軋む音

 

 冨澤学(男子12番)が殺すつもりで撃った弾は、八木秀哉(男子16番)の身体を掠りもしなかった。

 

「はっ……? え、えっ……?!」

 

 何が起こったのか把握していないのか。秀哉は、呆然と穴のあいた木を見つめている。彼の動揺とか心境とかどうでもいいので、間髪入れずにもう一発発砲した。

 幸か不幸か、その弾は秀哉の右手を掠めたらしい。その手に持っていた銃が、零れ落ちるのが見えた。以前聞いていた通り、彼には銃が支給されていたようだ。確かにそうでもなければ、細谷理香子(女子16番)を殺すことなんてできやしないだろう。

 

「お、お前……。なんで……」

 

 銃を落としてから、彼はようやくこちらに視線を向けた。殺し合いの最中だというのに、悠長なことだなと別の意味で感心する。ここまで生き残っていたのは、単に運がよかったのか。それとも、出会った人が優しい人ばかりだったのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

「なんでって……これはプログラムでしょ。こういうの、むしろ普通じゃない?」

 

 自分でも驚くほど、低く棘のある声だ。こんな声を出すことができるのかと、自分で自分にびっくりした。

 一方の秀哉は、落とした銃を拾うことなく、ただ茫然とこちらを見つめている。有無も言わさず撃ってきたことが、そんなに意外なのだろうか。それとも、撃ってきたのが学だからだろうか。弱くて、虫も殺せないような学だからこそ――

 

「なんでだよ……。俺……お前に何もしてないだろ……?」

 

 こちらの思考を遮るかのように、秀哉が茫然とそう聞いてくる。殺されそうになっているというのに、何を聞いているのだと半ば呆れもしたが、いきなり攻撃されもすれば、それは確かに疑問に思うところだろう。

 確かに、彼の言うとおりだ。妹尾竜太(男子10番)小倉高明(男子3番)のように、彼から目に見える形で嫌がらせをされたことはない。直接何かを言われたことはないし、露骨な態度で示されたこともない。けれど、見えない形で、侮蔑されていることは何となく分かっていた。何がなくとも、そういうのは伝わってしまうものだ。特に、学のように過去にいじめに近い行為を受けた者には。

 だから、どこか嫌悪感は抱いていたのかもしれない。そうでなくても、好意的に思っていなかったことは確かだ。むしろ、何もしていない、何もしようとしない彼のことは、高明や竜太よりも嫌っていたのかもしれない。

 

「なんで……。どうしてみんな……俺のことを殺そうとするんだよぉ……」

 

 泣きそうな声で、秀哉はそんなことを口にする。そんなの、分かりきっていることだ。ここでは一人しか生き残れないのだから、自分以外は全員敵。敵であるということは、命を奪いにくる相手だということ。つまり、襲われるのがここでは普通なのだ。

 まさかとは思うが、懇願すれば、殺されずに見逃されるとでも思っているのだろうか。たった一人しか生き残れない、プログラムの中で。自身の生存を望むなら、他者の死が絶対の――この殺し合いの中で。

 秀哉に聞こえないように、小さくため息をつく。そうしてから、彼に向けて、静かにこう告げた。

 

「……細谷さん」
「はっ……?」
「細谷さん、殺したでしょ?」

 

 学の言葉に、秀哉の視線が彷徨う。暗闇でも分かるほど目は見開かれ、ゴクリという唾を呑み込む音がはっきりと聞こえた。今の言葉が、秀哉にとって不都合で正しいということが、目に見えて証明された瞬間だった。

 

「お……俺は何も悪くないッ!! 悪いのは全部あいつなんだッ!! あいつが、俺を殺そうとしたから!!」

 

 動揺が一転、今度は喚きながら言い訳をしている。プログラム中なのに、そんなに喚いて、誰かが来たらどうするんだ。そう思ったが、咎めはしなかった。どうでもいいからだ。

 

 全部全部あいつのせいだ。俺はただの被害者なんだ。

 

 そんな彼の心の声が、吐き出す言葉の端々から感じられる。正当防衛だ。殺されるところだったんだ。だから何も悪くない。そうやって相手に、この環境に、すべての責任を押し付けている。そして、自らの責任は顧みない。実に、秀哉らしい考えだ。

 彼の言う通りなら、それは確かに正当防衛だ。というより、別に言い訳など必要ない。ここは、殺し合いを強要されるプログラムの中。理由の有無など、どうでもいいことだ。最後の一人になれば、家に帰れる。シンプルに、それだけが絶対なのだから。

 

「そう……」

 

 ポツリと呟いて、彼に向けていた銃を下ろした。ああ、腕が疲れたな。さすがに、片手で二発はやりすぎたか。

 

「し、信じてくれるのか?! 俺が被害者だって。俺は何も悪く――」
「君の言っていることは、信じるよ」

 

