鮮血の宴

 

「ハァハァ……ゼェ……ゼェ」

 

 園田ひかり(女子11番)は、ずっと走り続けていた。そのせいか息切れは止まらないし、走る速度は徐々に落ちてきている。疲労感は一キロメートルほど走ったほどに匹敵するが、実際は五百メートルも走っていないのではないか。命の危機にさらされているという緊張感で、こんなにも持久力に差が出るというのか。このくらいの距離、いつもならなんてことはないのに。

 

「ゼェゼェ……ゼェゼェ……」

 

 マシンガンの音は聞こえてこない。佐伯希美(女子7番)は、ちゃんと逃げ切れたのだろうか。いや、希美なら大丈夫だ。だって、学年で一番頭がいいし、本人もうまくやると言っていた。それに煙で周囲が覆われた時、逃げる足音も聞こえた。視界も悪いのだから、そうそうに追いつけないはず。

 

――もう止まっていいかな……。でも、もし追いかけてきていたら……。もう少し、もう少しだけ距離を稼ごう……!

 

 じんわりとした恐怖を感じ、ほんの少しだけ速度を上げる。追いつかれてしまったら、こちらには何の対抗手段もない。ひかりの支給武器に、殺傷能力はまるでないのだ。できることと言えば、死んだと思わせるくらいで、それも子供だまし程度のもの。この緊迫した状況では、まったくもって役に立たない。

 だから、今のひかりにできることは逃げることだけ。事走ることに関して、ひかりには多少の自信がある。五木綾音(女子1番)には劣るが、これでも三年間真面目に部活をやってきたのだ。たとえもともとの能力が大したことなくても、歳月によって身についたものは無駄ではないはず。

 

――あと少しだけ……あと少し……。

 

『ホントに、ホントにありがとう……。ひかりがいてくれて、良かったよ……』

 

 思い出すたびに、チクリと痛むこの言葉。いつも疎ましく思っていた相手から、思わぬ形でもらった言葉。きっと他意のない、純粋な気持ちから出た言葉。そうしていつも真っすぐな気持ちで接してくれた彼女。反面、そんな相手を疎ましく思い、心のどこかでいなくなってほしいと思っていた自分。

 嘘をついていた。騙していた。いくら向こうが知らなかったとはいえ、欺いていたことに変わりない。友達と思っていなかったのに、友達のふりをしていた。心の中で舌を出しながら、表面上では笑顔を取り繕っていた。与えられたものは多かったのに、こちらは何も与えなかった。今もこうして命を助けられている。希美の方は、今まさに命の危機にさらされているかもしれないのに。

 疎ましく思われるべきは、最低なのは、自分の方だ。

 

『ひかり、おはようー! ねぇ、昨日の“奥さまは見た”ってドラマ観た? 面白すぎて、一時間超集中して観ちゃったんだよねー』
『ひかりちゃん、今度の大会頑張ってね。私も、マネージャーとして精一杯サポートするからさっ』
『頑張ることも大事だけど、怪我しないことが第一だから。無理して走り続けることだけはしないでよ。ひかり、ちょっと頑張りすぎるとこあるんだから』
『ねぇ、ひかりが好きだっていうアイドルグループ何て言うの? 今まで興味なかったけど、ひかりが好きなら歌とか聞いてみようかなって』

 

 そうだ。私は、どうして彼女らを疎ましく思っていたのだろう。自分らのグループに入ったことが気にくわなかったから? 東堂あかね(女子14番)辻結香(女子13番)を取られた気がしたから? たったそれだけのことで、彼女らを嫌っていたのだろうか。向こうは何もしていないのに。むしろ友達として、友好的に接してくれていたというのに。

 

『ひかりがいてくれて、良かったよ……』

 

 そもそも、友達とは何だろう。そんなことをふと思った。親しくしている人、仲のいい他人。学校で習う意味はそれくらい。そこからいえば、ひかりにとって彼女らは友達ではない。親しくしているとも、仲がいいとも思っていないのだから。

 では、彼女らにとって、自分は親しい、仲のいい友人だったのだろうか。彼女らにとって、自分は友達であり得たのだろうか。

 

『私は右手の方角に行くから、ひかりは左手の方角へ行って。できれば、また後で会おうね』

 

 答えは分かっている。きっとそうだ。彼女らにとって、自分は友達であったのだ。結婚とは違って、友情は契約書を交わすものではない。本人がそう思えば、それはもう成立しているのだ。成立しているからこそ、無償で何かを提供できる。そこに、何の見返りも求めていない。こちらがどう思っていようと、彼女らにとってそれは何ら関係ないのだ。

 ひかりだって、あかねや結香のためなら、ある程度の無茶はできる。プログラムのような生死を懸けるような状況では断言できないが、彼女らのために無償でお菓子を提供するだとか、宿題を見せてあげるとか、急な都合が入ったとき日直を交代するだとか、そういうことは造作もなくできる。頼まれ事は出来る限り叶えようと頑張るし、困っている時は助けようと思う。別に何が欲しいわけでもない。そうしたいから、そうするのだ。

 もし、希美がそう思ってくれているのなら、そう思ってくれているのならば、これは彼女にとっては“多少の無茶”なのかもしれない。ひかりが日直を交代するだとか、あるいは何とか助けようと思うことと同じ感覚で、希美はこういう風に命を張ることができるのかもしれない。

 

――そんなわけ……そこまでできるものなの……? だって、私は嫌いだったんだよ……?

