想定外

 教壇の方に視線を向けながら、槙村日向(男子14番)は少しだけ肩の力を抜く。つい先ほど宮崎亮介(男子15番)が出発したことによって、教室に残っている生徒は日向ただ一人となった。より正確にいえば、教室に残っている“生きている生徒”は、ということになるのだが。

 

――田添……

 

 ほんの少しだけ、視線を後ろへと動かす。その先には、日向の次に出発するはずだった田添祐平(男子11番)が、須田雅人(男子9番)が弔ったあの状態のまま、変わらずそこに横たわっている。額に穴が開いてしまった、物言わぬ骸として。

 全員が出発するまで、祐平はずっとあのままなのだろうか。日向が出れば、祐平はきちんと弔ってもらえるのだろうか。できれば丁寧に弔って、家族の元にできるだけ早く帰してほしい。悲しみに上塗りをされることがないよう、できるだけ綺麗なままで帰してほしい。そうでなければ、残された家族があまりにも不憫だ。そんなことを、ふと思った。

 最も、クラスのみんなは、祐平のことを気にする余裕などなかっただろう。プログラムという過酷な状況であるせいか、思ったよりも祐平に向かって手を合わせる人間はいなかったからだ。位置的な問題もあるのかもしれないが、おそらく大半の生徒は、“祐平のようになるかもしれない”という、無意識の恐怖から目を背けていたのかもしれない。

 

『俺は、まだ死ぬわけにはいかないんだよ!!』

 

 祐平が最期に叫んだこの言葉。あの言葉には、随分深い意味が込められていたように思える。あのとき祐平は、“死にたくない”ではなく、“死ぬわけにはいかない”と言ったからだ。それはまるで、自分のためというよりは、誰かのために死んではいけないという――そんなニュアンスが込められていたように感じた。少なくとも、日向にはそう思えて仕方がなかった。

 日向には知り得ない何かを、もしかしたら雅人は知っていたのだろうか。日向には分からないあの言葉の意味を、雅人だけは理解できたのだろうか。だからこそ、普段の態度からは考えられないくらいに怒っていたのだろうか。

 

「ねぇ、槙村くん」

 

 ふいに響く、寿担当官の凛とした声。その声につられる形で、日向は担当官の方へと視線を動かした。そういえば、この担当官にしても不可解な点が多すぎる。無駄に明るい声で残酷なルールを説明したかと思えば、祐平や雅人を諭すときはやけに静かな口調で話す。場合によって、話し方を変えるタイプなのだろうか。今は、後者の口調であるようだが。

 

「一個、聞いてもいいかな?」

 

 少しだけ笑みを含ませながら、そう優しい声で聞いてくる。正直なところ、この状況で担当官が質問してくるとは思わなかった。ただ、今のタイミングで聞いてくるのは、残っているのが自分しかいないからだろうというのは分かる。複数の人間がいる状態では、質問の回答というのは得にくいものだからだ。成績が下の方である日向に答えられる内容などたかがしれているが、この場合成績の良し悪しは関係ないだろう。日向は黙っていることで、その続きを促すことにした。

 

「須田くんと田添くんは……仲が良かったのかな?」

 

 その質問内容は予想外でもあったし、予想通りでもあった。日向にしても、似たような疑問を抱いていたのだから。ただ、担当官は事前に自分たちのことをそれなりに聞いていると思っていたから(でなければ、名簿も見ずに顔と名前が一致するわけがない)、まったく知らないことは少々意外だともいえる。

 

「……どうしてそんなことを聞く? どうせ俺たちのことについては、学校側から聞いて知っているんじゃないのか?」

 

 いつもとは違うぶっきらぼうな声色で、返答という名の質問をする。担当官は自分たちよりも年上なのだから、本来なら敬語を使うべきなのかもしれない。しかし、自分たちを死に追いやるプログラム担当官とやらに払う敬意など、今の日向には無に等しかった。

 

