欠けていく理想像

 

 どうして、なんで、こんなことになってしまったのか。

 昨日までは平和で、まだ若い自分達にとって“死”は遠かったはずで、当たり前のように明日が来ると思っていた。

 人の命を奪う世界など、増してや命を奪われる世界など、自分達は知らなかったはずだった。

 そう、昨日までは――

 

「なんで……こんな……」

 

 須田雅人(男子9番)は、そう一人で呟いていた。呟きながらも、絶え間なく足は動かしている。そうやって放送から数時間、当てもなくずっと歩き続けていた。目的地などない。ただ歩いているだけ。それは、先ほどの放送内容が、雅人にとってあまりにショックだったからに他ならない。

 

『全員で八人ですね。つまり、現在生きている生徒は二十六人となりまーす』

 

 放送で呼ばれた名前の数は、雅人の予想を超える八人。実に全体の四分の一近いクラスメイトが、たった六時間足らずで死んでしまったのだ。教室で殺された田添祐平(男子11番)、校門前で死んでいた曽根みなみ(女子10番)、あとかすかに聞こえた銃声で犠牲になったかもしれない人。呼ばれるのはおそらく二、三人だろうと思っていた。正確には、心のどこかでそう信じていた。

 なのに、実際は雅人の想像をはるかに超える数の人間が死んでいて、それがさも当たり前であるかのような軽い調子で放送が流れて、そして今も変わらずこれは続いている。まさに、異常な状況であるとしか思えなかった。

 

「なんでだよ……。どうしてみんな……簡単に殺したりするんだ……?」

 

 プログラムなのだから、最後の一人を除いてほぼ全員が死なない限り、生きて帰ることなどできない。それは、分かっていたつもりだった。けれど、人を殺すという大罪をいとも簡単に犯す人間が、そんなにたくさんいるとは思っていなかった。

 きっとみんな、自分と同じように迷っているはず。本心では人を殺したくないはず。そう信じていたのだから。

 

『甘いんだよ、そんな考えは』

 

 古賀雅史(男子5番)の言ったことは、あれから何度も頭の中でリフレインしている。それを受け入れたくないのに、少しずつ受け入れてしまっている自分がいる。放送で、それはより一層拍車がかかってしまう形となってしまった。

 

――甘いかもしれないけど……そうじゃないか。最後の一人にならないと帰れないとしても、人を殺すことは間違いなはずなんだ。だって、みんなには家族や、他クラスや別のところで友達だっているはずじゃないか。人を殺すことは、その人たちを悲しませることになるじゃないか。それに、みんな死にたくないはずじゃないか。

 

 頭の中でリフレインするたびに、同じように頭の中で否定する。何度も何度もそれを繰り返し、どうにかして心が折れないように奮い立たせる。どんな状況であっても、人を殺すことは間違っている。悲しむ人がいるのだから。その人だって死にたくないはずなのだから。むしろ同じクラスの仲間で協力して、この状況を打開しなくてはいけないと。

 

『人を殺すのは、確かに道徳的観点からいえば間違っているといえるだろう。けれど、事故でも正当防衛でもいい。一度人を殺してしまったら、もうその禁忌は犯したことになる』

 

 間違っている。そう、間違っているはずなのだ。雅史もそう言っていた。それなのに、どうして間違っていることをしなくていけないのだろう。してはいけないから、犯してはいけない禁忌だから、それは“間違い”ではないのだろうか。

 

『そしたら、もう何人殺しても一緒だとか、この際優勝しようとか、そう思う可能性が極めて高い』

 

 違う。それは違う。人数の問題ではない。一人殺したからといって、何人も殺していいわけはない。一人殺すことと、二人殺すとでは罪の重さも違うはず。何人殺しても一緒なわけはない。違うはずなのだ。人を殺すこと自体が違うはずなのに。

 

『0と1は大きく違うが、1と2に大した差はない。この場合はな』

 

 この場合って何だろう。プログラムのような特殊な場合、そういう例外があるとでも言いたかったのだろうか。そもそも、例外などあるのだろうか。人を殺すことが正しい例外も、何人殺しても同じという例外など。

