空虚で明確な、衝動的殺意

 

 時刻は既に五時を過ぎている。真冬と言われるこの時期になると、日は完全に沈み、夜と呼ぶにふさわしい暗闇が広がっている。進む時間は同じであるはずなのに、ゆっくりと流れているように感じるのは、闇に紛れて何も見えないからだろうか。

 そんなことを考えながら、冨澤学(男子12番)は、エリアD-3を歩いていた。まだ日が昇っている二時間ほど前、マシンガンのような連続した銃声が一回、単発の銃声が数回耳に届いていた。けれど、それを気に留めることなく、学は、ただゆっくりと歩き続けていた。

 誰かも分からない銃声より、この手に残る感触の方がはるかに重要だった。

 

『久しぶりだな、学』

 

 何時間も前のことなのに、記憶が色あせていく気配はない。彼の声も、刺した感触も、この手を汚す血の温もりも、倒れていく彼の姿も、自身の目からボロボロ零れ落ちる涙のことも、何もかも鮮明に覚えている。頭の中で繰り返し再生され、そのたびに泣いて――。この数時間、二人を弔いながら、移動しながら、ただそれだけを繰り返していた。

 分かっている。今は、過去を振り返っている場合ではないと。油断すれば、いつ自分が死へと誘われるのか分からないのだ。人数も大分少なくなっているのだから、プログラムはもうすぐ終わりを迎えるというのに。

 

――そういえば、あと何人残っているのだろう……?

 

 二人がいなくなったことで、残りは多くても九人。何度か銃声が響いているので、実際はもっと少ないだろう。もしかしたら、あと二人か三人ほどにまで減っているのかもしれない。

 目標としている優勝まで、もう秒読みであるはず。本来なら、もっと喜んでいいのだろう。けれど、今はとてもそんな気分にはなれなかった。

 

『これから何があっても、それでも俺は、ずっとお前の友達だ』

 

 古賀雅史(男子5番)をこの手にかけた。彼が暗に死を望んでいたとしても、最終的に殺すことを決めたのは学自身だ。死にたくないがために、我が身可愛さのために、一番の友人を殺した。覚悟していたはずなのに、可能性として考えていたはずなのに、その衝撃は想像以上だった。怪我はしていないはずなのに、胸にポッカリ穴が空いてしまったような気さえする。

 なぜ、雅史が死を選んだのか。学には分からない。傍らには、彼の想い人である細谷理香子(女子16番)の遺体があったが、そこで何があったのか。全てが終わってから訪れた学は、何も知らない。

 

『間に……合わなかったよ……』

 

 雅史のあの言葉から推察するに、二人は一緒にいなかったのだろう。再会できたのは、おそらく理香子の死の間際。多少は会話できたのだろうが、果たしてそれはいかほどのものだったのだろうか。いや、間に合わなかったと言っていたから、もしかしたら会話すら成り立っていなかったのかもしれない。増してや、「好きだ」と伝えるなんて、とても――

 想いを通じ合わせることなく、死別することになった瞬間。雅史は、何を思ったのだろうか。守れなかったという、自責の念だろうか。生きる希望を失ったことによる、絶望という名の感情だろうか。それとも、それすら自覚しない――虚無の境地だったのだろうか。

 そもそも、理香子はどうして死ぬことになったのだろう。たまたま遭遇して、何の非もなく殺されてしまったのだろうか。それとも、そうされる何かを、彼女はしたのだろうか。

 

――細谷さんは、プログラムをどう過ごしたのだろう……?

 

 友人らと、一緒にいたのだろうか。それとも、ずっと一人だったのだろうか。プログラムのことは、どう思っていたのだろう。間違っていると、真っ向から否定し続けていたのだろうか。反対に、ルールとして受け入れていたのだろうか。そして――

 

――誰か……殺したのだろうか……?

 

 理香子は銃こそ持っていなかったものの、果物ナイフや鎌など複数の武器を所持していた。ここから導き出される一番可能性の高い推論としては、殺して奪ったということだろう。そうだとするなら、彼女はプログラムに乗っていたことになる。なら、撃たれた理由も、ある程度推測できる。

 ただ、仮にそうだとしても、きっと学とは違う理由だ。彼女が学のように、自身の生還のためにプログラムに乗るとは思えない。乗ったとすれば、それは別の誰かのためではないだろうか。そしてその誰かは、学がこの手で殺してしまった――たった一人の友人ではないのだろうか。

 

 それは、理香子の立場から考えれば、ひどく合理的な選択だ。たった一人の好きな人を、理香子自身や他のクラスメイトの命と引き替えに、生き残らせるというものは。

 

