悲しい真実より、優しい偽りを

 

 佐伯希美(女子7番)が隠れている民家から大分離れたB-6の一角。その一角にある民家から出てきた一人の人物がいた。

 

――物音もしないし……大丈夫かな?

 

 その人物――鈴木香奈子(女子9番)は、暗闇に慣れた目で何度も周囲を確認しながら、ゆっくりと歩を進めていく。暗闇を歩いていくこと自体、この状況でなくても怖いけど、今はそんなことを言っている場合ではない。じっとしているだけでは、事態は何も変わらないのだ。

 

――みんなのこと、探さなきゃ。

 

 隠れていた民家から出てきた、たった一つの理由。それは、仲のいい友人を探すこと。仲のいい友人――東堂あかね(女子14番)辻結香(女子13番)園田ひかり(女子11番)細谷理香子(女子16番)、佐伯希美、そして五木綾音(女子1番)を見つけ、無事かどうか確認すること。

 あかねや結香に関しては、出発するとき学校近くで待つことだってできた。けれど、マシンガンの銃声が聞こえたことと、校門前に曽根みなみ(女子10番)の遺体があったことで、待つということができずにそのまま走って学校から離れてしまったのだ。後からそれを何度も何度も後悔したのだが、とにかくみんなに会わないことにはどうしようもないと結論づけ、自らの足で探すことを決意した。

 

――やらない後悔よりやる後悔、だもんね。

 

 あかねがよく口にしている言葉。やろうかどうか悩んでいたときには、よくこんなことを言っていた。その真意は「だってやらなきゃわかんないじゃん」というもので、あかねらしいといえばらしい単純な理由だ。けれど、その単純さには、実はとても深い理論が根付いているのではないかと、香奈子自身は思っている。おそらく、あかね自身はそこまで考えていないだろうけど。

 先ほど隠れていた民家は、政府に追い出されるまで人が住んでいたのか、ある程度の食料や飲料は置いてあった。その中からいくつか拝借し、支給されたデイバックに詰め込んである。必要ないものはその民家に置いていったが、何せ保存のきく缶詰やそれなりに重量のある飲料を入れているのだから、正直かなりの重さだ。けれど、陸上部マネージャーとして、普段からこういうことには慣れているし、みんなに会ったときに食料や飲料を提供できるようにしておきたい。特に運動ができるわけでも、成績がいいわけでもない香奈子ができることといえば、これくらいしかないのだから。

 

――暗いのは怖いけど……でも、じっとしていてもダメだし。それに、じっとしていたら、誰にも会わないままかもしれないし……。

 

 希美と違って、香奈子が自らの足で動ける理由。それは、自分が生き残ることを、香奈子自身が諦めているからだ。友達を殺してまで、たった一人で帰るつもりなど微塵もない。仮に帰れたとしても、あかねも結香も、ひかりも理香子も、希美も綾音もいない。一人ぼっちになるくらいなら、死ぬことを選ぶ。それが、香奈子の出した結論だった。

 かといって、自殺するかといえばそうでもない。自分で自分を殺すことができるほど、根性があるわけでもなかった。それに、せめて死ぬ前にみんなに会いたい。会って伝えたいのだ。「友達になってくれてありがとう」と。

 

『鈴木さん、一人? よかったら一緒にご飯食べない?』

 

 思い起こされるのは、青奉中学に入学して少し経った頃。いじめられた過去のせいか、友達の作り方が分からなくて、どうしようかと悩んでいたとき。気を使って話しかけてくれた、今でも仲がいい大切な人の存在。

 

『あ、あの……あなたは?』
『あぁ、ごめん。自己紹介がまだだったわね。私はね、五木綾音っていうの』
『五木さん……。あ、これからよろしくお願いします』
『綾音でいいわよ。こっちもさ、香奈子って呼んでいい?』

 

