トロイの木馬

 

「孝太郎! 孝太郎ぉ!」

 

 迷子だった子供が母親に会えてホッとしたかのような大きな泣き声。そんな泣き声で叫びながら縋りつく広坂幸治(男子13番)を受け止めながら、有馬孝太郎(男子1番)はこう切り出していた。

 

「ここにいるのは幸治と……さっきの声は澤部だろ? 二人だけか? 宮崎も一緒じゃないのか?」

 

 どうやら、幸治を静止するために出した澤部淳一(男子6番)の大声は、孝太郎にもしっかり聞こえていたらしい。宮崎亮介(男子15番)は、この質問にどう答えるべきか迷ったが、その前に淳一が返事をする方が早かった。

 

「……そうだけど」

 

 隠しても無駄だと悟ったのか、淳一はあっさりと肯定していた。どこか面白くなさそうな雰因気がにじみ出た声だったが、幸治が来たときのような露骨な不快さは示さなかったようだ。

 

「ああ、なるほど。慎重なお前が、幸治を受け入れるとは考えにくかったからな。宮崎がいるなら、まだ納得できる」

 

 ここにいる人間のことが分かったせいか、先ほどよりも孝太郎の声が幾分か柔らかくなっていた。おそらく、幸治以外誰がいるか分からなかっただけに、多少なりとも緊張していたのだろう。

 

「幸治のこと、匿ってくれてたんだな。ありがとう。幸治が会ったのが、お前らでよかったよ」
「そんなにあっさり信用してもいいのかよ」
「澤部。お前がプログラムに乗るような人間じゃないってことくらい、分かっているよ。三年間同じクラスだしな。宮崎もいるなら尚更だ」

 

 そう言って、孝太郎は「幸治。悪いけどちょっと苦しいわ」と幸治を引き離した。そして、幸治が抱きつく際に落とした懐中電灯を拾い、明かりを消してから淳一の方へと渡していた。瞬間、視界が暗くなり、皆の表情やしぐさがはっきりとは見えなくなる。

 

「まぁとりあえず、ここは安全だということは理解できたよ」

 

 いつものような優しい声で、孝太郎はそう言った。その言葉に、淳一は「あっ……そう」とぶっきらぼうな返事をしていたけど、これはおそらく照れ隠しだろう。

 

「ところで、お前らはこれが始まってから、ずっとここにいるのか?」
「まぁ、そうだな」
「幸治は、いつからここに?」
「三回目の放送直後からだ。十二時間くらいここにいることになるかな」
「雅人とか、あとは他には誰か来なかったか?」
「いや、来たのはあいつだけだ。他の連中は知らないな」
「そっか、なるほど」

 

 孝太郎の質問に、淳一が簡潔に答える。単純なやり取りであるけど、そこには亮介には入ることができない独特の空気が存在しているように思えた。言うなれば、頭のレベルが高い者同士の会話。下手な横やりが許されないような、二人だけの世界。

 

「まぁとにかく。お前が来るまでの間、匿うという約束だったからな。思ったより早く来てくれてよかったよ」

 

 そう言った淳一の声色が、いつもよりも柔らかく感じられた。相手が頭のいい孝太郎ということもあるのだろうが、おそらく幸治と離れられるという安堵の気持ちも滲み出ているのだろう。淳一は、最初から幸治がここにいることに反対だったのだから。

 

「そ、そうだよ! 孝太郎! 孝太郎が来るまでの間だから、さっさとここから離れようぜ!!」

 

 孝太郎が来たことで強気になったのか、幸治がここから移動することを急かしている。まるで、ここは危ないから早く離れたいかのような言い方だ。正直なところ、匿ってほしいというから匿ったというのに、この手のひらを返すような態度の変化には、少しばかりムッとした。

 ただ、ここで幸治と別れるのは、亮介にとってもどこかホッとする展開だ。これから一緒に行動するであろう孝太郎には悪いが、これ以上幸治がここにいると、いつか淳一がキレそうで怖い。喧嘩するだけならいいが、ここは殺し合いの世界だ。何が起こるか、正直なところ分からない。懸念材料は、なるべく早く取り除きたいというのが本音だ。

