日常からの急転降下

1993年 12月26日

 

 寒さが身にしみる今日この頃。クリスマスという一大イベントも終わり、玄関に飾られたツリーが門松に変化するなど、街並みは一様に変化していた。これから来たるべき新年に向けて、世間は慌ただしく動くことだろう。年末から年始にかけて、多くの大人が、一年で一番忙しい日々を送ることになるのかもしれない。

 そんな世間とはあまり関係ないのが、学校と呼ばれる閉鎖した空間と、学生と呼ばれる子供達だ。終業式も終わり、県内のほとんどの学校は冬休みに入っている。大体の学生は学校になど来ずに、今頃ベットで二度寝を満喫しているか、温かい家でこたつにでも入ってぬくぬくしていることだろう。この学校――私立青奉中学校も、本来ならばこの日、生徒は一人もいないはずだった。

 

 しかし、校舎の一階にある三年一組――特進クラスと言われるこのクラスの教室には、なぜかいつもと同じように幾人もの生徒が集まっている。

 

「あーあ、なんで冬休みに学校来なくちゃいけないのー。まったく迷惑極まりないよー」

 

 教卓の前にある机に伏せながらそうぼやくのは、このクラスを取りまとめる女子クラス委員、東堂あかね(私立青奉中学三年一組女子14番)だった。普段はこのクラスをまとめるしっかり者のあかねも、予想外の早起きによる眠気には勝てないのか、今はただダラダラ文句を言っている。女子の中でも比較的高身長であるあかねの上半身は、今や完全に机に預けられている状態だ。それに合わせて、シャギーの入った長めのショートヘアが、重力に従ってハラリと揺れた。

 

「ホントホント、何が特別補講だって話だよ。いくら特進クラスだって言ってもさ、休みは休みで欲しいよねー」

 

 あかねの言葉に同調するような形で発言したのが、今日は二つ結びの髪型をしている辻結香(女子13番)だった。あかねとは対照的に、クラスで二番目に身長が低い小柄な女の子だ。あかねとは小学校からの友人らしく、大体休みの時間は一緒にいることが多い。暗くなりがちなクラスの雰因気を明るくする、ムードメーカーのような存在だ。

 

「文句ばっか言わないの。午前中だけなんだからいいじゃない」
「あ、帰りにさ、駅前のカフェで何か甘いもので食べて帰ろーよー」

 

 そんなあかねと結香の発言をなだめたのが、クラスで一番身長の高い五木綾音(女子1番)だ。高めのポニーテールが印象的なクールな女の子で、先ほどのようにあかねや結香をなだめたり、時には突っ込みを入れたりする役割を担っている。所属していた陸上部ではエーススプリンターを務めており、このクラスの中では一番運動神経がいい。

 そして、駅前のカフェに行こうと誘ったのが佐伯希美(女子7番)だ。成績優秀な人間が集まる特進クラスにおいて、二年時からずっとトップに君臨し続けるほどの頭脳を持つ人物。けれど、教室で勉強しているところは見たことがない。学校では、あかねや結香といった面々と会話していることが多いからだ。性格も、あかねや結香に匹敵するほど明るい人物である。

 

「みんなおはよう。あかね、朝からだらけてるわねー。そんなんだから、生活サイクル乱れるのよ」
「あ、おはよう……。みんな早いね」

 

 あかねらがそんな会話を繰り広げていたら、細谷理香子(女子16番)鈴木香奈子(女子9番)、そして園田ひかり(女子11番)が、たった今教室へ入ってきていた。そして、いつものようにあかね達のところへと集まっていく。いわば、このクラスの女子主流派グループといったところで、この七人は一緒にいることが多い。

 

「だらけてないですー。ただちょっと眠いだけですー」
「それをだらけているっていうのよ。いつもと変わらない時間なんだから、そろそろしゃきっと起きなさい」

 

 綾音に匹敵するくらいクールな性格をしている理香子は、一日一回は小姑みたいなことを言っているような気がする。現に、主流派グループの中では、綾音と同じようなストッパーの役割を担っていた。そんな理香子とあかねを見ていると、時々親子みたいだなと思うこともあるくらいだ。(身長はそんなに変わらないはずなのだが)

