恐怖の対象

 

 まだだ。あともう少しだけ。行きすぎてもダメだから、あと少しだけ離れられれば――

 

 槙村日向(男子14番)は、東堂あかね(女子14番)を引き連れながら、ずっと走り続けていた。どれくらい走ったのか、禁止エリアになるところから抜け出せたのか、正直なところまったく分からない。まだタイムリミットの時間にはなっていないだろうから、首輪に反応がないからといって安心はできない。乱れる呼吸を必死で整えながら、あとどれくらい走ればいいのだろうと思案していた。

 少なくとも、タイムリミットになる前には足を止めないと――

 

「日向……? ねぇ、何か言ってよ……」

 

 後ろからついてくるあかねは、先ほどからずっとこんな調子だ。“何か違うよ”と口にしてから、ずっとこんな風に問いかけてくる。けれど、日向はそれには答えなかった。答えられなかった。

 

――あと、あとどれくらい離れれば大丈夫なのか……?!

 

 禁止エリアになるところは抜けられただろうか。離れすぎてはいないだろうか。周囲にやる気の人間はいないだろうか。気にするべきところが多すぎたせいか、あかねを納得させられるだけの“嘘の答え”が浮かばなかった。

 

 正直に言えば、あかねに反対されることは目に見えていたから。

 

「日向ってば!!」

 

 何も答えない日向に業を煮やしたのか、あかねは怒っているような口調で大声を出した。条件反射という形で、思わず足を止めてしまう。

 

「何で何も言わないの? 返事してよ!」

 

 そう強く発せられた言葉の中に、わずかに不安の色が混ざっている。もしかして、嫌な予感でもしているのだろうか。日向の考えていることが、分かっているのだろうか。

 いつもはそんなに鋭くないくせに、どうして今になって――

 

「ねぇ日向……、何……考えているの……?」

 

 あかねの言葉が、次第に核心をついてくる。もう、これ以上黙っていることは無理か。そう覚悟した。それに――もう時間もない。

 そっとつながれていた手を離す。そして後ろを振り返り、あかねに向かい合う形になる。見れば、暗闇でも分かるくらいに、あかねの身体は震えていた。それは、寒さのためか、それとも――

 

「あかね」

 

 口を開けば、思ったよりもはっきりとした声を出すことができた。決めていたことだからだろうか、躊躇いはない。覚悟していたから、それを実行することは怖くない。

 今一番辛いことは、確実に目の前の幼馴染を泣かせてしまうことだった。

 

『ひーなーたっ! おうちにかえろー!』

 

 いつもいつも、泣き虫な自分を慰めてくれた。一人でいる自分の傍にいてくれた。けれど、自分は慰めるどころか、逆に泣かせてしまう。傷つけてしまう。

 それが分かっているのに、避けることができないなんて。

 

「あかねにとって、プログラムで一番怖いのって……何?」

 

 「……え?」と言って、あかねはそのまま黙り込んだ。答えを求めていたわけではないから、日向は返事を待たずに続きを口にした。

 

「俺たちに殺し合いをさせる政府の人間か? 自分を殺しにくるクラスメイトか? それとも、友達がどんどん死ぬかもしれない現実か?」

 

 あかねは答えない。おそらく、どれも怖いのだろう。政府の人間はもちろん、殺しにくるかもしれないクラスメイトや、既に死んでいる田添祐平(男子11番)曽根みなみ(女子10番)のように、仲のいい友人らがいなくなってしまうことも怖いのだろう。友人が多ければ多いほど、当然その痛みも増す。

 日向にしてもそうだ。仲のいい加藤龍一郎(男子4番)弓塚太一(男子17番)が、いつか死ぬかもしれないと思うと怖いし、悲しい。それは、目の前にいる幼馴染にしてもそうだ。自分が生き残るということは、それ以外のクラスメイトの死を意味しているのだから。

 けれど、どれも一番というわけではない。“一番怖い”のは、そのどれでもない。

 

「俺は違う。そうじゃない。一番怖いのは、そのどれでもない」

 

 それとはもっと違うところ。まったく別の次元。見える人ではなく、突きつけられる現実もなく、一番見えない――秘めた本性というべきところ。

 