 そうやって、綾音は気さくに話しかけてくれた。今思えば、引っ込み思案な自分を気遣ってくれたのだろうと思う。それからずっと同じクラスで、一年時から綾音はずっと仲良くしてくれているが、そのとき何を思って話しかけてくれたのかは、はっきりと聞いたことはない。今でも時々思うけど、彼女にとって自分はちゃんと友達になれたのだろうか。

 

『よかったらさ、陸上部のマネージャーやらない? 実はマネージャーいなくてさ、困っているのよね』

 

 そう、元々陸上部のマネージャーになったのも、綾音の誘いがあったからだ。正直どの部活に入っていいのか分からなくて、そのことを正直に綾音に話したら、こう誘ってくれたのだ。少しでも綾音の役に立ちたくて、ただそれだけの理由でその誘いを受けたのだけど、今では陸上部マネージャーになって本当によかったと思っている。

 

『私、東堂あかねっていうの!! 鈴木さん三つ編み綺麗だねー! これからよろしく!!』
『あ、あかねばっかずるい! あのねあのね、私はね、辻結香っていうのー。結香でいいよー』
『結香も大概前出すぎだから。まぁ、この子らいつもこんな調子なのよ。鈴木さん、五木さん、同じクラスになったんだし、クラスメイトとしてもよろしく。私もこの際、ひかりでいいわ』

 

 二年になって、最初の始業式。綾音と一緒にいるところにいきなり話しかけてきたこの三人。いや、正確にいえば二人というべきか。ひかりのことこそ、同じ陸上部だったので既に知っていたが、ひかりよりも初対面なはずの二人の方がぐいぐい前に出てきていたことを、今でもよく覚えている。あまりの勢いの良さに思わず身体を引いてしまったのだが、こんな風に話しかけられたことなどなかった。そのせいか、自然と顔はほころんでいった。

 あかね達を加えて五人で行動していた二年生。とても楽しかった。綾音 と一緒にいたときとは、また違う楽しさがあった。大勢の中に囲まれて笑っている光景など、想像すらしていなかった。だから、いつか壊れてしまいそうで、怖いと思った日もあった。

 でも、実際は何事もなく三年に上がって、意外にも全員特進クラスに配属され、そこで希美や理香子に出会った。希美は最初から「鈴木さんって、可愛い女の子そのものじゃーん!」なんて言って抱きついてきていたのだ(女の子に抱きつかれたことなどもちろんなかったので、正直びっくりしたどころではなかったが)。理香子は、どこか綾音に似ている空気をまとっているけれど、実際綾音よりはきつめの言葉を吐く。けれど、その言葉にも、きちんと相手に対する敬意がこめられていて、だからああやって言えるのだと思った。思えば、今朝もあかねに対して色々言ってはいたけれど、あれも信頼の裏返しなのだろう。

 

 どんなに感謝してもしつくせない、大切な友人達。青奉中学校に入学してよかったと思えるのは、彼女たちがいたからだと断言できる。だから彼女たちのいない生活など、考えられないし、考えたくもない。香奈子にとって、彼女らの存在こそが、これまでの人生そのものともいえるのだから。

 だから探すのだ。みんなに会いに行くのだ。今までの感謝の気持ちを伝えるためにも。それまでは、絶対死ぬわけにはいかない。慎重に行動しなければ。

 

――それにしても……どこから探せばいいのかな?

 

 民家を出る前に、一応地図を広げながら思案してみたものの、正直皆目検討もつかなかった。誰と誰が一緒なのだろうか。まさか、みんなバラバラだったりしないだろうか。せめて、あかねと結香くらいは一緒にいてほしいと願うが、そもそも結香を待てなかった自分が言える台詞ではない。

 

――やっぱ住宅街かな? 隠れるところがたくさんあるし、食料もあるだろうし……。そこからしらみ潰しに探すことにしよう。

 

 よいしょ、と荷物ももう一度背負い直し、ゆっくりと移動を開始する。あまり体力に自信のないのだから、休みながら移動していこう。会ったときにボロボロだったりしたら、却って心配かけてしまうだろうから。

 静かすぎる空間のせいか、地面を踏みしめる足音がやけに響いているような気がする。この音が、やる気の人間の耳に届きませんように。そう祈りながら、少しずつ歩を進めていく。

 

――慌てず、焦らず、ゆっくりと……

 

 そのとき、目の前の影が揺れたような気がした。

 

――き、気のせい? それとも……誰かいるの……?