 違うと言いたい。そんなことは信じたくない。けれど、状況は雅史は言った通りになってしまっている。

 

「間違っているのは……俺……なのか?」

 

 ポツリと呟いた言葉に、思わず鳥肌が立つ。違う。それは違うはずなのだ。まだ半日も経っていないのに、もうその考えは揺らいでしまっている。

 間違っているのは、自分ではない。この状況だ。プログラムそのものがおかしいのだ。人の命を奪うことを強要する、この世界こそ否定されるべきなのだ。

 

『それにプログラムがおかしいことくらい、みんな分かっている』

 

 そう、間違っているって、おかしいって、みんな分かっている。分かっているはずなのだ。なのに――

 

『生きるか死ぬか、それだけが問題なんだよ』

 

 生きるか死ぬか、それだけが問題。ここでは、その二択だけを迫られる。道徳感や倫理観など関係なく。

 人を蹴落とさないと生きられない世界なら、その間違いすら認められる。“間違い”で作られた世界なら、その“間違い”は“正解”になる。

 人を殺す“間違い”も、ここでは“正解”になる。

 

――違う……! そんなの違う! 違う違う違うんだ!!

 

 認めてはならない。何があっても、この世界を認めてはいけない。

 この世界を認めてしまったら、仕方ないと受け入れてしまったら、自分が自分ではなくなる。そうなってしまったら、自分は――

 

「うわぁ……! い、痛っ……」

 

 まったく前を向いて歩いていなかったせいか、躓いてこけてしまうまで、障害物の存在にまったく気付かなかった。こけた拍子に、地面にある水たまりに手が触れてしまったのか、ひどく冷たい液体のような感触がする。

 

――ああ、そういえば周りをまったく見てなかった……。ここ、どこだろう……。

 

 とにかく起き上がって地図を確認しなくては。そう思い、地面に両手をついて、とりあえず上半身だけ起き上がった。そのとき、こけた原因となった障害物の存在が、やけに気になる。大きくて、木ではない柔らかい感触。そう、例えていうなら――人間に近いような。

 

――人、間……?

 

 まさか。そんなわけない。そうだ。あの放送だって、本当かどうか分からないではないか。きっと別の何かだ。心の中でそう言い聞かせる。けれど、確認したくないのに、そう言い聞かせているのに、身体は勝手にそれを確認しようと懐中電灯を点ける。そして照らした結果、それは雅人の願望を見事に打ち砕くことになってしまった。

 照らされた先にあったのは、見覚えのある制服。自分と同じ青いブレザーの制服。そして、きちんと履かれた同じ青いチェックのズボン。うつ伏せになっているその身体に、自分にはない赤い斑点と赤い滲み。背中にあるブレザーの青色を、覆い尽くすかのような赤い色。左手でその背中に触れると、ひやりとした冷たさが伝わる。服を通しても伝わる冷たさ、それ以外は人間の感触そのものだった。

 

――これって……

 

 息をすることも忘れ、その懐中電灯を頭の方へと動かす。そしたら、誰か分かるはず。ゴクリと唾を呑んで、少しずつ明かりを動かす。けれど、そこにあったのは、雅人の想像をはるかに超える現実だった。

 

「なっ……」

 

 雅人の予想に反して、目の前の正体が分かることはなかった。言葉にならない声を出すことしかできなかった。自分は悪夢を見ているのだと、これは現実ではないのだと、そう思いたかった。

 なぜなら、その先にあるはずの頭はなかったから。先ほどよりも大量の赤い血が、その辺に散らばっているだけだったから。

 そう、首から先は――存在していなかったのだ。

 

「な、何だよ……! 何だよ……これ……」

 

 首なし死体。テレビや映画でしか観られないような、現実味のないもの。それが、目の前に転がっている。信じたくなかった現実が、また再び現れる。雅人の気持ちを、あざ笑うかのように。

