反撃の爪痕

 

「逃げなかったんだな」

 

 まるで、人としての温度が感じられない言葉。機械音声よりは滑らかで、けれどそこに感情は何一つこもっていない。それが、クラス内でも人格者で通っている有馬孝太郎(男子1番)から発せられた言葉だとは、とても信じられないくらいに。

 冷や汗が流れる。手足が震える。まるで、得体の知れない怪物と対峙しているかのようだ。目の前にいるのは、それなりに見知った相手だというのに。

 

――何でだろう……。有馬くんとは三年間一緒のクラスなのに、何度も話したこともあるのに、教室にいたどの兵士よりも怖く見えるよ……。

 

 策とは関係ないところに思考が及んでいることに気づき、一度だけ頭を横に振った。違う。今はそんなどうしようもないことを考えるべきではない。考えるべきは、孝太郎を足止めする方法。一秒でも長く足止めするには、どういう方法が一番効果的か。それが今、佐伯希美(女子7番)の成すべきこと。

 命乞いはおそらく意味がない。それで聞いてくれるような相手なら、いきなりマシンガンで攻撃などしてこないだろう。では、プログラムに乗った理由を問うか。いや、それもおそらくさして時間を稼げない。普段接している有馬孝太郎なら、この方法でもいくらか時間を稼げただろうが、今目の前にいる彼は、おそらく今まで接してきた孝太郎と同じではない。プログラムが彼を変えてしまったのか、それとも今まで希美たちが知らなかっただけでこれが孝太郎の本性であったのか。今の希美に、それを確認する術はない。

 

――どうしたら……。どうしたら長く足止めできるの……?

 

 今の孝太郎には、まったくといってほど隙がない。こちらが逃げる素振りを見せたら、おそらくすぐにでも殺す気だ。今銃口を向けないのは、希美がどういう抵抗をしてくるのかを見るためだろう。でなければ、ここまでじっとしている理由はない。

 おそらく、ある程度のパターンは推測している。そのパターン通りの行動をすれば、即座に対応されてしまう。なら、意表を突かなくてはいけない。孝太郎が想像だにしない、意外な言葉から会話を始めなくてはならない。

 

――意外な……言葉……。

 

 バクバクとうるさい心臓の音を聞きながら、必死で考える。考えろ。考えろ。園田ひかり(女子11番)を少しでも遠くに逃がすため、今希美がすべきことを。長く足止めできる方法を。

 

『まだ、そんなにはっきりしているわけじゃないけど……』

 

 光明を刺すかのように、頭に浮かんだ一つの方法。けれど、それはできれば使いたくない。殺されそうになっているのに、こんなことを口にしなくてはいけないなんて、本気であるならある種の病気だ。希美が言われれば、間違いなく“引く”だろう。しかし、意表をつくという意味では、これほど効果的なものはない。それだけでも、孝太郎の動揺は誘える。

 

「あ、有馬くん……」

 

 随分長い時間が経ったようにも思えるが、実際は一分程度だっただろう。しかし、除々に上がっていく孝太郎の右腕に焦りを感じ、一番効果的で、けれど一番使いたくない言葉を、希美は大声で口にしていた。

 

「わ、私……ずっと……ずっと有馬くんのこと……好きだったのッ!」

 

 上がっていた右腕が、ピタリと止まった。孝太郎の様子を窺って見ると、ひどく驚いたように目を丸くしている。どうやら、意表をつくことには成功したようだ。

 

『でもちょっと、有馬くんのこと、いいなぁって』

 

――ごめん、あかね。でも、ひかりを助けるためなの……。だから、今だけあかねの言葉……借りるね……。

 

「俺の……こと……?」

 

 希美の言葉にすっかり気圧されてしまったのか、孝太郎からこちらに対する殺気が消えていた。混乱しているのだろうか。なら、こちらにとっては好都合だ。とにかく会話を続けて、少しでも長く時間を稼がないと。