「俺は、自分が一番怖いんだ」

 

 日向の言っている意味が分からないのか、それとも言うべき言葉が見つからないのか、あかねは何も言わなかった。自然と重い沈黙が二人を包む。その沈黙を破るかのように、日向は口を開く。

 

「今はまだいい。あかねを殺そうだなんて思わないし、プログラムが間違っているって分かる。あかねが言っていることが正しいっていうのも理解できる。けれど、これが進んで、どんどん人が死んでいったらって思うと……今みたいにはっきりいえる自信がない」

 

 生きるために殺し合いを強要させられ、それに従ってどんどんクラスメイトが死んでいく。それも、自分以外のクラスメイトが死なないと生きられない。正にこの世界は異常だ。けれど、今はまだ、この世界に違和感を抱いていられる。それは、まだ自分がこの世界に慣れていないから。けれど、プログラムが進んで、クラスメイトがどんどん死んでいって、それでも今の自分のままでいられるか、ずっとそう主張できるのかと言われれば――そうとは言い切れないのが正直なところなのだ。

 

「俺は、そんなに強くない。あかねみたいに、ずっとそう主張できるだけの自信がない。いつか死ぬのが怖くなって、人を殺すことを躊躇わなくなったら……誰かを殺してしまうかもしれない。そうなってしまったら、あかねのことも殺してしまうかもしれない」
「そんなこと……!」

 

 縋るような口調で、あかねは日向の言葉を遮る。けれど、日向は構わず足を動かした。目の前の幼馴染の横を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐ歩き出す形で。

 

「ひ、日向……。どこに行くの……?」

 

 ここまで言えば、こうして行動を起こしてしまえば、嫌でも日向のやろうとしていることが分かってしまうだろう。先ほどよりも一層、その声色に不安が色濃く反映されてしまっている。

 

「だってそっち……学校……」

 

 そう、日向は今来た道を戻ろうとしている。すなわち、学校に戻る形になる。禁止エリアになるから、首輪が爆発してしまうから、だから今まで必死で走ってきたのに、今は逆のことをしようとしている。

 ふと前を見る。日向が見る限り、もう学校は見えなかった。暗いせいもあるのだろうが、おそらく大分離れられただろう。なら、あかねは大丈夫。戻らない限り、首輪が爆発することはない。死ぬことはない。

 あとは、タイムリミットになる前に、自分が戻ればいいだけだ。

 

「決めていたことだから」

 

 今一度足を止めて、もう一度だけあかねに向かい合う。見れば、あかねの身体は、先ほどよりも震えていた。きっとその震えは、寒いからではないのだろう。自分のせいなのだろう。

 

「本当は、学校から離れるつもりじゃなかった。どっか空の見えるところで、ずっと一人でいるつもりだった。あかねは仲間をつくって、学校から離れていると思ってたから、あそこにいるとは思わなかった。一人でいるとは思わなかった。けれど、現実はそう上手くはいかないよな」

 

 そう言って、右肩にからっていたデイバックを、トンッと地面に落とした。すると中から、カチャンという金属同士がぶつかり合う音が聞こえる。

 

「いらないって思ったけど、もらっといてよかった。これ、あかねにあげるから、それで身を守るなりすればいい。何が入っているかは確認してないけど、もしかしたら必要なものが入っているかもしれないから」

 

 そう言って、時計を見る。今はPM07:52。もう猶予がない。

 

「あと一つだけ。誰もかれもは信用しない方がいい。きつい言い方になるけど、プログラムに乗る人間は確実にいる。もしかしたら、あかねの友達もそうかもしれない。でも、乗らない人間もいるだろうから、そういう人たちを探して、一緒にいればいい。あかねなりに助けてあげればいいから」

 

 時間がないのに、どうして後から後から言いたいことは出てくるのだろうか。早く戻らないと、戻りだした途端、あかねの目の前で首輪が爆発してしまうかもしれないのに。

 

「あと、多分龍一郎と太一は乗らないから、二人のことは信用してやってくれな」
「何言ってるの……? 言ってる意味が分かんないよ……! 何でそんなことしなくちゃいけないの? 何で日向が死ななくちゃいけないの? そんなの絶対嫌ッ!!」

