言葉の本質

 有馬孝太郎(男子1番)曽根みなみ(女子10番)を射殺した銃声は、東堂あかね(女子14番)らがいる教室まで届いていた。

 

――今のって……!

 

 銃声に反応する形で、思わず席から立ち上がりそうになる。しかし、隣に座っていた槙村日向(男子14番)に右手を掴まれたことによって、すぐにその動きは止められていた。

 

「ダメだ、あかね」
「でも……」
「殺されてしまうぞ」

 

 “殺されてしまうぞ”。その言葉で、身体が勝手に硬直する。あかねの席からよく見えはしないが、教室の中央の列の間には、今も田添祐平(男子11番)の遺体が横たわっているのだ。日向は暗に、“田添の二の舞になるぞ”と言いたかったのかもしれない。

 その言葉に従う形で、あかねはゆっくりと自分の席に座り直した。

 

「はいはーい! 次は、男子13番広坂幸治くん! 教壇まで来て下さーい!」

 

 そんな状況にもおかまいなしなのか、教壇に立っている寿担当官は、先ほどと変わらない声で出発を促している。それとも、このような出来事はプログラムの中では普通なのだろうか。そうやって、プログラムは進んでいくのだろうか。

 そうやって――みんな殺し合いをしてしまうのだろうか。

 

「はいっ! 宣誓をどうぞー!」
「お、俺達は殺し合いをする。やらなきゃやられる」

 

 幸治も先に出発したクラスメイトと同様、絞り出すような小さな声で宣誓をしていた。当たり前だ。殺し合いなんてできるわけがない。それがたとえプログラムという状況であってもだ。現にこれまで出て行ったほぼ全員が、気の進まないといった感じで宣誓をしている。ハキハキと進んで宣誓したのは、江藤渚(女子5番)くらいなものだろう。本心では、みんな言いたくなかったはずだ。

 できれば、みんなで団結してこの状況を打開したい。話せば分かってくれるだろうし、殺し合いなんてしたくないはずだ。成績のいいクラスなので、きっと何かいい方法も思いつくはず。あかねはそう思っていた。

 けれど、あかねの出発は大分後、二十九番目だ。仲のいい主流派グループのメンバーは全員自分よりも先に出発していまい、あかねの後には既に死んでしまった祐平を除いて四人しか残らないという状況だ。この間行われた期末試験は何かと忙しかったこともあり、普段よりも点数はよくなかったし、順位はかなり下になってしまった。さほど気にしていなかったが、それがこうも関わってくるとは。どうしてもっときちんと勉強しなかったのか――今さらながら悔やまれる。

 

「はーい! 次は、男子9番須田雅人くーん!!」

 

 その声にハッとした。どうやら考え事をしている間に、幸治は出発してしまったらしい。そして、今の担当官の発言は、クラス委員を共にやってきた相棒である須田雅人(男子9番)を名前を呼ぶものだった。

 

――須田くん……

 

 一瞬にして、先ほどの出来事が思い起こされる。祐平が殺されてからの雅人の一連の行動。担当官に食ってかかる態度、年上に対して敬語を使わない言葉づかい、そして怒りに満ちた表情。そのどれもが普段見ているものとは違っていて、一瞬だけ別人がいるのではないかという錯覚に陥ったほどだった。そして今も、どこかいつもと違う雰因気をまとっている。雅人の耳に、担当官の言葉は届いているのだろうか。また、反抗するような態度をとってしまうのではないか。あかねは、内心冷や冷やしていた。

 すると、意外なことに雅人はすぐに席を立った。けれど、教壇とは反対方向、祐平の遺体の元へと歩いていく。

 

「須田くん?」

 

 担当官の呼びかけにも、雅人は反応しない。そのまま祐平の遺体の近くまで歩み寄り、その傍らに膝をついていた。そして、無造作に広げられた祐平の両腕を、きちんと胸の上で組み合わせる。そして開いたままの口を閉じさせてから、小さくこう呟いていた。

 

「ごめんッ……ごめんな……田添……」

 

 その声はあまりにも小さいものだったので、全員に聞こえたかどうかは分からない。けれど、あかねの耳にははっきりと聞こえていた。そしてそれは、雅人が祐平に懺悔しているような、そんな意味合いを含んだ言葉のように思えた。けれど、その言葉の真意が、あかねにはまったく分からない。

 どうして謝ったりするのだろう。雅人には、何の罪もないのに。

 

「須田くん、教壇まで来てくれるかな?」

 

 雅人の一連の行動を見守っていたのか、担当官が計ったかのようなタイミングで声をかける。今度は雅人もその言葉に従い、ゆっくりと教壇の方へと歩いていった。決して誰とも、視線を合わせないままで。