 

「おはよう! 香奈子は今日も可愛い! 香奈子に冬休み会えるだけでも、来たかいがあるってもんだー!!」
「の、希美ちゃん……。嬉しいけど、ちょっと苦しいかも……」
「こらこら、朝から妙なテンションで絡まないの。希美、いいかげん離れなさい」

 

 別のところでは、香奈子に抱きつく希美を引きはがしつつ、綾音が突っ込みを入れるという展開になっている。希美が主流派グループの中でも香奈子を溺愛しているせいか、このやり取りはほぼ毎朝行われている状態だ。主流派グループの中で一番おとなしい香奈子は、自分から発言することは滅多になく、大体こういったやり取りを眺めているか、先ほどみたいに巻き込まれていることが多い。眺めているときにしても、ニコニコしていることが多いのだから、おそらく今の立ち位置くらいが心地いいのかもしれない。先ほどの希美の行為にしても、言葉通りどこか嬉しそうに見えるのだから、きっと本当に嫌がってはいないのだろう。

 

 その面々とは少し離れたところで、ひかりと結香が楽しそうに会話をしている。ひかりも比較的クールな性格をしているが、何せ他の面々が個性的であるせいか、あまり目立たない存在だ。そういえば、結香やあかねとは楽しそうに会話をしていることが多いが、綾音や希美といった他のメンバーと話しているところはあまり見たことがない。もしかしたら、そこには表面化されていない確執が存在するのかもしれないなと思った。

 

 そんな主流派グループのやり取りを、窓側の席に座っている橘亜美(女子12番)は、一人静かに眺めていた。

 

――元気ねぇ……

 

 ふわぁと一回あくびをしつつ、ようやく主流派グループから目を逸らす。そして、机の上に広げていた教科書をもう一度黙読し始めた。主流派グループどころか、クラス内で親しい友人などいない亜美は、教室ではこうして勉強しているか本を読んでいることが多い。変に気を使わなくていいし、勉強も読書も嫌いではないので、こうすること自体は苦痛でも何でもなかった。

 

 冬休み真っ只中なのに、三年一組の生徒達だけ学校にいる理由。それは、“特進クラスの生徒のみを対象とした特別補講”が、今日この日に行われるからだった。

 

 特進クラスの生徒だけが休みの真っ只中に学校に出てくる――そんなことは今までなかったはずなのに、どうして今回だけ出てこなくてはいけないのか。これに関しては様々な反対意見が飛び交ったが、学校側の強引な押し切りにより、本日不本意ながらも実現してしまったというわけである。こんな寒い中、しかも休みの日に、なぜわざわざ学校に来なくてはいけないのか。亜美にしても非常に不満だったが、今日一日午前中だけ、しかも来なかったら然るべきペナルティーがあるということなので、仕方なく来ているというのが本音なのだ。

 

「あ、でもね。いいことあった。久々に晴海ちゃんに会ったのー」
「晴海ちゃんって誰よ? 親戚?」
「あかねの妹みたいな子だよねー。元気にしてた? 確か、今は中一だっけ? 公立に通っているんでしょ?」
「そうそう。でね、初詣に行く約束しちゃったー。晴海ちゃんと遊ぶの久しぶりなんだよね。楽しみだなぁー」

 

 そんな亜美を余所に、主流派グル―プの面々は会話を繰り広げている。別に興味もなかったので、聞こえてくる内容は完全に聞き流していた。

 

「ちょっと、邪魔」

 

 楽しそうに会話する主流派グループの面々に、いきなりこう冷たく言い放ったのは、長い髪を一くくりにした髪型が特徴的な曽根みなみ(女子10番)だった。眉間に皺を寄せながら、割り込むかのように、主流派グループの面々を押しのけて自分の席へと腰かける。

 みなみは、亜美と同じくクラス内に親しい友人がおらず、いつも一人で勉強している女の子だ。一年時から同じクラスではあるのだが、みなみとは数えるほどしか会話をしたことがない。何かグループを組むときは、一人でいる者同士一緒に組むことが多いのだが、それでもそんな希薄な関係だ。それはおそらく、みなみが自分のことを嫌っているというのが主たる原因なのだろうが。

 

