世界を変える者たち

 

 ここは、エリアB-2。住宅街や公園から遠く離れたこのエリアに住宅らしきものはほとんどなく、代わりにとても広い田園地帯が目の前に広がっている。そのエリアにある小屋というべきところにいる宮崎亮介(男子15番)は、身体を横にして休息をとっていた。ここまで連れてきてくれた澤部淳一(男子6番)は、少し離れたところで見張りをしてくれている。

 学校から離れた後、みんなが行きそうな住宅街を敢えて避け、このエリアまで移動してきた。誰が乗っているのか分からないこの状態では、なるべく人に会わない方が安全だという淳一の提案からだ。必要な食糧は淳一がある程度確保してあったので、住宅街に行く目的もない。武器が探知機と鉄串(バーべキューに使うような奴だ。といっても、亮介はバーベキューになど行ったことはないが)ということもあり、亮介も特に異論はなかった。

 今はとりあえず、交代で休憩しようということになっている。人間の睡眠時間は六時間ほどが望ましいということで、まずは淳一が最初の放送まで眠り、今は亮介が休憩しているという状態だ。といっても、この緊迫した状況でまともな睡眠が取れるはずもなく、結果的にはただ身体を休めているだけ。それだけでも随分違うだろうが、これが続くとさすがに身体に支障をきたしそうだ。

 

 そうしてぼんやりとしていると、突然連続した銃声らしきものが聞こえた。それは、まだ眠りの世界へ誘われていなかった亮介の緊張した糸を張りつめさせるには、あまりに十分すぎるものだった。

 

「い、今のって……」

 

 あまりにはっきりしない音だったせいか、それが本当に銃声であったかどうか分からない。けれど、ただの気のせいとも思えない。ここから大分離れたところで、もしかして何かあったのだろうか。

 

「どうした?」

 

 亮介の言葉に反応したのか。淳一が、静かにそう聞いてきた。視線は淳一自身の手元にある探知機に落とされたままだが、それはおそらく、亮介の口調から何かあったと察知し、警戒心を強めているためなのだろう。

 

「今……銃声らしきものが聞こえた気がしたんだけど……」
「……俺には聞こえなかったな。となると、ここから大分離れたところか。探知機にも、俺たち以外の反応はない」

 

 どうやら淳一には、あの銃声らしきものは聞こえなかったようだ。けれど、それを亮介の気のせいだと聞き流すこともなく、それが本当であることを前提として話を進めている。亮介の言うことを、微塵も疑うことなく。

 

「少なくとも、俺らに危険が及んでいるわけでもないだろう。もう少し様子を見るってことでいいか?」
「あ、ああ……」

 

 ただ同意を求められただけなのに、じんわりと気持ちが温かくなる。誰かに同意を求められることも、誰かに意見を求められることも、亮介にとっては決して当たり前のことではなかった。家に帰れば、言っていること何もかもが、誰にも聞きいれてもらえない世界になるのだから。反対意見を持つことなど許されるわけもなく、賛成を問われたことも、同意を求められたこともなかったのだから。何もかも一方的に決めつけられて、自分の意見を持つことなど許されなかったのだから。

 

『言い訳しないで!! 全部あんたが悪いのよ!!』 

 

 何度この言葉を聞かされたか分からない。そうやって両親から、ずっと罵声を浴びせ続けられてきた。言い訳どころか、何か反論しようとするたびに殴られてきた。そうやって、何度言ったことを否定されてきただろう。何度、存在意義すらないと思わされてきたことだろう。けれど亮介自身、それが当たり前だと思っていた。両親の期待に応えられない自分が、“いい子”でいられない自分が、何もかも悪いのだと。ずっとそう思ってきた。

 

『なんでできないの?! お兄ちゃんはこんなに優秀なのに、どうしてあんたはこんなにダメな子なの!!』

 

 毎日毎日、優秀な兄と比べられ、どれだけ自分ができそこないであるかを突きつけられる。もちろん、褒められたことなど一度もない。試験結果を見せるたびに、どうしてこんな凡ミスをしたのか、どうしてこんな簡単な問題が解けないのか。そんなことばかり言われてきた。そんな両親の影響か、たった一人の兄弟である兄の態度もひどく冷淡なものだった。『出来の悪い弟を持って、兄貴はホント苦労するよ』というのが、兄の常套句だったのだから。

 

 あのときに比べれば、今はまだいい。自分の言ったことを聞いてくれる人がいるのだから。殴られることも、存在を否定されることもないのだから。

 プログラムの方がいいだなんて、何とも皮肉な話だけれども。

 

