてくれたのに。その強さを、すぐ近くで証明してくれていたのに。

 

 憧れは、今だ手の届かないはるか先にある。

 

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『おらぁ! 黙ってないで、金をよこせよ!!』

 

 あれは、二年の終わり。終業式の帰りの出来事だった。部活の関係でみんなより遅く校門を出た学は、帰り道で他校の不良に絡まれたのだ。近道をしようと人気のない細い道を選んだことが仇となってしまった。

 

『私立の金持ち学校だから、いっぱい金持ってんだろ。有り金、全部俺らによこせよ』

 

 こちらよりはるかに背の高い男が、ザッと数えただけでも四、五人。体格の良さからして、おそらく高校生だ。いくら剣道部だからといっても、学が一人で敵う相手でないことが一目で分かった。そもそも、剣道は武道の一種であり、決して喧嘩の道具ではない。顧問が、口をすっぱくして言っていたことだ。

 

『も、持っていないです……』
『あぁッ?! 嘘ぶっこいてんじゃねぇぞ!!』

 

 学の言うことが嘘だと思っているのか、その中の一人がすごい剣幕で詰め寄ってくる。その威圧感に、腰を抜かしそうになる自分がいた。けれど、そうなっては逃げることはおろか、助けを呼ぶことさえできない。本当のことを言いそうになる唇を強く噛みしめ、目の前の恐怖にただただ耐えた。

 確かに彼らの言う通り、お金を持っていないというのは嘘だ。万が一の時の為に、鞄の中にはいつも少しばかりのお金が入っている。けれど、こんな輩に上げる義理はない。そんなプライドから、学は敢えて真実とは真逆のことを口にした。

 しかし、持っていないからといって諦めるような、素直な連中ではない。彼らは、学をさらに細い路地に追い込み、出口を塞いだ上で、再度金銭を要求した。

 

『素直に渡してくれれば、ママの元に帰してやるよ〜』
『でも、ないなんて嘘ついたら……』
『どうなるか分かっているよね〜』

 

 彼らは代わる代わる脅迫の言葉を口にし、学の腹に二、三発軽く拳を入れた。言っていることと、やっていることが違っているではないかと心のどこかで思いつつ、腹からせり上がってくる痛みに背筋が凍るほどの恐怖を覚えた。

 このままお金を渡さなければ、おそらく地面に這いつくばるまで殴られ続け、それでも鞄やズボンのポケットを漁られることでお金も取られてしまうだろう。ならいっそ、素直に渡した方が痛い思いをしなくてすむ。親には落としたとか、使ってしまったとか言っておけばいい。それより、この場を無事に切り抜けなければ。そう考えた学は、財布を取り出そうと鞄を開けようとした。そのときだった。

 

『あっ、おまわりさーん。こっちですー。こっちこっちー』

 

 自分たちではない、第三者の声。しかも、警察を連れてきているかのような口ぶり。その言葉を聞いた瞬間、学を取り囲んでいた不良たちは、明らかに動揺していた。

 

『や、やべぇよ! マッポだってよ!』
『ど、どうすんだよ!!』
『ちっ、とりあえずずらかるぞ!!』

 

 警察の介入を恐れたのか、彼らは一目散に学の前から姿を消した。こちらが状況を把握する間もないほどの、一瞬の出来事だった。

 

『大丈夫か?』

 

 そんな突発的な出来事に驚いていたせいか、誰かが声をかけてきたことに気づくのに、少しばかり時間がかかってしまった。

 

『えっ? あ、はい……』
『金とか取られていないか?』
『は、はい……』

 

 矢継ぎ早に尋ねてくる相手の質問に、戸惑いながらも答えていた。そのまま視線を相手の方へ動かし、少しばかり驚く。低い声色からてっきり大人かと思っていたのに、相手は自分と同じ制服を着た学生だったのだ。ただ、体格は学よりもかなりいいし、背もはるかに高い。年上だろうか? 卒業した三年生とか?

 

『あの、さっきの声って……』
『ああ、俺だけど?』
『ありがとうございます……。警察を連れてきてくれて。あの、僕は冨澤学といい――』
『警察? いや、あれハッタリだけど』

 

 ヘっ? という間抜けな返事をした学を見て、相手は少しだけ真剣な表情を崩していた。もしかして、笑っているのだろうか?

