蓋を開ける

 

 夢を見ていた。

 厳密に言えば、それはただの夢ではない。わずか数ヶ月前に起こった、現実の出来事だ。

 

『花火きれーだね! 雅兄ッ! もっとよく見たいー! 背伸びー』
『おい、将太。あんまりはしゃぐなよ、落っこちるぞ。須田……大丈夫か?』
『な、何とか……』

 

 それは、夏のある日のこと。学校のない、夏休みの最中にあった特別な日のこと。

 肩にかかる決して軽くはない重みと、視界に広がる鮮やかな光景と、耳に届く聞き慣れた声。

 全てが鮮明に、まるで昨日のことのように、写真に写したかのように、思い出せる。

 

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 場面は変わる。鮮やかな光景が一変し、無機質な白い空間へ。肩に掛かる重みは消え、どこにでも飛んでいけそうなほど身体は軽く。

 そして目の前には、見慣れた人物がいた。

 

「須田」

 

 目の前の人物が、静かに口を開く。いつもの朗らかな空気など微塵もない、重々しく厳粛な雰因気を携えて。

 雅人は、咄嗟に口を開こうとした。彼には、言わなくてはいけないことがたくさんあった。言うべきことは浮かんでいる。口も動かせるはず。なのに、相手に伝えるべき言葉を紡いではくれない。

 

「もう、いいんだ」

 

 目の前の彼は、ただ一言そういった。それが、どういう意味を指すのか。考えるまでもなく理解した。

 だからこそ、言わなくてはいけないと思った。伝えたいと思った。それでも、言葉が口から出てくれることはない。

 

「俺はもう、いないんだから」

 

 泣いているかのように笑い、彼はまた一言そう言った。その瞬間、世界はグニャリと揺れる。

 

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 場面は、また変わった。今度は、現実へと。

 須田雅人(男子9番)は、視界に映る岩の壁を少しの間見つめ、今し方見た夢のことを思い出す。夢というにはあまりに鮮明で、そして不可思議な出来事のことを。

 

『もう、いいんだ』

 

 あれは、ただの夢だったのだろうか。それとも、彼が夢枕に立ってくれたのだろうか。死んでなお、雅人の身を案じてくれていたのだろうか。

 悔しかっただろうに。帰りたかっただろうに。どうして、他人である自分のことなんか――

 

「スーッ……スーッ……」

 

 雅人の思考を遮るかのように、すぐ近くから寝息が聞こえる。右隣を見れば、東堂あかね(女子14番)が、静かに眠っていた。左半身を下にし、顔をこちらに向けた体勢で。安心しきったかのような穏やかな表情で、まるでいい夢でも見ているかのように。そしてその右手は、雅人の右手と繋がれている。

 

『私はッ……! 本当に……本当に須田くんと一緒にいたいのッ……! 須田くんと一緒に……生きて帰りたい……! もう……大切な人が死ぬのは……絶対に嫌なのッ!!』

 

 嬉しかった。必要とされていることも、信じてくれたことも――大切だとはっきり言ってくれたことも。クラス委員の仕事で、彼女の足を散々引っ張ってきた。なのに、真正面からそう断言してくれたことが、涙が出るほどに嬉しかった。

 嘘をついたことも、何も持たずに丸腰で会ってくれたことも、全部雅人のため。あかねにしても、失ったものは多く、幾度となく辛い目に遭ったはずだ。それでも信念を曲げず、まっすぐに立ち続けた。それは言うほど簡単ではなく、そして何よりも勇気のいったことだろう。

 

――やっぱり、東堂さんはすごいな。俺なんか、全然かなわない。辛いことだって、きっとたくさんあっただろうに……

 

 思わず、ギュッと手を握り返す。まだ、彼女の気持ちには応えられていないけど、宣言した通りこれから頑張ろうと思った。死にたくないのは変わらないけど、それでもみんなを殺すことだけは、絶対にしたくないことだから。

 

『甘いんだよ、そんな考えは』

 

 ふと、古賀雅史(男子5番)の言葉を思い出す。言われたときは、あまりにショックだったせいか、ただ否定することしかできなかった。けれど、あれから一日以上経ち、色んなことがあった今となっては、彼の言葉を素直に受け止めている自分がいる。