 

 ねぇ、本当にそうなの? そこまで友達と思ってくれているの? だって、私はあなたに何もしていない。何も与えてない。むしろ傷つけたかもしれない。それどころか、あなたが与えてくれたものを、私は受け取ろうともしなかった。何も見ずに、ただ拒絶しただけだった。

 もしそれを知ったら、どれだけ傷つくのか。痛いほど分かっていたのに。

 

――今からでも遅くないかな? 今からでも……やり直せる……?

 

 迫る気配はない。距離も大分離れた。時間もある程度経った。もう孝太郎は追ってこないだろう。なら、今からでも希美を追いかけよう。会って、今度はこちらが守ろう。そう思い、方向を変えようと思った瞬間――タタタタタッという銃声が聞こえた。

 

「え……? の、希美……?」

 

 聞き覚えの有りすぎる連続した銃声に、思わず足を止める。違う。希美ではない。だって、うまくやると言っていた。時間も経っている。希美のはずがない。希美のはずが――

 

――もし……もし有馬くんが追いついて……希美を殺そうとしていたとしたら……?

 

 そう思うと、もういてもたってもいられなかった。まわれ右の要領で、くるっと方向転換する。考える間もなく走り出した。先ほどよりもスピードを上げて、わき腹が痛くなるくらい息を切らしながら。

 

「希美……! 希美!!」

 

 間に合って。私に、友達を助けるだけの時間を。どうか、これまでの行いを償わせて。今からでも、友達らしいことをさせてほしい。

 胸を張って友達だと言えるように。疎ましさや後ろめたさなど、もう感じることのないように。

 

「ひーかーりーちゃんっ。あーそーぼ!!」

 

 突然聞こえた、甲高い声。この雰因気に似つかわしくない、とても明るい声。無邪気な子供が放課後に友達を遊びに誘うような、そんな声。

 しかし、大事なのはそこではなかった。声が聞こえたのと同時に感じる、鈍くて重い痛み。腹に何かが入りこむ感覚と、皮膚が裂ける痛み。激痛と言っていいその感覚こそ、今この場において最も重要なことだった。

 

「かっ……かはっ……!」
「やっと女の子に会えたー! 嬉しいなー。ずっと男の子ばっかだったからー」

 

 まるで楽しくて仕方がないような声でそんなことを言いながら、目の前の真田葉月(女子8番)はにっこりと笑う。それは、邪なことを考える邪悪な笑みではなく、純粋な嬉しさから浮かべる無垢な笑顔だった。それが、ひかりの恐怖心をより一層煽っていく。

 

「さ、真田さん……? どうして……?」
「なんか走っている人影が見えたからさー。誰だろー? と思って近くまで行ったら、ひかりちゃんだったのー。なんか必死で走ってたからさ、ちょっかい出したくなってねー。あんなに見事にヒットするとは思わなかったよ。けっこう漫画みたいにうまくいくもんだなぁ」

 

 とても楽しそうな、ふんふんという鼻歌が聞こえてくる。その無邪気な振る舞いが、ひかりには理解できなかった。葉月は、今のこの状況を分かっているのだろうか。自分のやっていることが分かっているのだろうか。

 ひかりには、葉月が何を思ってそんな風にしていられるのか分からない。なぜなら、ひかりは葉月と同じことができないからだ。正当防衛ならどうしたかまで分からないが、ひかりは自ら進んで誰かを殺すつもりは最初からなかった。増してや、この絶望的な状況を楽しむ気持ちは、微塵も存在していなかった。むしろどうしたらいいのか分からずに、何をするにも躊躇していた。おそらく、大半の人間はそうだ。きっと、希美もひかりと近い考えを持っていた。だからこそ、民家で一人震えていたのだから。

 なのに、目の前にいる人間は、ひかりの理解を超える思考回路を持っている。到底楽しめそうにない状況を、楽しそうに笑っている。情け容赦なく人に攻撃することを、どうしてそんな楽しそうにできるのか。

 腹に受けた攻撃の痛み以上に、その事実がひかりを恐怖させていた。

 

