返らぬもの

 

『騙し討ちだとか不意打ちという手も、自分が楽しむためだったら容赦なく使ってくるわ』

 

 殺さない代わりに得た情報も、活かさなければ意味がない。そのようなことを彼女に言いながら、自分はこのザマか。

 冨澤学(男子12番)は、背後からの襲撃に気づかなかった自分に、失望すら抱いていた。呆然としている相手など、乗っている人間からすれば格好の的だ。

 

「あーくそっ、最悪。マシンガンさえあれば、こんな使いづらい銃とか捨てたいところなのによー。まぁ、とりあえずここで二つ手に入れたら、こんな銃はとっとと捨てとくか」

 

 そう言いながら、有馬孝太郎(男子1番)は、倒れている学には見向きもせず、近くに落ちていたグロックを無造作に拾う。そして、八木秀哉(男子16番)の遺体にゆっくりと近づき、そこに転がっていたであろう彼の銃を手に取る。何か確認していたようだが、そのうちしかめっ面で「弾入ってねえのかよ、ポンコツだな」と悪態をつきながら銃を放り投げ、こちらの方へ戻ってきていた。

 そこでようやく気づいたが、彼が持っているのは、学のグロックと、先ほど撃ったであろう大きめの拳銃だけだ。マシンガンがどういう形をしているのか知らないので断言はできないが、本人の発言と今の状況を照らし合わせて考えると、今はどうやらマシンガンを持っていないらしい。どういう経緯で失ったのかは、知る由もないが。

 そこまで考えたところで、今にも殺されそうだというのに、妙に落ち着いている自分に気づいた。先ほどまで抱いていた空虚な気持ちも、罪悪感も、跡形もなく消え去っている。まるで、そんな気持ちを抱いていたことすら、忘れてしまいそうなほど。

 

「しかしまぁ……冨澤。お前が積極的だったとは、意外だな。あの様子じゃ、もう何人も殺しているんだろ?」

 

 口元を歪ませ笑いながら、少しだけ早口で、どこか楽しそうに、興奮気味に、彼はそう告げる。

 知ってはいた。けれど、いざ目の当たりにすると、どうにもこの変貌ぶりは異常という他ない。三年間見てきた彼は、おそらく猫をかぶっていたのだろうと結論づけることにした。そうでないと、話は何も進まない。

 

「なぁ、何人くらい殺したんだよ?」
「……」

 

 そんな学の心境などおかまいなしに、孝太郎は無遠慮にそんなことを聞いてくる。その質問に素直に答えることを、なぜか癪だと思い、学は一切口を開かなかった。本当のことを告げるのも、嘘を吐くのも、嫌だと思ったから。

 殺した時のことは、もちろん全て覚えている。返り討ちのような形で殺した妹尾竜太(男子10番)のことも。覚悟を決めて殺した五十嵐篤(男子2番)のことも。後ろから不意打ちで殺した小倉高明(男子3番)のことも。身勝手な理由で恨んでいた小野寺咲(女子4番)のことも。そして、古賀雅史(男子5番)のことも。たった今殺した、八木秀哉のことも。

 忘れられるわけがない。忘れたくても、きっと一生忘れられない。けれど、それを彼に伝える意味はない。同情も、共感も、罵倒も、説得も、きっと彼からは何も返ってこないのだから。言ったところで、空しくなるだけだ。

 

「返事なしかよ……。まぁ、別にいいけどさ」

 

 苛立ちを滲ませながらも、孝太郎はそう言って話を切り上げた。彼にとっては、単純に暇つぶしとか、興味本位で聞いたとか、その程度のものだったのだろう。

 それにしても、やはりこの変化は驚愕する他ない。三年間、彼のことはそれなりに知っていたはずなのに。人当たりもよくて、人望もあって、何でもそつなくこなして、けれどそれを鼻にかけることはない。それらは全て、意図的に作られたものだというのだろうか。

 そんな彼を、心のどこかで尊敬していた過去の自分が、なんだかとても滑稽な存在であるかのように思えた。

 

「えっと……あとは、誰が残っているかな……。雅人は、さすがにもう死んでるだろうし。加藤と辻もいないし。えっと他には……」

 

 返事をしない学に興味を失くしたのか。孝太郎は視線を空に向け、指折り数えながら、どこか楽しそうにブツブツ呟いている。その表情が、この状況ではとても場違いなように思えて、なぜかとても――不愉快だと思った。

 

「……楽しそう……だね……」

 

 そのせいだろうか。言うべきかどうか考える前に、こんな言葉が口をついて出てきていた。

 ボソッと呟いただけだったが、その言葉は、しっかりと孝太郎の耳に届いていたらしい。こちらに視線を戻しつつ、どこか訝しげな表情をしていた。それが、続きを促しているように思えたので、今度ははっきりとこう言ってやった。

