ライバル@

 佐伯希美(女子7番)は、エリアE-5の一角にある、少し古びた一軒家の中にいた。ここに隠れてから、ずっと膝を抱えて震えている。いつもの明るさなど微塵も感じられないほどに、その姿は憔悴しきっていた。

 

「なんで、なんでこんな事にッ……!」

 

 本来なら今頃、家の中で年末特有のスペシャル番組を観つつ、こたつの中でみかんでも食べているはずだったのに、なぜ殺し合いなどしなくてはいけないのか。どうして、目の前でクラスメイトが殺されなくてはいけないのか。クラス一成績が良く、頭の回転も早い希美にすら、その理由も意義もまったく理解できなかった。

 

――あかね……結香……ひかり……綾音……理香子……香奈子……。

 

 いつも一緒にいる友達がいない。底抜けに明るいリーダーのような存在の東堂あかね(女子14番)も、小柄なムードメーカーの辻結香(女子13番)も、ちょっと冷めたところもあるけどなんだかんだで一緒にいてくれる園田ひかり(女子11番)も、クールにツッコんでくれる五木綾音(女子1番)も、綾音と同様にストッパーの役割を担ってくれている細谷理香子(女子16番)も、このグループのアイドル的存在で見ているだけで癒される鈴木香奈子(女子9番)もいない。学校を出発して、ただ怖くてそこから離れて、とにかく走って目についた民家に入って、それからずっとここにいる。学校を出発してからこれまで、誰とも会話していないどころか、誰の姿も見ていない。つまりは、誰が生きていて、誰が死んでいるのか分からない。人に会わないことがいいことなのか、それとも悪いことなのか――それすら、今の希美には分からなかった。

 

――でも一人は……一人は嫌ッ……!

 

 恐怖の感情を抱いた状態で、暗闇に一人でいること。それは、希美にとって耐えがたい苦痛だった。光の見えない空間にいるだけで、精神が何かに蝕まれていくような気がする。そうでなくても、誰かが自分を殺しにくる可能性が極めて高い状況なのだ。周囲を警戒しているだけで、神経がすり減っていくというのに。

 

『ちょっと頭がいいからってあんた生意気なのよ。こっちに近寄らないでくれる?』
『ねぇねぇ、何か臭わない? あ、佐伯さんがいるからかー。嫌だ嫌だ、あっち行こうー』
『友達? 何それ? 私、あんたみたいな天狗なんかと友達になった覚えないんだけど』

 

 蓋をしたはずの記憶から溢れ出す、過去に浴びせられた暴言の数々。頭がいいからという、今思えばくだらない理由で、希美は小学生のときいじめに遭っていた。無視されることなど日常茶飯事。傍を通っただけで臭いだの言われ、授業で発言すればクスクス笑われた。物を壊されたり、隠されたりといったことはなかったものの、彼女らは、先生が気づかない程度に、証拠の残らない“言葉”という武器で、希美の身体ではなく精神を切り刻んでいった。それを月日が流れるのは待ちながら、希美はただじっと耐え忍んでいた。学校に相談して大丈夫なのか、相談して解決するものなのか、それでもっといじめられたりしないか。そのもしかしたらという可能性に縛られ、具体的な解決策を見いだせないまま、ただ希美はじっと耐え続けていた。親にいじめの事実を打ち明けたのも大分後、私立を受験したいという相談したときだった。

 

 そう、そのいじめから逃れるために、希美は私立を受験した。彼女らのいないところであれば、正直どの学校でもよかった。だからこそ、手当たり次第に私立を受験し、その中で一番偏差値の高かった青奉中学校に入学したのだ。希美の成績から考えれば、もっと上の学校へ行くことだってできたが、なぜかそれらの学校に試験で実力を発揮することができなかった。