 叫び声を上げることすらできなかった。声の出し方を忘れてしまったかのように、ただ荒い呼吸をしているだけ。身体は金縛りにでもあったかのように動かない。一刻も早くここから離れたいと思っているのに、身体がいうことを利かない。そこから動くこともできずに、雅人は呆然と座っていた。物言わぬ死体に、左手だけ触れたまま。

 

――なんで……誰がこんなひどいこと……

 

 そんな重い沈黙を破ったのは、この状況に似つかわしくない明るい声だった。

 

「あれあれー? そこにいるのは須田くんですかー?」

 

 いきなり名前を呼ばれたことで、電流を流されたかのように身体がビクッとなる。自分がつけた懐中電灯とは違う、別の光が視界に入ってきた。眩いほどの光は、雅人を嫌でもまた現実へと引き戻す。

 

「あ、ホントに須田くんだった! やったー! 当たりー! 葉月すごーい!」

 

 視界に入る眩い光が、上下へ揺れる。ジャンプでもしているのだろうか。そんなに喜ばしいことなのだろうか。目の前にある死体に、彼女は気づいていないのだろうか。いや、この状況を分かっているのだろうか。

 声の主である彼女――真田葉月(女子8番)は。

 

「どうしたの? 元気ないのー?」

 

 心底不思議そうな声で、葉月はそう問いかける。けれど、それに答えることができない。自分とはあまりに違う葉月の不可解な行動に、思考がまるで追いついていない。

 

「えー? 無視ー? 傷つくなぁー」

 

 今度は拗ねたような声色へと変化する。それは、雅人をまた混乱させる。クラスの中でも幼い印象の強い葉月であるが、今の態度はまさに小学生くらいの女の子がかまってほしいかのようなもの。プログラムという状況において、そのような振る舞いを見せる葉月の行動は、雅人からすればかなり異質だ。

 それでも、こうして話しかけているのだから、できるだけそれに応えなくてはならない。少しだけ落ち着きを取り戻した雅人は、ようやく口を開くことができた。

 

「さ、真田さん……。あ、あのさ……」
「あ、やっと答えてくれたー。なになにー? 葉月に聞きたいことでもあるのー?」
「真田さんは、一人なの……?」

 

 葉月の後には、割と離れずに籔内秋奈(女子17番)が出発したはず。てっきり葉月と秋奈、上手くいけば小野寺咲(女子4番)は一緒ではないかと思っていた。この三人は普段から一緒にいることが多く、東堂あかね(女子14番)ら主流派グループに次ぐ、特進クラスの大所帯女子グループ。いうなれば女子中間派グループだ。

 あかねら主流派グループの仲の良さを、ある意味よく知っている雅人からしてみれば、同じように仲のいいはずのこの三人が一緒にいないことは些か――いや、かなり不自然なように思えた。

 

「末次くんと同じこと聞くんだねー? 一人だけどー?」

 

――え……? 末次と同じこと……?

 

 あっけらかんと答えた葉月とは対照的に、雅人の頭には疑問が浮かぶ。先ほどの放送で呼ばれた末次健太(男子8番)の名前が、どうしてここで出てくるのだろうか。

 葉月の言葉から察するに、プログラムが始まってから、葉月は健太と会ったことになる。その健太は、先ほどの放送で名前が呼ばれた。呼ばれた順番は、死んだ順番だった。そして健太が呼ばれた順番は、八人の中六番目。時間的に考えて、死んだのはそこまで遅い時間ではないだろう。つまり、生きていた健太に会えた人間は、そこまで多くない可能性が高い。その健太に、葉月は会っている。

 

 背筋がゾクリとする。まさか、まさかまさかまさか――

 

「す、末次に……会ったの……?」
「そうだよーん!」
「じゃ、じゃあ……末次が……どこに行ったのか……知ってる……?」

 

 葉月が健太を殺したかもしれない。そんな可能性から目を背けたくて、雅人はわざと変な質問をした。葉月が健太と何を話し、健太とどのようなやり取りを行ったのか、それを聞けば嫌でも現実から逃れられなくなる。これはまだ推測の範囲内だ。事実ではない。事実は、それを知らなければ、本人にとってはなかったものとなるのだから。そう、たとえ嘘をつかれたとしても。

