一番の理解者

 

「お前、いつから女を押し倒せるほど偉くなったんだ?」

 

 挑発するかのような相手の言葉を聞きながら、橘亜美(女子12番)は心の中で歯噛みした。どうして、こうなる前に気づかなかったのか。いくら寝ていないからといっても、今は見張りという立場でここにいるのだ。本来ならば、誰よりも早く対処しなくてはならなかったのに。

 

 よりによって、最悪の相手――有馬孝太郎(男子1番)の接近を許してしまうなんて。

 

 頭をフル回転させ、必死で状況を整理する。孝太郎は、間違いなくマシンガンで攻撃してきた。須田雅人(男子9番)が咄嗟に庇ってくれたおかげで、亜美に弾は当たっていない。しかし、雅人はどうだったのか。怪我はしていないか。していたとしたら、それは命に関わってしまうものなのか。

 それに、洞窟の中にいるであろう東堂あかね(女子14番)に、今の銃声は届いてしまっただろうか。思い出す限りでは、随分疲れていたようだったし、洞窟のかなり奥の方で横になっていたはずだ。もしかしたら、寝ていて気付かなかったのかもしれない。なら、そのままそこにいてほしい。もし気づいていなければ、あかねだけでも孝太郎には――

 

「い、今の銃声って……!」

 

 ここに来ないでほしいと願う亜美を嘲笑うかのように、あかねが洞窟の奥から飛び出してくる。どうやら、今の銃声は彼女の耳にも届いてしまったらしい。冷静に考えれば、いくら洞窟の奥にいたとしても、こんなに近くでマシンガンの銃声が鳴り響いたのだ。こちらが来ないでと天に願ったところで、よほどの間抜けでない限り、飛び起きるに決まっている。

 

「橘さん、須田くん、大丈夫ッ?! 怪我は……えっ……?」

 

 亜美たちのことがよほど気がかりだったのか、あかねは息を切らしながらこちらへと駆け寄ろうとする。けれど、次の瞬間には、その向こう側にいる孝太郎の方へと視線を移し、同時に足も止まっていた。

 

「有馬……くん……? これは……一体どういう……」

 

 現状を目の当たりにしたあかねは、何が何だか分からないといった顔をしていた。それもそのはず。彼女は、“有馬孝太郎がプログラムに乗っている”ということすら知らないのだ。普段の孝太郎しか知らない彼女からすれば、彼がマシンガンを向けている今の状況そのものが信じられないだろう。

 言っておけばよかったと後悔したが、今更そんなことを考えても意味はない。それより――

 

――有馬くんに……これ以上撃たせないようにしないと……

 

 あかねのことも気がかりだが、とにかくこの最悪な状況をどうにかしないと。でないと、ここで全員孝太郎に殺されてしまう。そう思い、近くに置いていた銃に手を伸ばそうとした。しかし――

 

「……ダメだ」

 

 亜美の動きを察知したのか、雅人に右腕をグッと押さえつけられてしまう。その行動の意図が分からず、抗議の声をあげようとした亜美より先に、彼は静かにこう告げた。

 

「橘さんが銃を向けたら、孝太郎は容赦なくこっちに向かって撃ってくる」

 

 推測ではなく、確信しているかのような断定的な口調。先ほどの弱々しい姿など、今はどこにも見当たらない。既に知っていたかもしれないことを加味しても、かつての友人に対してこのような判断をするなんて。

 もしかして、雅人のあの混乱は、孝太郎が乗ったことを知ってしまった故なのか。それにしても、この落ち着きようは一体何だろう。

 

「よく分かっているじゃないか。三年の付き合いは伊達じゃないってか?」

 

 雅人の行動の意図が分かったのか。ニヤニヤしながら、孝太郎は軽い口調でそう言った。

 

「この中で一番好戦的なのは、おそらく橘だろうからな。お前の一挙一動は注意して見てる。銃口を向けるより先に、全身穴だらけにできるくらいにはな」

 