「そう。事前に学校から、君たちのついての資料はもらっているんだけどね。そこに、須田くんと田添くんの関係性については何も書かれていなかったの。だから、ちょっと疑問に思ってね。須田くんの態度が……あまりにも意外だったから」

 

 つまりは、学校側も把握していなかったということか。無理もないかもしれない。いくら政府側の要望とはいえ、特進クラスの生徒をあっさりプログラムに差し出すなんてことをする学校関係者が、生徒同士のつながりをそこまで把握していたとも思えない。学校側――特に私立の学校関係者は、体裁やら進学率をやたら気にする傾向にあるように思える。生徒同士の関係性など、さほどの興味もないのだろう。そういえば、三年に進級した際、思いのほか特進クラスの入れ替えがあったことで一悶着が起こったのだが、結果的に学校側からの強引な圧力でねじふせてしまったことがあった(そもそも、自分が特進クラスに在籍していること自体変なのだ。特に成績がよかったわけでもなかったのに)。今回の補講も嘘だったというし、どうもあの学校には不信な点が多いような気がする。補講に関しては、政府から要望があったからだろうが。

 

 もしかしたら、考えたくもないけど、このクラスそのものがプログラムのために――

 

「槙村くんは、何か知らない?」

 

 思考が思わぬところまで及んでしまっていたが、担当官の一言で現実へと引き戻された。関係ないところまで深く考えこんでしまうのはよくない。少なくとも、今は聞かれたことに対して答えなくていけないのに。

 けれど、その疑問を解決できるだけの回答を、日向は持ち合わせていなかった。

 

「俺は、何も知らない。須田とも田添とも、同じクラスになったのは三年になってからが初めてだし、そこまで親しいわけでもなかったから。少なくとも教室で見る限り、仲がいいようには見えなかった」

 

 もっといえば、雅人の方は随分気にかけていたのか、祐平が学校に来た時は何かと話しかけようとしていた。しかし祐平の方は、逆に雅人のことを避けていたような気がするのだ。次第に雅人も声をかけることを止めてしまったので、二人が会話しているところはほとんど見たことがない。てっきり祐平は雅人のことが嫌いなのかと思っていたが、それはどうも違うような気がする。

 

 もしかして、祐平が学校で雅人を避けていたのは、何か他に理由でもあったのだろうか。 

 

「そっか……」

 

 日向の回答はある程度予想していたものだったのか、担当官は思ったほど落胆した様子は見せなかった。おそらく日向の交友関係くらいは把握しているはずなので、知らなくても無理はないと思ったのだろう。雅人と仲のいい有馬孝太郎(男子1番)広坂幸治(男子13番)だったなら、何か知っていたかもしれないが。

 

「じゃあ……槙村くんは、何か私に聞きたいことはない?」

 

 しばしの沈黙の後に発せられた言葉は、今度こそ完全に予想外だった。少しの間思考が停止するが、その意図はすぐに読みとることができた。

 

――そっちが質問したから……か

 

 さっきから“不平等”やら“えこひいき”を嫌っているこの担当官のこと、一方的に質問することに対して申し訳なさみたいなものでも感じたのだろう。神経質なまでに見せるそのこだわりは、何か理由でもあるのだろうか。正直なところ、ある種の病気あるとさえ思う。

 ちらっと担当官の周りに視線を向ける。いつのまにか兵士がいなくなったのか、教室には日向と担当官しかいなかった。祐平を射殺した笠井兵士もやらもいない。今なら、何を言っても殺される可能性は極めて低いだろう。突然担当官が変貌でもしない限りは。

 

 一度だけ深呼吸してから、今一番聞きたいことを口にした。

 

「なんで、プログラムなんてものが存在する?」

 

 おそらくクラス全員が疑問に思っていることを口にした。反論しても無駄なことは分かっているが、それでも聞かずにはいられなかったから。納得できる答えを得られたところで、現実は変えられるわけでもないのだが。

 

「防衛上の必要から行っている戦闘シミュレーション、なんてのは嘘だってことくらい分かっている。あんたらが思っているほど、中学三年生は馬鹿じゃない」

 