 誰も殺したくない。死にたくもない。それは今でも変わっていない。けれど、それをただ振りかざすだけでは、何も変わらないことも分かってしまった。理想をただ口にしていても、それに実行力が伴わない限り、机上の空論でしかない。おそらく、雅史はそれを言いたかったのだろう。現実を受け入れることもせず、ただ拒絶しているだけでは、何もできないし、いつかは誰かに殺されると。

 雅史がやる気だったなら、おそらくあの時点で終わっていただろう。もしそうだったとしたら、きっと自分は恨みと後悔だけを抱いたまま死ぬことになっていたに違いない。それは、あのときも、そして今も、一番望まない結末だ。何もできないまま、ただ死んでいくことだけは、それだけは――

 

『死にたくないなら、その甘い考えを捨てろ。でなきゃ、このクラスの誰かに殺されて、お前は確実に死ぬぞ』

 

 隣のあかねを見て、そっと手を離す。起こさないように静かに立ち上がり、光の差す方向へと歩いて行った。岩の壁と、大きな出口。ここが家ではなく、どこかにある洞窟のようなところのせいか、少しヒヤリとした空気を感じる。

 外に出れば、少しだけ眩しい光に目を細める。肌寒いけど、日が昇っているせいか少し温かくも感じる。周囲を見渡せば、見慣れた制服を着た人物が、こちらに背をむけるような形で、少し離れたところに座っていた。

 

「橘さん」

 

 声をかければ、その人物はゆっくりと振り返る。橘亜美(女子12番)が、雅人の姿を見て、少し驚いたような表情をしていた。

 

「起きちゃったの? もう少し、休んでもいいのよ?」
「いや、もう大丈夫。ごめん、橘さんばかり負担をかけて」

 

 別にいいわよ、と返す彼女を見ながら、少し前のことを思い出す。

 あかねに救われたあの後、亜美と一緒にいるのだと聞かされ、そして合流した。おそらく二人は、行動を共にした仲間なのだろう。そう思い、開口一番に亜美に謝罪の言葉を告げ、彼女もそれを受け入れてくれた。その後三人で移動をし、今いる洞窟のようなところを発見し、一度休息をしようということになった。一人だった雅人が先に休むことを二人が勧めてくれて、そのおかげでプログラム開始後初めて眠ることができた。

 おそらくその後、どちらが寝るかを二人で話し合い、結果あかねが眠ることになったのだろう。あれからどれくらい経ったか分からないが、見張りなんて身体的、精神的負担が大いにかかるに違いない。故に、交代しようとここまで来たのである。

 

「見張り、代わるよ。橘さんは休んで」
「いや、とりあえずはいいわ」
「あ、俺を信用できないなら……」
「別にそういうわけじゃないわよ。ただね……」

 

 一度言葉を切り、亜美は一瞬洞窟の方に視線を向ける。

 

「東堂さんが起きたら、遠慮なく休もうと思って。須田くんに会う前にも、一度寝てるのよね、あの子。さっきは疲れただろうから休ませたけど、そろそろ私にも休息をくれないかなと。はっきり言うと、いいかげん寝かせろと。まぁあれよ、当てつけみたいなもん」

 

 少しだけ笑いながら、彼女はそう口にした。怒っているような言葉だけど、その裏には確かな信頼関係を感じる。学校でほとんど接点のなかったはずのこの二人が、プログラムという状況下で、互いを信頼している。あかねがあの場に立ち続けていられたのも、亜美が近くにいたからというのもあるのだろう。

 すごいなと思うと同時に、羨ましいとも思った。あかねの人柄ゆえになのか、亜美の優しさゆえなのか。話していると、両方ではないかと思える。亜美のことは、三年間同じクラスであったにも関わらず、ほとんど何も知らない。知らないだけで、彼女は誰よりも優しい人だったのだと。

 

「それに、一人で見張りもつまらないものよ。会話の相手くらい、欲しいでしょ?」

 

 いや、厳密に言えば違う。入学時から感じていた、一種のシンパシー。彼女は、自分とどこか同じような――

 

「そう……だね。じゃあ、東堂さんが起きるまで」

 

 亜美の提案を受け入れる形で、返答した。そして、彼女の隣に腰掛ける。

 

