転がる現実

 二番目に出発したはずの澤部淳一(男子6番)が、どうしてここにいるのだろうか。自分が気づかなかっただけで、ずっとどこかに隠れていたのだろうか。その疑問ばかりが頭の中を占め、東堂あかね(女子14番)は、しばし呆然をしていた。

 

「なんだ、そんな呆けたような顔して。間抜けに見えるぞ。まぁお前は、元々けっこうな間抜け面してるけどな」

 

 そんなあかねの気持ちなど知る由もないのか、淳一はいつも変わらない調子で口を開く。よく見れば、その足下には大きな荷物が置かれてあった。支給されたバックとも、学校指定の鞄とも違う、肩にかける大きなトートバッグみたいなもの。そのバックには、はみ出しそうなほどの荷物が積められている。周囲が暗闇に包まれているせいか、その中身までは分からない。淳一は、一体どこからこんな大荷物を持ってきたのだろうか。

 いや、今はそんな余計なことを考えている場合ではない。そんなことはどうでもいい。今問題なのは、どうして淳一があんなことをしたのかということだった。淳一が自分を拘束したりしなければ、籔内秋奈(女子17番)と合流できたのに。そしたら、体調の優れない秋奈に、支給された鎮痛剤だって渡すことができたはずなのに。

 

「……なんで」

 

 久しく口を開けば、思ったよりも低いトーンで声が発せられる。自分が思っている以上に、淳一に対して怒りの感情を抱いているのだ。

 

「なんであんなことしたの! 秋奈ちゃんと合流するつもりだったのに! そしたら何かこの状況をどうにかできる案が浮かんだかもしれないじゃない!! それに秋奈ちゃ――」
「大声を出すなと言っただろ。死にたいのか?」

 

 あかねの言葉を遮るかのように、淳一は低く唸るような――殺意すら感じるほどの声色で口を開く。その威圧感に、あかねは思わず黙り込む。

 すると、淳一は一つ大きなため息をついてから、ブレザーのポケットから何か端末のようなものを取り出す。少ししてから、その端末の電源を入れたのかパッと淳一を顔を照らすような形で明るくなった。しばしその端末を見つめて、その後視線をあかねのはるか後方に移す。しばらくそちらの方をじっと見てから、その端末の電源を落としていた。周囲は再び暗闇に包まれる。

 

「なんであんなことをしたのかって? 本物の馬鹿か、お前は。お前こそ、なんで大して仲良くもない籔内に声をかけようとしたんだ? まさか、誰も殺し合いなんてしないと、本気で思ったのか?」

 

 先ほどよりも小馬鹿にしたような口調で、淳一はそう冷たく言い放つ。

 

「それこそおめでたいってもんだろ。マシンガンの銃声、聞こえなかったのか?」

 

 続けて淳一が言ったその一言で、あかねは言葉に詰まる。淳一の言うとおり、マシンガンの銃声がしたのは事実だ。

 

「俺が出発して、大体二十五分くらい経った後だったな。おそらく、まだ十人くらいしか出発していなかっただろ? そんな少ない人数の中にマシンガンをぶっ放した奴がいるってことは、最初からこのプログラムのルールに沿って殺し合いをする気があったってことになるだろ。自分が優勝するためにな」

 

 再びグッと黙りこんでしまう。淳一の言っていることは全て的確で、あかねは何も反論できなかった。推測すれば、そう考えるのが妥当だ。マシンガンの銃声時に出発していたのは、正確には十一人。その中にマシンガンを支給された人物が、確実に一人はいる。そして、あの銃声の主は――間違いなくその中にいる。

 けれど、それだけでは何も分からない。何かそうせざるを得ない事情があったのかもしれないし、殺すわけではなくて別の目的で撃ったのかもしれないではないか。それに、淳一だってその十一人の内の一人だ。疑いたくはないが、淳一の可能性だってないわけではない。

 