 

「そ、そうなのッ! ずっと好きだったのッ! ずっと前から、有馬くんのこといいなぁって」
「いつから……?」
「三年になってから……かな。変だよね? ずっと同じクラスだったのに……」

 

 一年からと言おうと思ったが、あかねが孝太郎が好きだと自覚した時期に合わせることにした。今言っていることは、希美にとっては嘘だが、あかねにとっては真実だ。大前提が違っているだけに、細かいところは本当のことを言った方がいいだろう。嘘に真実を混ぜると、俄然騙しやすくなる。何も知らないあかねには申し訳ないが、全てはひかりを逃がすためだ。

 

「別に変じゃないけど……。なら、聞いていい? 俺のどこが好きなの?」

 

 これは、想定していた質問だ。告白された場合、十人中九人が返すであろう質問。これこそ、あかねの言葉を言わなくてはいけない。思い出せ。たびたび聞いていたはすだ。あかねは、孝太郎のどういうところがいいと言っていたのか。

 

『周りに気配りできるしさ、優しいし』
「気配りできるところとか、優しいところとか……」

『うちのクラスさ、結構個性的じゃない? なのに、上手いこと男子をまとめれてるなぁって。もちろん須田くんが一番頑張っているんだけど、それを上手くサポートできるとことかさ』
「みんなをまとめられるとことか、サポートできるところとか」

 

 口にするたびに、あかねに対する懺悔の気持ちが湧いてくる。それと同時に吐き気がする。ここにはいないあかねの言葉を盗んで、いいように使っている自分。そして言葉に出すたびに、今の孝太郎とは違うという絶望感。あかねの目が盲目かもしれないと思うほどに、目の前の彼は違って見える。

 

『まぁ色々あるけど、一番は須田くんのことを理解してくれているとこかなぁ。澤部くんとかさ、結構馬鹿にするんだけど、須田くんはすごく頑張ってるし、朝は誰よりも早く学校来ているんだよ。人のそういう努力しているところ、ちゃんと見ててくれているんだって』

 

 須田雅人(男子9番)のことをちゃんと見ているから。友達だから。その言葉を口にしようとして、そして止めた。それだけは、口にしたくなかった。孝太郎に知られたくないからではない。どうして孝太郎のことを好きになったのか、どうして好きになった相手が雅人ではなかったのだと、そう思ってしまったからだ。

 

――どうして……? どうしてなの……? そこまで須田くんのことを評価しているなら、どうして須田くんのことを好きにならなかったの? だって、須田くんはすごくいい人じゃない。今の有馬くんとは、絶対違うじゃない。こんなことするような人じゃないって分かっているじゃない。ねぇ、どうして……?

 

 そのときは、雅人のことは恋愛対象ではないのだろう。そう思っていた。確かに雅人は少し頼りないし、気が弱いところもあるし、クラス委員としての器を疑わしいと思ったこともある。けれど、誰よりも努力家であるし、周りから何を言われても一度だって逃げたことはない。そこは希美も評価していた。一年のときから雅人と同じクラスだが、彼は三年間ずっとクラス委員を務めてきたのだから。

 どうしてあかねが好きになった人が、須田雅人ではなかったのだろう。どうして、自分たちに容赦なく攻撃してくる有馬孝太郎だったのだろう。理不尽だ。あまりにも可哀想だ。こんな事実、あかねが知ったら――

 

「……分かった。もういい」

 

 希美が黙ったことで訪れた沈黙が、孝太郎によって破られていた。そして意外なことに、孝太郎はマシンガンを地面に置いたのだ。しかも、マガジンを抜いた状態で。

 

――えっ……? 

 

「あのさ、そっち……行ってもいい?」

 

 見た目が丸腰の状態である孝太郎から、突然の申し出。それは、希美を軽く混乱させる。殺すつもりなのか。それとも、こちらの真意を確かめるためなのか。

 

――まさか、今さら殺す気はなくなったわけじゃ……ないよね?

