広がる波紋

 

――嘘……。まさか……加藤くんが曽根さんを……?

 

 目の前にいる加藤龍一郎(男子4番)の右手にあるマシンガンらしきものを見て、東堂あかね(女子14番)の心に浮かんだのは、“恐怖”という名の感情だった。反射的に身を引いてしまい、龍一郎から距離を取ろうとする。

 曽根みなみ(女子10番)を殺した武器はマシンガン。それは、みなみの致命傷からも明らかであったし、澤部淳一(男子6番)もそう口にしていた。そのマシンガンを、龍一郎は持っている。しかも、彼の出発は四番目。みなみが出る前に、龍一郎は出発している。

 疑う材料は、いくらでもそろっている。まるで計ったかのように。そう、皮肉なほどに。

 

「……東堂さん?」

 

 あかねが何も言わないせいか、龍一郎が少し訝しげな反応を見せる。けれど、何も返事することができない。

 

――そんな……そんなわけ……ないよ……。あんなに優しい加藤くんが、人を殺すなんて……。そんなの……絶対……あるわけ……

 

 心の中で否定する。けれど、状況がそうさせてくれない。もしかしたら、万が一。そんな可能性が、心を絡めて離さない。

 そうして過ぎるしばしの時間。その沈黙を破るかのように、龍一郎は静かに口を開いた。

 

「……大丈夫」
「え……?」
「俺は、これを使うつもりはないから」

 

 あかねの心中を察したのか、龍一郎はそう口にしていた。

 

「何があっても、少なくとも自分のためには引き金を引かないって、俺はそう決めてるんだ」

 

 そう言って、龍一郎はあかねの両肩に手を置いた。その両手には、マシンガンどころか、何も武器を持っていない。

 

「頼む。信じてくれ」

 

『龍一郎と太一は多分乗らないから、二人のことは信じてやってくれな』

 

――あっ……私……。なんで……なんで加藤くんを疑っているの……?

 

 槙村日向(男子14番)だって、こう言っていたではないか。龍一郎と弓塚太一(男子17番)は乗らないと。信じてやってくれと。そう言っていたではないか。あかねとは違って慎重で、断定的な口調で話すことをほとんどしない日向が、はっきりとそう言っていたではないか。なのに、たかがマシンガンを持っているだけで、疑ってしまうなんて。

 疑ってしまった申し訳なさで、涙がこぼれていく。謝るよりも先に、嗚咽がこみあげてくる。

 

「ご、ごめん……なさい……。ごめんなさい……。私……私……!」
「この状況じゃ、そう思っても無理もないよ。自分の立場はそれなりに理解しているつもりだし。信じてくれたなら、それでいいから」

 

 そう言って、龍一郎は頭をポンポンと優しく撫でてくれた。こういうさりげない優しさが、龍一郎のいいところだ。あまり人に甘えることのできないあかねでさえ、彼にはどこか甘えてしまうところがある。

 

『龍一郎とは、一緒にいて気が楽というか。まぁ、変に気を使わせないところがいいよな』

 

 そういえば、前に日向はこんなことを言っていた。滅多に人を褒めない日向が、こうやってはっきりと人を評価することも、また珍しいこと。それだけ日向は、龍一郎に全幅の信頼を置いていたのだ。

 なのに、どうして、彼を疑ったりしてしまったのだろう。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「大丈夫だから、気にしないでくれ。ところで、怪我はしてないか?」
「う、うん……」

 

 龍一郎の優しさが身に染みて、またポロッと涙がこぼれた。ああ、どうしてこの人は、責めたりしないのだろう。勝手に疑ったのだから、怒られたり責められたりして当然なのに。

 

「そうか。よかった、東堂さんが無事で。じゃ、会ったばかりで申し訳ないけど、少しだけ移動しようか。立てる?」
「えっ……? どうして……?」
「俺は、東堂さんの声でここまで来た。当然、他の誰かにも聞かれている可能性がある。あまり疑うことはしたくないけど、状況が状況だから。それにここ、禁止エリアギリギリみたいだ。少し距離を取っていたほうがいい」

 

 もしかしたら、乗っている人間にも聞かれているかもしれないから、安全のためにも離れた方がいい。龍一郎は、そういうことを言いたいのだろう。疑いたくないけど、先ほどの放送でその願望は見事に砕かれてしまった。当然、龍一郎だって放送を聞いたはずだから、あかねと同じ考えにたどり着いてもおかしくない。万が一を考えて、身の安全を確保しようしているのだ。それはおそらく、自分のためというより、あかねのために。