「あの……さっきは……」
「そのことなら、もういいって。そりゃ、まったく怒ってないかといえば嘘になるけど、須田くんにも色々あったんだし。結果的には、全てが丸く収まっているわけだから」

 

 もう一度謝罪しようとした雅人の言葉を、亜美は静かに遮っていた。彼女なりに気遣ってくれたのだと思う。けれど、その言葉に、一抹の懸念を感じざるを得なかった。

 全てが丸く――確かにそうかもしれない。こうして三人一緒にいられることは、三人全員にとっていいはずだ。雅人と一緒にいたいと言ったあかねにとってはもちろん、「須田くんなら、私も信用できるし」と言ってくれた亜美にとっても。そして、仲間が欲しかった雅人にとっても。

 以前の雅人だったなら、きっとこの状況を手放しで喜べただろう。けれど、今は少し違う。プログラムにおいて、最終的に生き残れるのは一人だけ。いくら三人一緒にいても、いつかは最低二人。最悪の場合、全員死ななくてはいけない。

 今は、このままでいい。ただ、いつかは覚悟を決めなくてはならないときがくることも――心の片隅に留めておかなくては。

 

「橘さん」

 

 いつかは、別れる時がくる。それが、しばらく先のことかもしれないし、あと数分後のことかもしれない。だからこそ、その瞬間後悔しないように、できる限りのことはしておかなくてはいけない。たとえ、それがただの自己満足で、かつ身勝手なものだとしても。

 

「話しておきたい……ことがあるんだ」
「私に?」
「うん……」

『もう、いいんだ』

 

 本当は、話さないつもりだった。それが、せめてもの償いのつもりだった。誰にも言えない秘密を抱え、生き続けること。どんな苦痛を伴っていようとも、誰とも共有しないこと。死んだ彼に何もできない、非力な自分にできるのは、これくらいだったから。

 その行為に、何の意味もないことは分かっていた。ただ、そうでもしないと、自分で自分を赦すことができなかった。何かしらの形で罰を与えなくては、きっとここに居続けることはできなかった。

 

『俺はもう、いないんだから』

 

 けれど、今は話さなくてはいけないと思った。自分と同じ理由でここにいるであろう彼女に、伝えたいと思った。そして、それで少しでも雅人が楽になることが、彼が真に望んでいることなのだと。

 

「橘さんは、寿小学校出身なんだよね……? 公立の……」
「……え? まぁ、そうだけど……」
「ずっと気になっていたんだけど……。どうして、この学校に来たの……?」

 

 雅人の質問に、亜美は一瞬だけ目を丸くする。それは、意外なことを聞かれたせいなのか。それとも、あまり聞かれたくないことを言われたせいなのか。

 

「俺は……プログラムに選ばれないためなんだ」

 

 だから、自分から話す。今までたった一人を除いて言わなかった、自身の過去のことを。

 

「怖かったんだ……。このまま中学三年生になって、プログラムに選ばれたらって……。もし選ばれたら、きっと俺は生き残れない。生き残れるような人間じゃない。だから、誰かに殺されるんだろうって……」

 

 小学四年生で初めてプログラムのことを知って、それがクラスメイトとの殺し合いだと理解したときから、ずっと怖いと思っていた。いくら交通事故に遭うくらいの低い確率だからといって、絶対選ばれないという保証はどこにもない。現実にニュースで報道されている以上、それは確実に存在しているのだから。

 

「だから、必死で調べたんだ。プログラムに選ばれないためには、どうしたらいいんだろうって。そしたら、たまたま福岡では私立は一度も選ばれていないことを知って、それで私立ならきっと大丈夫だって思って……。必死で親を説得して、特待生ならという条件で私立を受験したんだ」

 

 雅人は、元々そこまで成績がいいわけでもない。だから、特待生という枠を得るために必死で勉強した。可能性があるところは全て受験し、そしていくつか合格することができた。その中から選んだのが、特待生として合格した中で一番偏差値の高い、青奉中学校だった。

 

「ここに入ってからも、必死だった。三年生になるまでに特待生じゃなくなったら、公立に入れられてしまう。クラス委員をやり続けたのも、全部内心稼ぎのため。何とか、特待生で居続けるためだった。向いてないことは、自分でも分かっているよ。それでも、プログラムに選ばれないために、やり続けるしかなかった。他に、方法が思いつかなかったんだ」

