国ニ捧ゲル我ガ命@

 

 待ち望んでいたこの瞬間。いつか、国のために働きたいと思ってはいた。大東亜共和国のために、総統のために、私は全てを捧げるつもりだった。もちろん、プログラムに選ばれればいいと思っていたけれど、どんなに忠義を尽くしても、こればかりは神頼みだ。だからこそ、これがプログラムだと分かった瞬間、飛び上がりたくなるほど嬉しかった。そして神に感謝した。やはり私は、国のためにこの命を使うべきなのだと。

 

「なのに、誰もいないなんて……。これじゃ、何もできないじゃない」

 

 江藤渚(女子2番)は、エリアG-4にいた。学校を出発してから、こうしてずっと歩き続けている。もちろん仲間を探すためではなく、プログラムにおける最重要項目――戦闘実験という目的を果たすために。今は夜で、視界も良好とはいえないが、足を止めるという選択肢など今の彼女には存在しなかった。

 寝るという選択肢もない。それは、単純に周囲を警戒しているからだけではなく、興奮しているからだ。そう、まるで遠足前日にはしゃいで寝れなくなってしまう、幼い子供のように。

 

「あーあ、みんなどこよ……? 早くお手合わせ願いたいのに」

 

 支給武器であるククリナイフを、一度だけブンッと振る。両親の教育方針で、一応小さい頃から剣道を習ってはいた。しかし、こんな見慣れない刃物の扱い方など、もちろん知るわけもない。とにかく刃物なのだから、切りつければいいのだろうということくらいは分かっているが。

 もちろん、そんなのはただの甘えに過ぎない。不確定要素で自分に回ってきた武器なのだから、これで戦わなくてはいけない。弱音を吐くことなど赦されない。ここは戦場。戦いに後ろ向きになった者が、真っ先に脱落する世界。臆することなど、あってはならない。

 

――全てはこの国のため。総統様のため。

 

 生まれたときから、将来はこの国のために働くように、そう教えられてきた。渚自身も、そう信じて疑わなかった。そのためか、疎まれたりいじめられたりもしたけれど、大して気にも留めなかった。総統の素晴らしさが分からない愚民となど、関わりたくもないし、ましてや同情もされたくない。

 

 ずっと一人でもかまわないと思っていた。大人になって、総統のために働ければそれでよかった。

 

 だからこそ、忘れもしない。二年時、四月の始業式で、彼女と初めて会ったときのことは。

 

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 幼いときから、愛国主義者な故か、渚はよくいじめられていた。その内容は、上履きを捨てられていたり、ノートに汚い落書きをされたり、机の中に汚い虫を入れられたりといった間接的なものばかりだった。集団で無視されるだとか、水をかけられるなどといった直接的なことはされなかったけれど、客観的に見れば、それは十分“いじめ”に値する行為だったに違いない。

 けれど、渚は一度たりとも、それを学校側や親に告げ口することはなかった。それは、決していじめているクラスメイトの報復を恐れていたわけではない。言っても解決しないことを、渚は悟っていたからだ。教師に言ったところで、表面的な注意で終了。いじめていた者も、そのときばかりは反省しているように振る舞い、もうしませんと口だけの誓いをたてるのだろう。もしかしたら、涙を流す者さえいるのかもしれない。そして、一時過ぎれば、また同じことを――もしくはもっと陰湿な形で繰り返す。性根の腐った人間には、どんな言葉も届かないのだと。大体、間接的な行為しかできないこと自体、いじめている者の臆病さを物語っている。

 それに、そういう人間にはいつか罰が下る。私には総統様がついているのだ。いつか彼らには、総統様から天罰が下り、想像を絶するような苦悩を味わうのだと思っていた。総統様の加護のない者になど、明るい未来は訪れない。そう信じて疑わなかった。実際、いじめていた一人が交通事故で大怪我を負ったときは、内心くそほほんだものだ。

 

 両親のすすめでこの青奉中学校を受験するときも、まったく迷いはなかった。それはいじめから逃れられるからではなく、将来国のために働くのなら、ある程度の教養と学歴は必要だと分かっていたからだ。幸いにも、いじめをさほど気にしていなかった渚の成績は目立って落ちることもなく、難なく青奉中学校に合格することができた。それも、成績優秀な特待生として入学できたのだ。そう分かったとき、両親は飛び上がるほど喜んでくれたし、渚も嬉しかった。それは、私立に行けば同じ考えをもつ同士に出会えるかもしれないと、心のどこかで期待していたからかもしれない。

 けれど、そんな期待はもろくも崩れ去る。比較的話の合う友人はできたものの、国のことや総統のことについて、語り合える同士ができることはなかったからだ。ほんの少し話しただけでも、その人物がこの国に大して愛情がないことも、ましてや総統様にたいする尊敬の念も抱いていないことも、手に取るように分かったからだ。ただ、テニス部入ったこともあって、渚はそのことを打ち明けることなく周囲とつきあっていくことを選んだ。同じ小学校から進学した者がいなかったおかげで、渚は愛国主義者であることが知られることはなかった。

 

 そんな中、出会った彼女。思えば、最初から異彩を放っていたような気がする。

 

「江藤さんね」

 

 それは、二年に上がって最初の始業式の日のこと。一年と同じように特進クラスに配属された渚に、彼女は開口一番そう話しかけてきた。

 

「私、今年から特進クラスに入った小山内あやめというの。あなたとは、気が合いそうね。よろしく」

 

