別離

 

 東堂あかね(女子14番)は、エリアD-2にいた。加藤龍一郎(男子4番)と別れて以来ずっと移動し続けているものの、これまで誰にも会えていない。そうしている間に何度か銃声――それも連続した銃声が聞こえていたけど、そこへ向かう勇気はまだなく、今は手当たり次第に歩き続けているだけだ。

 龍一郎と別れてから、他に信用できそうな人。主に辻結香(女子13番)を含めた主流派メンバー、そうでなくてもやる気でない人を探し続けている。恐怖と不安はずっとつきまとっているものの、龍一郎に励まされたことで少しばかり前向きに行動できるようになっていた。

 

『場所が変わったって、世界が変わったって、自分まで変える必要はどこにもない。やりたいようにやればいいと思う。東堂さんは東堂さんらしく、これまで通りにやればいいと思う』

 

 龍一郎の言う通りだと思った。どこにいようと、自分のやりたいようにやればいい。会いたい人には会いに行けばいいし、殺すことが嫌ならそれをしなければいい。そうすることで命を落とすことがあったとしても、自分自身を曲げて生き残るよりはずっといいはずだ。

 そうやって龍一郎に励まされ、ずっと考えて、ようやくそう結論付けることができた。そうすることで自分を奮い立たせ、少しばかり積極的に動けるようになった。それと同時に、一つの悲しい出来事を整理することもできるようになっていた。

 

『あかねなりに助けてあげればいいから』

 

 幼馴染である槙村日向(男子14番)のことは、今でも心が痛む。けれど、日向は日向のやりたいようにやったのだから、それに関して自分はとやかく言える立場ではない。だから、それはそれでいいのだ。日向にとって、それはきっと良かったことなのだ。半ば無理矢理そう結論付けていた。今はまだ強引でも、いつかは素直にそう思える日が来るだろう。悲しいという気持ちも、怒りという名の感情も、うまく整理できるようになるだろう。完全に理解することはできないだろうけど、きっといつかは。

 とにかく、今最優先すべきことは、まだ生きているみんなを探すこと。そして、もう日向のように絶望する人間が出てこないよう、何とかしてこの状況を打開することだ。

 

――そのためには、まずみんなを探さなくちゃっ!

 

 あかねが今歩いているところは、地図でいうと田園地帯が一部含まれるエリアであるらしく、かなり自然が目立つ場所だ。民家や施設は島の東側に集中しているらしく、こちら側にはそのような建物はほとんど存在していない。そのエリアを既に数時間歩き回っているのに、人に会うどころか誰かがいそうな気配すらない。けれど、これしきのことで諦めるわけにはいかない。無駄に諦めが悪いのが、あかねの長所でもあるはずだから。

 

――でも、こんなに会えないなんて……。ずっと北に向かって歩いて来ちゃったけど、方向変えた方がいいのかな……?

 

 誰の姿も見かけない不安から、ふとそんなことを思う。住宅の集まっている東側に向かっても、人に会える保障があるわけではないのに。

 

――でも、もし草むらの影に隠れていたりとか、増してや私と同じように探している人がいたら……。

 

 他人が見たら不自然なくらいキョロキョロしながら、人影を見逃さないようにゆっくりと歩く。ただでさえ、日向や鈴木香奈子(女子9番)羽山早紀(女子15番)という親しい人間を三人も失っている。会えないまま、また同じように失うのは嫌だ。そのためには、こちらから探しに行くしかない。もし近くにいるなら、確実に見つけなくては。

 そんなことを考えながら歩いていると、視界の端で足首の高さまである草がかすかに動いていた。

 

「誰か……誰かいるのッ?!」

 

 考える間もなく声を上げ、自分の存在を相手に示す。同時にその音の方向へ身体を向け、敵意がないことの証に両手を広げる。きっとあかねと同じように、プログラムが間違っていると考えている人はたくさんいるはず。相入れるかどうかは分からないが、まずは面と向かって話し合うことが大切だ。その思いが、あかねにこんな行動をとらせていた。

 しかし、そんな心配は杞憂に終わった。なぜならそこにいたのは、このクラスの中で誰よりも見知った相手だったからだ。

 

「結香……?」

 