 次第に、教室にぞくぞくとクラスメイトが入ってくる。それに合わせて、少しずつ教室の中がにぎやかになっていった。

 

「おはよう。いや、ちょっと本気で遅刻するかと思った……」
「はよ。雅人が遅いなんて珍しいじゃないか。いつもはすごく早いのに」
「休みの感覚だったんだよなー」

 

 あかねの席の向こう側では、須田雅人(男子9番)有馬孝太郎(男子1番)が会話をしていた。男子クラス委員を務める雅人は、このクラスでいえばあかねの相棒というべき存在だ。クラス委員といっても、あかねのように統率力が長けているわけではない。雅人は一年時からクラス委員をやっているが、おろおろしていることが多く、普段はあかねの力をもってようやくクラスをまとめられているといった状態だ。正直頼りないと思っているし、何人かから文句を言われることも多いが、それでもなぜか雅人は、毎年クラス委員に立候補する。いつもは誰よりも早く学校に来て、先生から頼まれた仕事やら生徒会関連を仕事をしている印象が強いが、今日はさすがにそういうわけにもいかなかったようだ。

 その雅人と仲がいいのが孝太郎だ。孝太郎は、男子の中で比較的背が低く、細い黒縁眼鏡が印象的な男の子。普段は雅人と一緒にいて、何かとサポートしていることが多い。正直なところ、孝太郎の方がよっぽどクラス委員に向いていると思っているのだが、本人にその気はないようだ。また、割と社交的な性格をしているせいか、分裂しがちなグループを仲介する役割も担っている。雅人も孝太郎には全幅の信頼を置いているせいか、何かと頼っているところもあるようだ。まぁ一見アンバランスに見えなくもないが、一年時から仲がいいのだから、それなりに上手くはいっているのだろう。その二人と仲のいいもう一人、広坂幸治(男子13番)は、まだ教室には来ていない。

 

「おはよう結香。今日も可愛いなー!」
「おはよう太一! もう、朝から何言ってんのよー! 照れるじゃーん!」

 

 教室の前方のドアから入ってきた弓塚太一(男子17番)が、朝から恋人である結香に向かってそんなセリフを吐いている。太一は、このクラスでは結香と並ぶムードメーカーだ。そのせいか、普段から明るく振る舞っていることが多く、今のセリフにしても、いつもの調子でサラッと言ってのけてしまう。最初こそは鳥肌がたちそうなくらい気持ち悪いと思ったが、慣れをいうのも恐ろしいもので、今では完全に聞き流せるようになってしまった。結香も、そんな太一を心の底から好いているようで、口では照れながらもかなり嬉しそうな表情をしている。つまり、この二人は、このクラス唯一のカップルにして、一部から“バカップル”と呼ばれるほど仲睦まじい関係ということだ。そんな太一は、普段は亜美の隣に座っている。

 

「相変わらず、太一は辻さん好きだなー」
「まぁ、いいことだけどな。太一、日向、おはよう」

 

 そんな太一の席にやってきたのは、仲のいい加藤龍一郎(男子4番)槙村日向(男子14番)だった。この三人は同じ美術部に所属していたので、あかねら一部の女子からは“美術部トリオ”と呼ばれている。太一とは違い、龍一郎と日向は、男子としては比較的おとなしい部類に入る人物だ。

 

「まぁね。だって結香は可愛いし!」
「いや、別に自慢を聞きたいわけではなく……、まぁ……いいけど」
「その調子だと、クリスマスも楽しくデート出来たってところか。いいことだな」

 

 のろける太一に、日向が少々呆れながらも突っ込む。それを龍一郎がさりげなくフォローする。これもいつも聞いているやり取りで、もはや聞きなれてしまった会話の一部だ。

 

 龍一郎は、このクラス内ではお兄さん的ポジションであり、何かと頼りにされる存在だ。雅人みたいにクラスをまとめるようことはやらないものの、何かあったときにはさりげなく助け舟を出してくれる。成績も良く、クラス内では常に五位以内をキープするほど頭がいい。運動神経も悪いわけではなく、何事もそつなくこなせる人物だ。あまり表立って発言することはないものの、こういったさりげないフォローには長けている。

