思慕と愛情

 

 胸に抱くこの気持ちを、決してあの人に知られてはならない。

 あの人の心に、私の存在などあってはならない。

 最期まで、ただ一人のクラスメイトとして。

 最期まで、少しだけ会話をしたクラスメイトとして。

 プログラムが終われば忘れてしまうほどの、そんな小さな存在であり続けなければならない。

 

 増してや、ほんの欠片でも願うことは許されない。

 あの人に、一人の女性として愛されたいなどとは――

 

 細谷理香子(女子16番)は、エリアE-3にいた。周囲に誰もいないことを確認し、ここでしばしの休息を取っていた。今は夜。視界に映る景色は、どこもかしこも真っ暗なだけ。そんな中で動くことは、危険だと判断したからだった。こちらに、銃器の類いは一つもない。そんな装備でこの暗闇の中戦うのは、不利だ。

 そうやってプログラムが始まってから論理的に考え、かつ冷静に行動していることで、まだ生きている。望まない殺人を犯し、二人の友人の命を奪ったことで、まだここに立っていられる。

 

『よかったぁ……。理香子ちゃんが無事で……』
『理香子、あなたはそっち側の人間? それとも、私と同じ側の人間?』

 

 鈴木香奈子(女子9番)五木綾音(女子1番)。大切だった、二人の友人。やる気でなかった彼女らの命を、この手で奪った。決して赦されることではない。優しい香奈子を、友達思いの綾音を、この手で殺してしまったのだ。赦されることなど、絶対にあってはならない。

 いや、佐伯希美(女子7番)にしても、園田ひかり(女子11番)にしても、直接手を下していないというだけで、会えば同じように殺していただろう。たまたま、生きている内に出会わなかっただけの話だ。それに、校門前で待たなかったこと、探そうとしなかったことを踏まえれば、見殺しにしたことと変わらない。彼女らの死に、一切関与していないわけではない。そんな責任逃れをしてはならない。

 

『な……んで。どうして……』
『あんたは裏切ったのよ、私たちを』

 

 薄情者。裏切り者。そう非難されてもおかしくない。いや、そう非難されるべきなのだ。死んだら、きっと地獄へ行くだろう。彼女らのところに行くことは、決してない。もう二度と、あの心地よい空間にはいられない。

 その全てを覚悟した上で、こうすることを決めたはずだった。そして、これからもそうすると決めている。なのに――

 

『ダ、ダメだよ!! そんな……そんなの……!』
『お願いよ。あかねや結香のことは見逃してあげてよ。あの子らに、こんな辛い思いはさせないでよ』

 

 まだ、迷っている自分がいる。

 

――もう戻れないのに……。今さら何を迷っているの……?

 

 いや、本当は分かっている。それは、二人がそう望むから。今からでも、やめてほしいと願っているから。おそらく、理香子がプログラムに乗った理由を、全て分かったうえで。

 

――でも、これは最初から決めていたことなの……。プログラムが始まったときには……もう……

 

 見知らぬところで目が覚めて、自分たちがプログラムに選ばれたこと、生き残ることができるのは一人だけだと分かったとき、こう考えた。自分は生き残りたいのだろうか、それとも誰か別の人に生き残ってほしいのか。死んでほしくない人は、たくさんいた。けれど、一人以外は、絶対に死ななくてはいけない。全滅など、最悪の結末だ。なら、それを回避するには、一番死んで欲しくない人を生かすには、自分はどうするべきなのか、と。

 教室の時点で、答えは出ていた。それでも、そうすることに躊躇いがあった。生かそうと決めた一人以外は、全員死ななくてはいけない。故に、その人以外は守ることも、助けることもできない。むしろ、目的のためには、その命を奪わなくてはいけない。分かっていても、そう決意しても、心のどこかで躊躇いはあった。

 だから、誰とも視線を合わせず教室を出て、学校を出てすぐ校門から離れた。待ち伏せが効率的だと分かっていながら、そうすることはできなかった。かといって、体力温存のために時期が来るまでということで一緒に行動してしまえば、きっと迷いが生じる。それに、知らないところで死んでくれるかもしれない。ひどい考えだと思ったが、それが精一杯だった。だから希美が待っていなかったことは、理香子にとっては却って都合が良かった。

 それから、ずっと移動を続けていた。それは、なるべく早くプログラムを終わらせるつもりだったから。その人が、知らない間に殺されないとも限らない。簡単に死ぬような人ではないとは思うけど、きっとやる気にはならないだろう。なら、自分が積極的に人数を減らさなくてはいけない。支給武器は銃器ではなかったけど、刃物であったことがその行動に拍車をかけた。それでもやはり、心のどこかで迷いはあった。

 

