国ニ捧ゲル我ガ命A

 

 「一応聞くけど。渚、覚えているわよね?」

 

 先ほどと変わらない表情で、目の前の友人――小山内あやめ(女子3番)は、確認するかのようにそう告げる。その言葉に、江藤渚(女子2番)は、躊躇うことなく首を縦に振った。

 

「忘れるわけないでしょ」
「そうよね。渚は、そんな薄情な人ではないわよね」

 

 そう言って、あやめは少しだけ表情を崩す。見る人が見れば、それは笑っているのだと分かるが、ほんの数ミリ程度の変化なので、クラスメイトのみんなは気づかないだろう。

 

『渚。私たち、とうとうプログラム対象年齢になったのよ』
『ついにこの年になったのね』
『また渚と同じクラスになれて嬉しいわ。ねぇ、分かってる? もしプログラムに選ばれたら――』

 

「プログラムに選ばれたときは、お互い正々堂々と戦う……でしょ?」

 

 中学三年生になったあの日。あやめは躊躇いなくそう言った。もちろん、渚も同じ気持ちだった。そんな二人がここで会ったからには、円満に別れるわけがない。選ぶ選択肢は一つだけ。国のために死力を尽くして戦う、それだけだった。つまり、ここでどちらかは死ぬ。それは、もはや避けられない運命。

 

「渚の武器は……随分変わった刃物ね」
「ククりナイフっていうそうよ。あやめのは刀?」
「正確には、専守防衛軍陸軍が使っている軍刀よ。リーチは、私の方が長いわね」
「でも、同じ刃物。それに、ランダムで出てきた武器なんだから、文句なんか言わないわ。これで戦うつもり」
「ふふ、それでこそ渚ね。さすが、私が見込んだだけのことはあるわ」

 

 しばしの会話の後、あやめは右手に持っていた軍刀をかまえる。それにならうかのように、渚も右手に持っていたククリナイフをかまえた。

 

「いい? 手加減はなしよ。でないと、戦闘実験の目的は果たされないのだから」
「当たり前。あやめ相手に、手を抜いて勝てるなんて思ってないわよ」

 

 その瞬間、ひゅうと風が吹く。冬という季節に似合いすぎる、鳥肌が立ちそうなほど冷たい風。視界に入るあやめの長い髪が、風になびいて揺れる。その長い髪の間からでも分かる、殺意に満ちたあやめの目。それは、本気である証。

 どこからともなく聞こえた、風できしむ枝の音。それは、おそらく折れそうなほど細いものだったのだろう。すぐにパキンと折れる音と、地面に落ちて何かに当たるコンッという音が聞こえた。

 

 それが、戦闘の合図となった。

 

 先手を取ったのは、渚だった。左足から踏み込み、数歩走ったところでナイフを大きく横に振った。ちょうど、あやめの細い首、首輪の上の頸動脈を狙って。

 しかし、それを読んでいたのか、あやめは一、二歩下がってナイフを避ける。そして、すぐに軍刀を持った右手をこちらに向けてまっすぐに伸ばす。避けにくい突きの形で腹を刺そうとしている分かり、後ろにではなく右に避けた。テニス部でやっている反復横飛びを応用させたような形になるが、咄嗟でやったにしては案外上手い方法だったようだ。

 

「あら。今ので仕留めたと思ったのに」
「甘くみないで。これでも私、テニス部で二年の時からレギュラーの座、譲ったことないの」
「そうだったわね。じゃ、次はこっちからいくわよ」

 

 そう言うなり、あやめは一気に間合いを詰めてきた。どんな攻撃がきたとしても避けられるように、渚はナイフを顔の前に出し、左足を後ろに下げ臨戦態勢をとった。それにも一切かまわず、あやめは先ほどと同じように腹に向かって軍刀を突き出した。また同じ手をと思い、先ほどと同じように右に避けようとした。しかしその瞬間、あやめはニヤリと笑う。視界の端で、軍刀の刃の向きが変わる。

 

――しまった! こっちは囮!

 

 そう気づいたときには遅かった。横に避けた渚に向かって、あやめは突き出した軍刀を切りつける形で横に振るった。リーチの長い刃物を完全には避けられず、腹を横一文字に切られてしまう。思いのほか浅かったせいか、出血量はさほどではない。二歩下がって間合いをとり、体勢を立て直す。

 

「……へぇ、やるじゃない」
「小さい頃から、武道は一通り習っているのよ。ま、部活はお花を嗜みたいから、華道部に入ったんだけどね」

 

 思わず押さえた左手に伝わる、生温かい血の感触。次第に感じる切られた痛み。これは本物の殺し合いで、自分は一番の友人と本気で戦っている。国のために、本当に命を投げだそうとしている。

 そう感じた瞬間、渚の意識の中に、これまでなかったものが入り込む。殺し合いをしているという現実が、自分が死ぬかもしれないという可能性が、そして一番の友人に殺されるかもしれないという――恐怖という名の感情が。

 そんな渚にかまわず、あやめは攻撃の手を緩めない。矢継ぎ早に繰り出させる軍刀の攻撃を、どうにかして防ぐことで精一杯だった。そんな緊張感漂う戦闘の最中でも、渚の意識はそこに留まったまま。目の前にいるのは、つい昨日まで仲良く話していた友人。ここは、昨日とは違う殺し合いの世界。向こうは私を殺そうとしていて、こちらも相手を殺そうとしている。この国が定めた、プログラムという戦闘実験によって。

 

――私は、一体何をしているんだろう?