 これ以上の言い訳を聞きたくなくて、遮るかのように言葉を吐いた。実際、彼の言っていることは本当だろう。理香子は、銃こそ持ってはいなかったものの、複数の武器を所持していた。乗っていたと仮定するなら、いきなり襲うことは十分にあり得る話だ。

 そして秀哉の性格上、たとえ銃を持っていたとしても、一人で殺しに向かうとは考えにくい。そんな気概も覚悟も、彼には存在しない。人を一人殺しておきながら、自分は何も悪くないのだと言い訳を並べて、罪の意識から逃れようとしているのが何よりの証拠だ。

 それも――今は関係ない。

 

「けれど、どのみちやることは変わらないよ」

 

 続けて学がそう言うと、秀哉の目が、絶望に叩き落されたかのように大きく見開かれた。間近で見れば、瞳孔が拡大するところまで見えてしまうかもしれない。

 

「君がどんな理由で細谷さんを殺したとか、そんなの最初からどうでもいいんだよ。君が、なんでっていうから言っただけ。事実を確認しただけ。別に、殺した理由を聞きたかったんじゃない。だってさ――」

 

 一度は下ろした銃を、再び持ち上げる。今度は両手で構え、しっかりと彼の胴体に照準を合わせた。

 

「君を殺さないと、僕が家に帰れないんだから」
「や、やめてくれ……! まだ、まだ死にたくないんだあ―――!」

 

 懇願と絶望が混じったような叫び声を上げながら、秀哉は何とか逃げようと後ずさりする。木のすぐ傍でうずくまっていたせいで、今現在その木にもたれ掛かるような感じになっていることすら、もはや頭には欠片も入っていないらしい。そんな彼を見ながら、学は冷静に一度だけ引き金を引いた。引いた瞬間、以前より引き金が軽くなったような錯覚を起こした。慣れてしまったせいだろうか。

 その弾丸は、今度こそ秀哉に命中した。もがき苦しむかと思ったが、どうやら心臓に当たったらしく、そのままぐったりと木にもたれかかったまま、動かなくなった。もっともっと苦しませてやればよかったと後悔したが、あれ以上叫ばれても迷惑なだけだ。むしろ、これでよかったのかもしれない。

 

「はぁ……」

 

 たっぷりと一分間。秀哉が動かないことを確認してから、銃を持っていた両腕をゆっくりと下ろした。深いため息をついて、少しだけ気持ちを落ち着ける。ぐったりともたれ掛かっている秀哉を見ながら、また小さく息を吐いた。

 後悔はない。罪の意識も、今回は希薄だ。理由はどうあれ、雅史の好きな人を殺したのだ。仇討ちとは思わないし、彼もこういうことを望んだわけではないだろうが、それでもどこか胸がすく思いがした。

 なのに、どうしてだろう。これまでで一番、空しい気持ちになってしまうのは。

 

――あと少しで、家に帰れるのに……

 

 生きて帰るために、六人も殺した。人数も、もう一桁だ。幸運なことに、ほとんど怪我もしていない。まさに、理想通りの展開だ。

 もっと喜んでいいはず。そこまでいかなくとも、もっと安堵の気持ちは抱いて当然だ。秀哉を殺したのには、自分の中で毅然とした理由もあった。

 

 なのに、プログラムが進行していくほど、優勝に近づくほど、心のどこかで軋んだ音がする。

 

 それは、人を殺したことに対する罪悪感だろうか。身勝手な理由で人を殺してしまうことに対する、自身への失望だろうか。人としての、倫理観や道徳観だろうか。

 ああ、それとも――

 

「これはこれは……意外だな」

 

 第三者の声。その言葉とほぼ同時に、背後から銃声が聞こえる。気づいた時には、左わき腹にこれまで経験したことのない激痛が襲っていた。その激痛と背後から撃たれた衝撃で、身体が勝手に地面へと倒れていく。その際に見えたのは、左わき腹が破壊された自分の身体と、そこにベッタリと付いた大量の血だった。

 撃った相手が誰か、確認するまでもない。残っている人数も少ない上に、声だけで相手が分かるほど、彼はクラスで割と目立った存在だったから。それに――

 

『彼は人を殺すことを楽しんでいる節がある。私たちが三年間接してきた有馬くんとは、もう別人だと思っておいた方がいいと思う』

 

 忠告されたはずだ。知っていたはずだ。彼がマシンガンを持っていることも。こういった形で襲ってくることも。

 

「あー、いってぇ! ったく、あの女。よくこんなの何発も撃てたなー」

 

 流れゆく自身の血を見ながら、どこか他人事のように、彼の言葉を聞いていた。警戒を怠った自身への失望と、ポッカリと空いたはずの胸の内が――何か別の感情で満たされていくことを自覚しながら。

 

男子16番 八木秀哉 死亡

[残り5人]

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