色彩のない世界

 

 私の世界はカラフルだ。虹に負けない鮮やかな色彩が、常に世界を彩ってくれる。

 それは、私の周りにいる大好きな人達が、いつだって綺麗に染めてくれているから。

 優しい家族。たくさんの友達。そして――たった一人の大好きな恋人。

 それらは、私にとってなくてはならない宝物。どれか一つが欠けてもダメ。そうなってしまえば、私の世界は別物になってしまう。

 

 その世界で一番目立つ色は、明るくて、どこか力強くて、いつも艶やかに輝いている。そう、まるでその人と同じように。

 私の世界にある色の中で、それは一番の輝きを放っている。それがあるから、私の世界はいつだって明るく照らされている。そうして私を支えてくれる人がいるから、、私はいつだって頑張れる。

 

 そうだったはず。そうだったはずなのに。

 なのに、今は、それがどこにも存在していない。

 

「……」

 

 静かな闇に、物音は一つも響かない。もうすぐ朝を迎えるというのに、日が昇る気配はなく、空はずっと真っ暗なまま。冬の気候に相応しいというべき寒さが、無防備な肌をずっと突き刺してくる。風は吹いていないはずなのに、それはこの身を容赦なく攻撃してくる。

 

「……」

 

 その闇に差す一筋の光。それは、足下に落ちている懐中電灯から発せられたもの。その人工的な光は、今は特に目的もなく、ただあるものを照らしている。やや外ハネの髪、頬、首、そして胸部。それらは人を形成する身体の一部であり、ずっと探していた人物であることを証明するもの。けれど、所々赤く染まっているところは、今初めて目の当たりにした。今まで、そんなものはなかったはずだった。

 

「……」

 

 その人は、彼は、少しも動かない。恋人が立っているのに、起き上がる気配すらない。頭を撫でてくれることも、はにかんだような笑顔を見せることもしない。「大丈夫だったか」とか「待てなくてゴメンな」とか、そんなことを言う素振りも見せない。

 

 どんなに時間が経過しても、彼は地面に横たわったまま、微動だにしない。だから、名前を呼んだ。呼んでも返事がなかったから、今度はその身体に触れた。そしたら、その身体はとても冷たかった。言葉よりも確実に、目に映る映像よりも雄弁に、そして最も残酷な事実を――私に突きつけるかのように。

 それでも、信じたくなかった。だからその顔を照らして、その顔に触れて、身体をゆすって、名前を呼んで、大声で呼んで、手探りで脈を取って、体温を確かめて、強く抱きしめた。心臓マッサージもした。人工呼吸もした。同じことを何度もやった。やれることはすべてやった。声が聞けるのを、目を開けるのを、抱きしめてくれるのを、撫でてくれるのを、心のどこかで祈りながら。

 けれど、彼は何一つ応えてくれなかった。見つけたときと、何も変わらなかった。どこか笑顔を含ませた表情も、閉じられた目も、何も変わらなかった。血の気のない青白い顔も、赤みを失った紫色の唇も、両手を組ませた姿勢も、何も変わることはなかった。何も変わらないまま、時間だけが過ぎていった。どんなに時間が経過しても、私が望んだことは起こらなかった。残酷な現実を、ただ私に突きつけてくるだけだった。

 

 目の前の彼が“死んだ”という事実だけを、一番信じたくない私のところへ。

 

「……んで」

 

 座り込んだまま、力なくそう呟いた。その言葉に対する答えが返ってくることもなく、ただ闇の中に溶けていく。訪れる沈黙は、答えてくれる人がもうここにはいないことを証明してしまう。答えるどころか、いつも聞いていた声で名前を呼ばれることも、優しい愛の言葉をささやいてくれることも――もう二度とないのだと。

 どうしてだろう。彼はここにいるのに。私の目の前にいるのに。ずっと探していたのに。会いたかったのに。散々歩き回って、やっと見つけたはずなのに。放送でまだ名前が呼ばれていなかったから、無事であると信じて疑わなかったのに。

 なんで、ここで倒れているの? どうして、どうして死んでいるの?

 

「な……んで」

 

 言葉を発するたびに、沈黙が訪れるたびに、自分の中で何かが落ちていく。それも驚くほどの急降下、今までにない急降下。どんなに下に落ちても、身体が地面に触れることはない。例えるなら、底なし沼に引きずりこまれているような――そんな感覚。

 

「どうして……」

 

 時間が経つほど、私の世界は色を失くしていく。鮮やかな色彩は、どんどん輝きを失っていく。カラフルな世界は、色褪せた世界へと変化していく。その世界を照らしてくれる人は、もうどこにも存在しない。

 

「なんで……。どうして……」

 

 時間が経つにつれて、浸食していく現実。死んだ。愛するあの人は、死んだ。彼は、もう二度と動かない。

 死んだ。死んでしまった。私を置いていなくなった。縋りついていた希望が、あっけなく潰えた。私の知らないところで、何の前触れもなく、突然、私の世界は終わりを告げた。もう二度と、あの鮮やかさが戻ることはない。もう、私に向かって笑いかけてくれることはない。抱きしめてくれることも、手をつないでくれることもない。彼の存在が消えてしまったら、私には何も残らない。

 

「どうして……? だって……だって私……」

 

 ずっとあなたを探していたのに。あなたに会うことだけが、今の私の支えだったのに。あなたが生きていると信じていたから、私は前を向いていられたのに。なのに――

 

 どうして、あなたはそこに倒れているの?
 どうして、何も応えてくれないの?
 どうして、死んでいるのに、私に会えなかったのに、あなたは笑っているの?

