ライバルA

 

「お前、手を抜いているだろ?」

 

 その言葉は、希美の時間を一瞬だけ止めた。あまりに簡略化された言葉でも、それが一体何を指しているのか。思い当たる節がある希美にとって、痛いくらいに理解できてしまう言葉だったから。

 

「……何のこと?」

 

 そのせいだろうか。次に希美の口から出た、ある意味返答ともいえる質問という名の言葉が、どこか空虚で、そして上っ面だけのものに聞こえてしまったのは。

 

「すっとぼける気なら、はっきり言ってやろうか。毎学期に二回ほど行われる定期試験において、毎度毎度本気を出さずに適当に試験を受け、毎度毎度そこそこの点数しか取っていない。つまりは、本気を出して試験を受けていない。即ち手を抜いているんだろう、と俺は聞いている」

 

 嫌味なほどに(いや、実際嫌味なのだろう)、淳一は丁寧に説明してくる。その遠慮のない物言いに、希美はなぜか身ぐるみを剥がされていくような感覚を味わう。

 

「私が……そうだって言いたいの?」
「お前の以外の奴のことを、わざわざお前に言うわけないだろ」

 

 何を分かりきったことを、と言わんばかりの口調。そう言ってから淳一は呆れたように一度大きく溜息をついて、こちらに向けていた視線を地面に落とした。そうして流れるしばしの沈黙。

 言われなくても分かっている。そんなことを、わざわざ大して仲良くもない他人になど言うはずがない。淳一がそう言いたい相手は、他でもない自分なのだ。けれど、分かっていても、この急展開に頭がついていけない。中学に入学してから今まで上手くやってきたつもりだったのに、まさか淳一に指摘されるような日が来るとは思っていなかったから。

 

「何で……そんなこと……」

 

 バレてほしくなどなかったのに。このままずっと、誰にも拒絶されない、優しい日々さえ続いてくれればよかったのに。

 どうして、なんで、よりによってこの人に――

 

「いいから答えろ。手を抜いているんだろう?」
「だって澤部くんには関係……」
「質問しているのはこっちだ」

 

 こちらの質問などおかまいなしに、とにかく早く答えろと言わんばかりにたたみかけてくる。それが、希美を精神的に追いこんでいく。思い出したくもない過去が、閉じた蓋から溢れだそうとしている。

 肯定などしたくない。何も言いたくない。返事をしたくない、答えたくない――思い出したくない。

 

「……なんで、そんなこと答えなくちゃいけないの?」
「あ?」
「澤部くんには関係ないじゃん。そんなの、答える義務なんかない」

 

 そうだ。そもそも、質問に答えなくてはいけないという義務はない。向こうが勝手に問いつめてきているだけだ。だから、答えたくないなら黙っていればいい。そう考え、希美はきっぱりと答えることを拒絶した。

 すると淳一は、また一つ大きな溜息をついた。

 

「お前、バカか」
「……え?」
「違うなら違うって、否定すればいいだけの話だろ。それをしないってことは、暗に肯定しているということになる。答えない、つまり答えたくないってことは、裏を返せば俺の言っていることが本当のことだってことだ」

 

 淳一の言葉にハッとする。そう、違うなら、黙秘などせずに否定すればいいだけの話だ。けれど、希美は否定するわけでもなく、“答えない”という選択肢を選んだ。答えない――裏を返せば答えられない。即ち、はっきり否定できない、けれど肯定もしたくない。つまりは、その質問が希美にとって不都合で正しいことを、答えないということで証明してしまったのだ。

 

「まぁ、別に驚かないけどな。お前が手を抜いていることは分かり切っていたし。授業で先生の質問に答えるときも、誰でも分かるようなところを間違えて、誰も分からないところであっさり答えたりする。お前は上手くごまかしているつもりだろうけど、授業の回答と、試験の順位と、お前の本来の頭脳指数が一致しないんだよ。……と言っても、俺以外は誰も気づいちゃいないだろうけどな」

 

 淳一の言葉の一つ一つが、希美の心を正確に突いてくる。それらは全て本当のことだから、反論することなどできない。淳一の言うとおり、希美は授業で当てられたときでも、答えたり答えなかったりしていた。分かっている質問に全て答えてしまえば、本当はもっと頭がいいことがバレてしまう。かといって、あまりに答えないと先生に怒られてしまう。だからこそ、微妙なさじ加減で、目立たないように、日常生活に支障ない程度に、ずっとそうしてきた。誰もそんなところ気にしないと思っていたし、誰も気づかないと思っていた。

 ここまで言われては、もはや言い逃れも嘘も通用しない。そもそも、あの澤部淳一のことだ。おおよそ確信を得た上で、ここまで連れ出して聞いているのだろう。だからここで下手に反論しても、淳一に論破されてしまう。なぜなら、淳一の言っていることはまぎれもない真実なのだから。

 でも、どうして、淳一はそんなことを言うのだろうか?