 いつもと違うその様子が、あかねの心をかき乱す。

 

――須田……くん……

 

 正直なところ、雅人なら待ってくれるのではないのかと期待していた。雅人とあかねの間には、かなりの人間が出ていくことになる。その中には、同じ主流派グループのメンバーも含まれている。もしかしたら、学校を出たところでみんなに声をかけてくれるのではないか。あかねと同じような考えを持ってくれているのではないか。そう思いたかった。

 けれど、今の雅人の頭の中に、その考えは浮かんでいるのだろうか。そして、そうするだけの精神的余裕はあるのだろうか。

 

「須田くん、宣誓してくれるかな?」
「……」
「須田くん?」

 

 傍目から見ても、雅人が宣誓を拒否していることは明らかだった。けれど、それでは祐平と同じように殺されてしまう。あかねは雅人に声をかけようとしたが、それを察知したのか日向が再びあかねの右手をグッと掴む。先ほど雅人を止めた末次健太(男子8番)も、その可能性を考えたのか一瞬席から立ち上がるような素振りを見せていた。

 

「……俺たちは……殺し合いをする。やらなきゃ……やら……れる……」

 

 一瞬の沈黙の後、雅人は自ら宣誓を口にしていた。嫌々口にしていることは、誰が聞いても明白だった。おそらく、健太が立ち上がる素振りをしているのが視界に入ったことで、口にしないと健太が撃たれてしまうかもしれない可能性を考えたのだろう。いつも他人のことを気遣う、ある意味雅人らしい行動だった。

 

「……出発していいよ、須田くん」

 

 宣誓を終えた雅人に、担当官は優しく声をかける。そういえば、担当官は雅人に対して、先ほどからひどく優しい言葉をかけているような気がする。不平等が嫌いと言っていた割には、行動は伴っていない。もしかして、雅人に対して負い目でも感じているのだろうか。祐平を部下である兵士が殺してしまったことで。

 そんな担当官の言葉に返事はせずに、雅人は黙ったまま歩き出した。教室のドアまで歩いていき、兵士からバックを受け取った後、そのまま静かに出ていった。その間、誰とも目を合わせることはなかった。

 

――大丈夫だよね……? 待っててくれる……よね?

 

 そんなことを願いながら、次々と出発していくクラスメイトを、あかねはただ黙って見送った。何かしら声をかけたいという衝動を、必死に心の内に押さえつけたまま。

 

 多くの人間が仕方なくといった感じで宣誓する中、小山内あやめ(女子3番)は、渚と同じようにハキハキといった調子で宣誓をし、 堂々と教室を出て行った。

 先ほど雅人を止めた健太は、いつもと何ら変わりない様子で出発した。宣誓も淡々とすませたといった感じですませ、特に急ぐ様子もなく、静かに教室から出て行った。

 前後して出発した人物。なぜかいつも以上にひどく落ち着いた様子だった下柳誠吾(男子7番)、いつも同じようにやる気のなさそうな調子で宣誓した五十嵐篤(男子2番)、そしていつもよりも一トーン低い声で宣誓した古賀雅史(男子5番)は、なぜかひどく印象に残った。どうしてなのか分からないけれど、第六感みたいなものが働いたのかもしれない。

 

 そして、仲のいいメンバーも前後して次々と出発していく。十七番目に出発した五木綾音(女子1番)は、表面上は落ち着いた状態で淡々と宣誓をすませた。そして、あかねや他のメンバーらと一通り視線を交わした後、静かに出て行った。その様子は、こちらが安心感を覚えるほどひどく頼もしいものだった。

 綾音から間一人挟んでの出発だった園田ひかり(女子11番)は、祐平の遺体が近くに倒れていたせいか、誰が見ても分かるくらいひどく動揺していた。震える声で宣誓をした後、誰とも視線を会わせないまま、逃げるかのように教室を飛び出していった。

 二十四番目に出発した鈴木香奈子(女子9番)は、とても不安そうな表情をしていたけれど、泣いてはいなかった。震える声でしっかりと宣誓をし、一度だけ教室中を見回す。あかねと視線が合ったとき、こちらが頷いて見せると、香奈子もしっかり頷き返してくれた。そして、ゆっくりと教室を出て行った。

 香奈子の次の出発だった羽山早紀(女子15番)は、いつもと変わらないように見えていた。けれど、あかねが話しかけようとしたら、避けるかのように急いで教壇へと歩いていき、静かに宣誓した後、そのまま同じペースで歩いて出て行った。その様子に一抹の不安を覚えたが、それは頭から全力で振り払う。

 