 もはや隠す気もないのか。悪意に満ちた嘲笑を張り付けたまま、孝太郎は銃口をこちらに向けている。それは、おそらく牽制なのだろう。いつでも撃てるのだという、殺意丸出しの強者の振舞い。おそらく彼は、自身が圧倒的優位に立っていると思っている。そしてそれは――決して間違ってはいない。

 ここまで警戒されている以上、雅人の言うとおり銃を使うのは得策ではない。けれど、かといって何もしないままだと、全員孝太郎に殺されてしまう。武器を持っていないあかねはもちろん、誰かを傷つけられない雅人にしても――

 

「橘さんはじっとしてて。俺が……何とかするから」

 

 そんな亜美の気持ちを汲み取ったのか、雅人は小声でそう告げる。何とかって、と反論しようとする亜美を制するかのように、彼は黙ったままゆっくりと立ち上がって、一歩、二歩と進み出る。亜美とあかねの壁になるかのように、そのまま孝太郎の前に一人立ちふさがった。二人の距離は、おおよそ十メートルほど。近くもなければ遠くもない、そんな距離。

 撃たれないよう注意しつつ上半身だけを起こしながら、その姿をじっと見ていた。足元はふらついているものの、足取りはしっかりしている。あのときとは違い、混乱しているようには見えない。けれど、どこか危うさがつきまとうその背中。亜美を庇った際に負ったであろう背中の傷が、とても痛々しい。

 雰囲気も何もかもが、いつもの雅人とは違う。瞬間、一番最初に雅人を見つけた時のことを――何の感情も感じられなかったあのときの彼を思い出し、言い知れぬ不安を感じた。

 

「そ、そんな……」

 

 ただ一人。何が起こっているのか理解していないあかねが、ポツリとそう呟く。いや、正確に言えば、状況はある程度把握しているだろう。ただ、なぜこんなことになっているのかが分からない。孝太郎がこちらにマシンガンを向けている理由も、雅人が怪我をしている理由も、何もかも――

 

「ん? もしかして、東堂は知らないのか? 雅人も、橘も、俺を見てあまり驚かなかったのに、お前だけがその反応とはな。一緒にいるみたいだから、情報は共有されているものだと思っていたが」

 

 仲間外れにでもされたのか。と、笑いながらそんなことを言う。無意味だと知りながら、思わず孝太郎の方をキッと睨んだ。そんな亜美の視線を軽く受け流し、なおかつ「おお、怖い怖い」とおどけた言動をしてみせる。それでも、完全にこちらへの注意を逸らしてはいない。

 やはり、弓塚太一(男子17番)の言った通りだ。彼は、完全にこの状況を楽しんでいる。自分が圧倒的強者だと思い、弱者を蹂躙することに喜びを見出している。そして、自身が返り討ちに遭うとは微塵も考えていない。だからこそ、マシンガンの引き金を引けばすぐに殺せるこの状況下で、無駄とも言える会話を続けているのだ。

 

「孝太郎」

 

 動揺しているあかねとも、少しばかり怒りを抱いている亜美とも違う。ただ淡々と発した雅人の声は、この状況ではひどく違和感のあるように思えた。本来なら、一番感情を爆発させてもおかしくないはずなのに。

 そんな雅人の反応が面白いのか、嘲笑は崩さずに、孝太郎は彼の方へと視線を向ける。絶対に撃たないと思っているのか。先ほどまでこちらに向けていた銃口を、スッと下げていた。

 

「一つ、聞きたいことがある」

 

 抑揚のない、単調な言葉。怒りも、悲しみも、混乱も何も感じられない、まるでロボットのような淡々とした口調。冷静さを保っているなんてものではない。感情も何もかもが、完全に抜け落ちたかのような機械的な物言い。あかねも同じことを思っているのか、困惑した表情から、心配そうな表情へと変化していた。

 