 

 目の前の影に対して、どう対応しようかと躊躇する。下手に声をかけてしまえば、やる気の人間だった場合、自分は殺されてしまう。かといって、もし目の前の人物が探している友達だったなら、みすみす会う機会を逃すということになりかねない。心の天秤にかけ、迷いに迷った結果、香奈子は声をかける方を選択した。

 

「あ、あの……そこに誰かいるんですか……? 私、鈴木香奈子なんですけど……」

 

 相手は同い年のクラスメイトであるはずなのに、なぜか敬語になってしまうのは、緊張のせいだろうか。もし、これで問答無用で人を殺すタイプの人間であったなら、おそらくすぐに襲いかかってくるだろう。覚悟を決め、香奈子はきつく目を閉じた。

 永遠ともいえる沈黙。けれど、何も変化はなかった。襲いかかってくることも、相手が歩み寄ってくることもなかった。ならば、この人はやる気の人間ではないのだろう。そう結論づけ、香奈子は再び口を開いた。

 

「あ、あの、私……やる気じゃないんです。ただ……友達を探していて……」

 

 一緒にいてくれだなんて、そんなことは言えない。けれど、もし相手もやる気でないのなら、何か知っているのかもしれない。そんなかすかな希望を糧に、香奈子は人生最大の勇気を振り絞って話を続けた。

 

「あ、綾音ちゃんとか……あかねちゃんとか、見ませんでしたか? 見なかったなら見なかったでいいんです。でも、もし何か知っているなら、教えてもらえませんか?」

 

 香奈子が言葉を切れば、訪れる沈黙。相手は何の動きも見せない。暗闇と相まって、次第に香奈子の不安が増していく。どうしたらいいのか分からなくなる。

 

――こ、この場合どうしたらいいの?

 

 話しかけてこないところからして、綾音やあかねらではないのか。けれど、まったく動きを見せないところからして、相手は何を考えているのか。自分はどうしたらいいのだろうか。あかねら以外のクラスメイトとはさほど交流のない香奈子としては、何も知らない相手の心境を推し量るどころか、どう会話をつなげればいいのかすら分からないのだ。

 

――あ、そうだ。やる気じゃないんなら、せめて食べ物くらい……

 

 やる気でないのなら、持っている食料や飲料を分け与えてもいいだろう。一緒に行動できなくても、もしかしたらその人物が、自分よりも先に綾音やあかねに会えるかもしれない。そしたら、きっとそのとき役に立つ。それに何より、相手にとっても食糧が増えることはいいことであるはずだ。

 

「あ、あの……私ちょっと多めに食べ物とかあるので、よかったらいりませんか? 支給されたものじゃ、さすがに足りないと思いますし……」

 

 しかし、目の前の影は、またしても反応を見せない。けれど、香奈子はそのままその人物に近づこうと思った。決して殺そうだとかそういうことを思ったわけではなく、ただ純粋に少しでも役に立ちたくて。

 

「そ、そっち行きますね……」

 

 そう声をかけ、震える足で一歩踏み出した。しかしその瞬間、目の前の影がガサッと動き、遠ざかるように掛け出したのだ。

 

「あ! ちょ、ちょっと待っ――」

 

 反射的に追いかけようとしたが、いきなり足に何かを引っかけてしまったらしい。元々運動神経がいいともいえない香奈子は、その勢いのままに派手にこけてしまった。

 

「ひゃっ!」

 

 派手にこけてしまった拍子で、大声をあげる。すると、遠ざかるように掛けていた影が、こちらに戻ってきていた。

 

「ちょ……! 大丈夫?!」

 

