非日常への誘い

 

『お姉ちゃん、今度いつ遊べるの?』

 

 久しぶりに見た彼女の表情は、なんだかとても寂しそうに見えた。まるで、もう二度と会えないのではないか――そんないわれもない恐怖に、心の底から怯えているかのように。

 

――晴海ちゃん。私はいなくならないのに、どうしてそんなに悲しそうな顔をするの?

 

 大丈夫。私はずっと傍にいるよ。そうだ、一緒に初詣に行こう。久しぶりに遊ぼう。だから――笑って?

 

 妹のように可愛いあの子。とても大切な子。ずっとは無理だろうけど、できるだけ長く一緒にいられたら――

 

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 東堂あかね(女子14番)は、重い瞼をゆっくりとこじ開けた。まるで、変に何時間も昼寝をしたかのような、そんなひどい頭痛がする。伏せていた机らしきものから顔を起こし、何度も瞼をこすりながら、ようやく今置かれている状況がいつもと違うことに気がついた。

 

「ここ……どこ……?」

 

 真っ暗で何も見えない。そもそも、どうしてこんなに暗いのだろうか。いくら真冬とはいえ、学校に登校した時には既に日も出ていたはず。もしかして、ここは教室ではないのだろうか。それに今は何時くらいで、クラスのみんなはどこにいるのだろうか。

 

「ねぇ……誰かいないの?」
「その声、あかね……?」

 

 どうしていいのか分からず、ただ小さく呟く。すると、後ろから声が聞こえた。聞き覚えがある、かつてのチームメイトの声だ。

 

「早紀……? でも、なんで早紀が私の後ろにいるの?」

 

 声の主はおそらく、同じバスケ部で一緒に汗を流した羽山早紀(女子15番)だ。けれど、なぜ早紀があかねの後ろにいるのかが分からない。教室の席順では、あかねの後ろは佐伯希美(女子7番)だったはずだ。

 

「私にも分かんない……。ねぇ、あかねの前には誰がいるの……?」

 

 早紀の言葉に従うかのように、あかねは右手を前へと伸ばす。すると、その手に誰かの背中が触れた。教壇の前に座っているあかねの前には、本来なら誰もいないはずなのに。

 

「ねぇ、寝てるの? 起きてたら返事して?」
「う、うーん……。あと五分……」

 

 何とも間抜けな返事が聞こえてきたが、その声で相手が辻結香(女子13番)だと分かった。小学校からの親友の声を、聞き間違えるはずなどない。

 

「結香? でも、どうして結香が……?」

 

 分からない。どうして早紀が後ろに、結香が前にいるのか。試しに、今度は左の方へと手を伸ばす。普段ならそこには、結香の恋人である弓塚太一(男子17番)が座っているはず。けれど、今あかねの右手に触れたのは誰の肩でもなく、ただの冷たい壁だった。

 しかし、あかねの言葉である程度状況が理解できたのか、早紀は急いで誰かを起こしにかかる。「その声、羽山さん?」とすぐ近くの右斜め後ろから聞こえた声は、かつては太一と並ぶほどのムードメーカーであった宮崎亮介(男子15番)のものだと分かった。

 

「多分、あかねの右隣にいるのは槙村くん、私の後ろには細谷さんがいる。おそらく……出席番号順だ」

 

 早紀の言葉にハッとする。急いで、右隣にいる人物の身体を起こしにかかった。「ん……」という声だけでも分かる。幼馴染である槙村日向(男子14番)のものだ。

 

「ねぇ、他に起きている人はいるの?!」

 

 状況がある程度理解できたからか、早紀が大声でみんなに呼び掛ける。バスケ部でチームを統率することも多かった早紀は、本来こういった能力に長けているのだ。クラス内でそれを発揮することはあまりなかったが、状況が状況なだけに今はなりふり構わず声を掛けている。

 

「……羽山さん?」

 

 たった今起きたのか、言葉尻のはっきりしない声が聞こえる。けれど凛としていて、静かだけどよく通る声。あかねや早紀の後ろ、はるか右斜めの方角から聞こえてきた声は、橘亜美(女子12番)のものだった。普段あまり話すことがないだけに、こんな声をしていたのかと妙に納得してしまったが。

 

「橘さん。後ろには誰かいるの?」
「……いない。私が一番後ろだと思う。周り、起こそうか?」
「お願い。多分、出席番号順に並んでいて、右隣には男子がいると思うから。橘さんの隣なら……」
「冨澤くんね。分かった」

 

 そうはっきり返答した後、亜美は幾人か起こしてくれたようだ。次第に何人かの声が重なり合うように聞こえてくる。早紀の推測通りなら、亜美の前には、小学校からの友人である園田ひかり(女子11番)がいるはずだ。

 

――でも……どうして?