「いいぜ。何が聞きたい? プログラムに乗った理由? これまで何人殺したか? 今の俺と、学校での俺は同じなのか? 友人のよしみだ、なんでも聞けよ」

 

 雅人を困惑させると分かっていながら、孝太郎はわざとそんなことを口にする。両手を大きく広げ、まるで演説でもするかのように堂々と。その言葉と態度は、亜美の神経を逆なでするには十分だったが、当の雅人からは動揺が欠片も感じられなかった。少なくとも、後ろ姿からは何も分からないほどには。

 孝太郎の挑発めいた言葉の後、あまり間を置かずに雅人はこう口にしていた。

 

「幸治と、澤部と宮崎を殺したのは……お前なのか?」

 

 亜美もあかねも、おそらく孝太郎すら予想だにしていなかった質問に、この場の時が一瞬止まったような気がした。孝太郎が殺したと推測しているのもそうだが、なぜその三人のことを聞くのだろうか。広坂幸治(男子13番)のことは友人だから分からなくもないが、澤部淳一(男子6番)宮崎亮介(男子15番)とは親しかった記憶がない。それに、その三人には、これといった関連性がない。あるといえば――前回の放送で名前が呼ばれたことくらい。

 質問の意図が分からない亜美とは裏腹に、孝太郎には少しばかり心当たりがあったらしい。目を見開きながらも、どこか楽しそうに笑っていた。とても面白いことが起こっているかのように無邪気に、けれど目も口元も大きく三日月のような弧を描いている。先ほどの嘲笑とはまったく異なる、けれど人を不愉快にさせることには変わりない――そんな笑顔。

 

「ははっ、まさかそんなことを聞かれるとはな。お前のことだから、ある程度根拠があって聞いていると思うが、敢えて質問で返そうか。なんで、その三人のことを聞く?」

 

 ククッと笑い声を漏らしながら、孝太郎はそう返した。その反応から察するに、おそらくその三人を殺したのは孝太郎なのだろう。人を食ったような孝太郎の態度に、いいかげん頭が沸騰しそうだったが、それを何とか自制する。

 しかし、亜美にも分からない。雅人が、わざわざ孝太郎にそのことを問う理由が。

 

「……北の方の小屋の中で、三人が死んでいるのを見つけた」
「それだけか?」

 

 雅人の返答に被せるかのように、孝太郎がそう問いかける。その問いかけは、それ以上の根拠があるはずだということを暗に示唆していた。そして、その質問に対する雅人の答えも予想しているのか、孝太郎は変わらずニヤニヤ笑っている。人を不愉快にさせる、あの歪んだ笑顔で。

 一方の雅人は、孝太郎にそう聞かれることを予想していたのか、右手をズボンのポケットにつっこんでいた。少し引っかかりつつも取り出したそれは、見慣れた手帳。青い表紙で、制服の内ポケットに丁度収まる縦長のサイズ。亜美も持っている、青奉中学校の生徒手帳だ。ただ、雅人の持っている生徒手帳には、青い表紙に赤い指の跡が付いている。

 右手に持ったその手帳に時々視線を落としながら、雅人はポツリポツリと話を続ける。

 

「これが、小屋の中に置いてあった。中を見て確認したよ、孝太郎の生徒手帳だって」
「……ああ、どこかで落としたと思っていたが、お前が持っていたのか。けれど、それだけで俺がやったって決めつけるのは、少しばかり強引すぎやしないか? 俺の手帳を拾った別の誰かが、俺に罪をなすりつけるために置いたかもしれない。もしくは、普通に俺が落としただけかもしれない。その可能性は、考えなかったのか?」

 

 ニヤニヤしながら、孝太郎はそう反論する。白々しい。わざとらしいその弁解に、イライラする。孝太郎の言っていることは、傍から聞けば、至極まっとうな反論かもしれない。しかし、問答無用で攻撃してきたこの状況下では、その言葉にまったく説得力がない。タチが悪いのは、孝太郎自身もそれを分かってやっているということだ。