 そうだ。この際、嘘でもいい。どこか別の方角に向かったとか、葉月がそう言ってくれれば――

 

「何言ってんのー? 末次くんならそこにいるじゃーん」
「そ、そこって……?」
「須田くんの足元だよ―」

 

 足元――そこにあるのは、身元の分からない首なし死体。それ以外には、何もない。他の人間も、他の死体も――

 

「な、何言って……」
「だからぁー、そこにある死体が末次くんなんだってばー! 放送だって、聞いたでしょー?」
「う、嘘……だよね? じょ、冗談……」
「もー! 葉月は嘘なんかつかないもーん!!」

 

 雅人の足元にある死体は、末次健太のもの――それは、葉月の悪い冗談だと信じたかった。けれど、勝手に思い出された先ほどの死体の特徴が、健太のものと酷似しているように思えてしまう。なぜなら、同じ放送で呼ばれた槙村日向(男子14番)はもっと高身長であるはずだし、妹尾竜太(男子10番)なら制服をもう少し着崩しているからだ。

 

「そんなに言うなら、証拠見せてあげるんだから!」

 

 雅人が今だに疑っているのと思ったからなのか。葉月は怒ったような口調でそう口にした後、何かごそごそとし始めていた。

 

「さ、真田さん……。何やってるの……?」
「葉月が嘘ついてないって証拠を、見せてあげるんだよー。……ほらっ、これで葉月の言っていることが本当だって信じてくれるでしょ?」

 

 ジャーン! という効果音のような言葉を口にしたのと同時に、葉月は懐中電灯であるものを照らし出した。それを見た途端、ショックでこれまで何とか冷静に保ってきた思考があっけなく崩壊し、頭の中は真っ白になり、呼吸をすることも忘れてしまった。胃の中が逆流し、何かを吐き出してしまいそうなほど気分が悪い。

 それは、雅人の想像をはるかに超える悲惨なものだった。

 

「ほら、ここにあるでしょ? 末次くんのくーびっ!」

 

 葉月が照らしたもの――それは、健太の首から上の頭部だった。それも、目は見開かれ、口は叫んだかのように大きくぽっかりと開いている。見開かれたその瞳は、当然何も映しておらず、顔にも服と同じように赤い斑点と赤い滲み。そこに生前の面影はまったくといってほど存在しておらず、葉月が言わなければ、それが健太であると認識できないほどだった。いつもあまり表情を変えることのない健太のそれは、そのときの状況がいかにも悲惨であったかを物語っているように思えて仕方がなかった。

 殺されたことが一目で分かるような――そんな表情だったから。

 

「な、なんで……。なんで葉月さんが……それを持って……」
「だって、これ葉月がやったんだもーん」
「やった……? やったって……何……を……?」

 

 頭のどこかでは、それが何を差しているか分かっているのに、それに気持ちがついていっていない。心のどこかで、否定して欲しい気持ちも存在している。

 けれど、それが叶わないことも、心のどこかでは分かっているのに――

 

「それはもちろん、葉月が末次くんをこうしたってことだよー!」

 

 こうした――それは、葉月が健太の首を切り離しただけなのか、それとも直接手をかけたのか。それは明確には分からない。いずれにせよ、葉月のその行動は雅人の理解を超えるものだ。人を殺すことも、増してやその首を切り離すことなど、普通はできるはずがない。そんな罪深いことなど、できるわけがない。少なくとも、雅人はできない。

 けれど、葉月にはそれができてしまう。そして、おそらく葉月はそこまで悪いことをしているとは思っていないのだろう。まるで幼い子供が遊ぶかのように、明るくて軽い口調でそれを口にし、楽しそうにキャハハと笑っている。葉月に罪の意識は存在していないのか、“殺した”という直接的な表現は一切口にしない。

 葉月は、自分のやったことを理解しているのだろうか。

 

「こうしたって……言うことは……こ、殺したのか……? 末次を……?」
「うん、そうだね。そうなるのかな?」
「なんで……なんでそんなことッ……!」

 