 

 出席番号順に並んでいるなんて、試験以外ではほとんどないというのに。それに、どうしてこんなところでクラス全員、そろいもそろって眠っているのだろうか。

 

――須田くんがいきなり倒れて、有馬くんが駆け寄って……。それから、有馬くんが同じように倒れたところまでは覚えているんだけど……

 

 そこまで思い出したところでゾッとした。そもそも、その状況自体が異常ではないか。一人だけではなく、二人揃って倒れるなんて。

 それに――それから記憶がないこと自体、自分も同じように倒れた証拠ではないか。

 

「電気……ないのか? とにかく、電気つけないか?」

 

 隣にいる日向が、そう静かに発言する。状況を把握するのに必死で、それは完全に失念していた。日向はおとなしいが、結構こういった鋭い一面がある。けれど普段は進んで発言しないせいか、日向のこういった一面を見られるのは極めて珍しいことだった。

 

 すると、いきなりパッと視界が明るくなる。どうやら日向の発言を受けて、既に起きていたらしい有馬孝太郎(男子1番)が電気をつけてくれたようだ。そこでようやく、今自分のいる周囲の様子が分かるようになる。

 

 綺麗に並べられた机と椅子。全員がきちんとその席に着席している。ザッと見ただけでも、普段自分達が使っている教室でないことは一目瞭然だった。机の並びが違うし、いつもは黒板に張られているはずのプリントが一枚もない。それに、何より建物自体が老朽化している。自分達が通う青奉中学校は、私立であるという特性からか比較的校舎は綺麗だったはずだ。

 そして早紀の言っていた通り、あかねから見て一番向こう側の列から、綺麗に出席番号順に並んでいた。右側に男子、左側に女子。向こう側から机が縦に六つ並んだ列が四つ、五つ並んだ列が二つ。本来あかねの後ろにいるはずの希美は、教壇の一番前の席に座っていた。その隣には同じ出席番号の下柳誠吾(男子7番)がいて、希美の後ろにはクラス一小柄な真田葉月(女子8番)がいる。クラス委員の相棒で、いつもなら隣にいる須田雅人(男子9番)は、あかねなら見て二列挟んだ列の前から三番目、誠吾の二つ後ろの席に腰かけていた。その隣には、二年時から仲のいい鈴木香奈子(女子9番)が、不安気な表情で俯いている。

 

「どういうことだよ……これ……」

 

 立ちあがってそう発言したのは、意識を失う前まで教室にいなかった田添祐平(男子11番)だった。祐平がいることに驚いているのか、何人かが目を見開いているのが分かる。

 

「た、田添……どうしてここにいるんだ……?」

 

 祐平から机一つ挟んで前の席にいる雅人がゆっくりと立ち上がり、小さな声でそう祐平に問いかける。雅人がそう言うのも無理はなく、祐平はこのクラス内でただ一人、学校の制服を着ていないのだ。元々補講どころか授業もたまにサボる人物なので、冬休み真っ只中にある補講に来なかったことに関しては、正直そこまで驚かない。けれど、教室にいなかったのに、指定の制服を着ていないのに、みんなと同じようにここにいる。その事実が、あかねの背筋をより一層凍らせていた。

 

「バ……よ、用事があったから家を出た途端、変な奴らに捕まって、正面から何か霧みたいなのを吹きつけられて……。多分、薬か何かだと思う……。いきなり意識が飛んだから……」

 

 祐平の状況を聞いて、教室内の空気は一層緊迫感を増した。どう考えても――異常だ。

 

「それ、私達が吸わされたのと一緒かも……」

 

 祐平の発言を受けて、亜美が静かに口を開いていた。普段さほど口数の多くない亜美の言葉に、全員が耳を傾ける。

 