 日向は、こういった突っ込みをするものの、普段は本当に静かな人物だ。授業中に先生から当てられても、大きな声で答えることはなく、ましてや積極的に発言することなど皆無なほど。絵に関しては、一度だけ県のコンクールに入賞したことはあるものの、それを日向自身が言いふらすこともなく、「たまたまだ」という謙虚な発言までしている。成績のいい龍一郎や、明るいムードメーカーの太一と比較すれば、クラスでは目立たない存在だ。そんな日向はあかねの幼馴染でもあるらしく、よく二人が会話をしているところを目撃する。明るい性格のあかねと、おとなしい日向。何とも言えないミスマッチな組み合わせだとも思うのだが。

 

「なぁ……。先生、遅くないか?」

 

 ふいに誰かがそんなことを言ったことによって、今までのざわめきがピタリと止んだ。時計を見てみれば、補講開始時刻であるAM9:00を、既に大きく過ぎている。

 

「おい。誰か呼んでこいよ」

 

 そう言い放ったのは、クラス二位をキープする秀才、澤部淳一(男子6番)だった。別に不機嫌なわけではなく、淳一は普段からこんな調子で発言をする。クラス二位というプライドがあるせいなのか、高圧的な話し方をするのが常なのだ。

 

「あ、じゃあ俺が呼んでくるよ……」

 

 淳一の発言に、クラス委員であるという責任感からなのか、雅人が応じていた。そして、そのまま一人で教室を出て行こうとする。

 

「雅人。俺も一緒に行くよ」
「あ、いいよ有馬くん。私が一緒に行くから」
「先生呼んでくるだけだから、東堂さんは座ってな。もしかしたら、入れ違いなんてこともあるかもしれないし」

 

 雅人に続くような形で、孝太郎とあかねが出て行こうとしていたが、孝太郎があかねを優しく制していた。最もだと思ったのか、あかねはそのまま自分の席へ腰かける。

 私立であるせいなのか、この教室には暖房が効いている。そのせいか、教室のドアや窓は、完全に閉め切られている状態だ。雅人は、教室の前方にあるドアを開けようと、引き戸の取っ手に手をかける。しかし――

 

「開かない……」
「え? 何でだよ? 鍵なら内側からでも開くはずだろ?」
「違う。鍵はかかってないんだ……。なのに、開かないのは……ど……」

 

 そのとき、いきなり雅人の身体が大きく揺れた。何が起こったのかこちらが認識する間もなく、そのまま地面に倒れこむ。その際、雅人の右肩が近くに座っていた八木秀哉(男子16番)の机に当たり、一度だけ大きくガタンと揺れた。

 

「え……? お、おい雅人、一体どうし……」

 

 いきなり倒れたことに驚いたのか、孝太郎が急いで雅人の元へと駆けつけていた。しかしそれもつかの間、今度は孝太郎に変化が起こる。表情を歪め、何か言おうとはしていたものの、そのまま雅人の上に折り重なるように倒れていた。

 

 孝太郎だけではない。教室のドアに近い者から順に、次々と倒れこんだり、そのまま机に伏せるような形で、皆じっと動かなくなっていった。

 

――え? ちょっと…何が起こっているの…?

 

 急に状況が変化したことで半ばパニックになっている亜美の耳に、ドンッという何かを叩く音が届いていた。

 

「おいっ、誰か手伝え……! これは多分、何かガスが……巻かれ……」

 

 異変の正体に気付いた淳一が、自身の近くにある窓を何とか開けようと試みていた。しかし、大声を出したせいでそのガスを吸ってしまったのか。今度は淳一が地面にドサリと倒れ、そのまま動かなくなっていた。

 

 しかし、淳一の言葉に活路を見出したのか、まだ起きている数人が窓へと駆け寄ってくる。亜美も、自分の席の近くにある窓を、何とか開けようと試みていた。

 

――窓っ……窓を開ければっ……!

 

 しかしその間にも、次々とクラスメイトが倒れていく。亜美の隣に座っていた太一も、ほどなくして龍一郎や日向も、皆と同じように地面に倒れこんでいった。

 

――まだ……まだ倒れちゃダメだ!