 雅人の性格上、単純に「問答無用で攻撃してきたのが証拠じゃないか」とは言えないことを見越しているのだろう。仮に孝太郎がプログラムに乗っていたとしても、三人を殺したかどうかは分からない。それは、ある種別問題で、相手を納得させられるだけの論理的な根拠ではない。

 

「……そう、思っていたよ」

 

 孝太郎の質問に対する雅人の答えは、こうだった。論理的に反論するわけでもなく、感情をぶつけるわけでもなく、ただ寂しそうにそう呟いていた。

 

「落としただけかもしれない。澤部たちが来る前か、もしくは後に、ここに来たという目印に置いただけかもしれない。これを拾った別の誰かが、ただ置いていっただけなのかもしれない。ずっとそう考えていた。孝太郎が三人を殺したなんて、増してや幸治を殺したなんて……信じたくなかった」

 

 悲しみを滲ませるわけでもなく、怒りを露わにするわけでもない。淡々と、事実だけを述べていく。彼の心の内にあった、自身がそう考えていたという――かつての事実を。

 

「でも……今のこの状況でそんなことを考えるほど、俺は楽観的じゃない。それに、孝太郎がいつも上着の内ポケットに手帳を入れていたことも知ってる。内ポケットに入れた手帳が、そう簡単に落ちるとは思えない。仮に目印に置いたとしても、そのことに意味はない。意味のないことを、お前はしないだろ」

 

 友人だからこそ知っている根拠を、理屈を、淡々と述べていく。それは、論的証拠というほどのものではないから、完全な反論とはいえない。けれど、どこか納得させられてしまうほど、雅人の言葉は真実味を帯びていた。内容より、声色や雰囲気で納得させられてしまうほどには。

 

「わざとだとしても……意味はないんだと思う。でも、今の孝太郎を見て確信した。拾った誰かが動揺したり、混乱するのを期待して置いていったんだって。それで何か面白いことが起こればいい。その程度の意味しかなかったんだって」

 

 理屈では説明しきれない、そして最も信じたくない、不確実で悪意に満ちた行為。友人として最も除外したい仮説を、雅人は確信しているかのように口にする。悲しみを露わにするわけでもなく、怒りを滲ませることもなく、混乱することもなく、ただ淡々と。

 

 おそらく雅人の言っていることは正しいと、亜美も思う。手帳を置いていくという行為には、目的も意味もない。敢えて言うなら、行為そのものが目的。たとえば、自身が知り得ないところで、誰かが混乱しているのではないか。疑心暗鬼に陥っているのではないか。それらを空想し、自分が楽しむためだけ。たったそれだけのために、彼は意味のないことをするのだ。

 理屈では、到底説明できない答え。その答えを導くのに一番遠いはずの彼が、誰よりも早く正解にたどり着く。もしかしたら、彼はこの場の誰よりも論理的に、現実的に、過去や幻想に惑わされることなく、冷静に判断しているだけなのかもしれない。

 そして――そうして正解を導ける雅人が、誰よりも孝太郎のことを理解しているのだということも、また暗に示している。

 それを孝太郎も理解したのか。へぇと感心したかのように呟く。

 

「お前を選んだのは正解だったな。俺のことをそこまで理解してくれていたとは。誠実に人と向き合い、近しい人間を大事にする。そして、自分の考えはある程度しっかり持っている。お前らしい結論の導き方だよ。自分の都合のいい部分しか見ない、幸治とはえらい違いだな。まぁ、本来の俺じゃなくて、学校で猫かぶっていた俺だけど」

 

 孝太郎の顔が、奇妙な表情で彩られていく。殺す気満々のくせに、殺意が見えない。ここまで自分を理解してくれたことに喜びを感じているのに、それよりも悪意が際だって見える。笑っていながら、口元がいびつに歪んでいる。ドロドロとしたその表情に、亜美は鳥肌が立つのを感じた。