 

 告白したことで、殺意が失せたというのか。そんな都合のいいことが起こるのか。そんな奇跡的な展開を素直に信じられるほど、希美は純粋無垢ではない。けれど、だとしたらマシンガンをわざわざ置いた理由が分からない。

 いずれにせよ、ここまで大々的に告白した手前、断るという選択肢は選べない。必然的に、受け入れるという選択肢を選ぶことになってしまう。本心を言えば断ってしまいたいが、そうしてしまえば今までの話のつじつまが合わない。躊躇ったが、希美は首を縦に振ることにした。

 

「……う、うん。いいよ……」

 

 希美の了承の言葉を聞き、孝太郎が少しずつこちらに歩み寄ってくる。距離が近づくたびに、心臓の音は大きくなる。孝太郎がここで近づく真意。それは一体何なのか。

 

――ど、どうしよう……。こういう展開は考えていなかった。

 

 逃げたい。けれど、逃げたら告白が嘘だとバレる。それに、ひかりの後を追わせてしまう。では、どうしたらいいのか。この状態を上手く切り抜ける方法が分からない。断ることも、静止を求めることも不自然だ。意中の相手が近くに寄ってくること自体は、むしろ喜ばしいことであるはずだから。

 そうやって迷っている内に、孝太郎との距離は、もう手を伸ばせば触れられるところまで縮まってしまっていた。

 

――どうする……つもりなの……?

 

 目の前にいる孝太郎は、いつものように穏やかな、けれど少し戸惑ったような表情を浮かべている。それだけ見れば、いつもの孝太郎が戻ってきたように錯覚してしまう。あの殺意に満ちた雰因気が嘘であるかのように。

 

「佐伯さんの気持ち……その、嬉しいんだけどさ……。どうやって答えていいのか分からなくて……。こんな状況だし、俺、君たちに攻撃してしまったし……。言い訳にしかならないけど、俺も死ぬの怖くてさ……」

 

 困ったように頭をかきながら、孝太郎はぼそぼそとそう呟く。

 

「その……ありがとう。俺を、好きになってくれて……」

 

 そう言いきった次の瞬間、孝太郎は希美を抱きしめていた。あまりに突然のことで、抵抗することもできずに、希美は孝太郎の成すがままに抱きしめられていた。

 

――え……? えっ? これ、一体どういうことなの?

 

 突き放したい。けれど、それでは今までの言葉が、嘘だとバレてしまう。疑われてしまう。なら、どうしたらいい? 孝太郎は、一体どういうつもりでこんな行動に出たのだろうか。

 

――もしかして、私が勘違いしていただけで。本気でプログラムには乗っていなかったの?

 

 最初に感じた殺気。あれは、自身の恐怖心が思わせた錯覚だったのか。孝太郎の言った通り、ただ死ぬのが怖くて攻撃してしまっただけなのか。本心では、プログラムに乗りたくなどなかったのか。分からない。孝太郎の真意が、もう分からなくなってしまった。

 

「……時間稼ぎにしては、いい方法だったな。一応褒めておくよ、佐伯希美」

 

 混乱している希美に向けられた、恐ろしく冷たい声。耳元で聞こえる、最初に声をかけられたときと同じ、感情が何一つこもっていない声。

 あっ、と思ったときには遅かった。気づいたときにはもう、無防備な希美に背中に、信じられないほどの激痛がはしっていた。

 

「うっ……!」

 

 反射的に、孝太郎の身体を突き放す。そのとき何かが引き抜かれたのか、さらなる激痛が希美を襲う。視線を動かせば、孝太郎の右手には、血に染まったナイフが握られている。あれで刺されたのだ。

 

――そんな……! もしかして……最初からバレていたの……?!