 

 なるべく呼吸を止めながら、上手く動かない身体を必死で動かす。ガスは確実に教室中に広がっているせいか、亜美自身の身体も、次第に思い通りに動かなくなっていった。スリガラスになっている窓に何とかしがみつきながら、必死で鍵を外そうと試みる。

 いつもなら労をせずに出来る、“窓を開けるために鍵を外す”という行為を、時間をかけてようやくすることに成功した。そのまま勢いよくガラッと開ける。しかし、その向こうには、軍服を着た兵士が列を成していた。

 

「え?」

 

 驚いたのもつかの間、目の前の兵士にガスらしきものを吹きかけられる。真正面から浴びたそのガスの威力にはかなわず、全身から力が抜けていった。

 

――何……? 何なの……? 一体何が……

 

 何が起きているのか。最後まで知ることができず、亜美はそのまま地面に倒れこむ。倒れる刹那、誰かが自分の身体を受け止めたことですら、既に意識を失っていた亜美には知る由もなかった。

 

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「教室にいる三年一組の生徒全員、眠らせることに成功しました」
「うん、御苦労様っ!」

 

 窓から教室内を確認した兵士の一人から連絡が入る。その報告により、閉め切られたドアがガラリと開いた。

 

「慎重に運んであげてねー。ここで怪我とかさせたらダメだからねー」

 

 軍服に身を包んだ兵士の中でも、一際存在感を放つ人物。一つにまとめたお団子頭に、白いスーツを着た小柄な女性。メリハリのきいた声で、次々と指令を下していく。

 

「あ、こらっ! 何のために生徒の人数分兵士を揃えたと思ってんの! 一人ずつ運びなさい!」

 

 一気に二人運ぼうとした兵士に注意を促しつつ、その女性は、教室の中へと歩を進めていく。

 

「寿担当官。あの……どうやら田添祐平がいないようですが……」
「あ、その点なら大丈夫。自宅から出かけていくところを拉致するのに成功したって、さっき報告があったから」

 

 おそるおそる声をかけてきた兵士に、その女性――寿担当官は、そう返答をする。サボり魔をして知られている田添祐平(男子11番)については事前に聞いていたので、学校に来ないことは予測の範囲内だった。なので祐平のみ、自宅近くに兵士を配備しておいたのだ。

 

「ごめんね。特別補講は嘘なの。このクラスだけ学校に来てもらうように、こっちから学校側にお願いしたんだ」

 

 寿担当官はゆっくりと歩きながら、誰にも届かない謝罪の言葉を述べる。本当に申し訳なさそうに、悲しそうな表情を浮かべていた。

 

「でも、プログラムって言ったら、誰もここには来なかったでしょう?」

 

 そう静かに呟いた後、近くにいた東堂あかね(女子14番)の身体を抱え上げる。自身よりも大分身長の高いあかねをいとも簡単に持ち上げた後、そのまま近くの兵士へと慎重に渡していた。そして、開けられた窓の近くに倒れている、“二人”の人物へと視線を向ける。

 

「窓まで開けられるとは思わなかったな」

 

 倒れている二人の生徒。そのうち一人は、寝かせられたかのように綺麗に仰向けに横たわっている。もう一人は、その人物の隣に寄りそうような形で、左半身を下にした状態で意識を失っていた。窓際に座っていたせいもあるだろうが、ガスが完全に充満する前にそこまでの行動に出ることは予想外だった。窓の外にも兵士を配備しておいたのが功を奏したようだ。

 

「この二人に、関係性はなかったはずだけど……?」

 

 まるで親しい間柄のように並んで倒れている二人を見て、頭に浮かぶ小さな疑問。それを振り払いつつ、一人ずつ慎重に身体を抱え上げる。これから生徒全員を会場まで運んでいかなくてはいけないし、首輪もつけなくてはならない。開始予定時刻までまだ時間はあるが、それまで生徒を起こさないように事を進めなくていけないという点からいっても、かなりの重労働になる。小さな疑問に頭を割くほどの精神的余裕が、あるわけもなかった。

 やがて、学校に止まっていた大型バスに乗せられた三年一組の生徒達は、そのまま静かに学校を後にした。これから何が起こり、どこへ連れて行かれるのか。彼らは何も知ることのないままに――

 

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