 “選んだ”という孝太郎の言い方からして、雅人に近づいたのは何らかの目的があったからなのだろう。確かに、生真面目である彼の側にいれば、自然と自身もそう好意的に評価される。さらに、積極的に実行委員の仕事を引き受ける彼をサポートすれば、己の優秀さも同時にアピールできる。そしてそこに、友情はない。孝太郎が雅人に求めたのは、友人として対等な関係などではなく、自身をよく見せてくれるいわば“装飾”としての存在、あるいはある程度自分の思い通りに動いてくれる“傀儡”としての存在なのだから。

 それでも、孝太郎が雅人のことを、クラスの誰よりも気に入っていたのは確かなのだ。それが、その表情から容易に読み取れてしまう。だからこそ、寒気が止まらない。

 

「雅人が拾ってくれるのが一番いいなと思っていたけど、その通りになってくれるなんてな。その結論に至るまで、散々悩んだんだろうってことも、容易に想像できるよ。真面目で、噂や憶測で判断しないお前なら、単純にこうって決めつけられないからな」

 

 孝太郎の表情が、先ほどとは違う形で、また歪んでいく。喜びと、優越感と、思い通りにいったという快感と、色んなものがぐちゃぐちゃに混ざった、奇妙な表情。それは、好意的であるようで、どこか見下したようでもあって。けれど、一つだけ言えるのは――先ほどと同じように、それは誰かを不愉快にさせるために作られるということ。

 

 雅人が孝太郎を理解していたように、孝太郎もまた雅人をよく知っている。結論に至るまでの心境、彼の性格上悩んだこと。考えるまでもなく、一瞬で確信できるくらいに。

 ただ、孝太郎は、それを三年かけて理解したわけではない。おそらく初めて会ったときには、雅人の性格、本質を見抜いていた。そして、それが自身の利益になると考え、その上で近づいた。三年間一緒にいたということは、孝太郎にとって、雅人は利用価値のあるクラスメイトに他ならなかったということ。

 三年かけて相手のことを“理解”した雅人と、自分に利益があるか“確認”していた孝太郎。もしかしたら、これまで雅人に向けた言葉に、嘘はほとんどないのかもしれない。けれど、その言葉は、友人としてではなく、利用する相手に対するもの。それは相手のためにかけられるのではなく、関係を維持するために発せられるもので、引いては全て自分のため。そこには、天と地ほどの差がある。

 

「大正解……って言いたいところだけど、一つ間違いがあるな。まぁ、別に大したことじゃないんだけどさ。お前に嘘つくのは嫌だから、一応訂正はしておこうか」

 

 散々嘘をついておいて、よく言う。いいかげん何か言ってやりたいくらいに腹は立っていたが、次の孝太郎の言葉で、一瞬怒りを忘れていた。

 

「確かに、澤部と宮崎を殺したのは俺だ。でも、幸治を殺したのは俺じゃない、澤部だよ」
「嘘ッ!!」

 

 孝太郎の言葉に、間髪入れずに誰かが反論する。その主は、意外にも雅人ではなく、これまで黙って聞いていたあかねだった。

 

「澤部くんはやる気じゃなかったッ!! 広坂くんを殺すわけがない!!」

 

 大声ではっきりと、あかねは孝太郎の言葉を否定する。間髪入れずに否定する彼女の言葉には、正直なところ驚いていた。確かに彼女は、プログラムが始まった直後に淳一と会っている。けれど、確か仲間を作るところを邪魔されて、遺体のところまで導かれた。総じて、彼にいい思いは抱いていないはずだ。それでも、淳一が乗っていないことだけは、彼女なりに理解していたのかもしれない。

 そんなあかねの反論に、孝太郎は訝しげに眉をひそめる。

 

「お前の口からそんな言葉が出るとは……。もしかして、どっかで会っていたのか? おかしいな。澤部の口から、お前の名前は出なかったはずだが。まぁ……さして言うほどのものでもなかったってことか」

 

