妨害者

 

「みんな……どこ?」

 

 東堂あかね(女子14番)は、誰も自分を待っていないという事実が信じられず、思わずそう呟いていた。あかねの予想では、みんな待っていてくれるはずだったのに。そしたら、みんなで打開策を考えることだってできるはずなのに。

 

――どうして……どうして誰もいないの?

 

 もしかしたら、トイレの中にいるのかもしれない。そう思って、急いで目の前にあった女子トイレの中へと入ってみる。一瞬躊躇ったが、男子トイレにも入ってみる。そして、改めて周囲を探してみる。けれど、どこにも誰もいなかった。そして、誰かが隠れている様子もない。 

 

「なんで……? だって……待っててくれるって……」

 

 言葉にしたわけではない。けれど、少なくとも辻結香(女子13番)は、“分かっている”と言ってくれたではないか。みんな頷いたり、目配せをしてくれたではないか。だから、みんな待っていてくれていると信じていたのに。

 

――待てよ……。もしかして、校門にいるのかも……。

 

 そんなことを思った矢先、背後から誰かの足音らしきコツッという音が聞こえた。

 

「結香?!」

 

 反射的に後ろへ振り向く。玄関に背を向けていたので、自然と視線は玄関の方へと向ける形になる。けれど、そこにいたのは、結香ではなかった。そして、先に出発した仲のいい別の誰かでもなかった。

 

「何してんのよ? とっくに出発したくせに、何もたもたしてんの」

 

 そこにいたのは、あかねの次の出発だった北村梨花(女子5番)だった。プログラムに参加させられているという不機嫌さからなのか、いつもよりも低い声で言葉を発している。どうやらみんなを探しているうちに、二分経過してしまったらしい。

 

「梨花ちゃん……」

 

 一瞬、どうしようかという躊躇いが生じる。ここまで探していないとなれば、この近くには誰もいないのだろう。校門にいる可能性だってあるが、もしかしたら――本当に誰もいないかもしれない。いずれにせよ、仲間を作るつもりなら、とりあえずここで後から出発する人を待つことが得策なのかもしれない。みんな乗るわけがないのだから、とにかく仲間を作る必要がある。

 

「梨花ちゃん……あのね……」
「前から思ってたんだけど、馴れ馴れしく“ちゃん”付けで呼ばないでくれる? 気持ち悪い」

 

 話しかけようとした矢先、いきなり梨花から容赦ない冷たい言葉を浴びせられてしまう。その冷たい物言いに一瞬だけ怯んでしまうが、ここで引いたらいけない。とにかく、やる気でない人同士で仲間を作らなくては。

 

「梨花ちゃ……北村さんは、やる気じゃないんだよね?」
「は? それが何?」 

 

 あかねの言葉に、梨花は眉を潜める。その不機嫌そうな態度で一瞬だけ言葉に詰まるが、かまわず続けることにした。

 

「ならさ……、一緒に後から出てくるみんなを待たない? それでさ、この状況をどうにかできるように考えようよ。そしたらさ、殺し合いなんかしなくていいと思うんだ。梨……北村さんだって、殺し合いなんかしたくないでしょ?」

 

 あかねとしては、何も特別なことを言ったつもりはなかった。ただ、クラスのみんなで殺し合いなんかしなくていいようにしたかっただけで、そのために自分ができることをしたかっただけ。それ以外に、他意はなかった。だって本心では、みんなそんなことをしたくはないはずなのだから。

 あかねがそう提案するなり、梨花の表情が変化した。ただし、安堵するような穏やかな微笑みではなく、小馬鹿にしたような歪んだ笑みへと。

 

「何言ってんの? あんたって本当におめでたいわね。本気でそう思ってんの? マシンガンの銃声だってしたのに?」

 

 咄嗟に反論しようとしたが、何も言えなかった。梨花の言っていることは、決して間違っているわけではない。マシンガンの銃声がしたのは、まぎれもない事実だ。何も言えずにいるあかねに追い打ちをかけるかのように、梨花は言葉を続ける。

 

「死にたくないなら、みんなに死んでもらえばいい。簡単なことじゃない。それとも何? 命は重くて皆平等だから、こんなの間違ってるって言いたいの? こんなのが存在している時点で、それはただの机上の空論ってやつでしょ?」 

 

 そう言って、梨花はあっさりと“殺し合い”を肯定する。人の命が重いというのも、平等だというのも、それはただの机上の空論であって、現実ではありえないのだと突きつける。暗闇でも分かるくらいに、歪んだ笑みを浮かべながら。

 

「あたしはそんな可能性の低いもんに賭けるのは嫌。殺し合いなら勝手にしてくれればいいわ。他の誰が死のうが関係ない。私は、自分さえ助かればそれでいいもの。だからといって、進んで殺す気もないけどね。血やら何やらで汚れるのは嫌だし、人殺しなんて野蛮以外の何物でもないからね」

 

 梨花があっさりと言った言葉は、あかねにとって信じがたいものだった。みんなが死んでもいい? 誰が死のうが関係ない? 自分さえよければそれでいい?

