理想論者と現実主義者

 

「ここで何をしている?」

 

 古賀雅史(男子5番)は、懐中電灯を消した後で、こちらに向かってそう問いかける。その質問に、須田雅人(男子9番)は即答することができなかった。頭の中で色んなものが渦巻いていて、咄嗟に言葉が出てこなかったから。

 

――古賀……一人なのか?

 

 懐中電灯で照らされた様子と、他に気配が感じられないところからして、どうやら雅史も一人であるようだ。それは、先ほど寿担当官から言われて既に知っていたことではあったけれど、改めて目の当たりにすると、雅史はどうして一人なのかと、変に勘ぐってしまう自分がいる。

 

 雅人自身も一人でいるのだから、人のことはとやかくいえない。それに、雅史と仲のいい冨澤学(男子12番)はかなり前に出発したため、学が待っていなければ、一人でいる理由も十分納得できる。現に、雅人はそうだったからだ。けれど、そんな邪推な考えを抱いてしまうほど、古賀雅史という人物は、あまりに自分と接点がない相手であることもまた事実。

 そう雅人自身、雅史のことをあまりよくは知らない。同じクラスになったのも三年になってからが初めてだったし、あまり会話もしないからだ。それに雅史は口数もそんな多くないから、何を考えているかも分からない。学と仲がいいこととか、空手部に所属しているとか、そんなあたりさわりのないことしか知らない。

 

 一人しか生き残れないプログラムという状況を考えれば、安易に信用してはいけない相手なのかもしれない。けれど、プログラムとそのものを否定し、心のどこかでみんなが乗らないことを信じたい雅人としては、最初から疑ってかかるということもしたくなかった。

 

「古賀……どうしてここに……?」
「別に。何か話し声が聞こえてきたから、気になって来てみただけだ。お前こそ、一体誰と話していたんだ? 一人なのか?」

 

 いつもと変わらない調子で返答した後、雅史はこちらに質問してくる。ボックスのドアを開けっ放しにしていたせいか、どうやら寿担当官との会話を聞かれていたらしい。今思えばあのとき、周囲に聞かれるかもしれないという警戒心はまったくなかった。田添祐平(男子11番)の家族のことで頭がいっぱいだったせいか、他のことは何も考えられなかったのだ。

 担当官が忠告しなければ、相手が完全にやる気の人間だったら、今頃あっさり殺されていたのかもしれない。そこまで考えたところでゾッとし、それから、そうやって簡単にクラスメイトを疑ってしまう自分に軽く失望感を覚えた。

 

「一人だけど……」
「一人? なら、今まで話していた相手は……」

 

 雅史はそこまで言い掛けたところで、雅人の後ろにある公衆電話のことを思い出したのだろう。ややあって、小さなため息が聞こえた。そのまま雅史は、呆れたような口調で話し出す。

 

「電話……してたのか? 電話は確かできないはずだったが、一体誰と話していたんだ? そもそもつながったのか?」

 

 すぐに返答しようとしたけれど、その瞬間思うところがあって、雅人は咄嗟に口を噤んだ。事実を素直に話していいものか、迷いが生まれる。そんな雅人にかまうことなく、答えを促すかのように雅史は再び口を開いた。

 

「どうなんだ?」
「……つながらない。担当官が出たんだ」

 

 いつになく、発する言葉に力がないのが分かる。上手い嘘が浮かばなくて、結局本当のことを話してしまった。ここまでは言ってもかまわない。問題はない。むしろ言うべき内容だったのかもしれない。そう、ここまではいい。ただ、問題は――この後。

 電話してから今まで担当官と何を話していたのか、そもそもどうして電話したのか――その内容を話すことはできない。誰にも言ってはならない、祐平と交わした”約束”に触れてしまうから。

 

 だから、どうか、これ以上のことには触れないで――

 

「そもそも、何で電話した? 家族に助けでも求めていたのか?」

 