 

「それが一体、澤部くんに何の関係があるのよ?」
「ムカつくんだよ」

 

 間髪入れずにそう答えた声色には、はっきりとした怒りの感情が込められていた。

 

「実力不相応なことをする奴もたいがいムカつくが、わざと手を抜いて、持っている実力を発揮しない奴はもっと腹が立つ。もっといい点数がとれるのに、なぜそうしない? 本気を出すほどでもないと、俺たちのことをなめているのか? それとも、本気を出すのが馬鹿らしいとか、くだらないとか、ダサいとか思っているのか?」

『なーんかさ、佐伯さんってムカつくのよね』

 

 淳一の言葉にカブるような形で、蓋をしていた記憶が顔を出す。ずっと蓋をしていた、思い出したくもない過去の映像が、勝手に頭の中に流れていく。

 

「手を抜いている奴に勝ったところで、俺は何も嬉しくない。そんな奴がいる中で取った学年一位に何の価値もない」

『あんたってさ、生きてる価値とはあんの? ないよねー』

 

 違う。今目の前にいるのは、小学校のときのクラスメイトじゃない。澤部淳一だ。あの人たちは、もういないはずだ。小学校を卒業した時、あの人たちの存在は、私の中から消えたはずなのに。

 

「どうして手を抜いている? 答えろ」

『ねぇ、あんたってさぁ……なんで生きてんの?』

 

――嫌ッ……。勝手に思い出させないでよ……!! もう思い出したくもないのに……!!

 

 止めて。それ以上言わないで。お願いだから、それ以上は――

 

「おい、何とか言ったら――」
「やめてよ!!」

 

 淳一の言葉に――流れてくる過去の記憶に耐えられなくて、希美は思わず大声を出していた。その瞬間、淳一は驚いたかのように口を噤む。同時に、頭の中に流れていた過去の映像も消えていた。

 

「あんたなんかに何が分かるの!! あんたみたいな一人でいても平気な奴なんかに、私の何が分かるのよ?! 正直に実力を発揮して、それで疎まれて、いじめられた私の気持ちなんか!!」

 

 叫ぶことを止めてしまえば、またあのときの記憶が蘇るような気がした。それだけは嫌だから、淳一が何か言いたそうにするのにもかまわず、希美はただ感情のままに叫び続ける。

 

「そうよ、あんたの言うとおり手を抜いているわよ! テストでもそこそこの点数しか取ろうとしていないわよ! だって、そうしなきゃまたいじめられるかもしれないじゃない! 無視されたり、笑われたりするかもしれないじゃない! また一人ぼっちになるかもしれないじゃない!!」

 

 あんなこと、もう二度と経験したくない。そのために、わざわざ電車で通わなくてはいけない私立に進学し、傷つかないようにこれまで上手くやってきた。今さら本気を出して、それで疎まれたり目をつけられたりして、また一人になどなりたくない。

 

「またあのときのように一人ぼっちになるくらいなら、私はこれからもそうするわよ! 学年一位になんかならなくていいもん! 成績なんかどうだっていいもん! あんたみたいな、一人でいても平気な人には分からないだろうけどね!!」
「ああ、分からないな」

 

 矢継ぎ早に言葉を浴びせる希美の言葉を、淳一は静かに遮った。怒るわけでも、諭すわけでもなく、ただいつもと変わらない口調で発した、その一言だけで。

 

「成績がいいことでいじめられる? それはそれは、さぞかし低レベルな連中に囲まれて生きてきたんだろうな。そこだけは同情してやるよ。けどな、どうして自分までそのレベルに合わせなくちゃいけないんだ? そんな連中と仲良くしたところで、一体何の得がある? そんな連中とつるむなんてこと、俺ならこっちから願い下げだ」

 