「ああ、誤解を招かないように言っとくが俺じゃない。俺に支給されたのはマシンガンじゃないからな。それに俺を疑っているなら、それはお門違いってもんだろ。開始して間もない頃にマシンガンをぶっ放す人間なら、あんな回りくどいことなんてしないで、お前のことだって容赦なく殺すはずだ。もちろん、さっき出発した籔内も含めてな」

 

 疑われていると思ったのか、淳一はそう言葉を続けていた。それも確かに正論だ。淳一の言っていることは、先ほどから間違っていない。そのせいか、反論する材料がまったくないのだ。けれど、相変わらず人を小馬鹿するような口調で話すせいか、少しずつ苛立ちに近い感情を抱いていく。

 

『澤部はそんなに悪い奴じゃないよー。ただね、ついつい言い方がキツくなるだけだってー』

 

 同じ主流派グループの一人である佐伯希美(女子7番)は、以前こう言って淳一をフォローしていた。そのときは、その通りかもしれないなと納得したような記憶がある。けれど、改めてその調子で話されると、どうにも苛立ちを抑えることができない。希美の言っていることが間違っているだなんて思わないが、もっと柔らかい物言いはできないものだろうか。それだけで、もう少し交流関係も広がるだろうに。

 

「お前に聞きたいことがある」

 

 そんなあかねの心境を知る由もない淳一が、別の切り口から話を始めていた。

 

「亮介は、まだ教室にいただろ?」

 

 今淳一から出た名前、宮崎亮介(男子15番)。確かに彼は、淳一とは比較的仲がいい。基本的に人を小馬鹿にしたような口調で話す淳一が、穏やかに会話する数少ない一人だった。

 

「なんでそんなこと……」
「いいから答えろ。それを聞きたいがために、こうして無駄な会話をしているんだ。確か籔内の次だったと記憶しているが、念のために確認しておきたいしな」

 

 早く答えろといわんばかりに、淳一は不機嫌そうな表情をしている。断定するような聞き方をしてくるあたり、本当に確認程度のものなのだろう。素直に答えることを一瞬躊躇ってしまったが、この場にいない亮介には何の罪もないので、ここは素直に首を縦に振ることにした。

 あかねが首を振って答えた瞬間、淳一の表情が少しばかり綻ぶ。どうやら確認するまでは不安だったらしく、小さく息を吐いていた。

 

「良かった。ギリギリかと思ったが、思ったより進行は遅かったみたいだな」

 

 淳一の言っている意味が分からず、ポカンとしてしまう。何がギリギリだったのだろうか。亮介が教室にいる――つまりはまだ出発してないことが、そんなに重要なのだろうか。あかねを拘束してまで、確認することに意味があったのだろうか。

 

「……計算したんだよ」

 

 あかねが黙っていることでその疑問に気付いたのか、淳一は呆れたように言葉を続けた。

 

「俺が出発してから、亮介が出発するまでどれくらいかかるのかな。俺と亮介の間には、お前も含めて二十九人いる。インターバルが二分、出発自体に一分かかるとして、時間に換算すると大よそ一時間半開くことになるだろ? そんな長い時間ここに留まるのは危険だ。そこで、亮介が出てくる頃合いを見計らって、学校に戻ってきたってことだよ。色々やっときたいこともあったしな」

 

 その言葉で、ああと納得する。言葉なら察するに、淳一は最初から亮介と合流するつもりだったのだろう。最初から二番目の淳一と、最後から三番目(出発前に田添祐平(男子11番)が死んでしまっているので、正確には最後から二番目なのだが)である亮介では、確かに待っておくにはインターバルが長すぎる。ここでずっと待っているよりも、一端学校から離れてその後戻ってくる方が、はるかに合理的だ。おそらく出発順が発表されてから、淳一自身が出発するまでのわずかな間にそこまで計算したのだろう。淳一は、自身が出発する前からそういうプランを練っていたのだ。

 同時に、そう考えるということは、淳一はやる気ではないことになる。先ほどは脅してきたものの、今もどうやら攻撃するつもりはないらしい。そもそも亮介と合流しようと考えるあたり、最後の一人になって優勝する気はさらさらないようだ。