 青奉中学校に合格できたのはよかったが、学校から入学案内の通知がきたところで問題が発生した。希美を特待生として迎え入れたいという旨と、入学式の際には新入生を代表して挨拶をしてほしいという要望がそこには書かれてあったのだ。特待生だと分かれば、そうでもなくても入学式に新入生代表の挨拶などすれば、一発で希美の成績がいいとバレてしまう。もしかしたら、それが原因でまたいじめられてしまうかもしれない。それを恐れた希美は、母親に懇願して学校側に特待生を辞退したいという旨と、挨拶は別の人にお願いしますという連絡を入れてもらったのだ。そのおかげか、成績優秀者の集まる特進クラスに配属こそされたものの、希美の成績が目立っていいということがバレることもなかった。そこそこクラスメイトとの関係も良好に築くことができたし、お昼を一緒に食べる友達もできた。もちろん無視されることもなかった。

 希美自身、このままでいられればよかった。特に何を望んだわけでもなかった。無視されなければ、一緒にいてくれる誰かかがいれば、もうあんな思いをしなければ、それでよかった。

 

『どうして自分までそのレベルに合わせなくちゃいけないんだ?』

 

 だからだろうか、今でもはっきり覚えているのは。一年ほど前、吐く息も白くなる真冬の時期に、“あいつ”――澤部淳一(男子6番)に言われた言葉の全てを。

 

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 初めて会った――というより、初めてその存在を認識したのは、希美自身が断った新入生の挨拶の時。自分の代わりにマイクの前で堂々と挨拶をしていた、澤部淳一その人を見たのが最初だった。

 自分の代わりに淳一が挨拶しているということから、おそらく希美の次に試験の成績がよかったのだろう。外見の印象は、眼鏡をかけた神経質そうな顔をしており、大よそ運動しなさそうな華奢な体格。世間一般でいう優等生のイメージに、そのまま当てはまりそうな風貌。最初の印象はこんなものだった。少なくても、仲良くなろうとか、深く関わっていくのだろうとはまったく考えていなかった。

 といっても、まったく関わりがないわけではなかった。その理由は、どの学校にもあるであろう日直という名の仕事のしくみにある。この青奉中学校は、日直は二人一組、それも同じ出席番号の男女ですることになっているのだ。一年時から同じクラスで名字も同じサ行である故か、一年のときも、二年のときも、希美と淳一は同じ出席番号だった。つまりは、二年間一緒に日直をやった間柄なのだ。一クラスの出席番号が二十番までいかないことから、一ヶ月に一回、もしくは二回は日直をすることになる。だから、淳一とは月に一回の日直の関係で軽く話をする。その程度の仲だった。

 

『希美の日直の相棒って、あの澤部でしょ? 可哀想にー。私だったら絶対ゴメンだわ』

 

 当時同じクラスだった友人が、淳一のことをそう言うのも無理はなかった。このとき目立った友人もおらず、周囲の反感を買うような発言をすることも少なくない淳一は、このクラスではかなり浮いた存在だった。それでも、淳一がその態度を変えることはなかった。そのせいだろうか、いつも一人で本を読んでいたような印象がある。だから、こんな風に言われたことも一度や二度ではない。

 希美自身も、淳一にそこまでいい印象はもっていなかった。日直の仕事はきちんとやるので、仕事としてはやりやすかったが、あの仏頂面でただ黙々とこなされると、どうにもこちらとしては威圧されている気がする。かといってその存在をまったく無視するわけもいかないので、日直のとき以外は関わらないようにして、少し距離を保って接していた。

 淳一の方も、特にこちらに関わってくることはなかった。また成績がいいことでいじめられることを恐れた希美は、定期試験の際でも本気を出さずにそこそこの点数ばかり取っていたせいか、淳一にとってさして気になる存在というわけでもなかったのだろう。必要な時だけ声をかけ、それ以外は関わらない。そんな関係が一年半ほど続いた。それがずっと続くと思っていた。

 それが壊れたのは、二年の冬。今から丁度一年前の、期末試験を間近に控えた頃。いつもと同じように日直を仕事をし、放課後日誌を書いたところで、いきなり淳一がこう切り出したのだ。

 

「佐伯。話があるんだが、この後特に用事もないだろ? ちょっと付き合え」

 