 そうやって、もう二十人以上のクラスメイトを見送った。そして、次第に空席が目立つようになる。もう残っているのは、自分や日向を含めて八人ほどしかいなくなっていた。

 

「次、女子13番辻結香さーん!!」

 

 そして、ついに目の前の親友、辻結香(女子13番)の名前が呼ばれる時がきた。

 

「結香……」

 

 席を立とうとする結香の腕を、思わず掴んでしまう。外で待っててほしい。きっと他のみんなも待っているから。そう伝えようと思った。そしたら、結香も安心して待ってくれるのではないかと思った。けれど――

 

「無駄話をするな。とっとと出発しろ」

 

 声をかけようとしたその瞬間、冷たい声が聞こえる。それは、あかね達の目の前で祐平を射殺した笠井兵士のものだった。次の瞬間、担当官が鋭い視線を送ったことで二の句が継がれることはなかったが、それによりあかねは言おうした言葉を一瞬にして呑みこんでしまった。

 

「ゆ、結香……」

 

 やっとの思いで絞り出された声は、ただ親友の名を呼ぶだけに留まった。結香も振り向いて、必死で何かを伝えようとしている。

 

「あかね……」

 

 その声色は、いつもの結香と何ら変わりなかった。けれど、やはり 出発するのが不安なのか、少しばかり声が震えている。そんな結香を見て、安心させてやりたいと思った。私はこんなのに乗らないから。外できっとみんな待っていてくれるから。だから――

 

「あ、あのね……出て行ったら……」
「うん、分かっているから。それ以上言わないで。でないと――」

 

 “でないと、あかねまで殺されてしまうから”。結香が言いたい言葉の意味を察し、あかねはそれ以上言葉にはしなかった。それに安心したのか、結香が少しだけ笑顔を見せてくれる。ぎこちないけれど、いつもの結香と変わらない、優しくて温かい笑顔だった。

 そして、結香は視線を前へと戻し、そのまま静かに教壇へと歩いていく。宣誓を口にした後、一度だけあかねの方を振り向いてくれた。待っててくれる。そう信じ、あかねは結香の背中を黙って見送った。

 

 それから、いつもと同じような調子で明るく宣誓した真田葉月(女子8番)と、ふてくされたような感じで宣誓した妹尾竜太(男子10番)を見送る。そして、ついに自分の名前が呼ばれる時がきた。

 

「女子14番東堂あかねさーん!! 教壇まで来て下さーい!」

 

 ようやくみんなに会える。きっとみんな自分が出てくるのを待ってくれている。そう信じ、震える身体を無理矢理奮い立たせ、あかねは教壇へと歩いていった。

 

――大丈夫……! きっと希美も理香子も、綾音やひかりや香奈子や、結香や須田くんだって待っていてくれる。早く合流して、この状況をどうにかするための案を考えなくちゃ……!

 

 それだけが支えだった。そうやって、一人で出発する不安を打ち消していた。もう自分を除けば四人(死んだ祐平を含めれば五人だが)しかいないガランとした教室に、教壇へと歩いていく自分の足音だけが響く。それだけ、残っている人間が少ないのだ。

 

「では、宣誓してくださーい!」

 

 そう思った矢先、みんなと同じように、担当官が宣誓を促してくる。あかねは、そのまま宣誓を口にしようとした。言っても絶対乗らないのだから、ただ言うだけなのだから、この行為に意味はない。自分にとって、これは出発するための過程にすぎないのだ。そう思いこませ、口を開く。

 

「私達は……ころ……殺し合い…を……」

 

 けれど、言おうとするたびに、勝手に涙が溢れてきた。“殺し合いをする”。その一言が、どうしても口から出てこない。こんなひどい言葉を口にすることを、全身が拒否しているようだった。

 

――言わなきゃッ……! みんなが待っているんだから、言って早く出発しなくちゃッ……! これはただの言葉なんだから、私は絶対しないんだからッ……!

 

 そう思いこませ、何度も何度も宣誓しようとした。けれど、何度やっても言葉は形を成さなかった。それどころか嗚咽がこみ上げてきて、涙は頬を伝う。それに伴い、一層言葉尻ははっきりしなくなっていく。

 

――言えない……やっぱり言えないよ……。こんなひどい言葉、言えないよ……。なんで殺し合いなんかしなくちゃいけないの……? どうしてクラスのみんなと戦わなくちゃいけないの……? 同じクラスの仲間なのに……。

 

 焦る気持ちとは裏腹に、言葉はまったく出てこなくなってしまった。そうしている間にも、時間はどんどん過ぎていく。きっと今頃、みんな自分が出てこないことに心配している。だから早く言わないといけないのに、気持ちばかりが先走りしてしまう。それでも、一向に言葉が口から出てきてくれない。

