「……大丈夫……ではないよな」
夢みたいだ。自分の顔をのぞき込む彼――古賀雅史(男子5番)の姿を見て、細谷理香子(女子16番)はそんなことを思った。
いくら禁止エリアで動ける範囲が狭くなったとはいえ、この広い島の中だ。特定の誰かに会えるなんて、増してや意中の相手に会えるなんて、いくらも願っても不可能だろうと心のどこかで諦めていた。それこそ奇跡に近い出来事だと思っていたから。
会わないつもりだったのに、いざ会ってみると嬉しく思ってしまう。そんな自分の感情に疑問を覚えながらも、抑えることはできなかった。
「古賀……くん……。あの……怪我は……」
「俺は、大丈夫だ。どこも怪我してない」
「そう……よかった……」
彼に怪我ないことを確認した途端、安堵の気持ちが湧き上がっていた。もしかしたら――もしかしたら、誰かに襲われて怪我をしているかもしれない。最悪の場合、殺されてしまっているかもしれない。そんな不安は、プログラムが始まった時から、ずっと心の奥底につきまとっていたから。
「誰に……やられた?」
少しの間をおいて発せられた彼の言葉で、ハッとした。そうだ、言わなくては。今一番伝えなくてはいけない、大事なことを。
「八……木……」
「八木に、やられたのか?」
「そ、そう……。あいつは……銃を持ってる……」
彼の安否が確認できたのなら、理香子を撃った犯人の名前を。危険な人間の存在を。とにかく、八木秀哉(男子16番)には近づかないように、彼にできる限りの警告を。
「気をつけて……」
私個人の感情なんて、この際どうでもいいから。事実だけを、彼に。
「分かった……。教えてくれて……ありがとう……」
視界いっぱいに映る彼の表情は、今まで見たことがないほど歪んでいる。歯を食いしばって、いつも以上に眉間に皺を寄せて、まるで何かに耐えているかのように。
こんな表情、見たことがない。こんなにも苦しそうで、こんなにも辛そうな彼を、私は知らない。
――もしかして、私が死ぬことを……悲しんでくれるの……?
彼が、私個人に特別な感情を抱いているという確証なんてない。いや、仮にそうだったとしても、その思いに応える権利など私には存在しない。身勝手な理由で三人も殺し、大切な友人を裏切り続けた。そして、たった一人だけ生き残ることを望んでいないであろう彼に、優勝者という枷を押しつけようとした。誰よりも自分勝手で、誰よりも他人を省みない私には。
でも――それでも、もしそうだったとしたなら。これから地獄に堕ちる私には、もったいなさすぎる好意だ。三人も殺した私を、友人を裏切り続けた私を、そんな風に思っていてくれたのなら、こんなに嬉しいことはない。いっそ伝えておけばよかったとか、人を殺さずに彼を探すことだけに専念し続ければよかったとか、別の後悔が浮かんでくるけど、涙が出るほど嬉しいことに変わりはない。
この想いを伝えることは、もうない。そしておそらく、彼から告げられることもない。確証は何一つない。けれど、どうせもうすぐ死ぬのだから、せめてひとかけらの希望だけでも。たとえそれが都合のいい解釈でも、今だけはささやかな夢を。
そう思ってしまう私は、わがままなのだろうか。人を殺しておきながら、それでも幸せな夢をみたいと願うほどに。
「あの……ね……。古賀くん……」
「……俺はここにいる。だから、ゆっくりでいい……」
ああ、なんて幸せなんだろう。大好きな人が、こうして私を見てくれる。死にゆく私の言葉を、ちゃんと聞いてくれる。たった一人しか生き残れない、プログラムという状況下で。まだ命を狙う輩がいるという、この極限状態の中で。
さっきは都合のいい夢を見たいと願ったけど、もういい。彼がここにいるという、その事実だけで、私は満足だ。
「生きて……ね……」
だから、どうか神様。彼を死なせないでください。私は、もう何も望みません。地獄に堕ちてもいい。消えてなくなってしまってもいい。私のことなど、どうでもいいから。
「生きてね……。生きて……幸せになってね……」
どうか、彼を、元の場所に帰してあげてください。そして、生きられなかったみんなの分まで、彼に幸福を与えてください。
「細谷……」
彼の表情が、一層険しくなる。同時に、視界がゆっくりと色あせていく。ああ、もうすぐ死ぬのか。もう、残された時間はわずかなのか。白く染まっていく景色に、彼が溶け込んでいくのを見つめながら、ゆっくりと目を閉じる。
目を閉じて思い返すと、色んな出来事が走馬灯のように蘇る。我ながら、充実した人生だったと思う。たった十五年しか生きられなかったけど、たくさんの友人ができた。好きな人もできた。大人になることも、親孝行することもできずに死んでしまうけど、それでもどこか満ち足りた気持ちで死ねるのは有難いことかもしれない。目的は果たせなかったけど、多くの人を傷つけてしまったけど、死ねばもう――人を殺すこともないのだから。
『本当は、理香子だってしたくないんでしょ? したくもないことを、無理にする必要なんてどこにもないんだよ!!』
泣きながら必死で声をあげていた、数時間前の東堂あかね(女子14番)の姿が蘇る。したくないこと――確かにそうだった。いくらルール上仕方ないこととはいえ、人を殺すことは辛かった。何度も泣いたし、何度も止めたいと思った。
それでも、自分で考え、自分で決めたことだ。だから――
――後悔なんて、しない。絶対に。
だから、最期に思うことは一つだけ。懺悔でも、後悔でも、願いでも恨み事でもない。私個人の、これまでの歩んできた人生の、純粋な――本心を。
――もう、思い残すことはありません。人を殺したこと以外、悔いもありません。私の人生は、とてもとても幸せでした。
穏やかな気持ちのまま、眠ったような静かな表情のまま、細谷理香子はそのまま息を引き取った。恨まれ、憎まれることを覚悟した彼女の最期は、本人が思うよりずっと静かに、幸せな形で訪れていた。
女子16番 細谷理香子 死亡
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