全ては君を守るため

 東堂あかね(女子14番)の姿が見えなくなってから、澤部淳一(男子6番)は小さく息を吐いた。そこには、どこか安堵したような響きが含まれている。

 

――ようやく厄介払いできたか。

 

 右手に持ったままの鉄製の定規(あかねの首筋に当てたのはこれだ。本人は刃物の類いと思っただろうが)をポケットにしまい、足下に置いた荷物に細心の注意を払いながら、玄関の方へと視線を向ける。どうやら、宮崎亮介(男子15番)はまだ教室から出てきていないようだ。けれど、もう出てくるのも時間の問題。あかねが一人でいたところから、もう同じようなことを考える輩はいないだろうが、念のためにもう一度ブレザーの左ポケットから端末を取り出して電源を入れた。すぐに画面が明るくなり、画面に星マークが現れる。

 個々がつけている首輪に反応する探知機――それが、淳一に支給された武器だった。画面上だけでは誰であるかは分からないという欠点はあるし、直接攻撃するといった観点から見れば、まったく役に立たない代物だろう。けれど、身を守る上でこれほどありがたいものはない。この探知機の範囲百メートルよりも外から遠隔射撃でもされない限り、不意打ちで殺されることはまずないからだ。だからこそ無事に学校まで戻ってこられたのだし、玄関近くに誰かが留まっていることもすぐに分かった。近づけば、その内の一人があかねであるということも。

 亮介と合流するにあたって、極力別の誰かが入ることは避けたい。そのためには、ここに自分以外の誰かがいてもらっては困る。それに、亮介がまだ教室にいるかどうかも知りたい。そこで、まずはあかねが薮内秋奈(女子17番)と合流できないようにし(複数だと何かと面倒だからだ。それに秋奈はああ見えて頑固なところがあるので)、必要な情報を聞き出した。そうしてから、わざと挑発的な言い方であかねを煽り、正門の方へと行くように仕向けた。ああ言えば、あかねの性格上必ず確かめに行くと踏んだからだ。狙い通りあかねは正門へ行ってくれたし、おそらくしばらくこちらに戻ってくることはないだろう。今も探知機に映し出されている彼女を示す星マークは動いていない。つまり、まだあそこにいるのだ。いや、正確には動けないといったところか。もしかしたら禁止エリアになるまであそこに留まるのかもしれないが、それは淳一の預かり知るところではない。

 

 気になるのは、今も淳一の近くにいるであろうもう一人の存在。その人物は、探知機の表示によれば校門とは反対方向、左手にある建物の影に潜んでいるようだ。あかねがここにいるときから何もアクションを起こさないところからして、仲間を作ろうとしている輩ではないだろう。そして攻撃するつもりもないということは、今も沈黙を守っているところからして明白だ。しかしそれなら、何のためにここにいるのか分からない。もう教室に残っているのは、亮介と最後の出発である槙村日向(男子14番)だけ。亮介と合流しようとしているのは自分くらいしかいないだろうし、日向なら加藤龍一郎(男子4番)弓塚太一(男子17番)が考えられるが、それにしても単独で待っているのが引っかかる。それに日向を待つくらいなら、あかねにだって声をかけるはずだ。もしかしたら他に何か目的があるのかもしれない。けれど、少なくともわざわざこちらからアクションを起こす必要はないだろう。そこまで考え、淳一は探知機の電源を落としていた。

 

『私は、プログラムなんて間違っているって思ってる。だから、どうにかして殺し合いなんてしなくていいようにしたい』

 

 先ほどあかねが言ったことを思い出し、フッと笑う。そんなこと、できるわけがない。こちらの動きは完全に筒向けだし、中止させるにしても、その方法が明確に浮かぶわけでもない。おそらくあの寿担当官を筆頭とした軍隊を殲滅させても、プログラムをそのものを中止することは難しいだろう。仮に中止できたとしても、その後反逆者として処刑される可能性が極めて高い。仮にも何十年も続いているプログラムを中止するなんてこと、はっきりいって不可能だ。

 

 だからといって進んで乗るつもりもない。こんな利益も何もないプログラムに乗ること自体、淳一のプライドにかけても嫌だった。人殺しなど馬鹿のやることだと思っているし、人の命の重さもそれなりに理解している。それが、生き残るための必須条件だと分かっていてもだ。

 

――しかし……なぁ……

 

 はぁと自然にため息が出る。先ほどの呆れたようなものではなく、これは自分自身に対する幻滅といったところか。プログラムには乗らない。かといって中止させようと考えているわけでもない。言葉にすれば、とりあえずの様子見といったところか。こんな考えが一番矛盾しているだろうし、一番中途半端だろう。あかねと行動を共にするという選択肢などありはしないが、目的が明確であるあかねを非難する権利など、本来淳一にありはしないのだ。