 心配そうにそう問いかける声は、とても聞き慣れた声。それはまぎれもなく、探していた友人のものだった。

 

「……理香子ちゃん?」

 

 その声を頼りに立ち上がり、またこけることのないように歩を進める。けれど、テニス部に所属する理香子の方が先に見つけてくれたらしく、すぐ近くまで駆け寄ってきてくれた。

 

「け、怪我してない?! もう、叫び声あげるからびっくりしたじゃない!!」

 

 警戒心のためか、理香子は懐中電灯をつけなかった。けれど、その声だけでも、友人の一人である理香子だとはっきり確信できる。姿が確認できないことなど、この際大した問題ではなかった。

 

「よ、よかった……。理香子ちゃん、怪我はないの? マシンガンの銃声もしたから……」
「あ、ああ……。あのときはもう大分離れていたから……。私は大丈夫よ。それより香奈子、一人なの?」

 

 自分のことはともかく、理香子が怪我していないことに心の底から安堵した。理香子や希美が出発した後に響いたマシンガンの銃声。もし自分らを待っていたとしたら、それで怪我をしたりしていないか。香奈子にとって、それがとても気がかりだったから。

 

「よかったぁ……。理香子ちゃんが無事で……。あ、私さっきまで隠れていたとこでね――」
「香奈子……怒って……ないの?」

 

 香奈子の言葉を遮るような形で、理香子は少し沈んだ声でそう問いかけてきた。

 

「香奈子やあかね達のこと……待たなかったし……。それにさっきだって、あんたは敵意を見せるどころか、食料を分けてくれようとしてくれたのに、逃げるようなことしたし……」

 

 ああ、そうか。そんな風に香奈子は思った。理香子と合流できた嬉しさのせいか、そのことはすっかり忘れていた。それは忘れていいほど、香奈子にとってどうでもいいことだったから。

 

「いいのいいの。そんなの、どうだっていいの。だって、こうやって理香子ちゃんと合流できたし。それに、あの状況じゃ逃げてもしょうがないじゃん。襲われるかもとか、もらった食料に毒が入っているかも、とか思うかもしれないもんね。私も、ちょっと配慮が足りなかったし」

 

 暗いので見えないが、香奈子は理香子に向かってにっこりと笑ってみせた。今こうやって、会いたかった友人に会えたのだから、そんなことは些末なことだ。それより、とっさとはいえ大声を出してしまったし、ここから移動しないと。それに、まだあかねや綾音を探したい。理香子なら、きっと賛成してくれるだろう。そう思い、香奈子は口を開いた。

 

「あ、あのね、理香子ちゃん……」
「何……?」
「みんなのこと、探さない?」

 

 自分の考えを伝えることなど、いつもならあまりしない。けれど、今はどうしても聞いてほしいことがあった。聞いてくれる相手が理香子であると分かっているせいか、先ほどよりも躊躇いはなかった。

 

「え……? でも、これは一人しか生き残れないのに……」

 

 しばしの沈黙の後、理香子は小さくそうつぶやいていた。生き残れるのは、たった一人。故にその一人以外は死んでしまう。それは、このプログラムにおいて避けられない事実であり、目を背けることなどできない現実。それは、痛いくらいに理解している。

 

「うん、分かってる。分かってるよ。私はね、生き残る気は全然ないんだ」

 

 つっかえながら、香奈子は必死でそう言葉を紡いだ。

 

「綾音ちゃんや、あかねちゃん。結香ちゃん、ひかりちゃん、希美ちゃん。もちろん理香子ちゃんがいない学校なんてね、私にとっては何の価値もないから。でもね、どうせ死ぬなら、せめて最後にみんなに会いたい。みんなに会って、友達になってくれてありがとう。おかげで、ここでの学校生活は楽しかったよって、そう伝えたいの」

 

 普段はここまで長く話すことなどないから、少し息切れをしてしまう。しばし呼吸を整えてから、香奈子はもう一度だけ口を開いた。

 

