二者択一

 

「久しぶりだな、学」

 

 端的に発せられたこの言葉に、背後にいるはずの友人――冨澤学(男子12番)は返事をしない。そんならしくもない友人の行動に、古賀雅史(男子5番)はまた少しだけ小さくフッと笑った。

 しばらくして、カサッカサッという草を踏みしめるような音が聞こえる。それは少しずつ大きくなって、もう耳を澄まさなくても聞こえるほどに周囲を響かせていた。

 

「……久しぶり……だね」

 

 幾度かの足音の後、ようやく背後の人物は口を開く。その声は聞き慣れたもので、かつとても久しぶりに聞くものだった。

 

「よく分かったね……僕だって……」
「まぁ、何となく……な」

 

 久しぶりだからだろうか、どこか会話がぎこちない気がする。週末に会うような関係ではなかったから、二、三日会わないことは珍しいことでも何でもない。なのに、月曜の朝に交わす会話とは、空気もなにもかもが違う。

 別れてから会うまでに、互いに色んなことがありすぎたせいだろうか。

 

「そこに倒れているのは、細谷さんなんだね……?」
「あぁ……」
「……そっか」

 

 雅史の心中を推し量ってか、学はそれ以上何も言わなかった。ただ一人雅史の想いを知っていただけに、色々思うところがあるのだろうか。それは、秘密を知っていた者としてか。それとも、友人としてなのか。

 どちらにしても、プログラムという状況において、彼の心中はとても複雑なものだろう。

 

「一つ、聞いてもいい?」
「ああ」
「間に合った……の……?」

 

 思いがけない学の問いかけに、グッと言葉に詰まる。間に合ったのか否か――どういう観点から、その質問には答えるべきなのだろう。学は、一体どちらの答えを求めているのだろう。

 

 細谷理香子(女子16番)の顔を、じっと見つめる。“彼女を死なせない”という意味では、間に合わなかった。“看取ることができた”という意味では、間に合っている。死ぬ前に会うことはできても、盾となって守ることはできなかった。少ない会話を交わし、彼女が得た情報をまったく無駄にしなかっただけ。看取ったといっても、できたことはたったそれだけ。

 そもそも、看取ることができたとして、それが一体どれだけの救いになるのだろう。適切な治療を施すこともできず、死ぬという現実は変えられないまま、ただ指を加えて見ているだけにすぎないことを、果たして“間に合った”といえるのだろうか。

 さんざん考え、たっぷり数分ほど時間をかけて悩み、最終的にはこう返答した。

 

「間に……合わなかったよ……」

 

 結果的に死なせてしまったのだから、いくら看取れたとしても、それはもう手遅れだ。死に際に少しだけ会話できたとしても、それが多少の救いになったとしても、決して“間に合った”とは言えない。

 たった一言――「好きだ」という言葉すらかけられなかったのだから。言ったところで、それはただ悲しみに上塗りするだけだったから。

 

「そっか……」

 

 学がどれだけ意味を理解できたかは、分からない。けれど、その一言が軽い気持ちで発せられたものではないということだけは、はっきりと分かる。それが分かっただけでも、幾分か救いにはなった。

 少しだけ心が軽くなったと同時に、言わなくてはならないことを思い出した。一度深呼吸をして気持ちを切り替えてから、静かに、けれど学に聞こえるように、先ほどよりもはっきり言葉を口にする。

 

「八木だ」
「えっ……?」
「細谷が、言っていた。八木にやられたと。銃を持っていると。だから、あいつには気をつけろ」

 

 彼女が今際の際に教えてくれた、有力な情報。八木秀哉(男子16番)に殺されたこと。彼が、銃を持っていること。やる気であるかどうかは言わなかったが、少なくとも襲ってくる可能性があるということ。

 秀哉が、なぜ理香子を殺したのか。それはもう分からないし、分かりたくもない。やる気だったのかもしれないし、もしかしたら事故かもしれない。ただ一つだけはっきりしているのは、秀哉には気を付けるべきだということ。彼の身体能力は取るに足らないが、銃を持っているのならそれはあまり関係ない。現に、運動神経の良い彼女を殺したのだ。そして彼の性格上、人を殺したことで精神的に混乱していたとしてもおかしくない。冷静な判断ができない人間は、この場合何をしてくるか分からない。理屈ではないこともするだろうし、突飛なこともするだろう。死にたくないのなら、注意するに越したことはない。

 

『俺は、誰も殺さないし、こんなの認めない!!』

 