 

「あっー……、幸治。移動はちょっと待ってほしいんだが」

 

 幸治の神経を逆なでしないように気を使っているせいか、孝太郎の声はどこか宥めているかのようだ。そして、続けて彼はこう提案していた。

 

「正直なところ、俺もかなり疲れているんだ。ずっと一人だったしな。できればでいいんだが、朝までちょっと休ませてくれないか?」

 

 この提案は、幸治だけでなく、亮介や淳一までも驚かせる結果となった。「なっ……!」「えっ……?」「はっ?」という戸惑いの声が、三重に重なりあう。

 

「お、俺が見張りするから……! その間休めばいいじゃないか!!」
「幸治一人に見張りをさせるわけにはいかないよ。ここなら安全だし、二人以上の見張りの方が何かあったときにも対応できる。それに、今は夜中だからな。下手に移動しない方がいい。特に、マシンガンの奴に会ったらどうしようもない」

 

 抗議の声をあげる幸治のことを、孝太郎は理論的に説得していた。確かに、彼の言っていることは最もだ。休むのなら、なるべく人が多いところの方がいい。人の目が多い方が何かあったときにも対処しやすいし、少なくとも人数的には有利になる。これまで幸治が無事だったことからも、ここが一番安全だ。孝太郎の立場で考えるなら、その結論は至極当然だろう。

 だが、孝太郎以外を信用していない幸治は、どうにも渋っている様子だ。

 

「お、俺は……」
「幸治。普段接点のないお前を匿ってくれたんだぞ。しかも、ここまで何事もなかったんだろう? これ以上信頼する理由が必要か?」

 

 いつになく強い口調で、孝太郎は幸治に意見している。その雰因気に気圧されているのか、幸治は何も言えずにいるようだ。そんな幸治にはかまわず、孝太郎は今度はこちらの方へと話を切り出していた。

 

「澤部、宮崎。悪いが、午前中の間にここを出ていけるようにする。少しの間でいい。俺を休ませてくれないか?」

 

 とても申し訳なさそうに、孝太郎はこう言っていた。それに、どう返答するべきか。悩みつつも、亮介は淳一の返答を待った。このチームの要は、あくまで淳一だ。先ほどはこちらが押し切るような形になってしまったが、本来他の人を引き入れるかどうかは、亮介ではなく淳一に決める権利がある。返答も、亮介ではなく淳一がするべきだ。しかし、淳一がどう返答するのか、亮介には何となく分かっていた。

 孝太郎の申し出を、こちらが断る理由はない。というか、断れない。幸治を受け入れたのに、孝太郎を拒絶することは不自然だからだ。逆ならば、まだ信用できないということで突っぱねることができる。しかし、幸治よりも明らかに信用できる孝太郎のことを、追い返す理由がない。例え懸念材料である幸治が、引き続きここにいることになったとしてもだ。どんな形であれ彼を否定することは、間接的に孝太郎を否定することになってしまうのだから。

 それは、淳一も分かっているはず。けれど、すぐ答えなかったのは、おそらく幸治の存在が心のどこかで引っかかっているからだろう。もしかしたら、上手く断る理由を考えているのかもしれない。けれど結果的に、淳一の返答はこちらの予想通りだった。

 

「……まぁ、朝までならいい」

 

 しばしの沈黙の後、淳一は躊躇いがちにそう言った。そして、付け加えてこうも言っていた。

 

「けど、少なくとも七回目の放送前には出て行ってくれ。人数が多い方が何かと対処しやすいが、同時に見つかりやすいことも事実だ。それはお互い困るだろう」
「……確かにな。すまない」

 

 本当に申し訳なさそうに、孝太郎は謝っていた。いつもは人に気遣いができる孝太郎が、ここまで言うくらいだ。きっとかなり疲れているのだろう。ここを出た後にもう一人の友人である須田雅人(男子9番)のことを探しにいくのなら、確かに体力はある程度は回復させた方がいい。