「だからね、理香子ちゃん。会えてよかった。それと、私と友達になってくれてありがとう。理香子ちゃんが友達になってくれてよかった。学校楽しかったよ」

 

 きっと暗闇で見えないだろうけど、香奈子は再びぎこちない笑顔を作った。あかねのように普段から笑っているような子だったら、きっともっと素敵な笑顔なんだろうな。そう、心のどこかで思った。

 

「香奈子……」

 

 理香子から発せられたのは、その一言だけだった。いつもハキハキ話す理香子らしくないな、と少しだけ不思議に思った。もしかして、迷惑だったのだろうか。

 

「め、迷惑だった……? 別にね、そのなんていうか……ただ伝えたかっただけだからさ。特に理香子ちゃんにどうこうしてほしいわけではなくて……その……」
「……違うの。そうじゃないの」

 

 どうしたの? 理香子ちゃんらしくないよ? そう聞く前に、目の前にいる理香子に抱きしめられていた。

 

「り、理香子ちゃん……? どうしたの……?」

 

 希美ならいざ知らず、理香子がこういったスキンシップという行為をしないタイプだ。そのある意味不可解ともいえる行動に、一瞬だけ疑問を抱く。しかし、すぐにその疑問を打ち消した。このプログラムという状況下、きっと理香子も自分と同じように恐怖の感情を抱いたのだろう。そう結論づけた。

 

――そうだよね……。理香子ちゃんだって女の子なんだし、怖いに決まってるもんね。

 

 非力な自分にできることなどたかが知れているが、今この場で抱きしめて慰めることくらいはできる。少しでも理香子の恐怖を和らげたくて、香奈子も同じように背中に手を回していた。

 

「だ、大丈夫だよ。迷惑じゃなかったら、私が一緒にいるから。それに、探せばきっとみんなに――」
「違うの。そうじゃないの」

 

 じゃあ、一体どうしたの? もしかして何かあったの? 香奈子は、そう聞こうと思った。けれど――

 

「香奈子、ごめんね」

 

 それを口にする前に、理香子が再び口を開いていた。そして次の瞬間――背中に焼けるような痛みが走った。

 

――え……?

 

 勝手に力が入らなくなって、理香子の背中にかけた手がするりと地面に落ちていった。

 

――えっ……なんで……? どうして……?

 

 背中が痛い。身体に力が入らない。それだけは理解できるけど、なぜそういう状況になっているのかは分からない。理香子が自分の背中に刃物か何かを突き刺したのだろう。ぼんやりとそう予想できたけれど、どうして理香子がそんなことをしたのかが、まったく分からない。

 

「な……んで。どうして……」

 

 香奈子にとって、細谷理香子という人物は、まっすぐな人だった。曲がったことが嫌いで、正義感も強くて、こそこそ陰口を叩くというようなことはしない。言いたいことがあるなら、本人に言いたいことをはっきりと告げるタイプだ。けれど、それは本人のためを思って言っているのであって、それを相手も理解してくれると分かっているから言えること。そうでない人には、告げるどころか関わろうともしない。だから、理香子にとって本音で言える相手は、それだけ信頼しているということ。だから、理香子は自分たちのことを、心の底から信頼してくれているのだと思っていた。それ以上に、自分が生き残るためにプログラムに乗る人だなんて、微塵も思っていなかった。

 

 そう思っていた。だからこそ、この状況が、余計に信じられなかった。

 

「理香子ちゃん……。私のこと……嫌いだったの……?」

 

 だから、こうとしか考えられなかった。理香子が、自分個人に対して、嫌悪感を持っていたのではないかということしか。本当は嫌いだったのに、我慢して付き合っていたのではないかということしか。

 

「そんなの……言ってくれれば……よかったのに……。理香子ちゃんに不愉快な思い……させるくらいなら……私はそこから離れたのに……。そしたら……私……理香子ちゃんに嫌な思い……」
「ち、違うの! そうじゃないの!」

 

 途切れ途切れに話す香奈子の言葉を遮るかのように、理香子が大声を出していた。その声色は、とても悲痛に満ちていて、泣きそうなくらいはっきりしない。そんな理香子の声など、今まで聞いたことがなかった。

 

「……大好きよ。香奈子のこと、嫌いだなんて思ったことない。友達でいてくれてありがとうって言ってくれて、嬉しかったもの。迷惑なわけないじゃない……!」
「じゃあ、じゃあどうして……!!」

 

――そう思ってくれているのなら、どうして私のことを刺したりしたの?