 

「ほ、本気で言ってるの……? だって……梨華ちゃんだっているんだよ? 梨華ちゃんが死んでもいいっていうの?!」

 

 思わず口をついて出た、梨花の友人である久住梨華(女子6番)の名前。梨花のいう”みんな”には、この場合だと当然梨華も含まれることになる。その梨華が、死んでもいいというのだろうか。

 そんなあかねの訴えを意に介さないかのように、梨花は笑いながらその答えを口にする。

 

「梨華? ああ、あの金魚のフンみたいにくっついてくる奴のこと? むしろせいせいするわ。いつもいつもくっついてきたりして、うっとおしいったらありゃしないんだから。あんな奴、死んでしまえばいいのよ。誰かあの子のこと、殺してくれないかしら?」

 

 信じられない言葉が、次々と梨花の口から飛び出してくる。友達なのに、どうしてそんなことを言うのだろう。好いているから、一緒にいたいから、友達でいるのではないのだろうか。そんな友達に対して、“死んでしまえばいい”だなんて、自分は絶対思わないのに。むしろ死んでほしくないって思っているのに。

 ふと前を見ると、話が終わったと思ったのか、梨花が歩きだそうとしている。

 

「ま、待って!! 梨花ちゃ……」
「うっとおしいわね! 馴れ馴れしくしないでって言ってるでしょ!!」

 

 引き留めようとしたが、梨花の大きな声でそれは遮られる形となった。そのまま顔だけを振り向いて、睨みつけるかのようにあかねのことを見る。その表情には、怒りや侮蔑といった感情がにじみ出ていた。

 

「私は、あんたみたいな偽善者が一番嫌いなの」

 

 続けて言った梨花の言葉で、スパッと心臓が真っ二つにされるような痛みを感じる。それ以上何か言うことが出来ず、ただ去っていく梨花の背中を見送ることしかできなかった。

 

――偽善者……?

 

 みんなが乗っていないと信じることが偽善者とでもいうのだろうか。みんなで何とかこの状況を打開したいと思うことが、偽善者なのだろうか。あかねの言っていることは、それこそ“机上の空論”とでも言うのだろうか。

 

――でも……本心だもん。それのどこがいけないの?

 

 ここで折れてはいけない。そう自身を奮い立たせる。まだあと三人出てくるのだ。次は、確かそこそこ話すことも多かった籔内秋奈(女子17番)だったはず。秋奈なら、きっとあかねの考えに賛同してくれるだろう。それに、教室で見た秋奈の様子は、どこか体調が悪いように見えていた。秋奈と仲のいい小野寺咲(女子4番)真田葉月(女子8番)もここにいないのだから、せめて自分が一緒にいないといけない。一人でいさせるのは、あまりに危険な状態だ。

 

――そうだ……秋奈ちゃんを待とう。 あ、でも……

 

 ふと気になった、寿担当官の説明にあった“武器”。それが何かを確認する必要がある。戦う気など微塵もないが、もしかしたら何か役に立つものかもしれない。さすがに堂々と立ったまま武器を確認する気にはなれなかったので、トイレの前にあった壁へと身を潜める。そこで懐中電灯で荷物を照らしながら、中身を確認していった。

 中には、担当官に言われた通りのものが入っていた。水と食料であるパン。それと地図に鉛筆、加えてクラス名簿と時計。コンパスといわれた方位磁石ももちろん入っていた。そして、もう一つ。

 

――箱? 

 

 バッグの中を探っていくと、木製で作られた箱が出てきた。そのせいかずっしりと重く、両手でようやく持てるほどだ。上蓋の部分には、何か十字のマークが描かれている。

 

――もしかして……救急箱?

 

 留め具を外し、上蓋を開いてみる。中には、絆創膏やガーゼ、消毒薬、包帯、包帯を止めるテープにはさみ、湿布、いくつか薬も箱のまま入っている。薬も多種多様で、総合感冒薬(いわゆる風邪薬だ)、胃薬、鎮痛剤――

 

――鎮痛剤……鎮痛剤って確か!

 

 思うところがあり、急いで鎮痛剤と書かれた箱を取り出し、裏面に書いてある説明らしき文字を読む。指で文字を辿っていき、“効能”と書かれてある箇所をじっくり読んでみる。そこには書かれてある文字を見て、思わず「やった!」と叫びそうになった。

 

 “効能――頭痛、生理痛”

 

 つまりこの鎮痛剤は、生理痛を緩和する働きもある。これこそ、今の秋奈に必要なものだ。これさえあれば、秋奈を苦痛から解放できる。

 

――これ、秋奈ちゃんにあげればいいんだ! そしたらきっと体調もよくなる! 