 

 そう言って、龍一郎は周囲の荷物を持ち始めた。そのとき、あかねが二つデイバックを持っていることにも気づいたようだが、彼は特に言及しなかった。それどころか、あかねに一言を断りを入れてから、その荷物まで持ってくれたのだ。そうしてから、ゆっくりと移動を始める。あかねを立ち上がったことを、きちんと確認してから。

 きっと色々聞きたいことはあるはずなのに、龍一郎はそれ以上のことを口にせず、黙ってあかねの前を歩いてくれた。何かしらの形でそれに応えたかったけれど、今のあかねにそんな気力があるわけもなく、ただ龍一郎の背中を追うのが精一杯だった。そんなあかねのことを、時々振り返って立ち止まり、決して離れないように、龍一郎はゆっくりと歩いていてくれた。

 少しだけ移動して、二人はたまたま見つけた小屋の中へと入った。暗いのでよく分からないが、この小屋は大分築年数が経っているようだ。中を歩くたびに軋む音がしたし、随分と埃っぽい臭いもした。

 

 とりあえず小屋に誰もいないことを確認してから、龍一郎はあかねに座ることを勧めてくれた。マシンガンは、龍一郎とあかねの間、銃口は龍一郎の方を向いた状態で置かれている(このとき、このマシンガンはFN P90というものだと教えてくれた)。そうしてからはお互い黙ったまま、少しの時間が過ぎる。あかねも大分落ち着いた頃に、龍一郎は静かに口を開いた。

 

「何か、あったんだろう?」
「えっ……なんで……」
「分かるよ。東堂さんが泣くなんて、正直初めて見るし、こんな……状況だしな」

 

 だからさ、と一言付け足して、龍一郎はこう言ってくれた。

 

「落ち着いたらでいいから、何があったか話してくれないか。話すだけでも、気が楽になると思うからさ。俺でよければ、いくらでも聞くし。それに、ここはさっきの放送で禁止エリアに指定されていない。焦らなくていいから、話せるようになったら話せばいい。話したくないのなら、そう言ってもらってかまわないから」

 

 そんな優しい言葉に、また涙がこぼれそうになる。話すことは、話さなくてはいけないことは、たくさんある。龍一郎は日向の友達だ。知る権利もある。それに、話すことで、もしかしたら分かることもあるかもしれない。自分の気持ちの整理もある程度つくのかもしれない。そう、心のどこかで期待した部分もあった。

 

 そして、時間は大分かかってしまったけれど、何とかこれまでに起こったことを全て話すことができた。事実を正確に伝えられたかどうかは分からないし、きっと言っていることは支離滅裂だっただろう。けれど龍一郎は、途中で口をはさむことなく、最後まで黙って聞いてくれた。さらに言うなら、禁止エリアを記録し忘れたことを告げると、それをあかねの地図に書き写すということまでやってくれた。

 

「そうか……」

 

 あかねが話し終わってしばらくしてから、龍一郎はただそれだけを口にした。

 

「ごめんなさい……。私が……ちゃんと……もっとちゃんと日向を説得していれば……」
「東堂さんのせいじゃないよ。日向が決めたことなんだ。皮肉な話だけど、日向がそう決めた以上、俺らはもうどうすることもできないんだよ」

 

 そうかもしれない。けれど、もっとちゃんと説得していたら、もっと日向の不安を上手く取り除いてあげられたなら、違う結果になったかもしれない。だってあのとき、一瞬だけ迷っている様子も見せていたというのに。もしかしたら、龍一郎なら、日向を死なせることはなかったのではないだろうか。

 

「それにさ、変な話。少し分かる気もする。日向がそんな行動をした理由も」

 

 意外な一言に、思わず「えっ」という言葉がこぼれる。あかねには少しも分からない日向の気持ちが、龍一郎には分かるというのだろうか。

 

「東堂さんも知ってるだろ? 日向なりのこだわりっていうかさ、あいつがよく空の絵を描いていたこと」

 