「亮介……? どうした?」
「あ、いや……何でもない」

 

 淳一の言葉で、ハッと我に帰る。まただ。時々、こんな風に突然思い出すことがある。いや、本当は思い出すなんて表現も適切ではない。なぜなら、これは現在進行形で進んでいることなのだから。ついこの間、終業式の日にも言われたことだから。

 

「あのさ」

 

 まだそうやって考え込んでしまっていたとき、淳一がこちらに話しかけてきていた。

 

「……俺にはあんま言えないけど、変なこと思い出しているなら、それは違うからな。お前は、何も悪くねぇよ」

 

 その言葉で、またじんわりと気持ちが温かくなる。淳一にこう言われるのは、もう何度目だろうか。あのときも、友達になってからも、自分が沈んだ表情を見せるたびに、淳一はこうやって声をかけてくれる。クラスのみんなは、淳一のこんな優しい一面を知らないのだろう。普段の口の悪さだけを思えば、こんな一面が隠されていることなど分からないだろう。現に、自分もそうだったのだから。

 みんなのことを、全て知っているわけではない。けれど、知らないからこそ、怖い一面も、淳一みたいに見えない良い一面もあるのかもしれない。それが、この状況下における希望であるのかは分からない。でも、みんな無意識のうちに理解しているはずだ。いいところも悪いところも、その人には必ず存在していることを。全てが悪い人間など、一人としていないことも。死ぬべき人間など、決して存在しないことも。

 だからこそ――分からない。

 

「なぁ……淳一」

 

 気がつけば亮介は、淳一に向かって話しかけていた。

 

「なんだ」
「こんなこと……聞いていいのかわかんないけど……聞いてくれるか?」
「いいけど」

 

 聞けば、それはあまりに素っ気ない言葉だけど、それは淳一が感情を上手く表に出せないだけで、本当はちゃんと聞いてくれる肯定の返事なのだと分かる。だから躊躇うことなく、亮介は次の言葉を口にした。

 

「どうして……みんなプログラムに乗るのかな……?」

 

 返事は、すぐには返ってこなかった。続きを促してくれているのだと思い、亮介はそのまま言葉を紡いだ。

 

「現実問題としてさ、嫌でもプログラムが進むことは分かっているよ。でも、やっぱり理解できないんだ。だって、こんなの間違っているじゃないか。人を殺しちゃいけないなんてこと、馬鹿な俺でも分かるよ。それは、悲しむ人がいるからで、その人にはこれから先も生きるべき未来があって、それを奪う権利なんか誰にもないからなんだ。たとえ、たった一人しか生き残れないとしても、人殺しが罪にならないとしても、それは人を殺す理由になんかならない。それなのに……どうして殺したりするんだろう……? みんな、俺よりずっと頭いいじゃないか……。どうしてみんな……こんなのに乗るんだ……?」

 

 言葉を紡いでいくうちに、どんどん気分は落ちていく。悲しい気持ちになっていく。そして段々悔しくなって、気づけば拳を握りしめていた。手のひらに爪が刺さり、じわりと痛みがはしる。

 呼ばれた八人全員と、親しかったわけではない。けれど、同じクラスメイトだったのだ、何も感じないわけではない。さほど話すことはなかったけれど、同じ出席番号の関係で一緒に日直をやったことのある羽山早紀(女子15番)や、かつてそれなりに親しかった弓塚太一(男子17番)との関係で槙村日向(男子14番)の名前が呼ばれたときも悲しかったし、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた鈴木香奈子(女子9番)のときは、悲しみと同時に殺した相手に対して怒りの感情すら覚えた。

 亮介自身、誰かを殺すつもりなど微塵もない。誰かを殺すくらいなら、自殺するつもりだった。仮に、淳一と二人だけ生き残った場合でも、亮介はそうするつもりだった。なぜなら、自分には帰る場所などないが、他のみんなには帰る場所があるからだ。待っている人がいるなら、その人が帰るべきなのだ。

 なのに、どうしてみんな人の命を奪うのだろう。どうして自分と同じように、他人も死にたくないと思っていることを考えられないだろう。頭の良いみんななら、こんなの分かりそうなものではないか。

 

「そうだな。敢えて一つだけ言うとすれば、頭がいいから……だろうな」

 

 しばしの沈黙の後、淳一から返ってきた返事はこうだった。

 