 

 武器というから物騒なものを想像していたが、これは嬉しい誤算だ。これなら誰かを傷つけることはないし、怪我したときとか体調悪いときに役に立つ。思わぬ“当たり”がきて、あかねが内心飛び上りそうなほど嬉しく思った。

 そのせいだろうか。はたまた誰も乗っていないことを信じていたせいだろうか。周囲に対する警戒を、あかねは完全に怠ってしまっていた。だからこそ、気づかなかった。その一瞬の隙を、見逃さない人物がいたことに。

 

「動くな」

 

 背後から低い声が聞こえたと思ったときには、誰かの手で口をふさがれ、左の首筋に何か冷たいものが当たっていた。

 

「懐中電灯のスイッチを切るんだ」

 

 有無を言わせぬ低い声と、首筋に冷たいもの――おそらく刃物の類が押しつけられていることで、抵抗する気力すら湧いてこなかった。言われるがままに懐中電灯のスイッチを切る。

 

「声を出すな。それと、指一本動かすな。呼吸は鼻でしろ。言うことを聞かなかったら……殺すぞ」 

 

 “殺す”という言葉に、身体が強ばるのを感じる。どこか聞き覚えのある声なのに、クラスの誰かに間違いはないのに、パニックに陥っているせいなのか、誰なのかまったく分からない。低い声色からして、男子であることしか分からない。

 すると、コツッコツッという足音らしき音が聞こえる。身体を動かすことが出来ないので、その足音の主が誰なのか確認できない。けれど、おそらく秋奈が玄関から出てきたのだ。

 

――秋奈ちゃん……!

 

 全身が完全に壁に隠れてしまっているため、秋奈の位置からはあかねの姿は見えないだろう。誰も待っていないと思っていたのか、秋奈がこちらに来る気配もない。しかも、足音は心なしか遠ざかっていくように聞こえる。それも、かなりゆっくりと。 

 

――お願いッ……! こっちに気づいて!

 

 左手に持ったままになっている鎮痛剤の箱。これを秋奈に渡さなくてはいけないのに。いつもよりもゆっくりとしたペースで刻まれる足音は、嫌でも秋奈の体調が良くないということを知らせている。きっと、体調が悪くて辛い思いをしているに違いない。せめて、この薬だけでも渡さなくては――

 

 けれど、あかねを拘束している人物に、そうさせてくれるほどの隙はなかった。ふりほどこうにも、首筋に当てられている刃物らしきもののせいで、抵抗することすらできない。口元もしっかり塞がれているせいか、声を出すこともできない。今のあかねにできることは、秋奈がこちらに気づくことを願うことだけだった。

 

 しかし、その願いが届くことはなかった。一度も立ち止まることなく、足音はどんどん小さくなり、やがて――まったく聞こえなくなってしまった。

 

――そ、そんな……

 

 足音が聞こえなくなった途端、ボロボロと涙がこぼれそうになる。梨花どころか、秋奈とも合流できないなんて。秋奈だったなら、きっと賛成してくれたはずなのに。合流できれば、秋奈のことを助けられたかもしれないのに。せっかく鎮痛剤が手元にあるというのに。どうしてこんなことに――

 

「いいか」

 

 そう思った矢先、先ほどまで沈黙していた背後の人物の声が聞こえた。

 

「大声を出すな。鼻で深呼吸するように、ゆっくり呼吸するんだ。三回呼吸したら、解放してやる。変なことはするなよ。そのときは容赦なく殺す。分かったら、首を縦に振るんだ」

 

 早く解放されたいが故に、あかねは首を縦に何回も振っていた。そして、三回大きく呼吸する。思いの他浅く呼吸していたらしく、一瞬むせそうになった。 

 きっちり三回呼吸したところで、口を塞いでいた手がゆっくりと離れる。それから、首筋に当てられていた冷たいものの感触もなくなっていた。

 

「……ったく、常々馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿だとは思わなかった。どうせ、後から出てくる全員に声かけるつもりだったんだろ」

 

 先ほどよりも、幾分か柔らかい声。けれど、人を馬鹿にしたような高圧的な口調。そんな口調で話す人物は、かなり限られている。

 バッと後ろを振り向く。暗闇に慣れたせいか、懐中電灯なしでもその人物の正体がすぐに分かった。銀縁眼鏡に、神経質そうな顔。眉間に皺が寄っており、いつもよりも不機嫌そうな表情している。 

 

「……澤部くん?」

 

 そこに立っていたのは、あかねよりも大分前。教室を二番目に出発したはずの澤部淳一(男子6番)その人だった。

 

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