 大人から見れば、おそらく自分たちはただの子供だ。けれど、子供は子供なりに考えて行動しているし、それなりに世の中のことや大人のことも見ている。子供だからといって、何も分からないわけじゃない。何も知らないわけでも、何も考えていないわけでもない。

 それを知らない大人が、この国には多すぎると思った。政府関係者だけではない。このクラスの担任を始めとした教師やら近所の大人たちも然りだ。だからこそ、こんな非常な法律が成り立ってしまうのだから。

 

「中学三年生が馬鹿だなんて思ったこと、私は一度もないよ」

 

 少しだけ笑みを含ませながら、担当官はこう答えた。

 

「そうだね。何のために行われているのか……か。正直、私もよく分かっていないのかもね」

 

 その疑問を含ませた回答に、少しだけ苛立つのを感じる。担当官という、自分達から見ればプログラムに一番近い存在なのに、あまりにはっきりしない曖昧な答え。なら、どうしてここに立っているのか。どうして担当官なんて職についているのか。

 それが分かっているからこそ、担当官という職を選んだのではないのか。

 

「納得できない?」
「当たり前だ。答えになっていない」
「でも、これが正直な意見。嘘じゃないよ。嘘の答えを言うのは簡単だけど、今はそれをしたくないから」

 

 口調から察するに、どうやら本当に嘘ではないようだ。確かに嘘の答え――それこそ、プログラムはこの国において必要だとか、そういった回答を口にすることだってできただろう。けれど、担当官は敢えてそれをしなかった。もしかしたら、それは担当官なりの誠意なのかもしれない。しかしそれならば、担当官でさえも理解できていないプログラムの本質。それは一体何だろうか。ふと、どうしてこの職を選んだのかと聞こうと思ったが、そうすると質問が二つになってしまう。

 

 それにこちらしても、相手の質問にきちんと答えたわけではないので、ある意味おあいこだ。そう思うことで、無理矢理納得させることにした。

 

「二分経ったね。じゃあ、男子14番槙村日向くん。出発して下さい」

 

 そうこうしているうちに、どうやら自分が出発する時間になったらしい。静かに席を立つと、荷物も持たずに教壇の前を歩いていく。

 

「槙村くん、荷物はいいの?」
「必要ない」
「そっ……か。じゃあ、宣誓してくれる?」

 

 宣誓――“私達は殺し合いをする。やらなきゃやられる”。これまで出発した全員が口にしたあの言葉。嫌々口にした人間、進んで発言した人間と様々だった。おそらく、あれは本人を煽るというよりは、周りに対する影響の方を期待して言わせたものだろう。この人はやる気なのではないか、もしくはこれからやる気になるのではないかという――不信感を植え付けるための。

 けれど、この宣誓には別の一面がある。実際、この短い言葉を口にするだけでその人物が何を考えているのか、おおよそ推測することができたというところだ。もしかしたらあの宣誓には、聞き手側がやる気の人間を推測するという意味合いも含まれていたのかもしれない。そういう意味では、自分は一番最後でよかったのかもしれない。あまり関係ないが。

 

「それも必要ない。あれはどちらかというと、周りに聞かせるためのものだろ? いくら宣誓したって、当の本人にその気がないなら言うだけ無駄だ。もう俺しかいないんだから、聞かせる相手は誰もいない。強いて言えば、あんたくらいだ」
「でも、みんな宣誓したんだよ? 槙村くんだけ宣誓しないわけには――」
「じゃあ、ここで俺を殺すか?」

 

 担当官の言葉を遮るかのように、日向は冷たく言い放った。あんな宣誓。言うだけ無駄だし、口にすること自体嫌だった。幼なじみである東堂あかね(女子14番)には何とか宣誓できるように助言したが、日向自身が口にするつもりなど微塵もない。たとえ、ここで祐平と同じように殺されたとしてもだ。

 ああ、こういうところが、友人である加藤龍一郎(男子4番)に、『日向って、妙なところこだわるよな。芸術家気質ってやつなのかな?』と言われる所以なのかもしれない。芸術家だなんて思ったこと、一度もないけれど。