 

『悪い悪い。そんなに驚かれると思っていなかったから』
『あの……じゃあ呼んでいないんですか?』
『呼んでない呼んでない。ああいう輩は、ハッタリで十分だと思ったからさ』

 

 そう言って、少しだけフフッと笑っていた。なんでそんなに笑うのか理解できない学をよそに、相手はこちらに手を差し伸べる。

 

『まぁ、とりあえず。あいつらが戻ってこないとも限らないから、ここから移動しようぜ』
『あ、はい……』
『それとさ、敬語使わなくていいから』

 

 またへっ? と返事をした学に向かって、今度は目じりを下げながら、相手はこう答えていた。

 

『俺、お前と同じ二年だから。冨澤学くん』
『なんで、僕と同い年だって……?』
『そりゃ知っているよ。常に学年成績上位五位以内に入っている、常連さんの名前くらいはさ』

 

 そう言ってから、相手はこう名乗っていた。

 

『知らないだろうから、一応名乗っておく。所属は二年三組。あと古賀雅史、ってのが俺の名前』

 

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 これが、一番の友人である――古賀雅史(男子5番)との出会い。今でも鮮明に思い出せる、数か月前の出来事。

 

『私立に通っているからって、金持ちだろうっていう発想が腹立つ。実際、俺の家は金持ちではない』

 

 なんで助けてくれたのかと聞くと、こう答えが返ってきた。そして、ああいう連中が自分の学校をカモにしているのが気に食わない、とも。

 これは後に聞いた話だが、雅史の両親は小さな工場に勤めている。必死で働いているものの、そこまで裕福な暮らしをしているわけではない。そんな生活だからなのか、両親は常々こう言っていたそうだ。学歴さえあれば、もっといいところに就職にできたのではないか、と。そんな自分たちのような苦労を息子がしなくていいようにという配慮から、雅史は私立に進学することになったという。

 

『俺は、学歴なんて飾り程度ににしか思っていないんだけどな。そりゃ楽とは言えないが、一応生活できているわけだし』

 

 それでも、雅史は両親の希望通りに私立を受験し、この青奉中学校に通うことにした。本人は何も言わなかったが、きっと両親の気持ちを尊重したのだろう。あまり多くは語らない、彼らしい誠意の示し方だった。

 

――……そうだ。雅史は、いつだって人のことを考えていた。

 

 相手の真意を汲み取り、それを最適な形で表現する。言葉ではなく、結果や行動で示す。口下手なせいもあるからだろうが、それが雅史の優しさだった。

 

――だから、僕にも会わないことを決めている。

 

 会ったら、学が躊躇うだろう。何を根拠にそう考えたかは分からない。弱いからだと思ったからかもしれないし、実は自分勝手な奴だと思っていたからかもしれない。けれど、その考えから基づく行動は、まぎれもなく学のために起こしたものだ。

 

――そういう強さ、僕も欲しかったな。

 

 雅史を見て、分かったことがある。強さとは、ただ腕っ節の強さを指すのではないのだと。状況に応じた最適な行動を、即座に起こせる勇気。それが、きっと本当の強さなのだと。それを、雅史はいつだって目の前で示してくれた。あのとき、ただ不良を相手にするのではなく、ハッタリで追い払うといった、最も安全で確実な手段を取ったときのように。

 学の取っている行動は、もしかしたらプログラム上では最適な行動なのかもしれない。けれど、それでも自分が強いとは思えない。それは、その行動に基づく動機が、身勝手で他人のことを省みないからだろう。

 雅史のように他人を思って取る行動とは、根本から違っている。

 

――それでも、僕は生き残りたいんだ。死ぬのは怖いんだ。

 

 身勝手だとしても、他人の尊厳を踏みにじってでも、生き残りたい。生きて、元の生活に帰りたい。罪悪感に苛まれて生き続けることになろうとも、尊敬する友人を失うことになろうとも、生きてさえいればいくらでもやり直せる。けれど、死んでしまえば、そこで全てが終わってしまう。

 

――こんなところで終わりたくない。今度から、躊躇いなくやらなきゃ。もう……誰も逃がしたりしない。

 

 次第に深くなっていく夜の闇に、溶け込んでいく小さな身体。しかしその二つの双眸には、揺らぎながらも生きる決意を固めた、確かな光が宿っていた。

 

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