 普段聞くような威圧的口調で、淳一はこう切り出していた。それは許可を求めるようなものではなく、命令に近いニュアンスを含んだ言葉だった。

 

「え……? 話って一体――」
「校門で待ってるから。さっさと日誌提出してこいよ」

 

 こちらの返事を待つこともなく、淳一はさっさと通学用の鞄を持って出て行ってしまった。こちらにも拒否する権利があるはずなのに、強引に約束を取り付けられた気分だ。いや、実際そうだ。こちらは何も言っていないのだから。いいとも、嫌だとも。

 

――なんなのあいつ?! 私まだ何も言ってないのに!!

 

 クラスメイトというカテゴリ内でしか関わってこなかった人物の、突発的ともいえる誘い。その強引なやり口に怒りの感情も抱いたのだが、それよりも淳一がわざわざ学校外でする話とは何か。そちらの好奇心の方が、怒りの感情よりもはるかに勝っていた。

 

――でも、澤部が私に話って……一体何だろう?

 

 いずれにせよ、校門前に待たれているのなら逃げることはできない。それにうじうじ迷っていたりでもすれば、後で小言を言われることは、淳一の性格上かなりの確率であり得る話だ。どうせならさっさと行った方がいいだろうと判断し、希美は足早に日誌を提出し、校門へと向かうことにした。

 

「遅い」

 

 走って校門に着くなり、淳一はそんな小言を言ってきた。そんなに時間は経っていないだろうと文句の一つも言ってやりたかったが、その前に淳一はさっさと歩き出していく。

 

「ちょっと、どこ行くのよ?!」
「ついてくれば分かる。ずべこべ言わずにとっとと来い。俺は気が短いんだ」

 

 それだけを告げ、淳一はそのまま歩き出す。淳一の気の短さなど希美の預かり知るところではないし、何より勝手に誘っておいてそれはないだろうと言いたかったが、希美は敢えて何も言わなかった。言ってもどうにもならないだろうと分かっていたし、ここで言い争っていても仕方がない。淳一の向かっている方向が結果的に自分が帰宅する方向と一致していたこともあり、不本意ながらも黙って淳一の後を追う形となる。

 校門から出て右手の方向へ歩いていき、大きな信号を渡って細い道に入る。片側二車線ほどの道路に出れば、そこを左折してまたしばらく直進した。大通りに出れば、今後は右に曲がる。そこには、青奉中の生徒がよく使っている最寄りの駅だった。淳一は、躊躇うことなく駅の中へと入っていく。

 

「えっ……? ちょっと、電車に乗るなんて聞いてないわよ!」
「当たり前だ。言ってないからな」

 

 そんなことは分かっている、と言わんばかりの口調で淳一はそう告げる。確かにどこで話をするということに関しては何も知らされていないし、聞いてもいない。けれど、てっきり学校近くの適当なところで話をすると思っていただけに、この展開は予想外だった。希美も通学には電車を使っているので、いずれにせよ乗らなくてはいけないのだが、淳一と一緒に乗るだなんて。

 すると、淳一は制服の胸ポケットから定期入れらしきものを取り出す。淳一も電車を使っているということを、希美はこのとき初めて知った。

 

「ボーッとつっ立ってないで、さっさと改札くぐってこい。心配しなくても、行く先はお前の帰る方向と同じだ。定期の範囲内だから」

 

 自分の帰る方向と同じ――どうして、淳一が希美の帰る方向を知っているのだろうか。記憶の限りでは教えてなどいないはずだし、そもそもそんなプライベートな会話などしたことがなかったはず。しかし、そんな希美の気持ちなど知る由もない淳一は、またもやさっさと歩いていき、そのまま改札をくぐる。そして止まることなくどんどん先へ進み、電車の到着するホームへと向かっていく。

 

――あぁ! もう!