「あんた……どうしてそんな風に笑えるの……? まさかこの状況を楽しんでいるの……? こうやってみんなを殺して回っているの?!」
「何言ってんの? 私は、真っ赤な血が見たいだけだよー。ここならやりたいようにやっても、誰にも怒られないしね。映画で観たようなシーンを、ただ純粋に再現したいだけ!」

 

 それが結局人を殺して回っていることにつながっているのだと、葉月自身は認識していないのか。それがどれだけ罪深いことで残酷なことか、彼女は気づいているのだろうか。それとも葉月にそれは関係なく、ただ己の欲望を満たしているだけなのか。もしくは、その事実すら認識していないのか。

 葉月のことは、その子供っぽさからあまり好いてはいなかった人物ではあるが、これはいよいよ狂っているのではないか。

 

「あんた……それがどういうことか分かってんの……?」

 

 目の前が、恐怖という名の暗闇で染まる感覚。手足は震え、頭の中は真っ白になる。先ほどまで希美の身を案じていたことなど、今のひかりの頭の中から跡形もなく消えていた。今あるのは、己の命の灯が消えそうな絶望感。

 逃げたい。けれど、思った以上に腹の傷は深いのか、思うように身体は動いてくれない。

 

「えー、別にいいじゃん。やりたいようにやったって。それのどこがいけないの? それよりもさ、咲ちゃんや秋奈ちゃん見なかったぁ? さっきからずっと探しているんだけど、全然見つからないのー」

 

 “それのどこがいけないの?”。葉月のその一言が、ひかりをさらなる絶望の淵へと叩き落とす。ダメだ。葉月はこれがどんなに罪深いことか分かっていない。なら、自身が楽しんでやっていることを止めるはずがない。きっと自分はもう助からない。どんなに逃げても、彼女は追いかけてくる。今の自分の体力では、絶対に追いつかれる。武器もない。どうしたらいいのか浮かぶほどの頭もない。味方もいない。

 殺される。今から、自分は葉月に殺される。それが、今のひかりの避けられない運命なのか。

 

「……知らないんだー。じゃ、もうひかりちゃんと話すことなんて何もないや」

 

 まるで興味がなくなったかのように、葉月は急に冷めた声になった。そして、右手に持っていた斧を振り上げる。その斧は、赤い血液で鈍く光っていた。まるで、それが相応しい装飾であるかのように。

 

「じゃあねー。ひかりちゃんっ」

 

 斧が振り下ろされる瞬間、恐怖心からひかりは大声で叫び声を上げる。その叫び声は遠くまで響き、聞こえた人間の恐怖心を煽ることになることなど、今のひかりに考えることができるはずもない。ただ本能のままに、逃れられない現実からのせめてものの抵抗を示すかのように、かつてないほどの大声をあげることしか、今のひかりにはできなかった。

 

「い、嫌ッ……! 止めてッ! 嫌ぁぁぁぁぁーーーーー!!」

 

 叫び続けても、せまる刃は止まらない。葉月が振り下ろした斧の刃が、そのままの勢いでひかりの頭の中にめりこんだ。その瞬間、耳をつんざくほどの叫び声はピタリと止む。めりこまれた斧で顔面がグシャリと変形し、大量の血が吹き出していた。それを全身に浴びた葉月の表情がいささか不満気な様子であることも、恐怖で支配されていたひかりには最期まで認識できるはずもなかった。

 ひかりの顔面にめり込んだ斧を、葉月は力づくで抜いた。それでまた大量の血が葉月の全身にふりかかったが、本人はそのことを意に介さないように、顔色一つ変えなかった。その表情は、喜びに満ちあふれた笑顔ではなく、つまらないものを見ているかのような表情であった。

 

「んー。やっぱ末次くんのときの方が綺麗だったかなぁ。思ったよりもつまんなかったー。ま、また誰か探せばいっか」

 

 斧についた血を払うかのように、一度大きくブンッと振る。すぐ傍で倒れているひかりの遺体には、もう見向きもしない。まるで今まで楽しく遊んでいたおもちゃに、突然飽きてしまったかのように。

 

「それにしても、咲ちゃんや秋奈ちゃんはどこにいるんだろー? 早く会いたいなぁ」

 

 プログラムという状況下でも、いつもと変わらない笑顔を見せる一人の少女。その脳裏には、その可愛らしさからは想像できない、真っ赤な血で染まった映像が描かれていることなど、誰にも分かるはずがない。

 

「そしたら、綺麗な赤で染めてあげるのにー」

 

 全身に赤を纏っている少女に、罪の意識など存在しない。ただ自分の好きな色で染めたいという、純然たる欲望のみで動いている。そこに、他者への配慮などあるはずがなかった。

 

女子11番 園田ひかり 死亡

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