 それは、幼少期から知っている。日向の絵は何度も見せてもらったが(半ば強引見たのがほとんどで、日向自身はあまり見せたがらなかったけれど)、そのほとんどが空の絵だった。青空や茜色の空や夜空など、様々の色のグラデーションで彩られた空が描かれているばかりで、人物像や風景画などはほとんど見たことがない。それだけ、日向を空の絵を描くことにこだわっていたのだ。

 

「それを裏付けるちょっとしたエピソードがあるんだ。美術部のみんなの間では有名な話だけどさ、聞く?」

 

 龍一郎に言葉に、あかねは首を縦に振った。それを確認してから、龍一郎は再び口を開いた。

 

「あれは……確か二年生のときだったかな。部活中に、みんなが自由に絵を描いていたときのことなんだけどさ。たまたま、日向の絵の具が切れてしまったことがあったんだ」

 

 確か、青奉中学校の美術部は比較的自由奔放な雰囲気であり、部員は来たいときに来て、思い思いの絵を描いているらしい。そんな自由奔放な空気にも関わらず、日向は律儀に毎日部活に顔を出して、黙々と絵を描いていた。そのときに、使っている絵の具がなくなってしまったのだろう。

 

「日向の絵の具の種類さ、かなり偏っていてね。空の絵をよく描くせいか、青の種類がかなり多いんだ。でね、そのうちの一色が、絵を描いてる最中に切れてしまったらしく、しばらくはその絵の具を何とかして使おうと色々頑張っていたけれど、そのうちに帰り支度を始めたんだ」

 

 そこで、龍一郎は一度言葉を切った。

 

「まだ部活が終わるには早い時間だった。いつもなら、日向は部活が終わるギリギリまで絵を描いているから、俺は正直驚いたよ。絵も完成間近だったしね。だから、日向に聞いたんだ。“もう帰るのか”って」

 

 龍一郎が静かに話すのを聞きながら、あかねはその光景を想像してみた。何となく、分かるような気がした。

 

「日向は、“絵の具が切れたから”って言った。けどさ、正直青の絵の具はたくさん持っているんだから、別の似たような色で代用すればいいじゃないかって、俺は言った。そしたらさ、”あの色じゃなきゃダメなんだ”って、こう返されたよ」

 

 そうだ。日向は、何事にも執着しないどこかドライな性格をしていながらも、絵に関しては人一倍のこだわりを持っていた。確か、画材道具にも日向なりのこだわりがあったはずで、それはこちらには到底理解できないようなこだわりだった。日向は一度こうだと決めたら、テコでも曲げないような性格だった。あのときも、最期のときも――そうだった。

 

「その日は、結局帰ったんだ。まぁ、次の日にはいつも通りに部活に来て、普通に絵の続きを描いてたけどね。あのとき、俺は日向にはこんな一面があったんだって初めて知ったんだ。こんな芸術気質な一面があったんだって」

 

 そう言って、龍一郎は寂しそうに少しだけ目を伏せる。けれど、すぐに口を開いた。先ほどと何ら変わりない――いや、変わらないように努めているような、そんな口調で。

 

「多分……こうと一度決めたことは絶対変えないんだよ、日向は。だからさ、いくら俺らが言ったところで、結果は同じだったと思う。東堂さんが言ってそうなら、俺や太一が言っても無駄だっただろうし……」

 

 そう言ってから、ごく自然な感じで龍一郎は頭を撫でてくれた。それは、下心をまったく感じさせない、ごく自然な行為だった。

 

「日向のやったことが正しいとは、俺も思わない。だから、日向に対して、なんであんなことをしたんだと怒ったりするのは、別にかまわないとは思う。けれど、東堂さんが、止められなかった自分を責めているんだとしているのなら、それは違う。もっとこうしとけばよかったとか、ああしとけばよかったというのは、どうしても後から出てきてしまうもんなんだ。そのときできる限りのことをやったんなら、それがそのときの最善の策なんだと思う」

 

 優しく優しく、疲れ切った心を溶かすように。その言葉は、あかねの心に響いてくる。

 

「東堂さんは、日向のために一所懸命頑張ったと思うよ。そんな東堂さんだからこそ、日向は放っておけなかった。学校にずっといるつもりだったのに、リスクを犯してまで助けた。きっと日向は、東堂さんには生きていてほしかったと思う。いつもみたいに明るく、笑って生きていて欲しかったと思う。死んでいく自分のことなど忘れて、できるだけ長く生きていてほしかったんだと思う」