 

 あかねほど迷いのない決意なら、淳一にもある。けれど、それはプログラムそのものに関してではない。特定の人物に対する、特別な思い。

 

『やりたいようにやりなさい。お前の人生なのだから』

 

 これは以前、父に言われたこと。クラスメイトはあまり知らないだろうが、淳一の父は開業医をしているのだ。そのせいか、淳一の自宅は一階が診療所になっており、何かあればいつでも対応できるようにしてあるらしい。その父を手伝うような形で、母はそこの医療事務をしている。決して稼ぎがいいとは思わないし、特別な名医というわけでもない。けれど、開業医を勤める父のことを、淳一は誇りに思っていた。

 別に医者だからだとか、頭がいいところとか、聡明なところではない。医者になりたい一心で医学部を五回も受験した意志の固さや、医者になってからも夜遅くまで勉学を欠かさない勤勉さだ。そんな父は、いつもは淳一に対してあまり多くは言わない。友達がほとんどいない淳一に向かって非難したこともないし、自分でも自覚しているほどキツい口調で話してても、ほんの少し窘める程度だ。淳一は大抵自分のことは自分で決めるので、父があれこれと口出すこともない。その代わりというべきか母が多少うるさいが、そういう意味では随分自由に育ってきたと思っている。そう、淳一自身は。

 そんな淳一だが、たった一回だけ父に相談したことがある。そのときに、優しい声でこういってくれたのだ。特に明確なアドバイスなどなかったが、背中をポンッと押してくれた言葉。それが、今でも鮮明に思い出せる。

 

 やりたいようにやる――なら、今すべきことは?

 

「淳一……?」

 

 そのとき、玄関の方角から聞き慣れた声が届く。考え事をしていたせいか、周囲を警戒することを完全に忘れてしまっていた。今回はいいが、次からは気をつけなくてはいけない。

 

「よぉ、一時間半ぶりか」
「もしかして……待っててくれたのか……?」

 

 視線を向ければ、そこには待ち人である亮介がいた。そこに淳一がいることが信じられないといった様子で、亮介はただ呆然としている。出発がこんなにも開いてしまって、銃声も聞こえて、おそらく淳一とは合流できないだろうと諦めていたのだろうか。一応自分が出発するときに、視線でサインは送ったつもりだったのだが。

 

「いや、さすがにそれは危ないからな。一端学校からは離れた。一時間もあればやれることたくさんあるしな。……ほらっ」

 

 そう言って、荷物の入ったトートバッグの中からダウンジャケットを取り出し、亮介の方へと投げて渡す。

 

「泥棒みたいなことしちまったけど、この場合はかまわないだろ。どっかの民家からかっぱらってきた。それ着とけよ。防寒対策になるし、意外と衝撃を吸収してくれるしな」
「淳一は……?」
「ちゃんと二着あるから、心配するな」

 

 心配そうな表情をする亮介を安心させるように、そう優しく告げる。亮介が安心したように表情を崩すと、少しだけ自身の緊張がほぐれるのが分かる。あかねに対してはあんなにキツい口調で話したのに、亮介に対してだけはこんな調子だ。こんな風に話すのは、後にも先にも、きっと亮介に対してだけだろう。

 

「お、俺……」

 

 そんな矢先、亮介が泣きそうな表情で話し始めた。その表情は、いつか見たあのときのものと、とてもよく似ている。

 三年になって間もない頃、亮介と仲良くなったきっかけともいえる――あの春の出来事の時のものに。

 

「もうどうしていいかわかんなくて……。プログラムなんて関係ないって思っていたし……田添は殺されちまうし……銃声もするし……。死にたくないけど……でもみんなを殺してまで生き残りたいわけでもなくて……。だって……」

 

 一度区切られた言葉に、淳一は胸が痛むのを感じた。その区切りには、自分にしか分からない深い意味が込められているからだろうか。

 

「生き残ったって……俺には……帰る場所なんてないから……」

 

 亮介のこんな姿を、クラスのみんなは見たことがあるだろうか。今でこそおとなしいが、かつては太一と並ぶほどのムードメーカーであった彼の、弱くて沈んだこの姿を。

 あの明るさは、家庭で虐げられていることの反動だと。気づいた人間は、一体どれくらいいるのだろう。

 

「淳一……」

 

 何も言えずにいる淳一に、亮介は静かに言葉を続ける。

 

「俺、プログラムになんて乗らない。誰かを殺すのも、正直にいえばみんなが死ぬのも嫌だ。でも、現実はそうはいかないんだろ? だから……」

 