 

「澤部くんは、やる気じゃないんだよね……?」

 

 恐る恐るそう聞いてみる。先ほどはあんなひどいことをしたが、淳一がやる気だったなら今頃自分は死んでいるはず。やる気でないのなら、仲間になれるのかもしれない。そんな期待を込めての言葉だった。

 

「やる気じゃないってのは、どういう観点から物を言ってるんだ?」

 

 しかし、淳一から返ってきた答えは、同意でも、拒絶でもなく――質問に対する疑問だった。

 

「進んで殺すことをしないって意味なのか? それともこのプログラムをどうにかしてぶっこわすって意味なのか? それによって変わるだろ。質問の意図が明確じゃない」

 

 やる気じゃない――その本当の意味は何か。殺し合いには参加しないで傍観するということなのか。それとも、傍観するのではなくこの状況を打開するということなのか。確かにどちらを選択するのかによって、今後の行動がかなり変わってくる。揚げ足を取られるような形の質問だが、その指摘は的確ともいえた。

 その答えは、もちろん決まっていた。

 

「私は、プログラムなんて間違っているって思ってる。だから、どうにかして殺し合いなんてしなくていいようにしたい。もし澤部くんがやる気じゃないなら――」
「仲間になってほしいってのか? それならお断りだ」

 

 あかねの言葉を遮るかのように、淳一はそう返答する。そして、こちらが反論する前に、淳一は言葉を続けていた。

 

「お前みたいな馬鹿につきあっていたら、命がいくつあっても足りない。どうせ籔内だけじゃなくて、北村にも声かけたんだろ? あんなわがままお嬢様にまで引き込もうとするあたり、お前は人を信じすぎる。これは殺し合いだぞ。死にたくないって理由で乗る人間ならいくらでもいる。普段の態度がどんなに真面目であってもだ」
「そ、そんな……そんなこと……ない……」

 

 そんなことはない。みんな、それなりに親しい人や大事な人がいるはず。その人達に、死んでほしくないって思っているはず。みんな悪い人ではないのだから、きっとこんなの間違っているって思っているはず。本心では、こんなのしたくないって思っているはず。

 

「本当にそう思うのか?」

 

 そんなあかねの心を見透かしたかのように、淳一が冷たい声色で口を開く。そして、右手で向こう側、つまりは校門の方向を指さしていた。

 

「だったら、校門まで行ってみろ」
「なんで……?」
「そこに現実が転がっているから」

 

 現実が転がっている? その意味が分からなくて、あかねはしばし淳一のことを呆然と見つめる。

 

「どうした? 怖いのか?」

 

 揶揄するような言い方で、淳一はそう口にする。挑発されていると分かっていながらも、苛立ちを押さえることができなかった。

 

「誰も乗ってないって信じているんだろ? だったら、どんな現実を突きつけられても大丈夫だよな? それとも、お前の気持ちはその程度のものだったのか?」

 

 そう言われ、思わずムッとした表情をしてしまう。何があっても、この気持ちは揺らいだりしない。そう決意し、スクッと立ち上がった後、荷物を抱えて校門へと歩いていった。それが淳一の仕向けたことだったとしても、そうせずにはいられなかった。

 

――何よ!! あんな言い方ってないじゃない!!

 

 柄にもなくイライラする。どうしてあんな高圧的な言い方しかできないのだろうか。亮介や希美は、淳一と話していてイライラしたりしないのだろうか。それとも、二人と話すときは、もっと柔らかい口調で話すのだろうか。

 

――私は、みんな乗らないって信じているもん!

 

 何が起こっても、この決意は絶対に揺らがない。もう一度そう固く心に誓い、ズンズンと校門へと歩いていく。誰かが待っているだろうと淡い期待も、その心の内に抱いたまま。

 玄関から右手の方角に歩いていくと、ほど近いところに校門はあった。門は完全に開かれており、そこから数歩歩けば、正面には壁が立ちはだかり、道は完全に左右に分かれている。一見したところ誰もいないし、何もないように思えた。

 

――あれ……は……?