 そう考えれば、孝太郎の行動は極めて合理的だ。けれど、なぜか亮介はどこか妙な感じがした。なぜだろう。どこかおかしい。

 

「宮崎」

 

 考えこんでいることを見抜かれてしまったのだろうか。そんなことを考えてしまうくらいに、絶妙なタイミングで孝太郎から声がかけられる。

 

「な、何……?」
「いや、澤部からは了解の返事をもらったが、お前からはまだいいって言われていなかったから……」

 

 孝太郎から言われて、亮介は初めてそのことに気づいた。淳一がいいと言ったのだから、もうその方向で話が進んでいると思っていたからだ。亮介のことも、他の人と同じように扱ってくれるからこそ、わざわざ聞いてくれたのだろう。誰とでも上手く付き合える、孝太郎らしい気遣いだった。

 なんだ。いつもの孝太郎と変わらないではないか。やはり、考えすぎだろうか。

 

「う、うん。朝までなら……」
「そっか。ありがとう」

 

 何気ないことではあるけど、こうやって対等に扱われることは嬉しい。孝太郎は別に深くは考えていないだろうが、その行為が亮介のわずかな警戒心を解いてくれた。やはり、孝太郎はいつもの孝太郎だ。

 

「ああ、今さらで悪いんだけど、俺の支給武器はこれだった」

 

 そう言って孝太郎が懐中電灯で照らしつつ渡したものは、煙玉だった。逃げるときには使えそうだが、攻撃には役に立たないものだろう。

 

「二つあるから、一個は澤部たちにやるよ。宿泊料代わりに」

 

 何の躊躇いもなくこちらに武器を渡してくれる孝太郎を見て、わずかに残っていた疑念が、完全に昇華されたような気がした。

 

――あんまり疑っちゃ悪いよな。そりゃ、誰だって寝れるとき寝たいし。それに、有馬にとってここが安心できる場所ということは、俺たちのことを信じてくれているってことでもあるんだし。

 

 その後、孝太郎のこれまでの行動経緯を聞いた上で、少しだけ話し合いの場が持たれた。とりあえず、孝太郎は六回目の放送まで奥の部屋で休むことになり、見張りは最初に決めたままでいくこととなった。それに併せて、孝太郎の簡単な身体検査も行ったが、他に武器は持っていないようだ。

 

「ところで、有馬。その傷はどうした?」
「ああ、野良猫に引っかかれた。といっても、首輪付けてたから元飼い猫だろうな。おそらくここの住民が出て行く際、置いていったんだろう。それで大分神経質になってしまったのかな。絆創膏で隠しきれないくらい、ひどくやられたよ」

 

 身体検査を行った際、淳一が孝太郎にこう尋ね、それに対して孝太郎はこう答えていた。確かに、ここは人が住んでいた島だ。飼い猫の一匹や二匹がいてもおかしくない。おそらくここから避難する際、どこかの家の飼い主が置いていったのだろう。急いで出て行ってもらったと言っていたから、ペットを連れてはいけなかったのかもしれない。捨てられた形になった猫のことは可哀想だと思ったが、状況が状況だ。飼い主も、苦渋の決断だったのだろう。

 

「それじゃ、俺と有馬は奥の部屋で休むから。亮介、三時になったら起こしに来てくれ」

 

 一通りのチェックが終わったところで、淳一と孝太郎は奥の部屋へと移動していった。亮介は、幸治と共に見張りに戻る。念の為、もう一度だけ探知機を確認したが、今は周囲に誰もいないようだ。

 

「ちゃんと孝太郎が休めるように、見張り頑張ろう……」

 

 孝太郎に会えたおかげか、今の幸治はどこか嬉しそうだ。その気持ちに同調する形で、亮介も「よかったな」と声をかけた。幸治も「うん……。本当によかった……」と返答してくれたせいか、先ほどまでの険悪さは少しだけ解消されたような気がする。心なしか、幸治との距離が縮まったような気もした。

 これなら、きっと大丈夫だ。何の問題もない。亮介は、そう確信していた。

 

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