 小柄な体格。二つ結びの髪型。同年代にしては可愛らしい顔立ち。小学校のときからずっと一緒にいて、親友でもある辻結香。今目の前にいるのは、まぎれもなく探していた彼女だったのだ。

 

「良かった……。結香、無事だったんだね……!!」

 

 見る限り、結香に目立った傷はない。どうやら怪我一つしていないようだ。結香に会えた喜びと、彼女が無事であるという事実が、あかねを安堵させ、これまでの恐怖や不安が全て吹き飛んでいた。

 そのまま、あかねは結香の元へと駆け寄ろうとした。いつも一緒だったから、それはあかねにとってごく自然な行為だった。誰よりも傍にいて、誰よりも自分のことを分かってくれる、そんな大切な親友の存在。そんな人物が近くにいて、距離が離れたまま会話する方が不自然なのだから。

 しかし、結香はそうしなかった。何も語らず、笑いもせず、その場に立ったままだった。それどころか、右手に持っていた大きな拳銃をあかねに向けていたのだ。

 

「えっ……? 結香、何してるの……?」

 

 拳銃を突きつけられたことで、あかねの足は自然と止まる。結香との距離は、わずか二メートルほど。数歩歩けば近づける距離なのに、今は一歩も動けない。

 

「結香、私だよ? あかねだよ? 分からないの?!」
「……した?」

 

 あかねの質問に答えたのか、ようやく結香が口を開く。けれど、あまりにも小声であるせいか、あかねにはその内容が分からない。いつもの結香なら、こんなことはないはずなのに。

 

「結香、今、なんて言ったの……?」
「太一を……殺した……?」

 

 消え入りそうな小さな声で、結香はこう言った。けれど、その内容が、あかねには理解できなかった。そのせいか、自然と静寂が訪れる。その静寂には、まるで重力が増したかのような息苦しさが存在していた。

 

「あんたが、太一を殺したの?」

 

 同じ内容を、結香はもう一度口にした。けれどあかねには、どうして結香にそんなことを聞かれるのか、まったく分からなかった。

 

「なんで……そんなこと聞くの……?」

 

 そう聞いても、結香は何も言わない。またしても訪れる重い沈黙に、あかねは重ねてこう聞かずにはいられなかった。

 

「もしかして、私のこと……疑っているの……?」

 

 その質問にも、結香は何も答えない。それは、暗にあかねの言うことを肯定しているということを差す。先ほどの放送で唯一呼ばれた人物。そして結香の恋人である弓塚太一(男子17番)を殺したのが、あかねではないかと。

 そんなはずがないのに。たとえ世界がひっくり返ったとしても、それは絶対にありえないことなのに。どうして結香はそんなことを言うのだろう。

 

「そんなわけないじゃない! 私がクラスのみんなを、ましてや結香の大事な人を殺したりするわけないじゃない!! どうして? どうして……そんなこと言うの……?」

 

 あかねの言葉に、また返事は返ってこなかった。いつもなら率先して話すような、会話の中心にいるような、そんな子なのに。今の彼女は、こちらの質問に答えるどころか、ほとんど何も話さない。目の前の親友は、いつもとはまったく違う顔を見せている。

 いくら恋人を失ったからといっても、この変化はあまりにも衝撃的だった。まるで性格が百八十度変わったかのような結香の姿に、戸惑いや混乱を隠せない。

 

「ねぇ……結香。どうしちゃったの……? いつもの結香らしくないよ……。それに、そんな物騒なものを持って、弓塚くんを殺したかどうか聞いて、どうするつもりなの……?」
「決まっているじゃない。殺すんだよ」

 

 こちらの質問に、初めて答えが返ってくる。けれど、それはあかねが望んだものではなかった。心のどこかで感じていた一抹の小さな不安。けれど、そんなことはないだろうと目を背けていた可能性。それが、こんな形で現実となってしまうなんて。

 

 知っていたつもりだった。結香と太一が、とても仲がよいカップルだったことは。一部の人間からバカップルと言われるくらいに、いつも二人仲睦まじく過ごしていた。二人はそれぞれの友人の付き合いも大切にしていたので、ずっと一緒にいるということはなかったけれど、結香の話の大半は太一で占められるくらいに、結香は太一のことが好きだった。高校に行っても、大学生になっても、大人になってもずっと一緒にいると約束した。嬉しそうな表情でそう話したのは、ついこの間の話。