 

 そう言って、龍一郎は少しだけ笑ってくれた。それは、いつもとなんら変わらない、とても優しい笑顔だった。

 

「ありがとう。最後まで、日向のことを助けようとしてくれて。一人しか生き残れない状況で、日向のことを止めようとしてくれて。もうそれで十分だから。東堂さんが自分を責める必要なんか、どこにもないんだよ」

 

 その言葉で、堰を切ったかのように涙が溢れ出す。それは、今までの涙と違う、どこか安堵したような涙。

 

――そうかな……? 加藤くんがそう言うなら……そうなのかな? 日向が決めたことなら……もう私ができることはなかったのかな……? でも、悲しいけれど、そうなのかもしれない……。

 

 全てを払拭できたわけではないけれど、でもどこか救われたような気がした。きっと誰かにこのことを話したくて、きっと誰かに言われたかったのかもしれない。最善を尽くしたのだと、言われたかったのかもしれない。

 

「あ、ありがとう……ありがとう……」
「俺に礼は言わなくていいよ。少しは、気が楽になった?」
「うん……」

 

 龍一郎のおかげで、少しだけ心の整理がついたような気がした。そしてきっと、これは龍一郎にしかできないことだったのだろう。些細なことにも気がつき、それをさりげなくフォローできる彼だからこそ、できたことなのだろう。

 そんな彼に対して、一瞬でも疑念を持った自分が恥ずかしい。

 

――じゃあ、私はこれからどうするべきなのかな……? 日向が自分のやりたいことを選んだのなら、私のやりたいことって一体何……?

 

 心の奥底にたまったもやもやした重いものが、少しだけ軽くなったような気がした。そうしたら、次はこれからどうするべきかということを考えることができるようになる。そして、この答えは、思いのほかすぐに出た。なぜなら、それは教室に出るときに決めたことだったから。

 

「ね、ねぇ加藤くん」
「ん?」
「これからさ、みんなのこと探そうと思う。やっぱじっとしているのは性に合わないし、きっと加藤くんみたいな人もいると思うしさ。それに私、結香や他のみんなに……会いたい」

 

 あのときと、結論は何も変わらない。あかねのやるべきことは、仲のいい友人を探すこと、そして仲間をつくることだった。自分一人では脱出など、夢のまた夢だろう。けれど、みんながいればきっといいアイデアが浮かぶはず。殺し合いなんて起こさないためにも、まずはみんなを集める必要がある。

 すると、龍一郎は一瞬戸惑うような表情を見せた。けれど、あかねは、そのまま言葉を続けた。龍一郎なら、きっと賛同してくれるだろうと思ったから。

 

「加藤くん、一緒に探さない? ほら、弓塚くんのことも探そうよ。日向もさ、弓塚くんは乗らないって言っていたから」
「……ごめん。それは、できない」

 

 眉間に皺を寄せながら、絞り出すような声で、龍一郎はあかねの提案を拒絶した。それはあかねにとって、完全に予想外ともいえる返事だった。そのせいか、会話がしばし途切れる。二人の間に、重い沈黙が漂う。

 

「ど、どうして……? やっぱり私のこと、信用――」
「違う。東堂さんには、何の責任も落ち度もない。俺個人の理由なんだ」

 

 それこそ分からない。龍一郎にこそ、何の落ち度もないのではないか。性格的にも信頼できるし、何より日向の友達だ。普段の彼を見ていれば、大半の人間は乗らないと思ってくれるはずなのに。

 

「……俺、マシンガン持ってるだろ? 多分、これからたくさんの人に疑われると思う。もしかしたら、いきなり攻撃されることもあるかもしれない。そのとき、東堂さんが一緒にいたら……巻き込んでしまうかもしれないから」

 

 その言葉に、ハッとした。そして――自分も同じ理由で、一度は龍一郎を疑ったことも。

 

「わ、私が疑ったから……?」
「違う。元々疑われることは百も承知だし、無理もないと思う。東堂さんの話だと、マシンガンの銃声が聞こえたとき、まだ十一人ほどしか出発していなかったんだろう? そんな少ない人間の中に、マシンガンを持っている人がいれば、嫌でもその可能性に行き着く。まぁこんなものを使う気がないのなら、捨てればいいんだろうけど、生憎俺にはそんな度胸もないからね。マシンガンという武器を持っている上で、そこは負うべきリスクだと思っているから」