 

 今聞いても何も答えてはくれないだろう。仕方なく、希美も改札をくぐり、淳一の後を追うことにした。ホームへ着いた瞬間、二人が乗る電車が丁度到着しており、希美も淳一もそのまま電車へと乗り込んだ。すぐにアナウンスが流れ、近くのドアが音を立てて閉まる。そしてガタンと一度だけ大きく揺れ、電車はゆっくりと動き出す。

 電車はどんどん動いていく。見慣れた景色が流れていく。日が落ちるのが早い冬の時期にふさわしく、外はもうじき暗闇に包まれようとしていた。降りる駅が同じであるあかねと一緒に帰るとき以外は、希美は一人で電車に乗る。電車の中では、何をするわけでなくただ景色をぼーっと眺めているだけ。勉強や読書などしようものなら、乗り過ごすことは目に見えているからだ。今も、いつもと同じようなただ景色を眺めているけれど、隣にあかねではなく淳一がいるというだけで、どうにも気持ちが落ち着かなかった。電車の中は、希美にとってリラックスできる場所なのに。

 

「降りるぞ」

 

 景色を眺めていくうちに、どうやら目的地に着いたらしい。またのめり込む悪い癖が出てしまったらしく、いかんいかんと心の中で反省し、淳一の後に続くような形で電車から降りた。その瞬間、またいつもと変わらない景色に、今度は驚愕する形となった。

 

「ここって……」
「何を驚いている。お前がいつも使ってる駅だろ。ボサッとするな。さっさと改札出るぞ」

 

 やはり、淳一は希美の利用する駅を知っているのだ。ただ、どうして知ったのかは分からない。誰かから聞いたのか、それもストーカー紛いの手でも使ったのだろうか。しかし、そんな考えを巡らせれば、また淳一に置いていかれてしまう。仕方なく考えることを中断し、小走りに淳一の後を追いかける。淳一は希美を待つことなく改札をくぐり、出たところで左に曲がっていった。ここで初めて、希美はいつも帰る方向とは違う道に進むことになる。

 

「どこに行くのよ?」
「どっか適当なとこ」

 

 ここまで連れてきたのだから、てっきりちゃんとした目的地があるかと思いきや、どうやらそこまで決めていなかったようだ。人を連れ回しておいてそれはないだろうと少々呆れてしまうも、今更引き返すこともできず、ただその背中を追うことしかできなかった。

 

 車が走る道路の歩道を進み、すぐに左に曲がる。そこは車も通れないほど幅の狭い道で、この時間はもうみんな家に帰っているのか、歩いている人もまだらだ。しかし、そんなことも淳一には関係ないようで、足取りを緩めることなく、どんどん先へと進んでいく。しばらく道なりに歩いたところで小さな公園があるのを発見した。淳一はそのままその公園へと足を運ぶ、後を追う形で希美も公園へと入っていった。

 公園と呼ぶにはあまりに質素な作りだ。ブランコが二つ、滑り台とそれに併設する形である砂浜。それとベンチが二つ、あとはドッチボールもできるか怪しいくらいの広さであるグラウンドがあるだけ。近所にあれば利用するのかもしれないが、わざわざ遊ぶために遠くから足を運ぶほどではない公園。そんな印象を受けた。

 淳一はそのまま近くにあったベンチへと向かい、手でその上にあった砂を払っていた。てっきり座ることを勧めてくれるのかと思ったが、淳一はそのまま腰を下ろす。どうやらレディファーストという言葉は、淳一の中には存在しないらしい。期待などしていなかったが。

 

「話って……何よ?」

 

 しばらく経っても、淳一が何も言わないので、仕方なくこちらから話を切り出すことにした。学校の近くではなく、電車で移動までしてする話とは一体何なのか。ここを選んだのは、希美がこの近くに住んでいると知っているからなのか、それとももっと違う理由でもあるのか。

 希美の言葉で、淳一はこちらに視線を向ける。その眼差しには、どこか怒っているような印象を受けた。特に何かしたわけでもないのに、その視線に少しだけ怯む自分がいる。

 一度だけ溜息をついた後、淳一は口を開いて言葉を紡いだ。それは、あまりにも意外な言葉だった。

 

「お前、手を抜いているだろ?」

 

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