 分かっていたつもりだった。結香が、どれだけ太一のことを好きだったのか。どれだけ太一のことを大切に思っていたのか。放送でその死が伝えられたとき、きっと悲しみに暮れているだろうと思っていた。だからこそ、早く見つけて励まさなければいけないと思っていた。そして、きっと無念のままに死んだ太一の代わりに、結香を守らなくてはと思っていた。

 けれど、現実はもっと残酷だった。太一の死は、悲しみを通り越して、怒りと憎しみと言う名の感情を生んだ。そして、彼を殺した相手に復讐することまで考えるようになってしまった。

 

「殺す……? 弓塚を殺した相手に、復讐するつもりなの……?」
「当たり前じゃない。だって、太一を殺したんだよ。死んで当然じゃない」

 

 何の躊躇いもなく結香の口から出た言葉。“当たり前”という言葉。けれど、それは本当に当たり前のことなのだろうか。愛しい人を殺されたのなら、殺した相手に復讐することは当然のことなのだろうか。同じ痛みを与えることは、人を殺した報いとして当然なのだろうか。

 一瞬だけ悩んで、でもやはりそれを肯定することはできなかった。当たり前ではない。殺されたからといって、殺していいわけではない。そんなことをしていたら、いつまでたってもこれは終わらないのだ。

 それに、そんなことを太一は望んでいない。彼は、絶対にそんなことを望むような人ではない。

 

「違う! そんなの間違ってる!! そんなことしても、弓塚くんは喜ばないよ! 復讐したって、弓塚くんが帰ってくるわけじゃない……。結香がむなしくなるだけだよ……。お願いだから、そんなことしないで……。殺すなんて、そんなこと口にしないで……」
「あんたに何が分かるの?」

 

 いつもより低い声色で、いつもとは違う話し方で、結香はあかねの言葉を一蹴した。

 

「恋人もいないあんたなんかに、私の気持ちなんか分かるわけない。知ったようなこと言わないで」

 

 冷たい言葉を浴びせられ、あかねの頭は真っ白になる。こんなこと、いつもの結香なら言わないはずなのに。こんなことを言う子ではないのに。恋人を失ったという喪失感が、プログラムという状況が、結香をこんなにも変えてしまった。こんなに近くにいるのに、お互いに生きているのに、どこか遠くの世界に行ってしまった。

 それが何よりも悲しくて、まだ下ろされない銃口を見ながら、あかねは泣きそうになっていた。

 

「本気なの……? 私たち、親友だよね? 私たち……ずっと一緒だったじゃん……。なのに、私のこと……信じてくれないの……?」

 

 また、返事は返ってこなかった。あかねの必死の言葉も、もう結香には届かないのだろうか。向けられた銃口が、下がることはないのだろうか。そんなあかねの願いとは裏腹に、引き金に指がかかる。その引き金が引かれれば、きっと自分は死んでしまう。正面から向けられる明確な殺意に、足がすくみそうになる自分がいる。

 初めて人から向けられる、攻撃の意志。初めて味わう死の恐怖。これまで悲しい出来事はたくさんあったけれど、こんなにはっきりとした敵意を向けられたことはなかった。武器を突きつけられたことはあっても、自分が死ぬかもしれないという恐怖を味わうことはなかった。

 

『あと一つだけ。誰もかれもは信用しない方がいい。きつい言い方になるけど、プログラムに乗る人間は確実にいる。もしかしたら、あかねの友達もそうかもしれない』

 

 日向の言葉が、頭の中で一際大きく響く。その言葉が、まさかこんな形で現実になると思ってもみなかった。一番の親友から殺意を向けられることになるなんて、夢にも思わなかった。それも生き残るためではなく、恋人を殺した復讐のためになど。

 

『あかねーッ! おっはようー! ねぇねぇ、駅前に新しいお店できたんだって! 今度一緒に行こうよ!!』

 

 あの明るい彼女は、どこに行ってしまったのだろう。あの笑顔は、もう戻ってこないのだろうか。確かに結香の言う通り、あかねに恋人がいたことはない。恋をしたことはあっても、それは今のところ片想いで終わっている。恋人を失った結香の気持ちを、きっと完全に理解することはできない。けれど――

 

――でも……こんなのってないよ……。

 

 あかねの言葉は、きっともう届かない。どんなに大声で叫んでも、どんなに言葉を選んでも、きっとそれが伝わることはない。それが、銃口を向けられている現実よりも悲しい。

 

――私たち、もう友達でいられないの……?