「私、澤部くんの言った通りに窓開けたの。そしたら、外に軍服を着た兵士みたいな人がいて。いきなり何かを吹きつけられて、それから気を失ってしまったから……。多分、睡眠薬に近い何か――」
「お、おい……」

 

 亜美の発言を遮るかのように、小倉高明(男子3番)が小さく呟く。話を中断させるかのようなタイミングでの発言に、何人かが眉をしかめながら、高明に視線を向けていた。

 

「お前らの首についてるもん……何だよ?」

 

 そう言われて、あかねは初めてクラス全員が銀色の首輪らしきを着けていることに気がついた。慌てて自身の首に手をつけると、冷やりとした固い感触がその手に触れるのが分かる。高明の発言で気づいた者も多く、雅人や祐平も慌てて自分の首に着けられている首輪の存在を確認していた。ただ、話をしていた亜美を含め何人かは既に気づいていたようで、その表情に変化が起こることはなかったが。

 

「馬鹿かお前は。わざとそこには触れないようにしてたのに。ちょっとは空気読め、この単細胞」

 

 明らかに高明を馬鹿にするような発言をしたのは、クラス二位をキープする秀才、澤部淳一(男子6番)だった。淳一がこういった発言をするのは決して珍しいことではなく、上から目線で人を小馬鹿にしたような口調で話すことが多い。そのせいか、何人かは淳一のことが苦手であるようだ。淳一が普通に話すのは、淳一よりも成績のいい希美と、仲のいい亮介くらいなものである。

 

「そんなこと言ったってよぉ……。これは一体……」
「ふふ……」

 

 淳一の言葉に反論しようとする高明だったが、それよりも隣に座っていた小山内あやめ(女子3番)の不気味な笑い声によって、その言葉を途中で切らざるを得なかった。その声色は、明らかに楽しんでいる様子だったので。

 

「渚。何て素敵なことなのかしら。私達、国のお役に立てるのよ」
「じゃあ、やっぱりこれは……」

 

 普段はあまり感情を表に出すことのないあやめの、いかにも喜びを抑えきれないかのような口調に、自然と全員が黙る形になる。

 

「何なんだよてめぇは! くすくす笑っているんじゃねぇ! 言いたいことがあるならはっきり言えや!」

 

 その沈黙に耐えきれなかったのか、高明とよくつるんでいる妹尾竜太(男子10番)が立ちあがって声を荒げていた。竜太はクラス内で一番口が悪く、時には手を出すこともあるくらいだ。元々導火線が短いこともあってか、今にも手を出しかねないほどの剣幕で、右斜め前に座っているあやめに食ってかかっている。

 

「あら、分からないの? 妹尾くんは、大東亜共和国の国民としての自覚が足りないんじゃありません?」

 

 竜太の気迫に気圧されることもなく、あやめは淡々と発言する。その自信ありげな口調に、あかねは嫌な予感がした。

 

「小山内さん。今、それを言わない方が……」
「どうしてかしら、加藤くん? これほど名誉なこともないのよ。まだ分からない方々のために、教えてあげるのが親切というものではないかしら?」

 

 あやめの言わんとするところが分かっているのか、日向と仲のいい加藤龍一郎(男子4番)が静かに制していた。龍一郎だけではなく、亜美や淳一を含め何人かはあやめの言おうとしていることが予測できているらしく、一様に険しい表情を浮かべている。

 

「これはプログラムよ。私達中学三年生なんだから、選ばれてもおかしくないわ」

 

 あやめが続けて発言した言葉に、あかねは完全に頭が真っ白になっていた。

 

――プ、プログラム……? あ、あのプログラムなの……?

 

 プログラム――より正確にいえば、“戦闘実験第六十八番プログラム”。毎年、全国の中学三年生のクラスから五十クラス選抜し、最後の一人になるまで殺し合わせるというものだ。ひどく残虐で、かつ意味があるのかどうかさえも分からない代物。そんな交通事故に遭うくらい低い確率のものに、自分達が選ばれるなんて――

 

「う、嘘だろ……?」

 

 あやめの発言に、一番最初に反応したのは雅人だった。顔面は蒼白で、握りしめた拳が小さく震えている。クラス委員として一緒に仕事をしてきたあかねですら、そこまで動揺した雅人を見るのは初めてだった。

 