 はっきりとこちらをみつめる亮介の視線が突き刺さり、淳一は言葉に詰まる。亮介は、そのままはっきりと続きを口にした。

 

「淳一が優勝したいなら、ここで俺を殺してもかまわない。俺は、あの家に帰りたくないんだ。淳一みたいな人が生き残った方が絶対いい。だから――」
「アホ、見くびるんじゃねぇよ」

 

 それ以上の言葉を聞きたくなくて、亮介が全てを言い切る前に、淳一は大股で亮介の元へと歩み寄り、そのままピンッと額にデコピンをしていた。

 

「お前を殺すためにわざわざ戻ってくるか。そんな手間のかかるようなこと、俺がするとでも思ったのか? 俺だって、プログラムに乗る気なんざない。こんな頭の悪い連中が作ったくだらねぇルールなんかに翻弄されてたまるか」

 

 額を押さえながら、目をキョロキョロさせている亮介に向かって、少しだけ笑ってみせる。

 

「だから、こんな連中の言う通りに殺し合いなんかしない。けど、死んでもやらない。それで、お前が死ななくてもいいようにする。あの家に戻らなくても、生きていける方法はいくらでもあるんだ」

 

 仮に亮介が優勝できれば、生涯の生活保障があるから――そこまで口にしようとしたけれど、それはやめておいた。これは、亮介の本意ではないだろうから。

 

「とりあえず、槙村が出てから二十分後には禁止エリアになっちまう。ここから離れるぞ。裏門から出よう」
「え……? 裏門? 正門じゃなくて?」
「……あっちには行かない方がいい」

 

 正門にあたるところには、曽根みなみ(女子10番)の遺体が転がっている。ここに戻ってきた際、そこでみなみが死んでいることには驚きを隠せなかったが、それで一つの答えが導き出された。淳一の耳にはかすかにしか聞こえなかったが、おそらくあの銃声でみなみが死んだのだと。つまり、プログラムはもう始まってしまっているのだと。

 

「……淳一」

 

 校門にいるであろうあかねが、そこから移動する前にここから離れないと。そんな気持ちから急いで歩き出すと、ふいに亮介が口を開いていた。

 

「いつ……戻ってきたんだ……?」
「ちょっと前だよ」
「なぁ、近くにさ、東堂さんとか……誰かいなかったか……?」

 

 その一言に、グッと表情が強張るのが分かる。前を歩いていたおかげで、亮介にその表情が悟られなくてよかったと安堵した。嘘が上手くないことは、自分でも自覚している。亮介に問い詰められれば、本当のことを話してしまいそうだ。

 やはり、あかねを引き離しておいて正解だった。亮介なら、あかねの考えに賛同して仲間になりかねないからだ。

 

「……いなかったよ、誰も」

 

 これからプログラムという過酷な状況で行動を共にするのだから、本来嘘をつくことは得策ではないだろう。けれど、正直なことを言えば、亮介はあかねを迎えに行きかねない。それだけは、絶対にあってはならないことだ。

 亮介を死なせるわけにはいかない。何者にも、亮介を傷つけさせはしない。これまで十分傷ついてきたのだから、もうこれ以上辛い思いなどさせたくない。

 

「ほら、行くぞ」

 

 亮介が近くにいるあかねに気づく前に、ここから離れなくては。そんな焦る気持ちから、亮介の右手を引っ張る形で強引に歩き出した。そんな淳一の行動を亮介は疑問に思ったようだが、特に抵抗をすることもなく、そのままついてきてくれた。

 

『ゴメンなさい……! 僕が悪かったから、だから怒らないで……!』

 

 亮介と繋がれていない左手、トートバックを持っている左手を、ギュッと力強く握りしめる。そう、あのときに決めたのだ。できる限りの力で、亮介を守ろうと。家族に虐げられ、そのせいで誰にも心を開けず、この状況で真っ先に自分の命を投げ出そうとする大事な友人のことを。

 今はまだ優秀する以外で、亮介が死なないためのいい方法が分からない。だからこそ、今の自分にできる限りの力で守ってみせる。そのためには、何だってやってみせる。他のクラスメイトに忌み嫌われてもかまわない。必要なら、反逆者にだってなってやる。亮介を殺そうとするのなら、その人物を殺すことだっていとわない。

 

『澤部おはよー! あんたは今日もしかめっ面してるなー』
「うるせーよ! お前は朝からうるさいな!』

 

 仮にその相手が――唯一認めたライバルであったとしても。

 

[残り32人]

next
back
序盤戦TOP

inserted by FC2 system