 出席番号が前後していたせいだろうか。他の誰でもなく、最初に自分に話しかけた彼女は、周囲から浮いて見えるほど印象的だった。漆黒の長い髪に、切れ長の涼しげな目。スッと差し出された手を握り返したとき、ヒヤリとした感触がしたことは、今でも忘れられない。

 最初はこんなありきたりの会話だった。だから渚も、仲良くやっていく友達になるのだろうなくらいにしか考えていなかった。けれど、知り合ってまだ一カ月もしない内に、彼女はこんなことを言い出したのだ。それも、おはようと挨拶したそのすぐ後に。

 

「ねぇ、江藤さん。今朝のニュースを観たかしら? 総統様のお言葉、とても素晴らしいものだったわね」

 

 何の前触れもなく、ごく当たり前に、まるで昨日のドラマ観た? という軽い口調で、あやめはそう言った。そのせいか、渚はまったく反応することができなかった。

 

「江藤さん、どうかしたの? 具合でも悪いの?」

 

 本当に心配しているかのように、こちらの顔をのぞき込んでくる。渚がその話に対して引いているだとか、嫌悪感を抱いているかもしれないだとか、そんなことは微塵も考えていないようだった。それどころか、そんなことは頭の片隅にもないのだろう。

 

「どうして、私にそのようなことを聞くの?」
「あら、そんなに意外だったかしら? 江藤さんなら絶対に知っていると思ったし、このような話をできる方だと思っていたからだけど」

 

 渚の質問に、あやめはあっさりと返答する。そして、たたみかけるかのようにこう続けた。

 

「だって江藤さんは、私と同じように、総統様を崇拝しているのでしょう?」

 

 それは質問というより、確認の意味合いが強いものだった。真っすぐにこちらを見つめるその瞳に、迷いや揺らぎは一切見えない。まるでこちらが否定することなど考えておらず、確実に肯定することを確信しているかのようだ。その眼差しに、こちらが動揺してしまいそうなくらいに。

 

 刹那、背筋がゾクリとする。心臓が高鳴る。一筋の汗が、額から流れ落ちる。

 

 あやめは、いつから分かっていたのだろうか。もしかしたら、このことを分かった上で、自分に話しかけてきたのだろうか。最初から、渚が愛国主義者であることを見抜いていたのだろうか。それは、直感なのか、それとも確固たる理由でもあったのか。

 違うなどと、否定することなどできなかった。総統様を裏切る嘘など、つけるはずなどなかった。だからこそ、これまで愛国主義者ではないという質問に対して、否定してこなかったのだから。中学校に入学してから愛国主義者であることを言わなかったのも、これまで聞かれなかったことで、敢えて嘘をつく必要がなかっただけのこと。

 

 そう、ようやく巡り合えたのだ。自分と同じ考えをもつ人物に。歳の同じ、それも同じ性別の――友人という名の同士に。

 

 そのとき、渚は確かに感じていた。自分の見えている景色が、これまで知っていた世界が、大きく変わっていくことを。

 

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 あやめを待たなかったのは、言うまでもない。あやめも自分と同じ考えを持っているからだ。これは戦闘実験。自分以外は全て敵。一番の親友であっても例外ではない。

 このプログラムが、防衛のためのシュミレーションというのならば、それに準じるのが私達の大東亜共和国の国民としての務め。自分一人の力で、どれだけのことができるのか。どのように行動すれば、効率的に敵を討ちとれるのか。いざ他国との戦争になったとき、きっとこの実験のデータが役に立つ。そのときのために、与えられた武器で、敵であるクラスメイトを、殲滅させなければいけない。

 渚は、そのために、今もこうして一人で動き回っているのだから。

 

――全ては、この大東亜共和国のため。そして、総統様のため。

 

 テニス部に所属していたので、運動神経にはそれなりに自信がある。警戒心さえ怠らなければ、最初の攻撃は避けられるはず。それに、私には総統様がついているのだ。たやすくは死なない。この国のために、命を投げ出す覚悟はできている。何があっても、私はこの国のために戦うだけ。そう思っていた。

 だからこそ、背後で動く人の気配に気づいたときも、渚はまったく動揺しなかった。

 

「誰? そんなところに隠れていないで、堂々と出てきたら?」

 

 いきなり攻撃してもよかったけれど、こちらの武器であるククリナイフは、決してリーチの長い刃物とはいえない。相手が銃を持っていた場合、下手に攻撃してはこちらが撃たれる恐れがある。それに、対峙する相手のことを知っておきたいし、知る義務がある。どんなにこの国のことを思っていない人間でも、一応は同じ共和国の国民だ。同じプログラムの参加者として、敬意を払う必要はあると思った。

 

「……こんなに早く会えるとは思っていなかったわ、渚。やっぱり私達、気が合うみたいね」

 

 風の音すら聞こえない静かな空間に響く、凛とした声。その声は、もう何百回、何千回も耳にしている。

 

「あなたにはいつか会いたいと思っていたけど、やはりこれも、総統様のお導きかしら?」
「そうかもね。……あやめ」

 

 後ろを振り向けば、こちらに全身をさらしている一人の女の子がいた。長い黒髪に、切れ長の目つき。プログラムの最中でも、官僚一家の娘という気品の高さは失っていない。微笑みを携えているのは、会えた喜びからなのか、それとも決して負けないという自信からなのか。

 

「あなた相手なら、きっと実験データも有意義なものになるでしょうね」

 

 五メートルも離れていない場所にいる彼女――小山内あやめ(女子3番)は、そんなことをさらりと言ってのける。右手に長い刀らしきものを握ったまま、その表情をまったく変化させることなく、こちらに向かって殺意に近い雰因気を放ちながら。

 

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