 続けて言った淳一の言葉は、希美にとってはあまりにも意外なものだった。あまりの意外さに、これまで抱いていた淳一に対する怒りも忘れて、一瞬にして毒気を抜かれたような気さえするほどだ。

 

「そんな……連中……?」
「だってそうだろ。自分がそのレベルまで上がれないから、上にいる奴を蹴落とそうとするんだ。そんな奴らに足を引っ張られて、自分の人生を棒に振る気か。一応言っとくが、そいつらはお前に人生に何の責任も取ってくれないぞ」

 

 そうかもしれない。淳一の言うとおりかもしれない。けれど、今まで誰もそんなことを言ってくれなかった。先生に一度だけ相談したけれど、まず自分から歩み寄ってみればとしか言われなかった。その人達と上手くやっていく方法しか教えてくれなかった。だから、自分の成績さえ良くなければ、こんなことはなくなるとばかり思っていた。他人は変えられないのだから、自分が変わるしかない。一人になることを避けるために、成績がいいことを隠していたときのように。

 

「もう一つ言うなら、お前が今もそうしているってことは、今お前の近くにいる奴も、そういう連中のようになるかもしれないってことを考えているってことだろう? それって、ある意味失礼じゃないのか?」

 

 その言葉は、今までで一番希美の心をえぐった。そんなつもりはなくて、ただ一人になるのが怖くて、周りに溶け込めるように、決して疎外などされないように、そう思って生きてきただけなのに。それが淳一から言わせれば、成績がいいことがバレてしまえば、小学生のときと同じようにいじめられることを危惧している。つまりは、小学校のときのクラスメイトと、今の友達が同じ種類の人間であると思っているということになる。そう言っているのだ。

 

「しかしまぁ、お前もお前だな。何が一人になるのが怖いだ。それは一人になった自分を、可哀想だと思っているだけだろ」
「そ、そんなこと……!」
「ないって? 違うって言いきれるのか?」

 

 そう言われてしまえば、何も言えなくなってしまう。違うとは言いきれないと、心のどこかで自覚しているから。

 

「言っとくけどな、俺は別に一人が怖いとか全然思わない。周りなんか、俺には関係ないからな。周りが俺のことをどう思おうが、どんな悪口を言っていようが、それが俺自身の人生に関わってくるわけじゃない。ここは学校で、会社じゃないからな。周りの評価なんかに振り回されている筋合いはない」

 

 それだけ言って、淳一はベンチから立ち上がる。希美の横を通り過ぎ、そのまま公園から出て行こうとする。気づけば、辺りはすっかり暗くなっていた。ベンチの近くにあった街灯に照らされていた淳一が、暗闇へと消えていく。

 

「……言いたいことだけ言って帰るの? それって……」
「ズルいって言いたいのか? 反論があるなら、一応聞いてやるが」

 

 そう言われても、今の希美には、淳一を黙らせられるほどの言葉が浮かぶわけもない。ただ黙って、淳一を見送ることしかできなかった。

 

「ないなら、帰る。俺の言いたいことは言ったからな」

 

 それだけ言って、淳一は去っていく。足音がどんどん小さくなっていく。次第に訪れる、痛いくらいの静寂。

 

『それは一人になった自分を、可哀想だと思っているだけだろ』

 

 淳一はズルい、そう思った。こちらの気持ちもおかまいなしに、自分の持論だけ述べて、平気で傷つけて、土足で入り込んで――挙げ句の果てに、女の子を暗い公園に置いて帰るなんて。

 

――ムカつく……!

 

 何も知らないから、失う怖さを知らないから、淳一はあんなことが言えるのだ。希美のように、ありのままでいたことで経験した痛みを、知らないから言えることなのだ。

 でも――

 

『自分がそのレベルまで上がれないから、上にいる奴を蹴落とそうとするんだ。そんな奴らに足を引っ張られて、自分の人生を棒に振る気か』

 

 淳一の言っていることは、一理あるのかもしれない。そうも思った。他人は他人、自分は自分。確かにそうだ。自分の人生に、他人は責任をもってくれない。

 

――でも、あんな言い方……! それに、なんでわざわざここまで連れてきて言うのよ?! 