 

「君は、楽しかったのかい?」

 

 純粋な疑問から問いかけたこの質問に、間髪入れずにこう答えが返ってきていた。

 

「は? 何言ってんだよ。楽しいだろ。こうやって好き勝手に人を弄んだり、殺していくのは」

 

 さも当たり前であるかのように、それ以外の回答など有り得ないといった様子で、彼はさらりとこう答えた。

 けれど、学には分からない。なぜ、そこまで事も無げに、そんなことを言えるのか。どうして、人の命を奪うことに楽しみを見いだせるのか。

 分からない。その心境が――欠片も。

 

――僕は、一度もそう思わなかった。ずっと苦しいだけだった。

 

 いくら自分以外のクラスメイトが死なないと帰れないからといって、人を殺していいなんて思わない。むしろ、ずっと抵抗があった。自分が生きて帰るために、他者の命をないがしろにしていいのだろうか。いくらルールとはいえ、禁忌とされている人殺しをしてもいいのだろうか。何度問いかけても答えは出ず、何度殺しても慣れることはなかった。罪の分だけ重荷を感じながら、それでも騙し騙しやってきたにすぎない。

 今振り返ってみても、苦しい、辛い、逃げたい。そんな感情しか浮かんでこない。楽しいとか、充足感など、微塵も感じたことがなかった。生きるために、殺すことを決めたのは、まぎれもない学自身だ。けれど、望んでそうしたのではない。増してや、人を殺すことに快楽を見出したわけではない。

 生きるために仕方なく。手段がそれしかなかったから。だから、それを手に取っただけの話だ。

 

「なんだよ、その顔。まさか、生き残るために仕方なく……とか言うんじゃねぇだろうな」

 

 答えないことで察したのか。少々不機嫌そうな顔で、孝太郎がそう問いかけてくる。なぜ、彼にそんな顔をされないといけないのか。学には、まったく分からない。

 

「なんだよ、それ。つまんねー理由」

 

 なぜ、そんなことを言われなくてはいけないのか。やけに――そうやけに、腹が立った。

 なぜ殺すのか。そう非難される理由は分かる。これが、道徳的に間違っている行為だからだ。称賛されることはもちろん、理解されることもないだろう。いや、もしかしたら同じ立場の人になら、理解されることがあるのかもしれない。あるいは、部外者から見れば、プログラムに選ばれたことで同情されるかもしれない。

 けれど、“つまらない”と言われる理由だけは、それだけは断じてないはずだ。だってこれは、“面白い”ことでも何でもないのだから。

 

「だから、このざまなんだよ。どうせ、人を殺すの嫌にでもなっていたんだろ? 後ろから見たら、殺してくれと言わんばかりに無防備だったぜ」

 

 明らかに、人を馬鹿にしたような態度と言葉。絶えず不快感を覚えながらも、孝太郎のその言葉に、どこか引っかかりを感じた。

 

――嫌に、なっていたのだろうか……? 僕は……

 

 確かに、人を殺すことに躊躇はあった。嫌々ながら、実行していたことも事実だ。

 それでも、生き残りたかった。死にたくなかった。だから、乗ることを選んだはず。なのに、どうして今抱く感情は悔しさでも、恐怖でもなく、どこか安堵に近い――諦めなのだろうか。

 失ったものは多く、得たものはほとんどない。友人も、幼馴染もこの手で殺した。それでも、生き残るつもりだったのに。生き残って、失ったものを取り戻すつもりだったのに。死にたくなかったはずなのに。どうして死にそうな今、こんなにも気持ちが穏やかなのだろうか。

 

 ああ、そうか。やっと――分かった。

 

――もう……何もかも取り戻せないんだ……。

 

 生き残れば、どうにでもなると思っていた。けれど、それは間違いだったのだ。失ったものは、捨てたものは、二度とこの手に返ってはこない。

 代わりのもので埋められることも、あるかもしれない。けれど、それはあくまで“代わりになる別の物”であって、“失ったものと同じもの”ではない。

 雅史のような人に出会うこともあるかもしれない。けれど、それは“彼”ではない。失った倫理観を取り戻せたとしても、以前とまったく同じものではない。

 

 返ってこないのだ。本当に大切なものは。

 

 それを、きっと心のどこかで理解してしまったのだろう。雅史を殺してしまった――あの瞬間に。

 だから、終わりに近づいているという安堵の気持ちも、優勝に近づいているという実感も、何もかも感じられなくなっていた。失ったものの大きさに気づいて、もう戻れないと知ってしまったから。それらを抱えてまでも、生きようとは思えなくなってしまったから。