 

 そう言いたかった。大好きなら、本当にそうなら、どうしてこんなことをするのか。それこそ、香奈子にはまったく理解できなかった。理香子は、こんなことをするような人ではないはずなのに。

 

「……決めたの。こうするって」

 

 理香子からの返答は、たったそれだけだった。けれど、もちろんそれだけでは納得できるわけがない。だからこそ、残された力を振り絞って、理香子に預けていた上半身を起こし、真正面から理香子の顔を見た。暗いからはっきりと見えるはずもないけれど、大分暗闇に慣れたせいか、その表情だけは読みとることができた。

 その瞬間、理香子が何を考えているのか。こうした理由が、これからどうするつもりか。その何もかもが――手に取るように分かってしまった。

 

――そ、そんな……!

 

 それはある意味、最も信じたくない回答だった。少なくとも香奈子にとって、ただ裏切られるよりも辛いことだった。

 

「ダ、ダメだよ!! そんな……そんなの……!」

 

 必死で首を振って、理香子の肩にしがみついて、それだけの言葉を必死で繰り返す。理香子が考えを改めるように願いながら、香奈子は同じことを繰り返していた。勝手に涙が流れ、頬を伝っていく。

 

「そんなの……そんなの誰も望んでないよ! だって、だって理香子ちゃんが……」
「うん、分かっている。これはね、私の自己満足なの。その自己満足のためなら、私はこうするって決めたの。だから、学校であなた達を待たなかった」

 

 そんな悲しそうに言わないで。そんな言葉を聞きたいんじゃない。理由を聞きたいんじゃない。否定してほしかったのに。違うって、そうじゃないって言ってほしかったのに、たとえ嘘だったとしても、その嘘を望んでいたのに――

 

「ごめんね。ごめんね……。私、香奈子に……大好きだって言ってもらう資格なんか……ないの……」

 

 違う。謝ってほしいんじゃない。その言葉が、聞きたいんじゃない。

 

「痛いよね、痛いよね……。ごめんね……今……今楽にしてあげるから……」
「やっ……! 嫌だ……! 理香子ちゃん、待って……!」

 

 楽になんかしないで。まだ伝えたいことがあるのに。私のことは殺してもかまわないから。綾音ちゃんやあかねちゃんや、結香ちゃんやひかりちゃんや希美ちゃんのことは、殺さないで。私の大切な友達を、殺したりしないで。

 お願いだから、そんなことをしないで。その綺麗な手を、他の誰かの血で汚したりしないで。

 

 けれど、そう口にする前に、背中に刺されていた刃物を抜かれる感覚が香奈子を襲った。先ほどよりもひどい痛みで、もう自分の身体を支えるどころか、口を開くことすらできない。言いたいことを口にできず、理香子に全身を預けながら、自分の命の鼓動が止んでいくのを、ただ待っていることしかできなかった。

 

――こんなの……悲しすぎるよ……。せめて、せめて殺されるなら……

 

 暗闇が歪んでいく。もう痛いと感じることすらない。次第に失っていく聴力ですすり泣くような声を聞きながら、流れる涙をぬぐうこともできず、香奈子はただ一つのことだけを思っていた。心臓の拍動が止まり、意識が闇に溶けるまで、理香子が考えを改めてくれることを、心のどこかで願いながら。

 

――自分が生き残るためだって……言われたかったよ……

 

女子9番 鈴木香奈子 死亡

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