 

 ポロポロと零れる涙は、あかねの視界を少しだけ歪ませる。そこに映る親友の姿は、どこか悲しく見えてしまう。大切な人を失った喪失感を、復讐という目的で埋めているように見えてしまう。そんなこと、誰も望んでいないのに。

 

――私達、一緒にいられないの……?

 

 せっかく会えたのに。これからずっと一緒にいられると思ったのに。何があっても、結香を死なせないと決意したばかりなのに。どうしてこんなことになってしまったのだろう。こんな世界に皆を放り込んだ、神様を恨まずにはいられなかった。

 

「ねぇ、マシンガンはどこ? もしかして、どこかに隠したの? じゃあ、持ってないからといって違うとは限らないよね。やっぱり、あんたが太一を殺したの?」

 

 最後の通告。それに合わせて動く指。それがきっかけだった。結香の指が引き金を引いてしまう前に、あかねは走り出していた。恐怖と信じられない現実を突きつけられたことで、身体は最も理に叶った行動をとっていた。心はそこに置き去りになったままで。

 

――なんで……? どうして……? 私、どうして結香から逃げているの?

 

 心の中で疑問に思っていたけれど、走る足を止めることはできなかった。戻ることもできなかった。戻っても、そこに親友はいない。そこにいるのは、復讐に捕らわれた一人の悲しい少女がいるだけ。

 

 走りながら、涙がポロポロ溢れ出す。鼻の奥がつんと痛む。友人に会えたのに、一緒にいられない現実。銃口を向けられたという恐怖。裏切られたような悲しみ。それらがない交ぜになった感情が、涙という形で吐き出されていく。

 結香は、追ってはこなかった。それはどこかあかねをホッとさせ、そしてどこか――悲しい。

 

『俺は、自分が一番怖いんだ』

 

 これが、日向の言っていた“怖さ”なのだろうか。自分が変わるということは、こういうことだったのか。こんな風に、いつかは見知った相手に銃口を向けるかもしれないと、日向は思ったのだろうか。そんなことはないといったあかねの言葉は、日向にとってはただの机上の空論でしかなかったのだろうか。そんな日向が恐れていたような形で、結香は変わってしまっただろうか。クラスメイトに恋人を殺されることで、プログラムのせいで、人はあんなにも変わってしまうものだろうか。

 分からない。日向がその言葉を口にした真意も、結香がどれだけの悲しみを抱いて復讐という結論に至ったのかも、どうしてそんなに変わってしまったのかも、あかねには分からない。今のあかねには、眼前にせまる死の恐怖から、ただ逃げ続けることしかできなかった。

 

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「マシンガンを持っていない。……違うのか」

 

 走り去っていく東堂あかね(女子14番)の姿を見送りつつ、辻結香(女子13番)はそうポツリと呟いた。その言葉に、申し訳なさや、懺悔の気持ちはまったくこもってない。目で見て確認した事実から、おのずと導き出された結論。ただそれを口にしただけだ。

 右手で持ち上げていたやけに重い銃を下ろす。弾を無駄遣いしなくてよかった。恋人である弓塚太一(男子17番)の仇に会ったとき、弾がないのでは話にならない。仇を討つ以外に、この銃を使うつもりはないのだから。

 

「太一、待っててね。絶対仇は取ってあげるから」

 

 誰にも聞き取れないほどの小声でそう呟いた後、結香はあかねが逃げた方向とは違う方へと歩き出した。その足取りは、鉛をつけたかのような重いものではなく、羽根が生えたかのような軽やかなものでもない。いつもと変わらないテンポで一歩ずつ歩いている。

 景色は変わらない。同じような雑木林が続いているだけ。小鳥のさえずりも、風で葉がなびく音も、今の結香にはどうでもいいことだった。今の結香の全神経と全感情は、愛しい恋人の仇を葬ることにしか使われていない。

 

「絶対……絶対殺してやるんだから……!」

 

 彼女の中にある黒い感情は、時が経つほど膨れ上がっていく。それが少しずつ自身を壊し始めていることに、結香はまだ気づいていない。

 

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