 

 そうだ。そうに違いない。孝太郎は、最初から希美の嘘に気づいていたのだ。知った上で、敢えてそれに乗ったのだ。近づいたのも、そうやって至近距離で殺すつもりだったからだ。失念していた。マシンガンの銃声があれだけ聞こえているのだから、おそらく何人か人を殺している。なら、当然あのナイフみたいに、他の武器を持っていてもおかしくないはずだ。

 けれど、分からない。最初から気づいていたのなら、どうしてすぐに殺さなかったのか。マシンガンの弾を節約したかったにしても、こんな猿芝居をする必要などないはずだ。

 

「しかし、どんな方法で時間稼ぎしてくるのかと思ったが……まさか告白とはな。でもまぁ、確かに一瞬驚いたよ」

 

 まるで何事もなかったかのような、涼しい口調。ナイフをくるくると弄びながら、孝太郎は言葉を続ける。

 

「言葉も何だか真実味を帯びていたし、内容にも興味があったから黙って聞いていたが……でも、嘘だよな。いや、正確には言葉の内容自体は本物で、そう思っている人間が違うと言うべきか」

 

 その言葉に、今までで一番動揺した。嘘だというのはバレても仕方ない。けれど、どうしてそこまで分かってしまっているのか。まさか、どこかでそんなボロを出してしまったのだろうか。

 

「何を驚いている。知っていたからに決まっているだろう。あんなにバレバレな好意見せられて、気づかない方がおかしい」

 

 動揺する希美に、孝太郎はこう返答する。その返答は、希美をさらに動揺させ、そして絶望させるものだった。

 

「知っていた……? 嘘……でしょ?」
「そう思うなら、その人間の名前も言ってやろうか? それとも、さらなる時間稼ぎのためのクイズにでもするか?」

 

 くくっと小馬鹿にしたように笑う孝太郎を目の当たりにした瞬間、希美は全てを悟った。これこそが、有馬孝太郎の本性なのだと。三年間希美が見てきた孝太郎は、全て偽りなのだと。どういう意図を持ってそうしていたのかまでは分からない。だが、自分を良く見せようとすることで得るものは多くある。そのために、人がいいように見せていたのだろう。それとも、みんなを騙すことが純粋に楽しかっただけなのか。

 いずれにせよ、そんな人間がここで希美を見逃してくれるわけがない。そして、ひかりのことも、他のみんなのことも容赦なく殺す。それを阻止したいけど、おそらくそう永くは生きていられない。

 

――ならせめて、目的だけは果たさないと……!  ひかりだけでも、ひかりだけでも殺させないようにしないと……!!

 

 痛みのせいなのか、それとも恐怖のせいなのか、足が震える。そんな足を必死で動かして、孝太郎に掴みかかろうとした。もうほんの数秒でもいい。孝太郎の足止めさえできれば。

 しかし、希美の足を止めるかのように、孝太郎はナイフの刃先をこちらに向ける。そして、さらにこう口にした。

 

「そう慌てるなよ。園田のこと、逃がしたいんだろ? そのために、あんな嘘までついたんだからな。もう少しだけ付き合ってやる。そうだな……」

 

 そこで孝太郎は一歩踏み出して、希美の腰のあたり、やや背中寄りのところにグサリとナイフを埋め込んだ。不意の攻撃に、希美は完全に成す術がなかった。

 

「お前が死ぬまで、かな」

 

 三日月のような弧を描いた口元からこぼれる、残酷な言葉。その言葉の通りというべきか、すぐに孝太郎はナイフを引き抜き、再びそれを希美に刺していた。

 

「ぐっ……!」
「大声を上げないのは立派なものだ。まぁそんなことをしたら、すぐに息の根を止めてやるけどな」

 

 もう一度低く笑いながら、孝太郎はナイフを引き抜き、それをまた刺していた。今度は刺された場所が悪かったせいなのか、口から大量の血を吐き出してしまう。

 

「おっと、制服汚されちゃたまらないからな」

 

 そう言って、孝太郎は少しだけ希美から離れた。余裕であることを見せつけるかのように、左手でパッパッと制服についた土埃を払う。こちらは、もう立っているのもやっとだというのに。

 

――このままじゃ、このままじゃすぐに殺される……! せめて、攻撃の手を止めないと!