 そういえば、あいつは――須田雅人(男子9番)はどうしているのだろう。まだ、放送で名前は呼ばれていない。けれど、彼の思いとは裏腹に、プログラムはどんどん進んでいる。精神的にあまり強いとは思えない彼が、秀哉と同様に混乱していても、おかしくはない。

 いや、そうでもないかもしれない。雅人は、はっきり「認めない」と言っていた。状況がどうあれ、彼は最後まで諦めないかもしれない。雅史としては、そう信じていたい。だからこそ、あんな形で発破をかけてしまったのだから。有馬孝太郎(男子1番)のことはずっと知らないままで、まだ生きている東堂あかね(女子14番)に会えれば、きっと彼は大丈夫だろう。

 雅人には、味方がいる。信じてくれる人がきっといる。それは、たった一人で戦い続けるよりもずっと難しいことで、ずっと救いのあることだ。自身の願いと矛盾してしまうが、雅人にはこれからも頑張ってほしい。死ぬにしても、自分のような後悔などしないように。

 

「あと、有馬のことだが……」
「知ってる……よ……。橘さんから……聞いた……」
「そうか……それならいい」

 

 もう一つの有力な情報を伝えようとした時、学の方から遮られた。そうか。学は、橘亜美(女子12番)に会ったのか。言い方からして、おそらく雅史よりも後だろう。なら、雅史が聞いたことは、おそらく学も全て知っている。

 学が彼女にいつ会ったのか。どのような会話をしたのか。そして――最終的に彼女を殺したのか。それは分からない。けれど、現時点で呼ばれていないことを踏まえれば、おそらく彼女がうまく立ち回って、学が手を汚さないようにしてくれたのだろう。これも矛盾するが、彼女にも感謝しなくてはいけない。

 

――まぁ、橘には目的があったからな。死ぬわけにはいかなかったというのが大きな理由だろうが。

 

 他に伝えるべきことはあっただろうか。あったとしても、雅人と下柳誠吾(男子7番)が銃を持っていることくらいか。しかし、伝えたところであまり意味はないと判断し、これ以上は言わないことにした。ここまで人数が減ったのだから、誰がどんな武器を持っていてもおかしくない。それくらい、学にも分かっているだろうから。

 伝えるべきことは、もうない。だからこれから言うことは、生き残るための情報ではない。

 

「学」

 

 これから言うことは、今まで言えなくて、けれど一番言いたかったこと。それは、これからも生き続ける彼が、少しでも笑って過ごせるように。一人で帰った後も、罪悪感に苛まれ続けないために。

 

「俺は、ずっとお前のことを尊敬していた」
「えっ……?」
「お前はどうして、なんて思うかもしれないが、俺はお前をずっと強いと思っていた。お前は自分が弱い人間だと思っていたかもしれないが、自分が弱いと知っている人間は、そしてそれを免罪符にしない人間は、きっと誰よりも強い。俺にはないその強さが、心のどこかで羨ましいと思っていた」

 

 照れくさいと思っていたのに、いざ口にすると思ったよりもスラスラと言葉が出てくる。かといって、もっと前に伝えておけばよかったなんて思わない。多分、これが最後だと分かっているから、もう二度と言葉を交わさないと分かっているからこそ、すんなり出てくるのだ。

 

「帰れるのは、たった一人。だから、もう一緒にはいられない。けれど……」

 

 言いながら、ポケットに無理矢理突っ込んでいたスタンガンを取り出し、そっと地面に置いた。背後で、息を呑む音が聞こえた。

 これは、必要のないものだから。武器も、救いも、未来も――もう自分には必要ない。

 

「これから何があっても、それでも俺は、ずっとお前の友達だ」

 

――それだけは、何があっても変わらない。

 

 プログラムに選ばれたと知った時、友人がどんな行動に出るのか予測した時、自分は生き残ることはできないだろうと思っていた。身体能力うんぬんの前に、決定的に欠けているものがあったからだ。

 

 他人を蹴落としてでも生き残りたいという、誰よりも強い生への渇望。

 

 命を差し出してでも叶えたい願いが、二つあった。二つあったからこそ、これまで彷徨うことしかできなかった。仮に自身の命を差し出しても、二つ両方を叶えることはできなかったから。

 けれど、その内の一つが今消えた。なら、もう自分が取るべき選択肢は一つだけだ。

 

――俺には、もう生きる理由がない。そしてお前が生き残る上で、俺は邪魔な存在なはずだ。

 