 

「槙村くんって、けっこう頑固なんだね。……分かった。宣誓はいいから出発して。デイバックは忘れないように持っていってね」

 

 日向が絶対宣誓を口にしないことを悟ったのか、諦めたかのような口調で担当官はそう口にした。日向は返事をせずに、そのまま籠に入っているデイバックを無造作に一つだけ取って、静かに教室を出る。出て行く際、祐平の遺体に手を合わせようかと思ったが、それは止めておいた。

 

『俺は、まだ死ぬわけにはいかないんだよ!!』

 

 手を合わせてしまえば――揺らいでしまう気がしたから。

 

 教室のドアから一歩外に出る。今この瞬間から二十分後に、この学校は禁止エリアとなる。時計を見ると、PM07:40。つまりここが禁止エリアになるのは、丁度PM08:00。

 

 廊下に睨まれている兵士に銃口を向けられる前に、ここから立ち去ろうと走り出した。あんな野蛮な連中なんかには殺されたくはない。そう思い、小走りで階段を駆け降り、そのまま一階へと辿り着く。兵士に顎で示された先に下駄箱があり、自分が登校時に履いてきた靴が置かれてあった。その周りには、自分が今履いている上履きが、ランダムにいくつか置かれてある。置いていった人間と、持っていった人間といるのだろう。自分は必要ないと判断し、履き替えた後に同じところに放り込んでおいた。

 一瞬だけ出て行くかどうか悩んだが、ここに留まっても意味はないと考え、とりあえず外へ出ることにする。久しぶりに、外の空気を浴びたいとも思った。

 玄関から一歩外に出れば、真冬らしい冷たい空気が肌を刺す。思ったよりも寒くはないが、かといってずっと外にいたいと思えるほど快適でもない。電気は使えないと言っていたので、暖を取れる手段はほとんどないだろう。こんな寒い季節にプログラムを行うなんて、やはりこの国の政治家は腐っているなと思った。元々まともだとも思っていなかったが。

 

――さて、どうするかな……。

 

 誰も待っていないことに関しては、特に意外でも何でもなかった。幼馴染のあかねや、仲のいい龍一郎や弓塚太一(男子17番)くらいなら待っているかなと思ったが、やはり学校から離れたらしい。それが利口な判断だ。日向がやる気でないという確証など、どこにもないのだから。

 

 そう思った時、左手の方角から何か気配を感じた。

 

――誰だ……?

 

 ゆっくりと校門とは反対の方角――建物が二つほど並んでいるその方角へと視線を向ける。しかし、そちらからは何も反応がない。こちらに用事があるのなら、既に声をかけているはずだ。仲間を作ろうだとか、日向自身に用事があるだとか、そういった目的でそこにいるのなら、じっとしているなんてことはないはず。すると、目的は日向ではないのか。

 しばらくの間、そちらの方角に視線を向けてみる。しかし冷たい風が通り抜けるだけで、何か起こるわけでもなかった。どうしようかと思ったが、とりあえずここから離れた方がよさそうだと考え、その人物がいる方向とは反対、つまりは校門の方へと足を向けることにした。

 

――綺麗な空だな……。明日は晴れるだろうか……?

 

 そんな呑気なことを考えつつ、空を仰ぐ。そうしながら、ゆっくりと校門の方へと歩いていった。周囲に誰もいないのをいいことに、自由に散歩するような気分で。夜に散歩などしたことはないが、案外悪くないなと場違いなことを思った。

 すると、日向の耳に誰かの声――それも、すすり泣くような声が聞こえてきた。

 

――もしかして……あかね?

