不確定要素

 

「どうして……」

 

 弓塚太一(男子17番)が次に発した言葉は、何の変哲もないたった四文字の疑問だった。腹部を撃たれてもなお、騙されていたことを理解してもなお、心のどこかでこの現実を拒否していた。目の前にいる有馬孝太郎(男子1番)がこんな行動に出ることを、太一はまったく考えていなかったのだから。

 プログラムに乗る人間はいないなどと、そんな甘い考えを抱いていたわけではない。クラス内でも素行の悪い小倉高明(男子3番)や、もう死んでしまったけれど妹尾竜太(男子10番)は乗る可能性が極めて高いと思っていたし、あまり話したことがない下柳誠吾(男子7番)五十嵐篤(男子2番)なんかは、警戒した方がいいだろうと思っていた。けれど、まさかクラス内でも一、二位を争うくらいの人格者で、いつもにこやかな笑顔をたやさず、怒ることなど滅多にない。誰よりも周囲に気を配れる人物が、こんなにもあっさり人を殺すことなど、まったく考えていなかった。太一の頭では、それこそ“有り得ないこと”として認識されていたのだから。

 

「は? どうして、だって? その間抜けで頭の悪い返答は何なんだ? お前、ルールを理解していなかったのか? 最後に生き残った一人だけが帰れるって、あの女が言っていただろう。だったら、自分以外のみんなに死んでもらわなくちゃいけないだろう。なら、俺のこの行動は、プログラムの中においては、実に理にかなったものじゃないか?」

 

 こんな蔑むような話し方。いつもの物腰柔らかい口調とは似ても似つかない。自分の目の前にいるのは、本当にあの有馬孝太郎なのだろうか。

 

「ああ、もしかして、道徳的観点から物を言っているのか? 人を殺すことは間違っている。命は平等なんだから、みんな生きたいのだから、相手のことを思えばそんなことできるわけがない。自分だけ生き残るなどできない。頑張れば、きっと脱出方法があるはずだと、そんなことを思ったのか? 加えて言うなら、頭のいい人間が集まったクラスだから、きっと何か方法が思いつくはず。そんな有り得ない願望まで抱いていたのか?」

 

 そうだ。だってその通りではないか。人を殺すことなど間違っている。みんな生き残りたいのは同じだから、命は平等だから、人を殺してはいけない。脱出方法は必ずどこかにあるはず。完璧な人間などいないから、同じ人間が作ったこのプログラムにも、必ずどこか穴があるはず。太一はそう思っていた。そう信じていた。

 

「バァーカ」

 

 けれどその思いは、孝太郎が発した、たった三文字の言葉でかき消された。

 

「バカもバカ。大バカだよ、お前は。そんな夢みたいなこと考えているから、こんな風にあっさり騙されるんだ」

 

 耳に届く、孝太郎の声。相手を蔑み、あざけ笑う声。それ以外には何も分からないせいか、その声だけで、太一の中の何かが切れそうになる。

 

「曽根にしても、ああもあっさり嘘を信じるんだから。本当にバカだよな。だから、あんな簡単に殺されるんだよ」
「じゃ……あのマシンガンも……お前なのか……」
「頭の悪いお前のために答えてやると、正にその通りだな」

 

 太一が単独行動をする羽目になった元凶は、目の前にいるクラスメイト。開始早々、プログラムに乗った人間。人を殺した、クラスメイトを殺した、おそらく最初の人間。疑問と怒りが、同時に心の中で入り乱れる。事実を飲み込んでいくと、ある種の絶望感に浸食されていく。

 

「それが……お前の本性なのか……?」
「“はい”か“いいえ”で言うなら、前者かな」
「ずっと俺たちのこと……騙していたのか……?」
「だから、さっきからそう言ってんだろ」

 

 絞り出すようにして発した言葉にも、孝太郎は小馬鹿にしたような口調で返答する。もしかしたら否定してくれるかもしれない――そんな淡い希望を、木端微塵に砕くかのように。

 

「大体、ほんの少しでも警戒しなかったのか? 曽根が死んだときのマシンガンの銃声は、お前等のいる教室まで届いていただろ。そのとき出発していたのは、よくて幸治までだろ。その少ない人数の中にマシンガンを持っている奴がいるって、分かっていただろ。そのとき出発していた人間を、少しでも警戒する気持ちはなかったのか?」

 

 ペラペラとよく話す。先ほどと変わらない、こちらを蔑むような口調で。

 

「ああ。それとも、加藤を疑いたくなかったから、わざとその可能性から目を逸らしたのか? そんな友情ごときで、疑うことを放棄したのか? くだらねぇな。他人のことを、そこまで信じるなんてな」

 

 友情ごとき――その言葉で、堪忍袋の緒が大きくブチンと切れる音がした。

 