 

 選ばれないため。死なないため。考え得るあらゆる手段を使い、できる限りのことをして、特待生という地位を守り続けた。傍から見れば、滑稽だっただろう。必死で内申点を稼ぎ、向いていないクラス委員をやり続け、一体あいつは何をしているのだと思った人間もいるだろう。それでも、かまわなかった。それで、プログラムに選ばれないですむのなら、死なずにすむのなら、周りの嘲笑も軽蔑も全て受け入れるつもりだった。

 けれど、結果的には選ばれてしまった。素直に公立に進学していたほうがよかったと、最初は思った。これまでの努力も、今までの結果も、全て無駄になってしまったのだから。

 

「だからプログラムに選ばれたって分かった時……怖かったし、後悔した。このクラスには、俺なんかより優秀な人がたくさんいる。きっと、生き残れない。どこかで、あっさり殺されてしまうんだろうって。中止すればまだ何とかなるって思ったけど、結果的には何もできなかった」

 

 むしろ、最悪の展開を招いてしまった。自分よりも生き残るべき人が、参加する前に殺されてしまうという形で。あのとき、腹をくくってプログラムに参加することを選び、何もしなければ、彼が死ぬことはなかった。もしかしたら、今でも生きていたかもしれない。

 最悪の事態を避けようと尽力すればするほど、却ってそれを引き寄せてしまう。皮肉なものだ。それでも、最も避けたい「死」だけは、今のところ回避できているのだから。

 

「こんなことしてるのは、俺だけだと思っていた。中学生になって、みんなプログラムのことなんか知らないってくらい、明るく振る舞っていたから。いつか選ばれるかもしれないってビクビクしている俺とは、何もかもが違っていたから」

 

 本音を言えば、他にも同じ境遇の人がいるのではないかと期待していた。一人だけでもいれば、少しは救われるかもしれないと。非力な中学生である自分たちには、何もできないかもしれない。でも、いつか来るかもしれない恐ろしい未来のことを、互いに話せる友人がいれば、何もできなくても気持ちは楽になるだろうと。

 けれど、実際は違った。二、三年後には殺し合いをするかもしれないという未来の可能性を、誰一人として表に出してはいなかった。毎日を楽しく過ごし、当たり前のように卒業できるだろうという仮定で話すクラスメイトらを見て、どこか場違いな気さえしていた。

 

「だから、俺もそのことに極力触れないようにしてきた。プログラムのことなんて考えていないって風に装って過ごしてきた。話さない方が、プログラムに選ばれないかもしれない。いつしか、そんな馬鹿なことまで考えるようになってた。本当は怖くて、不安で、毎日ビクビクしていたけど、忘れようとすらしてた」

 

 特待生に居続ける努力をしながら、プログラムへの恐怖を押し殺して。周りに波長を合わせながら、それでもどこか恐れは拭えずに。

 この三年間、いやプログラムを知った時から、そうやって過ごしてきた。

 

「入学式後の、最初の自己紹介を聞いてから、橘さんもそうじゃないかって、何となく思ってた。確かに、寿小学校出身者は、橘さん以外にもいた。でも、なんというか雰囲気が違ってた気がしていたから。ただ、確信があったわけではないし、直接聞くのは違うと思ってて。だから、今まで触れてこなかったけど――」

 

 今は違う。結果的に選ばれてしまったのだから、隠す意味もない。

 

「言いたくないと……思う。だから、言わなくていい。ただ、橘さんだから、橘さんだけには、話しておきたいことがあるんだ」

 

 答えはいらない。ただ、話を聞いてくれるだけでいい。彼女が自分と同じであったとしても、そうでなかったとしても、きっと真剣に聞いてくれるだろう。彼も、亜美に話すのなら、許してくれるだろう。

 亜美は、返事をしなかった。それは、続きを促してくれているのだと、話を聞いてくれるということなのだと、言葉がなくても理解できた。

 

「もう一人……いたんだ……。俺と同じ理由で、ここに来た人が」

 

 だから、蓋を開ける。ずっと秘密にしていた、過去の出来事を。記憶は鮮やかに蘇り、頭の中では映像が綺麗に再生される。まるで、あのときに戻ったかのように。

 その映像の中で、彼が微笑んだような――そんな気がした。

 

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