 

 そう考えた瞬間、渚の動きが完全に止まった。

 

「戦いの最中は、決して意識を相手から逸らしてはいけないわよ」

 

 すぐ近くで聞こえた、あやめの声。今度は避ける間もなく、腹にズブリと軍刀が刺さっていく感触を味わうことになった。

 

「あ……」

 

 切られた時よりも、耐えがたい苦痛が渚を襲う。すぐに軍刀は引き抜かれ、また別の痛みを味わうことになった。

 

「勝負あり、かしら?」

 

 先ほどよりも、あやめは、ニヤリとした笑みを浮かべる。なぜか今の渚には、それがひどく歪んだものに見えてしまった。

 

――あぁ、やっぱりダメか……。

 

 グラリと傾く景色を見ながら、心はどこか上の空だった。途端に、恐怖感が薄れ、代わりに心に浮き上がってきたのは氷のように冷静な――死の覚悟。

 もしかしたら、心のどこかでは、分かっていたのかもしれない。あやめには、勝てはしないと。自分がどんなに国を想っていても、どんなに総統様を崇拝しても、代々続く官僚一家の娘であり、武道も自分なんかよりもずっと長く習い、長けているあやめには敵うわけがないと。

 

 切りつけられたことで、死に対する恐怖を感じ、国家に殉じる覚悟が揺らいだことが、何よりの証拠だ。

 

「立派だったわ、渚」

 

 倒れていく身体が、ガクンという衝撃を感じると共に止まった。見れば、あやめが身体を支えてくれている。

 

「あなたの忠誠心は、必ずこの国のためになる。この戦闘データは、将来必ず役に立つわ」
「そう……かな……?」
「当たり前じゃない。とても有意義な戦いだったわ」

 

 あやめの温かい言葉に、一筋の涙がこぼれた。あぁ、やはりあやめは私のことを分かってくれている。私がどれだけこの国を想っているか、言葉にしなくても分かってくれている。

 よかった。戦う相手が、私を殺す相手が、あやめであってくれて。

 

「ねぇ……あやめ。頼んだ……からね。私の分まで……総統様に……」
「分かっている。渚の分まで、私が総統様に仕える。あなたの気持ちを、無駄にするようなことはしない。プログラムでも優勝して、あなたの分までこの国のために働くわ」

 

 そこまで言って、あやめは右手に軍刀を逆手に持ち、刃先を渚の首もとへと向けた。

 

「渚、あなたのことは一生忘れない。私たち、ずっと友達よ」

 

 そう言って、あやめは笑いかけてくれた。その笑顔で、渚は幸福な気持ちになっていく。不思議なものだ。もうすぐ死ぬのに、もう総統様のために働くこともできないのに、もう両親の期待に応えることもできないのに――

 

――あぁ、きっと後悔してないからだ。

 

 両親にも愛され、自分のことを理解してくれる友人もいて、後悔しないように生きることができた。

 私はきっと、幸せ者だ。

 

 軍刀がせまってくる。すぐに、首もとから鋭い痛みがはしり、一瞬だけそこが熱く感じる。視界に赤い血が広がったところで、渚の意識は消失した。その表情はどこか満足げで、いい夢を見ているかのように、とても穏やかなものだった。

 渚が息絶えたことを確認してから、あやめが軍刀を引き抜いた。先ほどよりも多くの血が、渚の顔を、あやめの服を、真っ赤に染める。けれど、あやめは敢えてそれらを浴びようとするかのように、その場からまったく動かなかった。

 

「やはり、私の見込んだ通りだったわ。渚、あなたはとてもよく国に尽くしてくれた」

 

 軍刀を地面に置き、両手で渚を抱き抱える。とても慈愛に満ちた目で、あやめは渚の死に顔をただ見つめていた。

 

「大好きよ、渚。あなたの気持ち、絶対に無駄にしない。約束するわ」

 

 暗闇に包まれる中、あやめはしばらくの間そうしていた。両手で渚の身体を抱きしめたまま、それ以上の言葉を口にすることなく、同じ志を持つ同士であり、そしてたった一人の親友に、そうして別れを告げていた。

 

女子2番 江藤 渚 死亡

[残り27人]

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