「加藤だって、いざとなればお前らを捨てるかもしれないのに――」
「……おい。今……なんて言いやがった?」

 

 腹部は痛いし、妙な息切れはするし、相変わらず口には鉄の味しかしない。けれど、今はそれよりも、怒りの方が勝っていた。

 

「死にかけだから聞こえなかったのか? だったら、もう一回言ってやるよ。加藤だって――」
「ふ……ざけんな」
「あ? 何か言ったか?」
「ふざけるな!! そう言ったんだ!!」

 

 孝太郎の耳障りな声だけが聞こえていた闇に、今度は太一の怒号が響く。その声は、どこか遠くから叫ばれているかのように、とても小さく聞こえた。

 

「まぁまぁ、そうカリカリするなよ。あんまり叫ぶと、傷口開いちまうぞ? せっかく急所は外してやったんだから」
「お前……うっ!」

 

 反論しようと思ったが、その前にせり上がってくる吐き気のせいで、その言葉は中断されてしまう。何かを吐き出した後の口の中は、また新たな鉄の味で満たされてしまう。

 

「ほらほら、言わんこっちゃない。せっかく止めは刺さないでおくつもりなんだから。わざわざ寿命を縮めることはないだろう?」
「何……だって?」

 

 どういうことだろう。殺すつもりだったくせに、止めを刺さない? なぜ、孝太郎はそんなことをしようとするのだろう。

 

「なぜそんなことをする? どうせそんな疑問を持っているだろうから、教えてやるよ。その方が、面白いからだ」
「面白い……?」

 

 面白いというのは、どういう意味なのだろう。まるでゲームを楽しんでいるかのような、その余裕は何なのだろう。

 これは、決してゲームなどではないというのに。

 

「だって、このままいったら、騙し討ちはほぼ成功しちまうだろ? 俺の本性を見抜いている人間だっているかもしれないが、おそらく良くて一人か二人だ。それじゃ面白くないし、あっさりすぎる勝利も味気ない。だから、ちょっと不確定要素を増やそうと思ってな。だから、お前をこのまま放っておくことにする」

 

 その言葉が差す意味。ある意味、止めを刺すよりも残酷な答え。それは、太一にもすぐに分かってしまった。

 

「誰か来るといいな。お前がくたばる前に」

 

 虫の息である太一の元に誰かが駆けつけてくれば、その人物は太一の口から、孝太郎が乗っていることを知ることができる。あのマシンガンの正体も判明する。その人物が太一の言うことを信じるかどうかは別にして、少なくとも孝太郎にとっては不利な材料に他ならない。

 けれど、孝太郎は、敢えて自身に不利な状況を作りだそうとしている。それは全て、プログラムという名のゲームを、孝太郎自身が楽しむために。

 

「だからこそ、曽根を殺したとき、八木のことも見逃したわけだしな。と言っても、あいつの場合、どうせ誰も信用しないだろうから、大した不安材料にはならないけど」

 

 そう言って、太一の近くにあったデイバックを手に取る。そのまま中を探り、はぁと一つため息をついた。

 

「お前の私物……じゃないな。こんなの、わざわざ学校に持ってくる必要ないし。となると、お前の支給武器がこれってことになるけど……。まぁはっきり言ってハズレだな。でも、どっかで必要になるかもしれないから、一応もらっていくか」
「だ、誰がそれを持って行っていいと……」

 

 そのまま太一のデイバックを持って行こうとする孝太郎の足を、必死の思いで掴んだ。しかし、それはあっさりと払われてしまう。

 

「汚ねぇ手で触るんじゃねぇよ。この死に損ないが」

 

 冷たくそう告げられた後、手を思いっきり踏みつけられてしまう。しかも、強度的に弱い指を踏みつけられてしまったせいか、バキッという鈍い音がし、新たな痛みが太一を襲った。

 

「ぐっ……!」
「ああ、もしかして骨でも折れちまったか? ふーん……案外脆いものだな、人間って」

 

 何の感情もこもらない声でそう言った後、ザッ、ザッという足音らしきものが聞こえる。しかも、段々小さくなっていくように聞こえていく。

 

「待っ……待て。てめぇ……絶対……絶対結香や龍一郎に手を出すんじゃ……」
「ああ、それは無理な相談だな。だって優勝には、他のクラスメイト全員の死が絶対条件なんだからさ」

 

 そう告げると、ザッ、ザッという足音が再び聞こえる。先ほどよりも早い速度で小さくなる。その歩みを止めようと思っても、満足に声を出すこともできない。怒号どころか、文句の一つも言うことができない。

 

「せいぜい長生きしろよ。お前だって、無駄死はしたくないだろ?」

 

 その声を最後に、辺りに静寂が訪れる。腹部からの大量出血により、太一の意識は次第に朦朧とし始め、知らないうちに完全に意識を手放してしまっていた。

 

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