 はっきりと自覚していなかっただけ。けれど、深層心理では、それを理解してしまっていたのだ。

 

――ははっ、今頃気づくなんて……。僕は、本当に大馬鹿じゃないか……

 

 きっとみんな、それを分かっていた。だから、学のようにプログラムに乗らなかった。雅史にも、分かっていた。だから、死ぬことを選んだ。細谷理香子(女子16番)の代わりなんていない。だって彼女はもう――いないのだから。

 初めて、心の底から思った。プログラムとは、なんて残酷なものだろうと。生きていても、何も取り戻せないじゃないか。優勝して持って帰れるのは、自分の命だけ。それ以外は、何一つ帰ってこない。そして、ここでの悲惨な出来事を全て抱えたまま、これから先も生き続けることになる。寿命が延びただけで、失ったものの空白はきっと、思うほどきれいには埋められない。

 そう――結局のところ、人はいつか死ぬのだから。

 

「ま、もうどうでもいいか。とりあえず、お前もう死ねよ」

 

 そう言いながら、孝太郎は銃口をこちらに向ける。その銃は、先ほどまで学が持っていたグロックだ。自分の武器で殺されるなんて、なんという皮肉な結末なのだろう。

 

――ああ、でももう……そんなのどうでもいいや……

 

 あんなに死ぬのが怖かったはずなのに、どこか安堵感を覚えている自分がいる。死ぬことに対する恐怖がなくなったわけではない。けれどそれ以上に、人を殺し、友人を失い、倫理観も何もかも手放して、それでも生き続ける方が苦痛だった。

 だから、ここで終わりでいい。死ねばきっと、こんな風に思い悩むこともない。ああ、でも――

 

――せっかく僕が生き残ることを応援してくれたのに、その気持ちを無駄にして……ごめん。

 

 パンッという音が、鼓膜に響く。同時に、頭に衝撃を感じた。けれど、それだけだった。走馬灯のように人生を振り返ることもなく、痛みを明確に感じることもなく、ただ静かに短い人生に幕を下ろした。誰よりも死を恐れていたはずなのに、最期の表情は、まるで憑き物が落ちたかのように穏やかだった。

 まるで、今まで悪い夢でもみていたかのように。そして死ぬことでようやく救われた――そんな表情を遺して。

 

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

「ったく、つまんねーの」

 

 穏やかな表情で死んでいる冨澤学(男子12番)とは対照的に、苛立ったかのような表情をしている有馬孝太郎(男子1番)。探知機片手に移動している最中に銃声を聞き、反応を見ながらここに足を運んだら、死んでいる八木秀哉(男子16番)と、呆然としている学を発見した。殺すついでに須田雅人(男子9番)にやられた憂さ晴らしをしようと思ったのに、思うほど学が抵抗してこなかったことで、苛立ちは余計に増すこととなった。

 

「もっと足掻いてくるかと思ったのに、あっさり諦めて……。雅人にしても、気にくわないやつばかりだな……ほんと」

 

 既に死んでいる学を足蹴にし、彼の周囲に散らばっている荷物を回収する。果物ナイフやスタンガン。鎌に催涙スプレーなどなど。武器の多さだけでも、彼が積極的に乗っていたことは間違いない。なのに、こうもあっさり死を受け入れるとは。

 

「途中でやめたくなるくらいなら、最初からやるなっての。まったく、これだから半端なやつは……」
「まったくもって同感だな」

 

 すぐ背後に聞こえた声。しまったと思ったときは遅かった。声のした方向へ振り返った途端、左手首に瞬間的な激痛がはしる。同時に、持っていた銃もその勢いで弾き飛ばされてしまった。左手をピンポイントで蹴られたとだと、少ししてから理解した。視線も逸れてしまい、相手の姿を認識できなくなる。

 バランスを崩しつつもなんとか踏ん張り、怪我をしている右手で、背中に差していたデザートイーグルを抜く。追撃させないよう、すぐに声の方へと銃口を向ける。反動が強いのでこの状態では撃てないが、少なくとも脅しにはなるはずだ。

 刹那ともいえる静止した時間。いきなり攻撃してきた相手を目の当たりにする。生き残りも少ない今、候補は限られ、そしてプログラムが進んだ今、誰であってもおかしくはない。それでも、眼前にいる人物を認識した途端、目を見開いてしまった。

 

「なんだ、その顔。まるで、幽霊でも見たようだな」

 

 そう告げた主は、もちろん幽霊ではなく、まだ名前を呼ばれてはいなかった人物。けれど、印象も薄く、さして関わりのない下柳誠吾(男子7番)だった。

 

男子12番 冨澤 学 死亡

[残り4人]

next
back
終盤戦TOP

inserted by FC2 system