 

 血を吐きながら、体勢を整える。孝太郎が離れたその少しばかりの距離が、希美にとっては好機だった。そこからもう一度ナイフを繰り出した孝太郎の右手を、かろうじて両手で止めた。もう抵抗する力はないものと思っていたからだろう。少しだけ孝太郎は驚いた表情を見せた。 

 

「へぇ、まだそんな力が残っていたのか」
「そんな簡単に、殺されてたまるもんか!」

 

 持てる力を振り絞って、孝太郎の右手を掴む。刺させないように、引かせないように。その場に押しとどめるために。

 

「おいおい。そんなことしたら死ぬの早くなるぞ」
「殺すつもりの人間が、よくそんなこと言えるわね! 始まってすぐのマシンガンも、夜のマシンガンも、全部あんたがやったんでしょ?!」
「ははっ、大正解。そうだよな。マシンガン持っていて、それもこんなにやる気満々の奴なんてそうはいないもんな」

 

 楽しそうに笑う孝太郎を見て、希美は確信した。彼は危険だ。おそらくこの島にいる誰よりも――あの教官や兵士よりも危険だ。けれど、それを誰も知らない。ひかり以外は知らない。あかねも、辻結香(女子13番)も、五木綾音(女子1番)細谷理香子(女子16番)も、あの澤部淳一(男子6番)でさえも。

 何か、何か孝太郎がやる気でるメッセージを遺さないと。でないと、みんな騙されてしまう。みんな殺されてしまう。

 

「もう……何人も殺したの?」
「そんなに殺しちゃいないさ。まだ二人だ。もうすぐ三人になるけど」
「まさか、香奈子を殺したのも?!」
「鈴木は俺じゃない。俺の知らないところで勝手に死んだだけだ」

 

 おそらく、これは嘘ではない。いや、嘘かもしれないが、それを確認する術がない。それに香奈子には悪いが、今大事なのはそこではない。今大事なのは、孝太郎の意識を少しでも希美の両手から逸らすことだ。それもなるべく早く。

 

「……随分頑張るな。そんなに園田を追わせたくないのかよ」
「当たり前でしょ……! ひかりは殺させないんだから……!」
「お前がそんなに友達思いとは知らなかったな。園田の方は、お前のことが嫌いだったのに?」

 

 その言葉は、希美の手の力を一瞬だけ緩ませる。しかし、孝太郎に拘束を解かせられる前に、再び出来る限りの力を込めてそうはさせなかった。

 

「今ので動揺しなかったということは、知っていたんだな。なのに、仲良く友達ごっこやっていたというわけか。おめでたいものだな」
「ごっこじゃない……! 私にとって、ひかりは友達だもん……!」
「向こうはそう思っていないのにか?」
「そんなの関係ない! 私が友達だと思っているんだから、それでいいの!!」

 

 ドクドクと流れる血を無視して、希美はより両手に力を込める。そこで、初めて孝太郎は不愉快そうな表情を浮かべた。

 

「……もう、こんな茶番は終わりにしようか」

 

 孝太郎がそう言った次の瞬間、腹に思い切り蹴りを入れられてしまう。その衝撃にはさすがに耐えることができず、希美はその場に倒れてしまった。

 

「うっ……! ゲホッゲホッ……!」
「学年一位の成績も、大したことなかったな。いや、頭の使い方を間違えたというべきか。園田を盾にするなり、利用するなり、自分が助かる方法はいくらでもあったのに」

 

 そんなこと、できるわけがない。確かに自分が助かることだけ考えれば、助かる方法はあったかもしれない。けれど、友達でいてくれた、仮に本心では疎ましく思っていたとしても、友達でいてくれたひかりを裏切ることなどできるはずもない。