 

 そんなリスクを、どうして負わなくてはいけないだろう。だって、龍一郎は何もしてない。たまたまマシンガンを支給されただけで、彼はそれをまだ使っていないのに。みなみを殺した、龍一郎以外の誰か。残りの九人の誰かのせいで、関係ない龍一郎にまで被害が及んでいる。

 

「わ、私が一緒にいれば、きっと大丈夫だよ……。加藤くんがそんなことするなんて誰も思わないし、話せばきっと分かってくれるよ。それに、それにね……」
「そう言ってくれるのは有り難いけど、それが通じないのが今の状況なんだよ。それに、さっきの放送で、みんなはより人を疑うようになったはずだ。東堂さんみたいに、話を聞いてくれる人ばかりじゃない。問答無用で襲ってくる人間だっていると思う。そのとき、正直俺は東堂さんを守れる自信がない。情けないけどね」

 

 そんなことしてくれなくていいのに。守ってほしいわけじゃない。ただ一緒にいて、仲のいい友達を探してほしいだけなのに。龍一郎の助けになりたいだけなのに。あのマシンガンと龍一郎は関係ないと、みんなに分かってほしいだけなのに。それに、このまま事態が好転しなかったら。龍一郎はあのマシンガンとは関係ないと、みんなに理解されないままなら――

 

「でも、それじゃ加藤くんは……ずっと一人じゃん……」

 

 そんなの悲しすぎる。武器のせいで、ただそれだけのせいで、ずっと一人でいなくてはいけないなんて。

 

「大丈夫だよ。こう見えて、一人はそんなに苦じゃないから」

 

 力なく笑う龍一郎を見て、すぐに嘘だと分かる。悲しいくらいに、それははっきりと分かってしまう。

 

「それにさ、変な言い方だけど、せっかく日向が東堂さんを助けたんだ。俺がみすみす死なせるわけにはいかないだろ?」

 

 そんな優しい龍一郎の声で、またポロポロと涙がこぼれる。日向にしても、龍一郎にしても、どうしてこんなに自分のことを気遣ってくれるのだろう。どうして、自分の命を優先しないのだろう。

 

 そんな彼らに、どうして自分は何もできないのだろう。

 

 そんなことを思っていたら、右手の指先に何かが触れた。そちらに視線を向けると、真新しいデイバックがあった。日向があの場所に置いていったものだ。

 

「じゃ、じゃあせめてこれを持っていって!」
「でも……東堂さんの支給武器は救急箱なんだろう? それじゃ何かあったときに困ると思うから……。だから、せめてそれは東堂さんが持っていた方が――」
「私は大丈夫だから! それに、加藤くんに使ってもらったら日向も喜ぶと思うし――」

 

 龍一郎の言葉にもかまわず、急いでデイバックの中を漁る。そのとき、カチャンという金属同士がぶつかり合う音が聞こえ、指先に冷たい感触があった。取り出してみると、茶色の小さな瓶。コンビニや自販機でよく見る栄養ドリンクだ。

 

「こんなものも支給されていたのか……」

 

 独り言のようにつぶやく龍一郎を尻目に、あかねはデイバックから中に入っていた瓶を全て取り出した。全部で五本。確か、こういうものは一日一本しか飲めないから、三日という制限の中では十分すぎる量だ。

 

――なんだ……。武器じゃないじゃん……

 

 栄養ドリンクを握りしめながら思う。やはり、日向は死ぬべきではなかったと。栄養ドリンクでは人を殺せない。銃でも、ナイフでない。人を傷つけるものですらない。むしろ、あかねの持っている救急箱同様、みんなの助けになるようなものではないか。

 

――バカ……日向のバカ……!

