暗闇の真実

 

「なんで……」

 

 口から零れる言葉に、返事は返ってこない。夜に相応しい闇に、ただ溶け込んでいくだけ。自然とやってくる重苦しい沈黙に反応するかのように、胸が大きくズキンと痛んだ。

 

 東堂あかね(女子14番)は、エリアFー4にある民家の中にいた。今いるのは、その民家の寝室に当たる部屋。その部屋に入って、懐中電灯で周囲を照らしてから、おそらくかなりの時間が経過しているだろう。それが数時間か、それとも数十分か。それはあかねにも分からない。

 その民家に、用があったわけではない。ただ、日も差さない寒い外にじっとしていることが耐えられなくて、たまたま目に入った民家にお邪魔しようと思っただけだった。夜が明けるまでの時間を、そこで過ごそうと思っただけだった。誰かがいればいいなという、淡い期待を抱いたのは事実だ。それが仲のいい友人だったなら、どんなにいいだろうと思ってもいた。

 けれど、それは生きている人間に限った話だ。遺体と対面したかったわけではない。たとえ仲のいい友人だったとしても、こんな形で会いたくはなかった。

 

「どうして……」

 

 誰に向けられるわけでもなかった言葉は、また返答もなく闇に溶けていく。寒さのせいなのか、それともこの現実に対する恐怖のせいなのか、身体の震えが止まらない。

 

「なんでよ……。なんで……?」

 

 先ほどこの部屋を照らすのに使った懐中電灯は、少し離れた地面に転がっている。故に、今この空間を照らすものは何もない。目の前に広がるのは、漆黒の世界。つい先ほどまで照らされていたところも、今はただの暗い闇。

 

 今、目には映らない景色。先ほどまで見えていた光景。忘れたくても、忘れられない惨状。

 

 部屋の中央にある大きなベッドに横たわる、一人のクラスメイト。その顔は、とても見覚えのある友人のもの。ずっと捜していたはずの、大切な友人の一人。その表情だけを見れば、眠っているのと大差なかったのかもしれない。けれど、その顔は、生きている人間のものとは到底思えないほど――青白かった。

 前々回の放送で、その死が告げられた人物。キッチリ結ばれたポニーテールが特徴的で、切れ長の目がとても凛々しくて、いつだってクールでかっこいい。密かに憧れていた――なんて、今となっては伝えることすらできない。

 五木綾音(女子1番)。そこにいたのは、まぎれもなく捜していた友人だった。綺麗な表情だけど、眠っているように見えるけど、生きてはいない。そこにいるのは、綾音の姿形をした、物言わぬ骸だった。

 

「綾音……」

 

 田添祐平(男子11番)曽根みなみ(女子10番)以来見る、クラスメイトの遺体。三度目ともなると、ある程度慣れてもいいはずだ。なのに、その計り知れない衝撃に、気持ちも、身体も、まるで追いついていない。

 目に焼きついた光景が、頭の中から離れない。望んでもいないのに、何度も繰り返し再生される。だから、少しでも気持ちを落ち着かせるために、生きているときの綾音の顔を、笑顔を思い出そうとした。けれど、いつもの綾音の表情が、笑顔が――どうやっても思い出せない。凛々しかったと、どこか憧れていたと、そういうことは覚えているのに、その映像がまるで出てこない。

 

「ねぇ……ねぇ……どうしてよ……」

 

 足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちる。暗闇と静寂に包まれたこの部屋では、ガタンという音が五月蠅いほどに響いて聞こえた。

 

「どうして……ここにいるの……? だって私……ここにたまたま来ただけなのに……」

 

 たまたま入った民家に、ずっと探していた友人が遺体となって横たわっているだなんて、一体誰が予想するだろうか。再会を喜ぶにしても、それは生きていればの話だ。たとえ仲のいい友人であったとしても、遺体に会いたいなんて思わない。悲しみが上塗りされるだけで、そこに救いは何一つないのだから。

 もし他のみんなが、この現場に居合わせたとしたら、何と思うのだろう。会えてよかったと、素直に喜べるのだろうか。綺麗なままでよかったと、安堵するのだろうか。残酷な現実を突きつけられた、この状態で。

 

 心のどこかでは、信じたくなかった。あの放送は嘘なのだと、思いたかった。遺体を見たわけではないのだから、放送以外に死んだという根拠はないのだから、現実逃避だと分かっていても、一かけらほどの希望は抱いていたかった。その希望を糧に、ここまで必死で歩いてきたのだ。でないと、ずっと立ち止まってしまいそうだったから。

 でも神様は、そんな希望を打ち砕くかのように、目の前に現実を突きつけてきた。これは、嘘ではないのだと。あなたの目の前にあるのは、決して逃れられない現実なのだと。逃げても逃げても、現実はいつだってあなたのすぐ近くにあるのだと。

 こんな形で突きつけられてしまった以上、逃避も、一かけらの希望も、もはや意味がない。あの放送は真実で、みんなが死んだことも真実で、クラスメイトが半分以下になったことも――まぎれもない真実なのだ。

 

「綾音……綾音……。私だよ……あかねだよ……」

 

 返事はないと分かりつつ、目の前にいるであろう綾音に問いかける。奇跡を信じているわけではない。死んでいることは、一目見ただけでも明らかだった。それでも声をかけるのは、この空気に耐えられないから。どこまでも深い闇と、重苦しい沈黙が満ちるこの空間に、今いるのは自分一人だけなのだと――理解したくないから。

 

「どうして、いなくなるの……? 私を置いていくの……? 帰りに、駅前で甘いもの食べようって……約束したじゃん……。約束、破らないでよ……」

 

 堪え切れない涙が、頬を伝う。一つ、二つ。それはやがて、袖口では拭いきれないほどに大量の滴となって、あかねのスカートを、床を、少しずつ濡らしていった。

 

「ねぇ……どうして……? どうしてみんな……私を置いていくの……?」

 

 泣くことを幾度となく繰り返し、それでも止まらない現実に翻弄される。どれだけ自分を奮い立たせても、現実がまた追い詰めていく。辛い。苦しい。ここから逃げてしまいたい。心が、そう痛いくらいに叫んでいる。

 けれど、どんなに願っても、ここからは逃げられない。生きている限り、この痛みから逃れることはできない。

 

『決めていたことだから』

 

 この痛みから逃げるには、ここからいなくなるしかない。そう、“死ぬこと”でしか――

 

『俺は、そんなに強くない。あかねみたいに、ずっとそう主張できるだけの自信がない』

 

――ねぇ、日向。あなたは、私の事を強いって思っていたの? こんな状況でも、私なら一人で大丈夫だって、そう思ったの?

 

 そんなこと、ない。私だって、あなたと同じ中学生で、一人の人間にしか過ぎない。だって――

 

「どうして……私も連れていってくれないの……?」

 

 心のどこかで、逃げたいと思っているから。一番選んではいけない選択肢を、その手に取ってしまいそうだから。

 あのとき否定していた、自らの手で全てを終わらせるという――選択肢を。

 

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