「肯定する気はない、ということを前提で話すけどな。頭がいいから、おそらく亮介が言ったことも理解しているだろう。いくら法で罰せられなくても、いくら他のみんなが死なないと帰れないとしても、それは免罪符にはなりはしない。人を殺すことは、最低最悪の行為だ。そんなことは百も承知だろうよ」
「じゃ、じゃあどうして……」
「問題は、そこからだよ」

 

 そこで、淳一は初めて探知機に落としていた視線を上げ、こちらの方へと向き直る。暗闇に慣れた目に、その視線が容赦なく突き刺さる。

 

「その先は、じゃあこれからどうするかという話になる。みんなでここから脱出するか? いや、この首輪がある限り学校に攻撃すら仕掛けられないだろう。では、この首輪を外せばいいのではないか? そもそも内部構造どころか、どこから外せばいいのか分からない。おまけに、いじったら爆発するというおまけ付きだ。そんな危険は侵せない。遠くから、爆弾か何かを投げるなり仕掛けるなりして攻撃するか? そもそも、そんなスキルがどこにある? ここまで考えれば、大抵の人間は諦めるだろう。なら、もう選択肢は二つしかない。プログラムに乗ることで人を殺してまで生きることを選ぶか、プログラムに乗らないことで生きることを放棄する、もしくは棚からぼた餅的な展開で最後の一人になることを期待するか」

 

 ここで、亮介は一度唾をゴクリと飲んだ。一瞬だけの静寂が、耳に痛い。

 

「乗るなら、間違っていると分かっていても人を殺すしかない。乗らないなら、今の俺らみたいに様子見か……自殺だ。全員が全員こうじゃないだろうが、乗っている人間の中にはこういうタイプもいるだろう」

 

 悔しいが、淳一の言っていることは的を得ている。認めたくないが、現実はそうであるということを自分は理解してしまっている。現に、ここに隠れて落ち着いたとき。淳一に、「悪いが、首輪の全体像を見たい。触らないから、じっとしてくれないか」と言われ、亮介の首輪を見せているのだ。それから何もアクションを起こさないところからして、その点は淳一も手に負えないと判断したからだろう。

 

「そういう意味では、これは実によくできているよ。選択肢を強制的に狭めることで、否応にでも人を殺す人間が出てくるようになっている。そして、一人出てくれば後は芋蔓式だ。正当防衛なり、事故なりで、これはどんどん進む。そうやって、ずっと続いてきたんだろうな」
「それって……政府の思う壺じゃないか……」
「正にその通りだ。それが、奴らの狙いでもあるんだしな」

 

 こんな殺し合いに巻き込まれていなければ、みんな人を殺すことなど決してなかったはずなのに。今頃は家族のいる家に帰って、来たるべき正月に胸を膨らませているはずなのに。そして年が明けて、またみんなに会って、ゆくゆくは卒業して、そうして大人になっていくはずなのに。たった数時間の間に、もう八人のクラスメイトが犠牲になってしまった。彼らは、来年どころか明日すら失われてしまった。

 

「な、なぁ……俺達……これからどうしたらいいんだ……?」

 

 様子見なんてこと、いつまでもできるわけがない。なら、いつかは選ばなくてはいけないだろう。“人を殺して生きる覚悟”か、“殺さないことで死ぬ覚悟”か。

 

「……そうだな。正直、まだ状況を正確に把握しきれていない。俺としてはもう少し様子を見たいな。でないとこれ、ぶっ壊せないし」
「えっ……? だって今、これを抜け出すことは無理だって……」

 

 さっき言ったことと矛盾するではないか。これは実によくできていて、いずれは誰かが殺してしまうようにできていると。このプログラムから抜け出すことはできないと。

 

「さっき言ったことは、あくまでプログラムに乗った連中の視点に立った考え方だ。俺自身は、そう考えてなんかいない」

 

 そう言って、淳一は視線を亮介から外した。その視線はどこか遠く、亮介には見えない、どこか違うところに向けられている。

 

「確かに、プログラムを壊すのは難しい。さっき亮介の首輪を見たが、これの外し方は皆目見当もつかない。この状態で首輪を外すというのは、かなりリスクのある方法だ。けれど、何も他の方法がないわけじゃない。首輪が外せないなら、本部自体をぶっ壊して、その機能を無効にすればいいだけの話だ。学校のあるG-1はもう近づけないし、その周辺エリアもこれから禁止エリアになっちまうけど、まだF-2が大丈夫。そこから何らかの攻撃を仕掛ける方法はあるはずだ。それは、何も爆弾じゃなくていい。俺らにもできる何か別の方法で構わない」