 あかねに向かって嫌味を言いながら、またニヤニヤと笑う。暗に、お前のことなどどうでもよかったと、淳一が思っていたような口ぶりだ。実際どうだったかは知らないが、敢えてそれを口にするあたり、孝太郎の底意地の悪さが窺える。

 澤部淳一がどうだったかなんて、亜美には分からない。教室で見送ったのを最期に彼とは会っていないし、そもそもさほど関わりがない。だから、あかねのように即座に否定できる材料を持ち合わせていない。故に、孝太郎の言葉を嘘だとも言えないし、真実だと鵜呑みにもできない。たとえやる気でなくても殺してしまうことは、このプログラムではいくらでもあり得るのだから。

 

「……多分、孝太郎がそうさせたんだよ」

 

 感情的なあかねや、迷っている亜美とは違い、雅人は淡々と推測を口にしていた。孝太郎の言葉に、少しの動揺も見せることなく。

 

「澤部が幸治を……人を殺すとは、俺も思えない。だから殺してしまったのには、何か理由があったと思う。孝太郎。お前が……そうさせるように何かしたんじゃないのか?」

 

 孝太郎の言葉を嘘だと否定するわけでもなく、ただ淳一が殺したと鵜呑みにするわけでもない。冷静に、合理的に、最も自身が納得できる推測を導き出す。感情や過去に惑わされることなく。

 友人の悪意を目の当たりにして、マシンガンで攻撃されて。本来なら、誰よりも混乱し、感情的になってもおかしくない立場であるはず。なのに、当の本人は、この場の誰よりも落ち着いている。先ほどの結論といい、今の推測といい。

 少しだけ――怖いと思ってしまうほどに。

 

『俺が……何とかするから』

 

 それは、あかねや亜美を殺させないためなのか。それとも、そうさせる別の何かがあるのか――

 

「……ははっ、さすがだな。そう、確かに俺がそうさせるように画策した。幸治は俺以外の、お前も含めたクラスメイトを信じちゃいなかったからな。それをうまく利用すれば、澤部が幸治に殺意を抱くように仕向けるのは、そう難しくなかったよ。少しばかり予定と狂ったところもあったけど、まあ概ね想定通りってとこかな」

 

 悪意に満ちた答え。友人を利用して、クラスメイトを殺したという事実。悪びれることなく、彼はそれを突きつける。

 

「お前も薄々気づいていたと思うけど……幸治はお前のこと、友人とは思っていなかったみたいだぜ。何だったっけな……“あいつのことなんかどうでもいい”だったかな? そんなことを言っていたよ」

 

 最も効果的に、そして効率的に、自身の本性を証明するために。そしてそれは――ただ目の前の友人を傷つけるために。

 

「……」

 

 今の孝太郎の言葉に、雅人は何も応えない。否定することも、受け入れることもしない。孝太郎の思惑通りにならないためにというよりは、どう応えるべきか迷っているように思えた。

 

「……ひどいよ。なんで……そんなことしたの……?」

 

 ほんの少しの静寂の後、応えない雅人の代わりにか、あかねが当然の疑問を発していた。傍目には落ち着いている雅人とは対照的に、怒りや悲しみといった感情をむき出しにし、殺された三人を思ってかボロボロと涙を流しながら。

 

「なんで……?」
「そうだよッ!! なんで、そんなひどいことしたのッ?! 澤部くんは……ううん。きっと宮崎くんや広坂くんだって、やる気じゃなかったはずなのにッ!!」
「そういうルールだろうが」

 

 あかねの怒りの言葉にも、孝太郎は涼しい顔でそう返す。言っている内容そのものは、プログラムというこの状況下においては、決して間違っているとは言い切れないものだ。けれど――

 

「ルールだからって、そんな風に人を傷つけていいわけないッ! そもそも、人を殺さなくちゃいけないルールなんて、私は最初から認めていないッ!!」

 