 その願いもむなしく、雅史はその理由を問いかける。必然的に、こちらはまた黙りこむ形になった。

 

「どうした? 恥ずかしくて言えないのか?」

 

 雅人がどう説明しているか迷っている沈黙を、雅史は羞恥心から言えないと勘違いをしているらしい。その勘違いは、正直あまり歓迎するところではないのだが、だからといってごまかすことなどできそうにないし、増してや上手い言い訳が思いつくわけもない。上手い言い訳が思いつくほど頭がいいわけでもないし、そもそも状況が状況なだけに、いつもより頭の回転は鈍いだろう。上手い理由も、ごまかす方法も、今の凝り固まった頭では思い浮かぶわけがない。

 雅人は、沈黙を守ることで、その言葉を暗に肯定することにした。

 

「まったく……」

 

 沈黙を肯定と取ったためだろう、先ほどよりも呆れた口調で雅史は口を開いていた。

 

「何考えてんだ。家族に助けを求めて、それで全て解決するとでも思っていたのか? そんなことをしたら、その家族にも危険が及ぶとか考えなかったのか?」

 

 雅史の言葉でハッとする。電話したことで、祐平の家族に危険が及ぶかもしれないという可能性は、正直まったく考えていなかった。自分が抱いた不安を解消をするために電話するなど、今思えば浅はかな考えだった。電話してもしなくても、家族の安否に変わりはないというのに。

 

「そもそもプログラムに巻き込まれた時点で、もう親も誰も頼れないんだ。ここにいる人間は、全員が敵で、絶対的な味方は一人もいない」

 

 ひどく冷たい口調で、雅史はこう告げる。こちらが何か言う前に、そのまま続きを口にしていた。

 

「生き残るためなら、裏切ろうが何しようが許される世界なんだ。友達ですら、絶対的な信頼の対象じゃない。お前、有馬や広坂のことを心の底から信用できるのか? 信用できるほど、あいつらのことを知っているのか? もしかしたら、殺しに来るかもしれないとか、仲間になっても寝首をかかれるかもしれないとか、そんなことを微塵も思わないのか? もしかして、誰もこんなの乗らない、自分と同じ考えを持っているとか、本気でそんなこと思っているのか?」

 

 何も言わなかった。間違っていないからだ。みんな自分と同じように、プログラムに反対していると信じている。いつも一緒にいる有馬孝太郎(男子1番)広坂幸治(男子13番)のことも、いつも一緒にクラス委員をしている東堂あかね(女子14番)のことも、雅人は心から信じたいと思っている。

 

「甘いんだよ、そんな考えは」

 

 そんな雅人の考えを、見透かすような言葉。その瞬間、銃で撃たれたような、刃物で切り裂かれたような、そんな痛みが雅人を襲う。現実を突きつけるかのような言葉。みんなを信じたい雅人を、非難するようなこの言葉。

 分かっている。生き残るためなら、どんなことでも赦される。それがプログラムなのだと。雅人だって、理屈では分かっている。でも、それに自分の気持ちがついていけていない。自分が言っていることはただの理想論で、現実味を帯びない空虚な理論であることも分かってはいる。対して雅史の言っていることは現実的で、まぎれもない事実であることも理解している。分かってはいるのだ。雅史の言っていることは、決して間違ってはいないと。

 

 では、そういう雅史はどう思っているのか。プログラムではどんなスタンスでいるのだろうか。攻撃しないところからして、進んで人を殺すつもりはないのだろう。敵ではない、と思う。でも、なら、一体雅史はどんな――

 すると、雅史はなぜか、懐中電灯のスイッチを、もう一度入れていた。そして、自分の手元を照らす。その手には、何か黒いものが握られていた。雅人が持っている銃の類いではない、そして刃物の類いでもない、何か黒い四角いもの。

 