 

 これ以上の言葉は聞きたくなかったのか、あかねが嗚咽混じりの大声で そう口にしていた。ああ、そんなことをしたら、やる気の人間に聞こえてしまうではないか。どこか冷めたような心境で、そんなことを思った。

 

「なんでそんなこと言うの?! そんな理由でどうして死ななくちゃいけないの? だって、日向やる気じゃないんじゃん! これが間違っているって分かってるじゃん! なんで?!」

 

 いやいやとだだをこねるかのように、あかねは首を振っている。それは、教室で須田雅人(男子9番)が殺されるかもしれないというときに、あかねが雅人に向かって“ダメだ”という意味を込めて首を振ったときのものと――まったく同じものだった。

 

「仮にそうなったとしても、私がなんとかする!! 日向が怖くて、誰かを殺しそうになったら、私が殴ってでも止めるから!! 日向に人を殺すなんてことさせないから!! だから学校になんか戻らないでよ!!」

 

 そう言って、一歩こちらに歩み寄ってくる。そして、先ほどまでつながれていた右手をのばしてくる。まるで、こちらに引き留めようとしているかのように。

 

「だから……戻らないで。死ぬなんて言わないで。一緒にいようよ……。一緒に加藤くんと弓塚くん、探そう……?」

 

 ああ、そうだ。あかねが納得するわけなかった。どんなに綺麗な言葉を並べたとしても、見送ってくれるはずなどなかった。あかねはそういう人なのだ。ほっとくとか、そういうことができない人なのだ。だからこそあんなに友達がいて、自分みたいな人間が、こうして十四年も幼馴染をやっていけるのだから。

 

『ひなたー! ここにいたんだー! ねえ、今日はどんな絵をかいたのー?』

 

 いつもいつも、そうやって一人でいる自分に声をかけてくれた。大して上手くもない絵を、いつも褒めてくれていた。決して同情や哀れみなどではなく、純粋にただ声をかけて、話して、思ったことを素直に口にする。自分の幼馴染は、そういう心の綺麗な人なのだ。

 そんな人が、こんな世界を認めるわけがない。死ぬことを、認めるわけがない。それがたとえ本人が決めたことであっても、認めるわけがなかった。それを、心のどこかで分かっていたはずなのに――

 

「あかね……」

 

 一瞬だけ、あかねの手を取ろうか、そして一緒に行こうかと迷う。けれど、すぐにその選択肢を頭の中から消した。プログラムに参加させられている以上、いつかは離れなくてはいけない。どちらかが生き残ったとしても、もう片方は死ななくてはならない。いずれにしても、辛い思いをさせることになる。

 

 それにもう――タイムリミットだ。

 

「ごめん」

 

 それだけを告げた後、日向は後ろを振り返り、そのまま全力で来た道を戻っていく。先ほど流れた景色が、もう一度視界に入る。後ろであかねが追いかけようと駆け出したようだが、ドサッと倒れるような音がした。おそらく、日向が置いたデイバックに足をひっかけたのだ。

 

「待って!! 日向!! 待っ――」
「来るな!!」

 

 来たら、ここまで連れてきた意味がなくなるから。あかねには死んでほしくなくて、だからここまで走ってきたのだから。どうか、追いかけてこないで。こっちに来ないで。

 どうか、あかねの視界から自分が消えるまで、この首輪は爆発しないで。

 

「嫌ぁ! 戻ってきて! 日向、戻ってきてぇ!!」

 

 あかねの泣き叫ぶ声が聞こえる。その声で、足を止めそうになる。戻ったらダメだ。意味がなくなる。それに、あかねの目の前で首輪が爆発してしまうかもしれない。何度も何度もそう言い聞かせ、もう限界に近い足を必死で動かす。できるだけ遠くまで。できるなら――学校まで。

 

 声が小さくなっていく。景色はどんどん変わっていく。あとどれくらいで禁止エリアになるだろうか。自分はあとどれくらいの命だろうか。そう考えたら、少しだけ怖くなった。

 

 涙が一筋だけ流れたことに気づいたのは、学校が視界に入った頃だった。

 

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