 だから最初に香奈子を見つけたときは、そのまま黙って消えるつもりだった。クラスメイトを殺すこと自体迷っているのに、仲のいい友人を殺せるわけがない。増してや、絶対にやる気にならないと断言できる香奈子相手なら、なおさらだった。けれど、結果的には香奈子に見つかってしまった。みんなのために一生懸命姿の見えない自分に話しかけ、食糧まで分けようとした優しい彼女のことを、転んだ瞬間反射的に声をかけてしまったことで。香奈子は、みんなを探すつもりだった。それも、お礼を言うためだけに。自分は生き残らないことを、覚悟したうえで。

 見つかってしまった以上、殺さなくてはいけない。一緒に行動することはできない。全てを覚悟したうえで、香奈子の背中にナイフを突き刺した。痛い思いをさせないためには、早く止めを刺さなくていけない。それが分かっていながら、もう一度ナイフを突き立てることはできなかった。けれど、ナイフを抜いて少ししたら、香奈子の呼吸は止まり、次いで心臓の鼓動が止まった。苦しませてしまったことに、殺してしまったことに、息ができないほどの罪悪感を抱いた。遺体を地面に仰向けに横たえ、目を閉じさせ両手を組み合わせて、できるだけ綺麗な状態にはしたものの、それはただの気休めにしかならない。

 

 言い訳はできない。離れる方法はいくらでもあった。全てを話して、置いていくことだってできた。けれど、結果的には殺してしまった。優しい彼女に、これからの現実を見せたくない。血に染まっていく自分を見てほしくない。そんな言い訳が頭の中にはあったけど、それは殺す理由を探していただけだ。

 

『そんなの……そんなの誰も望んでないよ! だって、だって理香子ちゃんが……』

 

 分かっている。これは、理香子の一人よがり。誰も望んでいない。あの人だって、きっと望んでいない。こんなことを望むような人を、好きになったわけではないのだから。

 けれど、もう後戻りはできない。だからこそ、綾音のことも殺した。殺すことを躊躇した彼女を、こちらは躊躇いなく殺した。

 

『あんたはどうせ……これからもこうして行くんでしょう。出会った人、目的以外の人を、これからも殺していくんでしょう』

 

 綾音の言葉が、まるで神の啓示であるかのように頭の中で響く。そうすることを赦さないかのように、心にズシリと重く響く。その重みに、一瞬だけ決意が揺らぐ。けれど、歯を食いしばってその重みに耐えた。

 

――そう……その通りよ。だってそうしないと、プログラムは終わらない。そのために、これまで人を殺してきた。あんたや香奈子のことも殺した。これからもそうしなくちゃ、みんな死んじゃうじゃない……。それだけは、絶対に避けなくちゃ……。

 

 まだ、彼や自分を含めて十五人残っている。その人たちは、この島のどこかで生きている。彼を死なせないためには、自分も含めて十四人の人間が死ななくてはいけない。そうでなければ、ここまでやってきた意味がない。

 そうしなくては、これまで何のために香奈子を、綾音を殺したか分からない。こんな中途半端なところで止めたら、それこそ。

 

――これからも、みんなを殺していかなくちゃ……。けれど、もう友達を殺すのは……。でも、もしまた会ったりしたら、同じことをしてしまう……。あかねと結香には、できれば……

 

 会いたくはない。けれど、それはわがままだ。あの人に生き残ってほしいという望みを抱いている以上、それ以上のことを望んではいけない。もう友人は殺したくない、会いたくない、こんな私のことを知らないままでいてほしいなどとは――

 増してや、死ぬ前にもう一度、あの人に会いたいなどとは――

 

――……いいんだ。むしろ、こんな私なんて知られたくない。あの人が生きてさえいてくれたら、それでいい。それ以上のことを、私は決して望まない。……望んじゃいけないんだ。

 

 きっとこれからも、私は人を殺し続ける。あの人を生きて帰すために。自分の命が、ここから消える瞬間まで。この魂が、地獄に堕ちるその時まで。

 だからこそ、この想いは私一人だけのものでなくてはいけない。あの人に知られることなどあってはならない。

 

『さっき戻れないって言ったけど、香奈子は戻ってほしかったのよ。自分を殺してしまっても、ほかのみんなのことは殺してほしくなかったのよ。懺悔も償いもいらないから、やめてほしかったのよ。そして、あんたにも死んでほしくなかったのよ』

 

 それを、誰も望んでいないと分かっていたとしても。憎まれ、恨まれ、誰かを傷つけたとしても。

 もう、後戻りはできない。――するつもりもない。

 

――夜が明けたら、また移動しよう。あの人以外のクラスメイトは、これからも殺していく。綾音には悪いけど、もしあかねや結香に会ったら……同じようにする。ただ……私は銃を一つも持っていない。状況的には、きっと不利。でも、それでもやらなくちゃいけないんだ。

 

 全ては、心に描くあの人に、これからも生きてもらうため。生きて、幸せになってもらうため。

 

 そのためならば――私はどうなろうと構わない。

 

[残り15人]

next
back
中盤戦TOP

inserted by FC2 system