 

「これ、一つだけもらってもいいかな?」

 

 再び涙が溢れそうになったとき、そっと龍一郎が声をかけてきた。あかねの気持ちを全て察した上で、声をかけてくれたように思えた。

 

「形見……とも言えないけど、ちょっと持っておきたいかな。一人で行動する上で、必要になりそうだしね」

 

 そう言って、龍一郎はそっと一本だけポケットに入れていた。まるで、大切なものを扱うように。とても慎重な手つきで。

 

「も、もう一本くらい持っていっても――」
「一本あれば十分だよ。それに、東堂さんはこれからみんなを探すんだろ?」

 

 だからさ、と付け足して、龍一郎は続きを口にした。

 

「それは、その人たちのために使いな。きっと必要になるからさ」

 

 でも――そう口にする前に、また龍一郎に頭を撫でられる。それで、全ての言葉を飲みこんでしまう。多分、それも龍一郎には分かってる。分かってて、彼はそうしているのだ。

 

 しばしの間そうしていたと思ったら、突然龍一郎はこんなことを口にした。

 

「……俺さ、何となくだけど、東堂さんは死なない気がする」
「え……? どうして……?」
「そう言われると、答えられなくなっちゃうんだけどさ。でも何となくそう思うんだよ。多分、これはただの勘とか、第六感の類だろうからさ」

 

 龍一郎がそんなことを言うなんて、多分初めてだ。きっと、龍一郎も日向と同じように憶測で物を言わないタイプだろうから。そんな彼が、今はそんなことを口にしている。

 

「だからというわけでもないけど、東堂さんは何も変わらなくていいと思う。場所が変わったって、世界が変わったって、自分まで変える必要はどこにもない。やりたいように、やればいいと思う。東堂さんは東堂さんらしく、これまで通りにやればいいと思う。そしたら、きっと後から結果はついてくるからさ」

 

『あかねなりに助けてあげればいいから』

 

 ああ、そうだ。日向もそんなことを言っていた。そのままでいればいいと。たとえこの状況がとてつもない絶望だったとしても、たとえそこに希望などなくても、そこに自分まで染まらなくていいと。龍一郎と同じことを、きっと日向も言いたかった。

 それはきっと、日向自身がそうなりたくなかったから。この世界に、染まってしまう自分が嫌だったから。だからこそ、あんなことを言ったのだ。だって日向は、自分が変わることを、この世界に染まることを恐れて、自ら命を絶つと決めたのだから。

 

「じゃあ、くれぐれも気を付けて。日向の言うとおり、信じる相手は選別した方がいい。ここも、できるだけ早く離れた方がいいよ。それじゃ」
「あ……あのね!!」

 

 去り際に忠告する龍一郎の言葉を遮る形で、あかねは声を張り上げていた。久しぶりにそんな声を出したから、少しばかり枯れたような感じになってしまったけれど、そんなことはかまわなかった。

 

「私、絶対みんなに伝えるから!! 加藤くんはやる気じゃないって! あのマシンガンとは何の関係もないって! そしたら、きっともう誤解されなくてすむから!!」

 

 みんなに分かってもらえれば、龍一郎も一人でいなくてすむ。これから人に会うのなら、仲間を作るつもりなら、そのことだけは絶対伝えようと思った。たとえ淳一のように相容れなくても、これだけは絶対言わなくてはいけないと思った。

 

「そしたら、もう一人にならなくていいでしょ?」
「……ありがとう。そうだね。そしたら、東堂さんと一緒に行動できるかもしれないね」

 

 少しだけ嬉しそうに、けれどどこか愁いた表情で、龍一郎はそう言った。そして、くるりとこちらに背を向ける。その背中は、どこか寂しそうに見えた。

 

「……一緒にいれなくて、ゴメン。どうか、気を付けて」

 

 それだけを口にして、龍一郎は静かに去っていった。その姿が、どこか日向とカブって見えてしまって、あかねは引き留めようと思った。けれど、それを拒絶するかのような龍一郎の雰囲気に圧倒されてしまい、言葉として口に出すことをができなかった。

 

「……大丈夫だよ。だって、私が何とかするから」

 

 思わずこぼれ出た言葉は、どこか頼りない。けれど、いつまでも下を向いているわけにはいかない。助けてくれた日向、励ましてくれた龍一郎。二人の行為を無駄にしないためにも、一人でも多くの仲間を作って、この殺し合いを止めなくてはならない。

 

 袖口で乱暴に涙をぬぐい、立ち上がる。荷物を持って、ゆっくりと歩き出した。二人分あるから少し重いけど、その重さも抱えなくてはいけないと思ったから、置いていくという選択肢はなかった。

 

『あかねらしくいればいいから』

 

 小屋から出て、久しぶりに見た外の景色。見上げれば、そこにはきれいな星空が瞬いていた。それを見た途端、また一筋だけ涙が流れた。

 

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