生と死の境界線

 

 叫んでも、叫んでも、その声は届かない。行ってほしくないのに、戻ってきてほしいのに、それが叶うことはない。どんなに想っても、どんなに祈っても、そんな些細な願いすら打ち砕かれる。

 ほどなくして、耳に爆発したような小さな音が届く。それが意味することは、自分が考える最悪の結末。自分の五感の良さを、これほど恨んだことはなかった。

 

「ひ……日向……?」

 

 十四年間、ずっと一緒にいた幼馴染。物心ついたときから一緒だったから、彼がいない世界など、自分は知らない。そして、これからもずっと一緒だと思っていた。つかず離れずの距離感で、時には相談に乗ってもらって――そんな付き合いがずっと続くと思っていた。

 いつか離れる時がくることなど、考えたこともなかった。だって、一緒にいることが、彼がいることが、自分にとって当たり前になっていたのだから。

 

「嫌っ……嫌だぁ……。どうして……どうしてぇ……」

 

 嗚咽がこみ上げてくるせいなのか、それとも叫びすぎたせいなのか、絞り出すような声しか出てこない。小さくなっていく背中に向かって、何度叫んだことだろう。追いかけることすらできずに、ただその場で声を出すことしかできなかった。あのとき手を掴んでさえいれば、すぐに駆け出して追いかけていれば、彼はまだここにいたかもしれないのに。踏み越えられなかった、おそらくたった数メートルしかない、禁止エリアとの境界線を。

 結局、自分も命が惜しかっただけなのだ。追いかけて、首輪が爆発するのが怖かったのだ。なんて自分勝手なのだろう。幼馴染の一人、助けることができないなんて。

 

『俺は、そんなに強くない』

 

 どうしてあのとき、“そんなことはない。日向は弱くなんかない”と言ってあげられなかったのだろう。弱いなんて、一度も思ったことなかったのに、どうしてすぐに否定できなかったのだろう。否定できていれば、彼はまだここにいたかもしれないのに、死なせることなど、なかったかもしれないのに。

 

『俺は、自分が一番怖いんだ』

 

 彼が言ったこの言葉。その言葉の意味が、まったく分からない。自分は自分でしかないのに、他の誰よりも一番身近な存在なのに、“分からない”というのはどういうことなのだろう。

 彼の言った言葉の意味を、学校に戻った理由を、死を選ぶ動機を――理解することができなかった。

 

「なんで……なんでよ……。日向やる気じゃないんじゃん……。人殺すなんて、絶対しないのに……。どうして日向が死ななくちゃいけないの……? なんでよ……なんで……?」

 

 置かれたデイバックに顔をうずめ、枯れることのない涙を流しながら、決して答えがでるわけのない疑問を、ただつぶやくことしかできない。立ち上がることも、ましてやあの背中を追いかけることもできない。ここから動くことができない。どうすることもできない。

 なんて無力なんだろう。一体誰を救おうとしていたのだろう。どうやってプログラムを中止させようとしていたのだろう。どうやってみんなを助けようとしていたのだろう。その方法も、考えも、何も分からない状態で一体どうやって――

 

『あかねなりに、助けてあげればいい』

 

 どうやって――どうやって助ければいい? 目の前の幼馴染一人助けられない自分が、一体誰を助ければいい?

 

「死んじゃ嫌だよ……。いなくならないでよ……。日向、戻ってきてよ……」

 

 戻ってこないことを、心のどこかではわかりつつ、そう願わずにはいられない。まだ死んだと決まったわけではないから、その死を証明されていないから、縋らずにはいられない。生きていることを願わずにはいられなかった。

 何もできない自分が不甲斐なくて、助けてもらった恩返しもできなくて、そのことが申し訳なくて、また涙が溢れ出すのが分かった。

 

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 地面に顔を埋めて泣いている東堂あかね(女子14番)の五メートルほど後ろ。隠れるようにしてその様子を見つめている人物がいた。

 

――あれは東堂さん……よね? 一人なの?

 

 橘亜美(女子12番)は、あかねに見つからないように、背後にある木の陰に隠れながら、その様子を見つめていた。その右手には、支給されたジェリコが握られている。もちろん、弾も既にこめてある。

 学校前で曽根みなみ(女子10番)に襲われて逃げた後、咄嗟に飛び込んだ民家でしばらく息を潜めていたが、そのうちにここはまだ禁止エリアになってしまうかもしれないという不安に駆られた。そこで、誰にも見つからないようにその民家を出て移動していたところ、泣いているあかねを発見したのだ。

 ちらっと時計を見る。今はPM08:10。おそらく、学校はもう禁止エリアになってしまっただろう。それでもなお自分の首輪に反応がないということは、ここは禁止エリアではないということになる。その事実は亜美を安堵させたものの、同じように無事であるあかねが泣いていることが気になって仕方がなかった。

 

――どうして、あんなに泣いているの?

 

 何かをつぶやいているようだが、泣いているせいなのか言っている内容はまったく分からない。おそらく何かあったのだろうが、あかねのことを何も知らない自分は、それを推し量ることすらできない。

 ふと声をかけようか、何があったか聞いてみようか。そんな衝動に駆られる。けれど、その考えはすぐに打ち消した。

 

『父さん達はね、おまえに死んでほしくないんだ。だから――』

 

 下手なことをして、死ぬわけにはいかない。死んでほしくないと言ってくれた家族がいる。それに、精神状態が不安定なあかねに、何か疑われる可能性もある。亜美が出発して間もない頃、耳に届いたマシンガンの銃声。教室にまで聞こえたことを考慮すれば、その犯人が自分であると疑われてしまう。やる気であると思われてしまうかもしれない。最悪、あかねに攻撃される可能性もあるのだ。運動神経に優れているあかねとまともにやりあえば、いくら銃を持っているとはいえ、こちらがやられる可能性が極めて高い。

 

 そう思い、そっとその場から離れていく。なるべく足音をたてないように、静かに後ろへと移動していく。あかねは、こちらには気づいていない。振り向く様子もない。周囲に何が起こっても、今のあかねには分からないのかもしれない。この手に持っている銃をあかねに向けて、そのまま引き金を引いてしまえば、いとも簡単に殺せてしまうかもしれない。

 そんなあかねを見ていると、心がチクリと痛む。けれど、やはり声をかけるわけにはいかない。まだ死ぬわけにはいかない。そう言い聞かせ、あかねの方に視線は向けずに、泣き叫ぶ声は聞こえないふりをして、ゆっくりとその場から離れていった。

 

 その場から離れても、しばらくの間、あかねのすすり泣く声が聞こえたような気がした。それがずっと頭の中に残っていて、それでまた心がズキッと痛むのを感じた。

 

[残り30人]

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