 

 確かに、淳一の言う通りだ。禁止エリアは、先ほどの放送でAM01:00からH-6、AM03:0からG-2、AM05:00からF-1となっている。まだ周辺でいえば、F-2は大丈夫だ。

 

「問題は、どうやって本部をつぶすか。まぁ付随して首輪の問題をどう解決するか。そして、ここからどうやって離れるか。主にこの三つかな。船を確保するにも、相手は鍛え抜かれた兵士だからな。ただ無鉄砲に突っ込むのは得策とはいえない。けれど、兵士なんてものは所詮命令がないと動けない立場だ。その隙を上手くつけばいい」

 

 視線は外したまま、淳一は言葉を紡ぐ。その言葉に、どこか自信のないような含みがあったのは、気のせいだろうか。

 

「亮介は分かってくれていると思うが、俺が頭の悪い連中が大嫌いなんだ。それは、何も学力的な問題じゃない。脅迫に近い行為でしか国民をまとめきれなくて、こんな意味のない戦闘実験なんかやって、それに何の疑問を感じない政府の連中。そして、政府の言うことにまんまと乗せられるクラスの奴ら。俺はな、そういう狭い視点で物事を考える気なんかさらさらない」

 

 苛ついたような口調でそうまくし立てた後、静かにこう付け足していた。

 

「ここが人殺しを強要される世界なら、そしてそれが常識なら、そんな世界も常識もくそくらえだ。そんなの、俺は絶対認めない。そんなことをするくらいなら、その世界の方を変えてやるよ」

 

 世界の方を変える――それは、ある意味とてつもない宣言。革命家が言うような言葉だ。きっと、これを聞いた大半の人間は、淳一のことを鼻で笑うだろう。そんなのできっこないと、決めつけるのだろう。

 けれど、亮介には、そうは思えなかった。淳一ならできそうな気がした。なぜなら、淳一は既に、亮介の世界を変えた人物だったから。亮介の世界を変えた“革命家”だったのだから。

 淳一なら変えられる――何も根拠はないけれど、亮介はそう確信していた。

 

「大丈夫。淳一になら、絶対できるよ」

 

 だからこそ自信を持って、そう口にすることができた。

 

「俺、そのためなら協力を惜しまない。それでみんなが、淳一が助かるなら、俺は全面的に協力するよ! 体力だけには自信があるしさ!」

 

 自分一人では、何もできずに死ぬだけだろう。死ぬこと自体に恐怖を感じているわけではないが、この国の、淳一の言う“頭の悪い連中”に翻弄されるのは嫌だ。誰かの言いなりになることが嫌だと思ったことは、初めてだ。

 なら、自分なりに刃向かっていこうではないか。可能性があるなら、その可能性に賭けてみようではないか。それがとんでもない博打で、それが原因で死ぬことになっても、やりたいようにやってみようではないか。それでみんなが、淳一が助かるなら、それに越したことはないのだから。

 今ここにいるのは、家族の装飾品としての自分ではない。“いい子”でいなくてはいけない子供ではない。他の誰でもない、“宮崎亮介”というただ一人の人間。なら、自分のやりたいようにやってもいいはずだ。誰にも文句を言われる筋合いはないはずだ。

 

「言っとくけど。その“みんな”の中に、お前も入ってんだからな」

 

 少しだけ呆れたように淳一はそう口にしたが、その口調はどこか嬉しそうだった。

 

「学校離れるときも言ったけど、俺はお前が死ななくていいようにするって言ったんだ。お前を利用するだとか、お前を犠牲にとか、そういうの全然考えていないから。それを当てにして、わざわざ学校まで戻ったわけじゃないし」

 

 ぶっきらぼうだけど、突き放すような言い方だけど、その言葉は本心だろう。照れくさい気持ちを押し隠した、淳一らしい言葉だった。

 

「それにさ、一人で脱出できても、それじゃ意味ないだろ。ここから一緒に抜け出すんだからな」

 

 じんわりと胸が熱くなる。優しい言葉。自分を対等に見てくれる言葉。ずっと欲しかった――誰かに必要とされる言葉。

 その言葉がとても嬉しくて、お礼を言いたかったけど、言葉に詰まって何も言えなかった。何も言えず、ただ静かに涙が流れる。亮介はその涙を、隠れてそっと袖口でぬぐった。

 

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