 葉月のあっさりとした口調は、雅人に怒りの感情を抱かせる。末次健太は教室で自分を助けてくれた。プログラムに乗っているわけがない。健太が葉月に何かしたとは考えられない。健太に非はないはず。少なくとも、首を切り離されるようなことは、絶対ないはずなのだ。

 

「なんで……?」
「そうだよッ! なんで末次を殺したんだ!!」
「赤が、見たかったからだよ」

 

 葉月の返答は、雅人の予想とはまったく違うものだった。そして、理解することができないものだった。

 

「だって、葉月は赤が好きなんだもん。それも、綺麗な赤が好き。深紅っていう感じの、深くて濃い感じの赤がいいの。そう、血のような赤い色がね」

 

 言っている意味が分からない。思考がついていけない。葉月は、一体何を言っているのだろうか。こちらは健太を殺した理由を聞いたのに、どうしてそんな訳の分からない話になるのだろうか。

 そんな雅人の気持ちなどどうでもいいのか。葉月はそのまま話を続ける。

 

「あのね、須田くんは映画とが見る? 葉月はね、よく見るんだよー。ホラーとかスプラッターとか、そういう映画大好きだからさー。画面が血で赤く染まる瞬間とか、人から血が吹き出す瞬間とか、もう大好きっ! だからさ、きっとそこからきているんだろうね。葉月が赤が好きなのは」

 

 葉月が大好きだといったものは、雅人の大嫌いなものだった。真っ赤な血も、ホラーもスプラッターも大嫌いだった。いくら虚構の世界であるからといって、人の死をああも簡単に扱うものに、嫌悪感しか抱かなかったから。

 

「田添くんが死んだときも、曽根さんの死体見たときも、すごく綺麗な血だなぁーって思ったの。でね、もっともっと見たいと思ったんだ。そしたらさ、たまたま末次くんがそこにいてね。ホント偶然だったんだよー。こんなにすぐ人に会えるなんて、ラッキーって!」

 

 全身がガタガタと震える。葉月の言っていることは、雅人の理解の範疇をはるかに越えていた。ただ血が見たかっただけ。ただ深紅が見たかっただけ。それだけの理由で、葉月は健太を殺したのだ。

 そしておそらく、その相手は健太でなくても良かった。たまたま、そうたまたま健太と会ったから、葉月は健太を殺した。殺された理由があるとしたら、それは運がなかっただけ。たまたま葉月に会ったことで、健太は死んでしまった。もし葉月と会わなかったら、きっと健太は今でも生きていたはずだ。

 

――も、もし……俺が……待っていたら……。そしたら末次は……死なずにすんだんじゃ……

 

 そうだ。プログラムに乗っていないと分かっていたなら、待っていれば良かったのだ。間だって、確かそこまで開いていなかったはず。待っていれば、きっと健太は死なずにすんだ。葉月に会わずにすんだ。きっと仲間になれたはずだった。

 あのときのお礼だって、まだ伝えられていない。自分は健太に、まだ何も返せていないのに――

 

「ねぇ、須田くん」

 

 葉月の声で、また現実へと引き戻される。その声色は、先ほどまでは変わらないようで、どこか危険な香りを含ませていた。

 

「末次くん、いい人だったよね? あんましゃべんないし、何考えてんのかわかんなかったけど、すごくいい人だったよね? いつも日直率先してやってくれてたりして、葉月の代わりに重いもの持ってくれたりもしてさ。そんな人は、誰かが側にいないと可哀想だよ。きっと、天国で寂しがっているよ。葉月だったら、そんなのぜーったい嫌だもん」

 

 そう言って、ジリジリと距離を詰めてくる。懐中電灯を持ったまま、健太の首を持ったまま、ゆっくりと、一歩ずつ、雅人の方に向かって。

 

「ねぇ、一緒にいてあげてよ。須田くんだったら、きっと末次くんも喜ぶよ。それでさ、私をまた楽しませてよ。須田くんも、きっととーっても綺麗な赤い色しているからさ」

 

 その言葉が差すものは、雅人を今から殺すということ。健太と同じように、殺すということ。葉月は自身の欲望のために、雅人に死んでほしいと言っている。

 