 学は、返事をしなかった。すぐに動きもしなかった。おそらく、迷っているのだろう。自身の願いを取るか、友人の命を取るか。

 どれが一番いい選択肢だなんて、分かっているはず。なのに彼が動かないのは、おそらく自身の良心とか、そういうものと葛藤しているからなのだろう。ここまで生き残っていて、おそらく人も殺しているはずの学が、出会って数ヶ月の友人を殺すことすら躊躇っている。それは、ある意味弱さであり、そしてある意味彼の強さだ。そうして迷う学だからこそ、尊敬の念を抱けるほどの友人になれたのかもしれない。命を差し出してもいいと思えるほどに。

 お互い、言葉を発することはなかった。故に、沈黙がしばらく続いた。息苦しくなるほどの、重い重い沈黙。それでも、気持ちは先ほどより幾分か軽い。全てを投げ出し、ただ終わりを待つということが、こんなにも穏やかなものだとは思わなかった。

 彼女も、最期はこんな気持ちだったのだろうか。

 

「雅史……」

 

 長い長い沈黙を経て、学が口を開いていた。聞き取れるかどうかすら怪しい、とても小さな声。けれど、そこには覚悟と決意が滲み出ていた。

 

「僕……も……。ううん……僕は……僕……は……」

 

 嗚咽混じりの声が、耳に届く。泣き顔を見たことはないけど、きっと今は泣いているのだろう。泣くほどに、友人として大切に思ってくれていたのだろうか。そうだったなら、とても嬉しい。

 生きるために、人を殺す。それがたとえ、大切な友人であったとしても。頭では理解し、仕方がないと割り切っていても、心のどこかでは受け入れられない。それでも殺さなくては、自分以外全員死ななくては、生き続けることができない。たとえ手を汚していなくとも、数か月一緒に過ごしたクラスメイトの死は、枷として一生つきまとう。優しい人ほど、大切な人が多いほど、その枷は重く、そしてすぐ近くに存在している。もしかしたら、二度と笑うことすらできなくなるかもしれない。

 それが、プログラムの最も残酷な部分。だからこそ、雅史は頭で理解した瞬間、心で受け入れることを拒絶した。大切な人を二人失うことより、自身が死ぬことを選んだ。

 その方が――ずっと楽だったから。生き続けるために人を殺すことを選んだ学とも、信念を貫いてプログラムを壊そうと足掻いている雅人とも、まったく異なる道を選んだのだから。

 

 足音が聞こえる。どんどん近づいて、他の物音をかき消していく。鳥の羽ばたく音も、風が吹く音も、木々の葉がこすれあう音も。

 足音を聞きながら、それが止まるのを待ちながら、死んだ理香子の顔にそっと触れる。白くて、綺麗で、どこか無機質な陶器のような肌を。そして一筋伝ったであろう、涙の跡を。

 彼女がこれまでどう過ごしてきたかは、分からない。プログラムに乗ったかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。一つだけ確信できるのは、彼女が自分の意志で決め、そして一人で行動してきたであろうということ。その意志の強さと、他人に縋らない凛々しさこそが、自分が好きになった細谷理香子という人物なのだから。

 

――守れなくて、ごめん。本当に、とても、好きだったよ。

 

 だから、同じところにいけるのなら、どこまででも追いかけていこう。それがたとえ天国であろうとも、地獄であろうとも。彼女にもう一度会えるのなら、場所はどこだってかまわない。

 そしたら、今度こそ伝えよう。生きている間に言えなかった、素直な気持ちを。どんな答えであったとしても、想いだけは伝わるように。

 

 足音が止まる。代わりに、嗚咽が聞こえる。すぐに頭に手を置かれるのとほぼ同時に、首に熱と痛みを感じた。丁度首輪の少し上、うなじのあたり。少ししてブシュッという何かが噴き出す音が聞こえ、生暖かい液体が自身を、周囲を容赦なく真っ赤に染めていく。自身で支えられなくなった体は、頭から手を離された瞬間、重力に従って地面へと倒れていった。少しだけ笑みを含ませた、誰が見ても穏やかな表情のまま。すぐ近くで倒れている理香子に、寄り添うかのように。

 痛みを感じた時点で、雅史の生命反応は消えたはずだった。それでも感覚が残っていたのは、彼の意識がどこかに残っていたせいなのか。それともただの錯覚だったのか。

 その答えは、誰も、本人ですらも、永遠に知ることはない。一つだけはっきりしていることは、そこに立っている一人の人物が、顔をグシャグシャに歪めて、ボロボロと涙をこぼし続けていることだけだった。

 

男子5番 古賀雅史 死亡

[残り7人]

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