 

 言われっぱなしは、腹が立つ。このまま黙っているのも癪だ。でもただ反論するだけでは、物足りない。反論するだけでは、きっと鼻で笑われる。なら、どうしたらいいのか。公園から家に帰るまでの短い道のり、家に帰ってから寝るまで、希美の頭の中はそのことばかりだった。

 

 次の日。いつもより早めに起きて、いつもより二本ほど早い電車に乗った。寄り道することなく、学校に到着する。見れば、時刻は七時半。運動部の朝練のかけ声だけが聞こえてくる。校門近くには、希美と同じ制服を着てきた者など一人もいない。

 一直線に玄関へ、それから自分の教室へと向かっていく。何を思うわけでもなく、ただそうしたかった。むしゃくしゃしてて、家にいても落ち着かなかったから、早く学校へ行って、淳一に何か一言言ってやりたかった。頭の中が整理できていたわけでもないけれど、それでもこのまま黙っていることだけは耐えられなかったから。

 ガラッと教室のドアを開ければ、意外にも先客がいた。それは、一人机に座って本を読んでいる澤部淳一だったのだ。昨日のことなどなかったかのように、いつもと変わらない様子で、ただ静かに本を読んでいる。それを認識した途端、足は勝手に淳一の元へと向かっていく。

 腹が立つ。こっちは昨日からずっともやもやした気持ちでいたというのに、向こうはいつもと変わらない様子でいる。こんなにこちらの心をかき乱したくせに、どうしてそうやって平気でいられるのか。それとも、淳一にとってもさして気になるほどのことでもないというのだろうか。そもそも、呼び出したのは向こうの方ではないか。

 

 淳一の席までたどり着く。そこで仁王立ちになって、何か言ってやろうと思った。

 

「そこに立たれていると、大変迷惑なんだが」

 

 こちらが何か言う前に、淳一はそう口にする。それで、また希美の中で苛立ちが増していくのが分かる。

 

「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ? それとも、何も言えないくらいお前の語彙力は貧相なのか?」

 

 黙っていれば、また好き勝手なことを口にする。希美がどう思おうと関係なく、自分の言いたいことを言い、したいことをする。周りに流されることなく、他人の目を気にすることなく、淳一はただやりたいようにやる。

 それが、とてつもなく腹が立つ。そして――どこか羨ましく思う自分がいる。

 

「あんた、ムカつく」

 

 あれだけモヤモヤしていたのに、出てきたのはたった一言。昨日からずっと頭の中でぐるぐる巡っていたことが、たったこれだけの言葉として形を成した。

 

「言いたいことだけ言って、こっちの気も知らないで、何様なの? そんなに勉強できることが偉いわけ? 自分はやりたいようにやっているだけのくせに、どうして私のやることにはケチをつけるの? あんたは、ただの自己中なの。頭でっかちで、成績だけは優秀かもしれないけど、全然人のこと分かってない。そうやって自分一人いて、自分のやりたいことだけやってきたから、他人の気持ちなんて分からないんでしょ?」

 

 けれど、一度口火さえ切ってしまえば、言葉はどんどん溢れ出してくる。羨望に近い怒りが、今度は形を成した言葉として。ぐちゃぐちゃで、支離滅裂で、正直整理なんてできていないけど、それでも言葉として自分の外へと出て行く。

 一通り希美の発言を聞いた後、淳一は本に視線を落としたままこう発言した。

 

「言うだけなら、なんとでもなるな」

 

 さして興味もないのか、それとも虚勢だと思っているのか、淳一の口調はまったく変わらない。言っている内容も、相変わらずな口調にも腹が立つ。けれど、それはまぎれもない事実で、希美自身も分かっている。今言っていることは、ただの虚勢による発言で、中身が伴っていないことは。だからこそ、淳一を納得させるには、この発言に真実味をもたせる必要がある。

 だから、追いつく必要があると思った。今の淳一のところまで、今の自分自身を。

 

「次の期末、あんたに絶対勝つから」

 

 その発言が意外だったのか、淳一が本から顔を上げ、目を丸くする。けれど、すぐに小馬鹿にしたような表情へと変化した。

 

「……本気か?」
「本気よ。絶対、あんたをトップから引きずり落としてやるから」

 

 いくら文句を並べたところで、淳一はきっと鼻で笑うだろう。なら、鼻で笑えないくらいのところまで自分の存在を上げるしかない。淳一が無視できないところまで、成績を上げることしか方法はない。淳一の基準は、あくまで成績だけなのだから。

 

「……そうか。まぁせいぜい頑張れ」

 