――に、逃げないと……

 

 腰を抜かしてしまったのか、思うように動かない。ここから逃げないと、健太と同じように殺される。嫌だ。死にたくない。ここで死にたくなどない。

 

『今、何をすべきか考えろ』

 

 足を動かせ。そして走るんだ。決して葉月に追いつかれないように、できる限りの力で走って、ここから遠くへ逃げろ。頭の中の自分はそう叫んでいる。けれど、身体は動かない。頭と身体が切り離されてしまったかのように、走るどころか立つことすらできない。

 雅人が固まっている間にも、葉月はふんふんと鼻歌を歌いながら、懐中電灯を地面に落とす。明かりが下へと移動し、葉月の足元だけが照らされる形になった。そこに、何かがギラリと光る。それは、まるで刃物が光を反射したかのような――そう、あれは斧だ。一体どこから持ってきたのだろうか。それを、葉月はブンブン振りまわす。

 

「じゃあね、須田くん。バイバーイ!」

 

 そう言うなり、葉月はこちらへと走り寄ってくる。静かな空間ではよく聞こえる、ダッダッという足音を鳴らしながら。

 

――嫌だッ! 俺は死にたくないんだ!!

 

 そう思った途端、身体の呪縛がふと解ける。その後は何も考えることなく、急いで立ち上がり、葉月から離れるように駆け出した。駆け出してすぐ、何かを叩きつけたかのような大きなドサッという音と、草がかき分けられるかのようなガサガサッという音が聞こえる。おそらく、葉月が斧を振り下ろしたのだ。

 

――嫌だッ! 死にたくない! 俺は死にたくないんだッ!!

 

 死にたくないという気持ちだけで、雅人は走り続けていた。禁止エリアを気にする余裕などあるわけもなく、ただただ走り続けていた。誰かに見つかるかもしれないなどという危機意識も、仲間を探すという目的も、このときばかりはどこか遠くへ放り投げられてしまっていた。向かっている方角が来た道を戻っている形になっていることなど、もちろん認識できるわけもなく。

 背後から追ってくる足音がとっくに途絶えていることも、混乱した今の雅人には分かるはずはなく、ただできる限りの力で走り続けることしかできなかった。

 

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「あーあ、逃げられちゃった」

 

 倒れた身体を起こしながら、真田葉月(女子8番)は、須田雅人(男子9番)の逃げた方向に向かって、残念そうにそうぼやいていた。けれど、心の中ではそこまで惜しいとは思っていない。こういうこともあるだろうし、これはまだ始まったばかり。まだまだチャンスはあると、前向きに考えていたからだった。

 

「もうっ! 末次くんが邪魔したせいだよー」

 

 足元で物言わぬ骸になっている末次健太(男子8番)に向かって文句を言いながら、ぷぅとほっぺたを膨らませる。実は葉月が雅人を追いかけようと駆け出した途端、足元にある何かにつまずいて転んでしまったのだ。その何かが健太の死体であると気付いた頃には、足音は大分遠くなっていた。

 今から追いかけても追いつくか分からないし、何よりそんな疲れることはしたくない。まだ残っている人間も多いことなので、ここは一端諦めることにした。雅人自身にそこまで執着はしていないので、別に大した後悔もない。

 

「よいしょっと。うーん、もうこんな時間かぁ。末次くんの死体がけっこう好みだったからここにいたけど、そろそろ移動しようかなー」

 

 誰に聞かせるわけでもなくそんなことを口にした後、身体についた砂ぼこりや泥汚れをパッパッと払う。それから荷物を肩にかけ、転んだ拍子に落とした斧を右手に持った。それからうーんとしばし唸った後、左手に持っていた健太の首をポイッと投げ捨てる。

 

「荷物になるからいーらないっと」

 

 無邪気にあははと笑う少女は、そうしてから雅人が向かった方向とは別の方へと足を向ける。ふんふんと鼻歌を歌いながら、血で染まった斧を振り回す。

 葉月が去ったその場には、血に染まった無残な死体だけが、捨てられたような形でポツリと残されていた。

 

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