 それはもういい。孝太郎に言っても、仕方のないことだ。それより、いよいよマズイこの状況をどうにかせねば。

 

――多分、次で止めを刺す。そしたら、きっとひかりを追う。もしかしたら、追いつくかもしれない。でも……

 

 時計など見れるはずもないから、どれだけ時間が経ったか分からない。けれど、時間は大分稼げただろう。きっと、ひかりは遠くに逃げたはずだ。いくら孝太郎が後を追っても、見つかる可能性は低いだろう。半ば強引に、そう結論づけることにした。

 

――ひかり、もういいよね? もう離れたよね? このままじゃ悔しいからさ、少しだけ抵抗してもいいかな……?

 

 孝太郎がプログラムに乗っているという、何らかのメッセージを。ずっとそれを考えていた。地面に何かを書いてこの場に遺す方法は、誰かがここにこなければ、それも孝太郎に会う前に来なければ意味がない。それに明らかすぎるもの。それこそ、小説なんかでよく出てくるダイイングメッセージなんてものは、きっと孝太郎が消してしまう。

 

 そうやって考えて、考えて考えて、そして辿りついた一つの方法。メッセージはその対象となる人間に、そして本人には消せない形で残す方法。直接的ではないけれど、勘の鋭い人間なら、きっとその意味に気づいてくれるであろう方法。

 

 もう希美に抵抗はできないと思っているのか、孝太郎はこちらに背を向けた状態で、マシンガンの方向へと歩いていた。おそらく、それで止めを差すつもりなのだろう。最後の最後で銃器を使うなんて、どこまで性根根性腐っているのだとも思ったが、今のその余裕さは、希美にとっては好都合だった。

 最期の力を振り絞って立ち上がる。その音に気づいたのか、孝太郎がこちらへと振り返っていた。

 

「あああああああっ!!」

 

 地面を蹴って、孝太郎の方へ駆けていく。そして、全力で体当たりをかました。これも意外な行動だったせいか、孝太郎は希美のなすがままに地面に押し倒される。

 

「てめぇ、まだそんな力がッ……」
「私は……私はただでは死んでやらないんだからッ!!」

 

 希美から逃れようとする孝太郎の手を押しのけ、狙いを定める。遺す場所は、絶対に服では隠せないところ。左の頬のあたり。そこに爪を立て、思いっきり引っ掻いていた。右手の爪五本分。絶対に消えないように、あらん限りの力を込めて。

 

「このクソ女がッ!!」

 

 吐き捨てるかのようにそう言って、孝太郎は希美の腹を蹴り飛ばす。目的を果たした後で力が抜けていたせいか、希美はあっさりと孝太郎から離れてしまっていた。

 

「よくもやってくれやがったな!! そんなに死にたきゃ、今すぐ殺してやるよ!」

 

 怒りで顔が真っ赤に染まった孝太郎が、マシンガンを拾う。マガジンを装着し、銃口をこちらに向ける。もうほどなくすれば、その銃口から吐き出された鉛玉が、希美を死へと誘うだろう。けれど不思議なことに、心はとても穏やかだった。

 

――ざまあ……みろ。これで、抵抗した人間がいたことは分かる。そしたら、あんたを疑う人間も出てくるはず。それに……

 

 それに、それにまだあの人がいる。希美の頭脳の優秀さを見抜き、それを引き出してくれた人がまだ残っている。彼なら、きっとこのメッセージに気づいてくれるはず。

 

――澤部なら、絶対に不信に思うはず。私のメッセージ、きっと気づいてくれる。澤部は、あんたなんかに負けないもん。絶対、絶対……負けないんだから。

 

 だから、怒りで歪んだ表情の孝太郎に、もう一言だけ言ってやりたいと思った。笑いながら、馬鹿にしたように、気持ちだけは最期まで屈しないで、思ったことをそのままに。

 