 

 どうして、どうしてどうしてどうして――

 

「やっ……やだ……。嫌だッ……!」

 

 嫌。嫌だ。嫌だ。お願い、いなくならないで。私を置いていかないで。ずっと一緒だと、ついこの間約束してくれたじゃない。なのに、どうして私を一人にするの?

 

 あなたがいないと――私は生きていけないのに。

 

 地面に膝をつけたまま、私はしばらく泣いた。声を上げることもできず、誰かに縋りつくこともできず、私は一人で泣き続けた。袖口ではぬぐいきれない涙を、ただひたすら流し続けた。涙の流れた頬が冷たいとか、滴の落ちたスカートが冷たいなどということは、今の私にとってはどうでもいいことだった。

 そうしてしばしの間、私はずっと泣き続けていた。声が上げなかったことが、不幸中の幸いだったのかもしれない。殺しに来る誰かに発見されることも、無神経な輩の邪魔が入ることもなかった。

 

「う……うぅ……ひっく……」

 

 そうしてしばらく泣いていた。涙が枯れることはなかった。そうしていながらも、冷静な思考は少しずつ働き始めていた。それは、この悲しみから少しでも早く逃れるための、無意識の防衛手段だったのかもしれない。

 

『えっと、教室でも話した通り、前の放送からこれまでに死んだ生徒の名前と、次の放送までに設定される禁止エリアの発表を行うからねー』

 

 そう、放送で呼ばれたのは、あくまでその時点までの死亡者。それ以降の死亡者は、次の放送になるまで分からない。その時呼ばれなかったからといって、今現在生きている保障はどこにもない。その死体を直接発見しない限り。あるいは、誰かを殺さない限り――

 

「殺、した……」

 

 そうだ。誰かが、彼を殺した。私の大切な人を、誰かが殺した。

 

「誰かが……殺した……。誰かに……殺された……」

 

 殺された。彼は殺された。誰かに命を奪われた。理不尽に。唐突に。そしておそらく、一方的に。

 

「殺された……」

 

 誰かが、私の大事な人を、私から奪った。殺して奪った。たくさんの傷をつけて、たくさんの血で汚して、こんな寒空の下に放り出した。

 

「ゆる……ない」

 

 時間の経過と共に、世界が変わっていく。色褪せた世界は、色濃い黒の世界へと変化していく。そこにあるのは、闇という名の漆黒。他の色彩が見えないほどの黒。そこに、鮮やかさはない。あるのは、ただ深淵に近い黒だけ。

 そして、私自身の感情の色も変わっていく。悲しみは憎しみへ。喪失感は怒りへ。そして――殺意へと。

 

「赦せない……」

 

 黒に染まった憎しみや殺意といった感情が、静かに私を浸食していく。いつのまにか涙は渇き、もう流れることはなかった。

 

「絶対に……赦さない……。見つけて……殺してやる……」

 

 絶対に、絶対に、見つけてやる。そして、この手で殺してやる。ただ殺すだけでは、私の気が収まらない。耐えがたいほどの苦痛を与えて、何もかもをぐちゃぐちゃに壊して、原型を留めないほどにその身体を破壊しなければ気が済まない。

 そうだ。そうしてやればいい。先に手を出したのは向こうだ。同じことをしてやればいい。目には目を。歯には歯を。教室でも言っていたではないか。「殺らなきゃ殺られる」と。

 

「殺してやる……。殺してやる……!」

 

 支給されていたデザートイーグルを右手に持ち、私は立ちあがった。そうだ。ここに打ってつけの武器があるではないか。これを何発も撃って、相手の命を奪ってやればいい。目の前に倒れている彼よりも多くの弾を、その身体に埋め込めばいい。

 彼の身体には、たくさんの小さな穴が空いている。おそらく、私が持っているような拳銃で殺されたのではない。教室で聞こえたようなマシンガンだろう。あれでたくさん撃たれたのだ。犯人は、マシンガンを持っている人物だ。その人を探せばいい。残り二十五人の中の誰か。そこに犯人がいる。私の愛する人を殺した犯人は、間違いなくその中にいる。

 どんなことをしてでも、絶対に見つけてやる。そして、この手で殺してやる。そうすることに、一片の迷いもない。

 

「太一……仇は取ってあげるからね……」

 

 目の前の少年がそれを望んでいないことなど、彼女は知る由もない。復讐という目的に捕らわれた少女は、ゆっくりと歩き出す。その目に憎しみという炎を宿らせ、右手に銃をしっかりと持って。

 全ては、愛する人を奪った憎き犯人を――その手で葬り去るために。

 

[残り25人]

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