 

 これがただのクラスメイトだったなら、声の主は分からなかったに違いない。だが、さすがに物心ついた頃から一緒にいる幼馴染の声くらいは、暗闇の中でも判別することができた。次第に見えてくる一人の人間の後ろ姿で、あかねだという確信を得る。

 

 そうだと分かった瞬間、日向に生まれたのは“迷い”だった。どうするべきかと、心の中で葛藤する。あかねに声をかけるか、それともこのまま無視して離れるか。

 

 あかねのことだ、プログラムになど乗るわけがない。信じるとかそういう問題ではなく、これは“確信”だった。幼馴染という関係だからこそ分かる、絶対的な事実。けれど、だからといって声をかけるとどうかは別問題。あかねのことだから、日向のことを無条件で信じてくれるだろう。仲間になろうと言ってくれるのだろう。いや、それだけではない。みんなを探して、この状況をどうにかしようと言うに違いない。これもまた、日向にとって絶対的な事実ともいえるものだった。

 

 はっきり言って、それはマズイ。それは日向にとって、非常にマズイことになる。

 

「あかね……? 何しているんだ?」

 

 それでも、滅多に泣くことのない幼馴染の様子が気になって、つい声をかけてしまう。何より、あかねがまだここにいること自体意外だったからだ。自分のことを待っていてくれたのかとも思ったが、それならなぜ校門にいるのだろうか。

 それに――どうしてあかねは一人で泣いている?

 

「ひ、日向ぁ……」

 

 声をかけられたことで、後ろに誰かがいることに気付いたらしい。しかし、それだけでも相手が日向であることは分かったようだ。さすがは幼馴染の関係とでも言おうか。今はそんなことに感心している場合でもないのだが。

 

「あかね、一人なのか? 他のみんなは?」
「曽根さんが……曽根さんが……」

 

 日向の言葉など耳に入っていないのか、あかねはただそれだけを繰り返している。その様子がただ事でなかったので、とりあえず聞きたいことを呑みこむことにした。そして、校門の影となっているところに、明かりがついたままになっている懐中電灯が目に入る。ライトの部分が植え込みにくっつくような形で転がっていたことでほとんど光が漏れていなかったため、これまで気がつかなかったのだ。

 

 あかねがここまで動揺する理由。それは、嫌でも推測できる。しかし、確かめないことにはどうしようもない。あかねに小さく「目閉じてろ」と声をかけた後、落ちていた懐中電灯でその周囲を照らした。すぐにその理由は見つかった。

 あかねの足元に、曽根みなみ(女子10番)の遺体があったのだ。腹部に多くの穴を開け、目は見開かれたまま。医学のことなど分からない日向でも、腹部の傷が致命傷だということは容易に理解できた。それで、先ほどのマシンガンの銃声で、みなみが死んだのだということも。

 

「どうして……誰が曽根さんを……。こんな……プログラムに乗る人がいるなんて……」

 

 あかねがつぶやいた一言に、日向は何も言わなかった。それは、何ともいえないからだ。誰か――マシンガンの銃声がした時点で出発したみなみの除く十人の誰かが、彼女を殺したことは明白だ。けれど、かといって“プログラムに乗っている”とは限らない。あかねに言いづらいが、みなみはおそらくプログラムに乗るつもりだった。宣誓からもそれがにじみ出ていたし、性格上その可能性は十分あり得る。だから、みなみを殺した誰かは、いわば“正当防衛”という形で殺してしまったという可能性も否定できないのだ。

 それに、今はそのことに関して議論している時間はない。ここが禁止エリアになるタイムリミットは、確実に近づいているのだ。

 

「……あかね。ここがあと二十分もしないうちに禁止エリアになる。とにかく、ここから離れないと――」
「なんで……どうして……」

 

 日向の言葉など耳に入っていないのか、あかねはただ同じことを繰り返している。あかねのことだ。誰も乗らないと信じていたのだろう。日向が思うよりもショックは大きいようだ。けれど、今はそれにかまっている余裕はない。ここから離れないと、あかねの首輪が爆発してしまうのだ。

 

――ここで説得している時間はないな……。

 

 今のあかねに説得は不可能だ。そう判断し、急いでデイバックをからい直す。それからあかねの脇の下に両腕を入れ、無理矢理立たせようと試みる。いくら幼馴染とはいえ、女の子の身体に無断で触れていいとは思わないが、そんなことを気にしている時間はない。あかねはどうやら腰を抜かしていたようで、その単純な作業にしばしの時間を要する。