 そう、いくらルール上殺し合いをしなくてはいけないとしても、人を欺き、利用し、楽しむことまでは強要していない。そもそも、ほとんどの人が、殺人という行為ですら躊躇いを覚えるのだ。プログラムだから何をしてもいいというのは、ルールとしては通るかもしれないが、道徳的には到底納得できるものではない。

 以前会った冨澤学(男子12番)にしても、細谷理香子(女子16番)にしても、プログラムのルールに沿った行動をしてはいたが、彼らには殺人に対する抵抗が確かに存在していた。乗ったとしても、それが普通の反応なのだ。理解したわけではないが、まだ彼らの行動理由は筋が通っている。いくら人を殺すことに躊躇いを覚えても、何かしら行動しなければ、いずれ時間切れになってしまうだけなのも――また事実なのだから。

 

「何を言うのかと思えば、ただの道徳論? そういうの、ホンットうぜぇ」

 

 あかねの言葉に神経を逆なでされたのか、孝太郎の表情が先ほどとは一変していた。優越感と悪意に満ちた嘲笑から、不愉快さと苛立ちを露わにした表情へと。そしてそのまま、あかねに銃口を向ける。雅人からも、亜美からも少し離れたところにいる彼女の身体が、その瞬間強張るのが、遠目でもよく分かった。

 孝太郎があかねに銃口を向けたのとほぼ同時に、雅人も手帳から手を離し、背中に差していた銃を構える。両手で真っすぐ、孝太郎の方へと向けて。

 

「……ッ!」
「無理だよ、雅人。お前には、撃てない」

 

 確信しているかのように、そして小馬鹿にするかのように、孝太郎ははっきりとそう告げる。

 

「他人に対して誠実で、道徳心に溢れ、人を差別しない。そして、倫理的に人を殺してはいけないことを理解している。そういう人間は、たとえ自分が殺されそうになっても、人を殺すことはできない」

 

 その言葉に、雅人の肩が少しだけ震える。その変化を見て、孝太郎は先ほどと同じ歪んだ笑みを見せていた。

 

「法律で決まっているから。いやそれ以前に、なぜ人を殺してはいけないのか。表面上平和であるこの国において、道徳的に理解できている人間はそれなりにいる。それに相手の気持ち、未来、痛み。そう言ったものを想像し、心を痛めることができる優しい人間ほど、その禁忌に手を出すことができない。法律をただ鵜呑みにする真面目なやつは、一歩踏み外せばあっという間だが、お前のような奴はそうはいかない」

 

 スラスラと淀みなく、決して迷うことなく、孝太郎はそう告げる。雅人が撃てないことを、確信しているかのように。

 

「それに、人を殺すには何かしらの理由、あるいはそうするだけの覚悟や強さが必要だ。お前のようにたいして強くもない人間は、誰か個人に特別な恨みでもない限り、傷つけることすらできない。だからまぁ、正直お前が銃を向けてくるのも意外なんだけど……それは別にいいか。それより――」

 

 そう言って、孝太郎は改めてマシンガンを構えていた。その銃口は、亜美でも、雅人でもなく――少し離れたあかねに向けられたまま。

 

「せっかくだから、後ろの二人を先に始末しようか。とりあえず、まずは東堂から――」

 

 歪んだ笑みを浮かべたまま、孝太郎は引き金に指をかける。同時に、亜美は静止されていることも忘れ、駆け出していた。

 

「東堂さんッ!!」

 

 丸腰で、信じられない現実の波に呑まれたままのあかねが、マシンガンの乱射から逃れるのは不可能だ。亜美が何とかしなくては、彼女は殺されてしまう。どうせ孝太郎に警戒され撃てないのなら、せめて身を呈してでも守らなくては。

 

 まだ、死ぬには早すぎる。死なせてはならない。まだ、彼女には――

 

 そう考えるのと、あかねを押し倒しながら地面に倒れるのと、単発の銃声がこの空間にこだましたのは――ほぼ同時だった。

 

[残り7人]

next
back
終盤戦TOP

inserted by FC2 system