 皮肉ともとれる発言だが、面白がっているようなニュアンスもまた含まれていた。それ以上は、お互い会話することなく、淳一は本の続きを読み始めたし、希美も自分の席に戻って教科書を広げた。近くにいるけれど、それ以上の接触はしなかった。それ以上の接触は、もう必要なかったから。

 近づきもせず、離れもせず、犬猿するわけでもない。ライバルという名の、ある程度の緊張感を持った関係。そんな関係が始まったのは、まちがいなくこのときからだった。

 

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 後に聞いた話。なぜ淳一が、希美の降りる駅を知っていたのは、単に淳一もあの駅を利用していて、何度か希美を見かけたことがあるからだったそうだ。希美は松原第一小学校出身。淳一は松原第二小学校出身。小学校の名前からしても、大よそ住んでいる地域が近くであることは容易に想像できる。

 

 それはともかくとして、このときの出来事が希美の人生を大きく変えた。今までそこそこしか取らなかった定期試験に、初めて本気で挑んだ。その結果、あっさり淳一を降して学年一位の座を手に入れてしまったのだ。元々、授業や試験で手こそ抜いていたものの、勉強そのものを特にサボっていたわけでもなかったせいか、集中力が続く限り(即ち食事を抜いたり、睡眠時間を削ったりしながら)勉強していたら、周りがビックリするほどの大躍進を遂げてしまったのだ。

 けれど、変わったのはそれだけだった。そのときの友人たちとの関係は、それで変わったりしなかった。避けられたり、増してやいじめられたりすることもなかった。それどころか、『希美すごいじゃん! あの澤部に勝ったんだよ!!』とか言われたりして、学校帰りに近くのカフェでデザートを奢ってくれたほどに喜んでくれた。三年になってクラスは離れてしまったけれど、今でも会えば話をするほどに親しい間柄だ。そして、三年になってあかねらと仲良くなって、毎日がますます楽しくなった。素の自分を受け入れてくれる友人ができて、本当に嬉しかった。

 やはり、ここに入学してよかった。このとき、心の底からそう思った。ありのままの自分を受け入れてくれて、頑張れば一緒に応援してくれて、喜んでくれる友達に出会えた。そして、初めて本気でぶつかっていける相手にも出会うことができた。これまでどこか胸に抱えていたもやもやが消え、やっと希美は本来の自分らしく人と接することができるようになった。本来の自分らしくいられるこの日々が、少なくともあと三カ月。卒業までは続くと思っていた。

 

 そう思っていた。プログラムに選ばれるまでは――

 

――どうして……私達なの?

 

 何もしていない。確かに、小さな悪いことはやっていたのかもしれない。何回信号無視してしまったことはあるし、校則だって多少は違反していただろう。もしかしたら、知らない間に誰かを傷つけていたのかもしれない。でも、クラスメイト同士で殺し合うなんて残酷なことをしなくてはいけないほど、私達が一体何をしたというのだろうか。

 

――どうして……。

 

 膝を抱えて、楽しい過去を、淳一との過去を思い出して、どうにかして平静を保とうとする。そもそも、どうして一人でいるのだろう。一人は嫌いなはずなのに。本当は誰でもいいから一緒にいたいくらい、怖くて仕方がないのに。

 待っていれば、次に出てくるのはあの澤部淳一だったのに。

 

――澤部はこんなの乗らないって。こんなの乗るほど馬鹿じゃないって。私がある意味一番よく知っているはずなのに……!!

 

 田添祐平(男子11番)の死ぬ瞬間を目の当たりにして、よりによって一番最初の出発で、混乱していたのは事実だ。けれど、たった二分。カップラーメンの出来上がりを待つよりも短いその時間。どうして校門でじっと待っていられなかったのだろう。そこには、誰もいなかったのに。自分を殺しに来るかもしれないクラスメイトは、このとき誰も出ていなかったはずなのに。

 どうして友達を、たった一人のライバルを、待つことができなかったのだろう。

 

「澤部ぇ……」

 

 名前を呼んでも、飛んで来てくれるはずなどない。淳一は、正義のヒーローでも、白馬に乗った王子様でもない。けれど、そう分かっていても、呼ばずにはいられない。それは、この状況ですがりつきたい何かを、自分が求めているからなのか。

 

「助けてよ……。私を……みんなを……助けて……」

 

 その声は、次第に深くなっていく夜の闇に、誰にも届くことなく溶けていく。何一つ変わることなく時だけが過ぎていくことを、腕時計の針が動く音が、残酷なまでに示していた。

 

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