「だって……今まで福岡じゃ、私立は一度も選ばれていないじゃないか……」
「あら須田くん。あなたはプログラムについて、何もお知りになっていないのね? 私立が選ばれないなんて決まり、どこにもないのよ。たまたま福岡県では、今まで私立が選ばれなかっただけのこと。いつ選ばれたって、おかしくはないのよ?」

 

 雅人の言う通り、福岡県内においてこれまで、私立の中学校がプログラムに選ばれたことは一度もない。そのせいか、“私立に行けばプログラムに選ばれない”という通説まで出来上がっているくらいだ。現にここ数年、中学受験の志望者の数は飛躍的に伸びているという話まで聞く。

 けれどあやめの言う通り、そういった決まりがないのも――また事実なのだ。

 

「冗談じゃねぇぞ!!」

 

 声を荒げたのは祐平だった。顔を真っ赤にして、握られた拳がわなわなと震えている。あまり関わりがないから無理もないが、普段は机に伏せて寝ていることが多かったので、ここまで取り乱した祐平など見たことがなかった。

 

「そんなの参加できるか! 俺はそんなふざけた……」

 

 そのとき、祐平の言葉を遮るかのように、教室の前のドア――孝太郎の席の前にあるドアが、ガラッと勢いよく開かれていた。

 

「みんな起きたー? とりあえず席に……あ、まだ寝ている子がいるなぁ。えっと、君は有馬くんだよね? 後ろの五十嵐くん、起こしてくれるかな?」

 

 この緊迫した空気に似つかわしくないほど、底抜けに明るい声。男子の中でも比較的小柄である孝太郎と、さほど変わらないくらいの身長。一つにまとめられたお団子頭に、真っ白なスーツに身を包んだ若い女性。年齢までは分からないが、もしかしたら自分達とさほど変わらないくらいではないかと思った。

 その女性の発言を受けて、孝太郎は急いで後ろの席で寝ていた五十嵐篤(男子2番)の身体を揺すって起こしていた。篤はゆっくりと上半身を起こし、頭を横に二、三回振る。教室を一度見回し、おおよその状況は呑みこめたのか、孝太郎に大丈夫だという合図であるかのように右手を一度だけ上げていた。

 

「まずは、朝の……といっても今はもう夕方だけど、挨拶からしないとね。みんなー、おはよう!」

 

 その呼びかけに、誰も「おはようございまーす!」などと返事をするわけがなかった。見知らぬ場所に異様な空気。そして、なぜかテンションの高い知らない女性。何もかもがいつもと違っていて、誰もがどうしていいのか分からなかったのだから。

 

「うーん。元気がないなぁ。ま、無理もないけどね。とりあえず、私の話を聞いてくれるかな? 須田くんと妹尾くん、あとは田添くん。席に座ってくれる?」

 

 トーンの変わらない明るい声。けれどその声には、どこか有無を言わさない威圧感のようなものがあった。全員がその雰因気を察知したらしく、雅人と祐平は目配せしながらゆっくり腰かけ、竜太もふてくされたように渋々と座っていた。

 

「うんうん。聞き分けのいい子が多くて助かるなぁ。さすがは特進クラスの子達だねっ! では、改めて初めまして! 今回、あなた達の新しい担任になりました、寿と言いまーす! 寿担当官とか寿先生と呼んでくれていいからねー!」

 

 そう言うなり、その女性――寿担当官は、後ろの黒板にデカデカと“寿”という一文字を書いていた。そして、明るい笑顔で全員の顔を見回す。その担当官の視線から、誰もが急いで目を逸らしていた。

 

「さて、まだ状況が理解できていない子もいるみたいだから、いきなり本題から入ろうかな。まぁもう分かっているとは思うけど、特別補講は嘘だからね」

 

 持っていた書類を教卓にトントンと叩き、一度だけ小さく息を吐く。そのわずかとも言える沈黙の間、あかねは息が詰まりそうになった。

 

――お願い……。プログラムだなんて言わないで……

 

「さっき誰か……小山内さんかな? 言ってたみたいだけど、正に大正解だね。そう、今回あなた達、私立青奉中学校三年一組の特進クラスのみんなは、戦闘実験第六十八番プログラム対象クラスに選ばれました!」

 

 あかねの願いも虚しく、寿担当官の口から告げられたものは――絶望的な回答だった。

 

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