 

「私……甘いのかな……? みんな乗ってないって思うのは……おかしいのかな……?」
「今は何も考えるな。身体を動かすことだけに集中するんだ」

 

 独り言のようにつぶやくあかねの言葉を遮り、とにかく立ち上がらせようと試みる。こんなに憔悴しきったあかねなど、今まで見たことがなかった。普段は考えるよりも行動する、悩むくらいならとにかくやってみる。行動に移すまでが長い日向とは正反対の活発さなど、今はどこにもない。みなみの遺体を見てしまったことだけが原因ではないのだろうか。日向が出てくるまでの間に、何かあったのだろうか。

 そんなあかねを見ていると、ズキンと心が痛む。もしかしたら、こういうところがあかねの弱さかもしれない。今まで気がつかなかったけれど、日向が思っているより、あかねは打たれ弱いのかもしれない。そういえば、あかねの周りにはいつも誰かがいた。おそらく、あかねは一人でいたことがほとんどないのだ。

 

 そんなあかねを一人にしておくのは――危険なのかもしれない。

 

 今は考えている余裕などないのに、そんなことが頭の中でループする。その思考を遮断しつつ、両腕であかねの身体を必死に持ち上げようとする。少々時間がかかってしまったが、何とかあかねを立ち上がらせることに成功した。

 

「大丈夫か?」
「う、うん。何とか……」

 

 後はここから立ち去るだけ。ちらっと時計を見ると、今はPM07:45。走ればここから離れられるだけの時間はある。もちろん、猶予があるわけではない。

 

「走れるか? とにかく、ここから離れるぞ」
「そ、曽根さんは……? だって首輪……」
「大丈夫だ。曽根さんの首輪は爆発しないから」

 

 禁止エリアは、死んだ人間には影響ない。担当官は確かにそう言っていた。つまり、既に死亡しているみなみの首輪が爆発することはない。目下、禁止エリアが影響するのは自分らくらいだ。おそらく、みんなここから大分遠くへ行ってしまっただろうから。

 あかねが何か言う前に、日向はあかねの右腕を掴んでいた。思ったよりも華奢なその腕に、またズキンと心が痛む。今さらながら、あかねも一人の女の子だという事実を突きつけられたような気がしたから。本来なら、仮にも男子である日向は、あかねを守らなくてはいけないだろうから。

 それ以上考えこんでしまう前に、日向はあかねを引っ張りながら、校門から右手の方角へと走り出した。何も考えないように、足を動かすことに集中した。お世辞にも運動神経がいいとはいえないから、全力で走らないと間に合わないのかもしれない。もし間に合わなかったら、自分だけではなく、後ろにいるあかねの首輪まで爆発してしまうのだ。

 

 そうやってがむしゃらに走っている最中、「ねぇ……日向……?」と話しかけるあかねの声が聞こえてきた。

 

「何か……あったの……? 日向……何かいつもと違うよ……?」

 

 あかねのその言葉は、日向にまるで不意打ちをくらったかのような衝撃を与えた。いつもはこんな鋭い一面など見せないのに、どうして今になって気づくのだろうか。もしかして、これも幼馴染故の勘みたいなものだろうか。

 返事はしなかった。返事をすれば、その声色で嘘だとバレてしまう。今はまだ悟られるわけにはいかない。ここで問答などしようものなら、それこそそろって首輪が爆発するという事態に陥ってしまうのだ。

 

――とにかく……とにかくあかねをここから連れ出さなくては……!

 

 こんなはずではなかった。あかねと二人で行動するつもりなどなかった。あかねはもっと仲間を作っているはずだったし、あんなところで一人でいるとは思わなかった。学校前にみなみの遺体があることもそうだ。どうして揺らぐようなことばかり起こるのか。まるで、誰かが邪魔をしているのではないかとすら思った。

 

 こんなはずでは、こんなつもりでは――なかったのに。

 

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