「あんたは、絶対優勝なんかできない。あんたは、絶対あいつには勝てないんだから」

 

 希美のその言葉が、孝太郎の表情をさらに歪ませる。それを愉快だと思いながら、最期に大声でこう付け足してやった。

 

「あんたなんか、澤部にやられちゃえ!!」

 

 希美の最期の言葉の返事は、大量の鉛玉と、けたたましい銃声だけだった。身体の至るところに銃弾を受けながら、それでもすぐには死ななかった希美が、最期に思いを馳せたのは、たった一人のライバルのことだった。

 

『あ、また勝っちゃったー。あれ、澤部くん? いつになったら私に勝てるのかなー?』
『うるさい。いちいち嫌みを言いにくるな。言われなくても、次は絶対に勝ってやるからな』

 

――後は……頼んだからね。みんなのこと、守ってよね。ねっ……澤部……。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 二秒で空になったマガジンを捨て、残っていた最後のマガジンを装着し、また引き金を引く。全てを撃ち尽くし、ぼろぼろになって息絶えている佐伯希美(女子7番)を見ても、有馬孝太郎(男子1番)の怒りは治まりそうになかった。

 

「ちっ、死に損ないが。最後まで手こずらせやがって」

 

 希美が何らかの策を講じてくるのは、もちろん想定内だったし、ある程度対策も立てていたつもりだった。しかし、希美は孝太郎の推測とはことごとく違う行動を取った。最初はそれもまた面白いと思ったが、まさか傷まで負わせられるとは思わなかった。完全に想定外だ。学年一位は伊達ではないということか。それにしても、最期の最期まで気にくわない女だった。

 

「くそっ、この傷は厄介だな。弓塚みたいな手が使いにくくなる。まったく、本当に余計なことをしてくれたな……!」

 

 五本ものひっかき傷は、大きな絆創膏を使っても隠しきれないだろう。そして、プログラム中に消えてくれるような浅い傷ではない。仕方ない。動物にでも引っかかれたとでも言うしかないか。傷自体は大したことないが、引っかかれたところはヒリヒリ痛む。痛むたびに腹が立つが、それはどうしようもない。どうしようもないが、それもまたイラつくところだ。

 それに、動きにくくなったのは、全身に浴びてしまった希美の血液だ。刺したときは、なるべく返り血が付かないように細心の注意を払ったというのに、最期の抵抗で服がかなり赤く染まってしまった。これに関してまだどうにかなるからいいものの、面倒な手間がかかってしまう。それも、孝太郎の気にくわないところだった。

 しかし、厄介だと思っていた希美は死んだ。最期に澤部淳一(男子6番)がどうとか言っていたが、そのことに関しては今はどうでもいい。いつかは淳一のこともどうにかしなくてはいけないと考えているし、彼に関しては簡単には殺せないと思っているが、とにかく今は自分の体勢を整えないとどうしようもない。

 

「最初の襲撃時に顔を見られたから、園田にも俺のことはバレているな。しかし、時間を食い過ぎた。ここは追いかけるのは諦めるか。まぁ、園田自身は大した脅威ではないし。問題はこれから――」

 

 そう呟きかけた瞬間、静寂を切り裂くような叫び声。それも、女の甲高い声が聞こえてきた。誰かに襲われているかのような、そんな悲愴感に溢れた声。そして、その声には聞き覚えがあった。それも、ついさっき――

 そこまで思考が及んだところで、孝太郎はニヤリと笑っていた。

 

「ははっ、これはこれは。運命とは残酷なものかな」

 

 笑いながら、もう何も答えない希美の死体に向かって、小馬鹿にしたような口調でこう口にした。

 

「佐伯。どうやらお前の努力、無駄に終わりそうだぞ」

 

女子7番 佐伯希美 死亡

[残り24人]

next
back
中盤戦TOP

inserted by FC2 system