「これが俺の支給武器、スタンガンだ。ハズレ、とも言いにくいが、これで人は殺せない。プログラムのルールに準じて行動することを決めても、これじゃ役不足だ。だから仮に乗ることを選択しても、今は進んで殺すという選択をしない。今静観している奴の中には、こういうタイプもおそらくいるだろう。もし今ここで殺そうと思っても、お前が銃を持っていたら、俺は一発で死んでしまうしな」

 

 そう言われ、何を言うよりも前に、反射的にCZ75に手が伸びてしまう。こちらに光は当たってはいないけれど、おそらくその動きで察したのだろう、続けて雅史はこう言っていた。

 

「そうか、お前には銃が支給されたのか。なら、余計に警戒しないといけないよな。銃は一番危険な武器だし、刃物よりも簡単に人を殺せる。その気がなくったって、殺せるんだからな」
「ち、違う! 俺はそんな気はない!!」

 

 やる気であると思われたくなくて、今まで一言も発することができなかったのに、思わず大声で反論していた。それだけは、絶対生みだしたくない誤解だった。

 

「誰も、お前がやる気だなんて言ってないだろ。その気がなくたって、殺せると言いたかったんだ」
「何言ってんだよ! だから、その気はないって言ってんだろ! あるとかないとか、そんなの関係ない! 俺は、誰も殺さないし、こんなの認めない!!」

 

 座り込んでいた形から、思わず立ち上がる。立ちあがっても雅史とは身長が十センチも違うため、見上げることに変わりはない。けれど、このまま黙って聞いているのは我慢ならなかった。

 

「俺は、孝太郎や幸治はこんなの乗らないって信じてる! もちろん、東堂さんや他のみんなもだ! だって、人を殺すなんて間違っているじゃないか! みんな……みんな簡単に……こんなの認めるわけ――」
「じゃあ、あのマシンガンの銃声は? どう説明する?」

 

 決して大きな声ではなかったが、遮るかのように発した雅史の言葉。その言葉で、雅人は再びグッと黙りこむ形になる。それと同時に、雅史は懐中電灯のスイッチを切っていた。

 

「あ、あれは……何かの間違い……」
「本気でそう思っているのか?」

 

 念を押すかのようなこの言葉。それでまた言葉に詰まる雅人に向かって、雅史は続けて言った。

 

「お前だって分かっているんだろ? あの銃声で、曽根さんは死んだ。その人物は、おそらくまだ生きている。いいか。大事なのは、その人物がやる気かどうかじゃない。その人物が、“既に人を殺した”というところなんだよ」

 

 まるで昨日のテレビの話をするかのような、他愛もない会話をするかのように、その口調はひどく落ち着いている。それがなお、発する言葉に重みを増す。突きつけられているのだ。雅史は、決して感情だけでこんなことを口にしてはいない。冷静に、事実だけを話しているのだと。

 

「人を殺すのは、確かに道徳的観点からいえば間違っているといえるだろう。けれど、事故でも正当防衛でもいい。一度人を殺してしまったら、もうその禁忌は犯したことになる。そしたら、もう何人殺しても一緒だとか、この際優勝しようとか、そう思う可能性が極めて高い。俺が言いたいのはそういうことだ。0と1は大きく違うが、1と2に大した差はない。この場合はな」

 

 冷たく突きつけられる言葉。雅史の言っていることは、思えばひどく残酷なもの。けれど、この現実を正確にとらえている言葉であることも事実。そのせいか、反論する材料が見つからない。所詮、雅人の言っていることは理想論で、感情論に他ならないのだから。

 

「俺から見れば、お前にだってその可能性は十分あり得る。だから、お前がやる気かどうかというのは、俺の中ではあまり問題ではない。お前が進んで人殺しをするような人間じゃないことくらい分かってるからな」

 

 反論できない故か、雅史が言葉を切れば沈黙が訪れる。どうやら雅史は、こちらが思うよりもずっと現実主義者であるようだ。そんな正しい意見の前では、成す術がない。雅史の言っていることは、ここでの正論。道徳論も、常識も、ここではいっさい通じない。