 

「あかね、大丈夫だ」

 

 そんな中、聞き慣れた声が耳に届いた。それは、物心ついたときからずっと一緒にいる、幼馴染である槙村日向のものだった。

 

「感情のこもらない言葉に意味はない。口先だけで言われるお礼の言葉に意味がないのと一緒だ。音読するとか、原稿を読むつもりで言えばいいから」

 

 幼馴染の日向だからこそ言える、あかねの気持ちを察した言葉。きっと言えないのは、宣誓の言葉そのものに拒絶反応を示しているからだと、日向は分かってくれている。そんな優しい日向の言葉で、少しだけ胸のつかえがとれたような気がした。

 

「わ、私達は、こ、殺し合いを、する。やらなきゃ、やられる」

 

 日向の優しい言葉で、あかねはようやく宣誓を口にすることができた。大丈夫。この言葉に、何の感情もこめていない。ただ言っただけだから、意味がない。日向もそう言ったから大丈夫。

 

「……東堂さん。出発していいよ」

 

 中々言えないあかねの気持ちを察したのか、宣誓を言うまでに時間がかかったあかねを怒るわけでもなく、担当官は静かに出発を促してくれた。そのまま出発しようとしたけれど、思うところがあって一度だけ教室全体を見回す。

 

 右斜めを見れば、幼なじみの日向、その真後ろには心配そうに視線を送ってくれる宮崎亮介(男子15番)がいる。二人とも、あかねが視線を向けると、一度だけ頷いてくれた。それで、少しだけ緊張感がほぐれるのが分かる。

 あかねの座っていた列の一番後ろに座っている籔内秋奈(女子17番)は、こちらに視線を向けてはおらず、俯いている状態だった。心なしか、顔色が良くないように見える。もしかしたら、具合でも悪いのだろうか。そういえば、秋奈は慢性的なひどい生理痛の持ち主だった。もしかしたら、その症状が出ているのかもしれない。

 左側に視線を向ければ、あかねの次に出発する北村梨花(女子5番)が不機嫌そうな表情で座っている。わざとあかねに視線を合わせないかのように、何もない廊下の方をじっと見ていた。でも、梨花だって悪い子じゃない。話せばきっとわかってくれる。先ほどは仲のいい久住梨華(女子6番)にきついことを言っていたけれど、友達だから本当は梨華のことが心配なはず。

 

 きっと、みんな殺し合いなんかしない。そう信じようと、固く心に誓った。

 

 出口で兵士からバッグを受け取り、あかねは足早に教室から外へ一歩踏み出した。そして、小走りで廊下を駆け、階段は一段飛ばしで下りていった。逸る気持ちが、自然とそうさせていた。

 

――早く行かないとッ!! みんな待ちくたびれているだろうし!!

 

 玄関にたどり着くと、そこにいた別の兵士に、顎で靴のある場所を示される。そこで靴に履き替え、上履きは先ほどまで靴が置かれてあったところに放り込んでおいた。トントンと右足のつま先で地面を二回たたき、一度だけ深呼吸をする。

 

――よしッ! 行こう!

 

 意気揚々と玄関から一歩踏み出し、校舎から外へ出た。真冬らしい冷たい風が頬を撫で、夕方から夜に変わろうとしている時間のせいか、全身から鳥肌が立つほどに寒く感じる。けれど、そんなことは、あかねにとってはどうでもよかった。それよりも、大事なことがあったから。

 

 バッグから懐中電灯を取り出し、周囲を照らしてみた。そこで、外の様子を確認する。みんながどこにいるのかも。 

 

「みんな?」

 

 玄関から一歩出れば五段ほどの小さな階段があって、そこを降りれば、ほど近い真正面に男女別にトイレがある。そのトイレの前は外廊下になっているのか、二人ほど通れるだけのスペースの先に、あかねの腰の高さほどの小さな壁があった。それよって、外とは一線を介しており、あかねとトイレの間を隔てる形にもなっている。左手の方角には大きな建物が二つ、右手には大きな広場みたいなものがあるようで、どうやらその先が校門となっているようだった。玄関からでは、校門までは見えなかったが。

 けれど、あかねにとって周囲の景色などどうでもよかった。何度も周囲を照らしても、何度声をかけても、返事も反応も返ってこないことが重要だった。トイレと自分の間にある壁の向こう側を除いてみても、誰もいない。風が吹き抜ける音がやけに大きく聞こえ、その風が一層自分の体温を下げていくような錯覚にすら陥る。しばしそこに立って同じことを繰り返しても、結果は同じ。

 

 そう――そこには、誰もいなかったのだ。

 

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