 雅史と理香子は、もしかしたら両想いかもしれない。そう、学は思っていた。二人は互いの気持ちに気づいていなかったと思うが、第三者である学の目には、二人が両思いであるかのように映っていた。雅史は口数少ないのに、理香子とは何とか会話を成立させようと必死であったし、理香子は雅史と会話するときは少しだけ表情が綻んでいるような気がしていた。確信に至るほど露骨ではないが、そう思わせるには十分な変化だった。

 生きて帰れるのは、たった一人。故に、理香子が友人らとも、雅史とも一緒に帰ることはできない。二年時までの彼女だったなら、クラスメイトを容赦なく殺したのではないかと、考えていたかもしれない。雅史を通して、多少なりとも彼女を知った今ではこう思う。自分の命を犠牲にしてでも、誰かを生かそうとするのではないだろうか。そして、そのたった一人の枠に選ぶとしたら、多くの友人より、好意を抱く一人の異性ではないだろうか。

 雅史が、好きになった女の子なのだ。学のように、自分勝手な理由で殺すような人ではないだろう。積極的にプログラムに乗ったとしたら、それはおそらく別の誰かのため。自分の命を捨ててもいいと思えるほど、大切な誰かのため。

 そうだとしたら、きっと彼女は死ぬことを覚悟していたのだろう。どこか微笑んでいたような気がするのは、自らの死を受け入れることができたからだろうか。それとも、雅史がまだ生きていることを確認できたからだろうか。

 

――そんなの……分からない……

 

『俺は、ずっとお前のことを尊敬していた』

 

 雅史が、なぜあんなことを言ったのかも。

 

 嘘ではない。それは、分かっている。下手な嘘をつくほど、彼は愚鈍でも博愛でもない。だから、本当にずっと思っていたことなのだろう。けれど、なぜ彼ほどの人に、尊敬される存在なのか。それが、まったく分からない。

 

――僕は、自分のことがずっと嫌いなのに。弱くて、身勝手で、何もできない非力な自分が、生まれてからずっと……

 

 いいところなんて、分からない。理由も教えてくれたけど、それで納得など到底できない。むしろ人を殺したことで、ますます嫌いになった。だから、きっと一生、自分のことを好きにはなれないだろう。それでも、プログラムを生き残りたいと思っていた。

 けれど、今はどうだろう。友人も死に、五人も殺した自分は、果たして本当に生きて帰りたいのだろうか。帰ったところで、以前のように毎日を過ごすことができるのだろうか。

 生きてさえいれば、どうにでもなる。そう、思っていた。友人がいなくなっても、人としての倫理観を失っても、いつかは何かしらの形で取り戻せる。ポッカリ空いたこの空虚な気持ちも、いつかは何かで埋められる。けれど、死んでしまえば、何もかもが終わりだ。だから、生きることこそ重要で、最優先すべきものだと。

 けれど、今は――

 

「なんで……なんで俺ばっかりこんな目に……」

 

 考え続ける頭に、声が届く。聞き覚えがあって、聞きたくはない――あるクラスメイトの声が。

 暗闇に幾分か慣れた視界に、人影のようなものが映りこむ。視線を上げれば、少し先の木の傍で、こちらに背を向けるような形で、一人の人間が頭を抱え小さくうずくまっていた。傍目から見れば、物言わぬ大木に縋っているかのようだ。その人物は、ブツブツ言いながら、ガタガタと震えている。残っているクラスメイトが少ないこともあって、それが誰かはすぐに分かった。

 

――ああ、そうだ……

 

 そういえば、彼には用があったのだ。はっきりとそれを思い出すと同時に、静かに、そして激しく、身体の内から何かが燃え上がるのを感じる。それでも頭は冷静に、状況の把握に努める。そして身体も冷静に、彼との距離を少しずつ縮めていく。

 

「俺は……俺は何も悪くない……」

 

 先ほどよりも、はっきりと声が聞こえる。その言葉に、わずかながら憤りを覚えたのは、気のせいだろうか。過去にもプログラムにおいても、こちらは何もされていないはずなのに。言っていることが、明らかな言い訳で、他者に対する責任転嫁だとしても、学本人には関係ないことなのに。

 そうやって他人に何もかも押し付け、逃げ続ける彼を。この状況でも、何も顧みようとしない彼を。果たして、自分はどう思っていたのだろうか。もう、そんなことすら思い出せない。

 でも、今はそんなこと――どうでもいい。

 

『細谷が、言っていた。八木にやられたと』

 

 今はとにかく――彼を殺したくて仕方がない。

 

 だから、この胸の空虚さも、モヤモヤとした迷いも、罪悪感も、何もかも今はどうでもいい。そう、全て――

 

――彼を……殺してから考えよう……

 

 自然と右手を持ち上げ、うずくまっている彼に銃口を向け、躊躇うことなく引き金を引いた。

 

[残り6人]

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