 でも、それでも雅人は、みんなのことを信じたいと思っている。どういう状況にあっても、孝太郎や幸治、それにあかねは、プログラムに乗らないと信じている。では、対して雅史は、普段仲のいい学のことをどう思っているのか。反論できないこともあってか、どうしてもそれが聞きたくて、思わず「じゃ、じゃあ!」と口火を切っていた。

 

「じゃ……じゃあ、そういうお前はどうなんだよ……? 冨澤のことも信じていないのか? 冨澤も人を殺したら、そういう風になるって……そう思っているのかよ……?」

 

 三年間同じクラスだったというくらいの付き合いでしかないが、学だって悪い人間ではない。進んでこんなものに乗る人間ではないだろう。ただ、雅史のいう理論からいけば、人を殺さない保証はない。でも、最初から信じていないわけではないはずだ。友達だから、いい奴だから、きっと信じていると。そうでなくても、進んで乗るなんて思わないだろうと――

 

「学は……おそらく乗る」

 

 しかし、雅史の口から告げられた答えは、雅人の想像をはるかに超えるものだった。

 

「お前が思っているほど、あいつは子供じゃない。むしろ、お前よりもずっと現実的な考えを持っている。死にたくないなら、このルールに準ずるしかない。なら、積極的に動くしかないって思うだろうな。早く終わらせないと、不利だとも考えているかもしれない。もしかしたら、マシンガンの主も、さっきかすかに聞こえた銃声も、学が関わっているのかもしれない」

 

 雅史の言葉は、今まで一番の衝撃を与えた。友達なのに、そんな風に思うなんて。

 

「と、友達なのに……そんなこと思っているのかよ……?」
「ダチだからこそだよ。お前みたいに、上っ面だけ見ているわけじゃない。ダチだからこそ、こういうときどういう行動を起こすのか、他のみんなより予測ができる。そういうもんだ」

 

 そう言って、雅史はすっと歩き出す。先ほどと同じようなコツッコツッという足音が聞こえてくる。

 

「ちょ……! 古賀! どこに行くんだ!」
「言ったろ。プログラムという状況下では、誰も人を殺さないとは限らない。死にたくないなら、一番安全な対策は一人でいることだ。疑問は解消できたし、お前とこれ以上話すことなんか何もない。じゃあな」

 

 一方的なことを言うだけ言って、雅史はそのまま立ち去っていく。その背中に向かって、雅人は何も言うことができなかった。何を言っても、おそらく雅史から見れば、空っぽの意見。空虚な理想論だろうから。思わずこぼれ出た一人言に近い言葉は、やけに力なく響いてくる。

 

「じゃ、じゃあ……お前の言う通りなら、プログラムはこれからどんどん進んで、田添や曽根さんみたいに……みんな死んでいくってことなのかよ……。だってこんなの……おかしい……」
「現実的にいえば、そうなるだろうな。死にたいやつなんかほとんどいないだろうし。それにプログラムがおかしいことくらい、みんな分かっている。だから言ってるだろ。ここではそんなの問題じゃない。生きるか死ぬか、それだけが問題なんだよ」

 

 そう言って、雅史は歩を進めていく。その背中を、雅人は黙って見送ることしかできない。数歩歩いたところで、雅史はおもむろに足を止め、振り向くことなくこう言い放っていた。

 

「死にたくないなら、その甘い考えを捨てろ。でなきゃ、このクラスの誰かに殺されて、お前は確実に死ぬぞ」

 

 止めを刺されるようなその一言で、雅人の頭の中は真っ白になる。どうしていいのか分からなくなる。信じたいのに、そんなことないと言いたいのに、どれも口に出すことはできない。たとえ空虚な理想論でも、しがみつきたかったのに、それをもう言葉にすることができない。

 そうして気づいたときには、雅史の姿はどこにもなく、立ちすくんでいる雅人だけが――この暗闇にただ一人取り残されていた。

 

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