 

 少しずつ校門に近づいていくと、その近くに何かがあることが分かる。最初はゴミかと思ったが、さらに近づいていけば、それが人であるように見えてしまう。

 

――え? 違う……よね? 寝てる……だけだよね?

 

 こんな寒い日に堂々と外で寝ているなんて、プログラムではなくても十分危険な行為を、特進クラスのみんながしているわけはない。心のどこかでそれを分かっていながらも、受け入れたくなかった。懐中電灯でその周囲を照らし、全てを目の当たりにするまでは。

 

「そん……な……」

 

 その光景が信じられず、懐中電灯を落としてしまう。カツンという無機質な音が、周囲に響き渡る。けれど今のあかねには、それを拾うことすらできなかった。叫びそうになるのを何とか抑えながら、ただその光景を見つめることしかできなかった。

 そこに倒れていたのは、確かに人だった。仰向けになっており、何も映っていないであろう瞳は、ただ虚空を見つめているだけ。少し光をずらせば、腹部には無数な小さな穴が開いており、その身体の下には赤い水たまりができてしまっている。いつも整えられている一くくりにしたヘアスタイルは、倒れた際に乱れてしまったのか、今や結び目もほどけそうなほどにぐちゃぐちゃになってしまっていた。前髪を止めるヘアピンも外れてしまったのか、きちんと七:三に分けられた前髪の分け目すら分からないほどに。

 

 そこに倒れていたのは、もう息をしていない曽根みなみ(女子10番)の遺体だった。

 

――なんで……

 

 みなみが死んでいる――その“現実”が信じられなくて、その場にペタリと座り込んでしまう。遺体を見たショックで腰を抜かしてしまったのか、身体がまったく言うことをきいてくれない。地面にふれた膝に、冷えた血液が触れるのが分かったが、どうすることもできなかった。

 

『現実が転がっているから』

 

 先ほど言われた言葉が、ズシンと重みを増す。淳一が言った“現実”とは、このことだったのだ。転がっているというのは言葉通り、みなみの遺体が校門前に転がっているという意味。同時に、マシンガンの音が聞こえなかったのかと、淳一がある程度の確信をもって言った本当の意味も分かってしまった。淳一は、そのマシンガンでみなみが死んだと推測しているのだ。そして、みんながここから去ったのも、誰も待っていなかったのも、おそらくみなみの遺体を見てしまったからなのだ。

 

――なんで……どうして……

 

 みなみとは、特に親しいわけではなかった。むしろ、みなみからは嫌われていたといっていい。基本的に女子は下の名前で呼ぶあかねでも、みなみのことは“曽根さん”と呼んでいるくらいなのだから(一度みなみちゃんと呼んだらものすごい勢いで睨み返されたので、以後こう呼ぶことにしたのだ)。けれど、悪い子でもなかったはずだ。ただちょっとプライドが高くて、きっと不器用な子だっただけ。こんなところで死んでいいはずがない。死んでいい理由など、ありはしない。

 

――曽根さん……どうして……

 

 ぽろぽろと涙がこぼれる。固く握りしめた手の甲に、温かいそれがポタリと落ちる。急いで拭ってもまた瞳からあふれ出してしまい、嗚咽混じりになっていく。けれど、それを止める術が分からない。普段泣くことがあまりないだけに、どうしたら上手くコントロールできるのか分からないのだ。

 

『死にたくないって理由で乗る人間ならいくらでもいる。普段の態度がどんなに真面目であってもだ』

 

 淳一の言葉が、またズシンと重くのしかかる。その言葉に反論するどころか、もう違うと否定することすらできない。それどころか、みんなのことも、淳一のことも、今のあかねの頭の中からすっかり抜け落ちてしまい、何も考えることができなくなってしまっていた。

 学校から去ることも、玄関の方へ戻ることもできず、あかねはただその場で泣き続けることしかできなかった。

 

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