この世界の不適合者@

 

 チュンチュンという雀の鳴き声が聞こえる。いつもならそれで爽やかな朝を迎えられるというのに、今は何の感想も抱かない。葉が擦れる音も、自然の中に溢れている独特な香りも、今は正直どうでもいい。自分の全神経と全思考は、この悲惨な状況を考えることで精一杯だった。離島ならではの豊かな自然を堪能する余裕など、今の自分にあるわけもない。

 須田雅人(男子9番)は、疲れ切った足を引きずりつつ、ぼんやりとそう思った。

 

『赤が、見たかったからだよ』

 

 つい数時間前にそう告げた真田葉月(女子8番)の言葉は、雅人にとっては狂人の戯言としか思えなかった。いや、そう思うことでしか受け入れることができなかった。本当の意味で受け入れようと思っても、きっと神経をすり減らすだけで、得るものは何もない。人のことをできるだけ理解したいと思っているけど、今はそうするだけの余裕もない。そう考えてしまうほど、きっと自分は追い詰められてしまっている。

 

 そんな葉月から何とか逃げ切れた後、しばらくしてまた放送が流れた。そこで弓塚太一(男子17番)の死を知り、それがさらに雅人を落ち込ませた。まただ。またクラスメイトを死なせてしまった。一人だけとはいっても、その一人の命が失われたことには変わりない。いつも明るく接してくれて、雅人が何か失敗しても『ドンマイドンマイ』と励ましてくれていた太一の笑顔を思い出して、またひどく胸が痛んだ。同時に、己の無力さを嘆いた。

 こうして何もできないまま、クラスメイトがただ死んでいくのを、自分は黙って見ていることしかできないのだろうか。それが、葉月に襲われたこと以上に雅人を追い詰めていた。

 

――俺はこうして逃げたり、ただうろたえることしかできないのだろうか……。

 

 もう九人ものクラスメイトがいなくなってしまった。そして、放送後も銃声が聞こえた。もしかしたら、死亡者の数が二ケタになってしまったかもしれない。殺し合いを、プログラムを、何とかして止めたいと思っているのに、そんな思いとは裏腹にこれはどんどん進んでいく。

 こちらはプログラムを止める方法どころか、きちんとした気持ちの整理すらできていないというのに。

 

『甘いんだよ、そんな考えは』

 

 古賀雅史(男子5番)の言葉が、また聞こえてくる。プログラムを止めたいという考えも、殺し合いが間違っているという主張も、雅史からすれば甘いというあの言葉。葉月に会うまでは、その言葉に反論できる自分がいたけれど、今はそうするだけの気力も材料もない。むしろ、雅史の言葉を裏付けるかのような現実ばかりが、雅人の目の前に現れてくる。

 そんな雅史は、今はどうしているのだろうか。放送で呼ばれていないということは、きっとまだ生きているのだろう。いや、もし先ほどの銃声に雅史が関わっているのなら、自分の預かり知らないところで死んでしまったのだろうか。そうでなくても、ひどい怪我を負っているのかもしれない。そこまで考えたところで、そんな風に考えてしまう自分が嫌になった。ブンブンと頭を横に振って、その考えを振り払う。こうした行為は、プログラムが始まってからもう何回したか分からない。そのせいか、先ほどからひどく眩暈がする。

 

『死にたくないなら、その甘い考えを捨てろ』

 

 また、雅史の言葉が聞こえる。その言葉の通り、今持っているものを捨てなくてはいけないのだろうか。これまでの自分自身の倫理観を、考えを、全て捨てないと生きられないのだろうか。それが嫌で、だからこれまで必死で色んなことをやってきたのに。

 

 小学生のときにプログラムのことを学校で学んで、選ばれたら優勝しない限り中学三年生で死ぬということを知ってしまった。知ってしまったときから、選ばれることが怖かった。もっと正確に言えば、死ぬことが怖かった。絶対に選ばれたくはなかった。だからこそ、これまで私立の中学校はプログラムに選ばれていないという事実を知ったとき、そこへ進学したいと両親を必死で説得したのだ。何とか受験していいという許しは得たものの、その代わりに特待生ならという条件がついた。そのため必死で勉強して、偏差値から考えてギリギリ特待生でいられるこの青奉中学校へ入学した。わざわざギリギリでいられる学校にしたのは、偏差値の高い方が選ばれないのではないかという個人的な考えからだ。

 ギリギリだったから、少しでも自分に有利な材料を増やすために三年間クラス委員を務めた。自分が本来クラス委員の器でないことは、誰に言われるまでもなく雅人自身も理解している。けれど、特待生から落ちたら無理矢理公立へ行かされるかもしれない。そんな思いから、向いていないと分かっているクラス委員を三年間務め、少し先生の心証を良くするために様々な仕事を真面目にこなした。朝は誰よりも早く登校し、そして夜は誰よりも遅く帰宅した。帰ってからも成績が落ちないように遅くまで勉強し、特待生で居続けるための最低限の成績は修めてきた。なるべく人に迷惑をかけないように努め、かつプラスアルファで何とかここまでやってこれた。周囲の冷たい視線に、見て見ぬふりをしながら。

 

 それも全てプログラムに選ばれないため、そして生きるために、雅人にとっては必要な努力だった。

 

 なのに、よりによって今年のプログラムに選ばれてしまって、誰とも分かりあえなくて、始まってからずっと一人でいる。自分は何とか生きているものの、非情にもこれはどんどん進んで、クラスメイトはどんどん死んでいっている。自分はまだ何一つ怪我をしていないけど、いつかは自分も誰かに殺されてしまうかもしれない。そもそも、大した取り柄もない自分が生き残れるとは思っていない。選ばれたら助からないと思っているからこそ、選ばれないための努力をしてきたのだから。

 死ぬ――。いつかは自分も死んでしまうのだろうか。教室で殺されてしまった、田添祐平(男子11番)のように。これまで死んでいった、クラスのみんなのように。

 

――死にたくないッ……! でも、だからってみんなを殺すことなんかできないッ……! だって、みんなも俺と同じように死にたくないはずじゃないか……。それを踏みにじることなんて、できるわけないのに……!!

 

 自分がどんなに甘くて、自分と相いれない人がどんなにいても、やはり人を殺すことはできない。死にたくなくても、人は殺せない。それだけは変わらない。いや、変えてはいけない。人を殺した人間と、同じところに堕ちてはいけない。持っている武器を使うことなど、絶対にあってはならない。

 

――それに、きっと俺だけじゃないッ……! 東堂さんも、きっと俺と同じ考えだ。だって、東堂さんが人を殺すわけない。孝太郎や幸治だってそうだ。他にも、加藤とか宮崎とか、辻さんや佐伯さんとか……

 

『学は……おそらく乗る』
『ダチだからこそだよ。お前みたいに、上っ面だけ見ているわけじゃない。ダチだからこそ、こういうときどういう行動を起こすのか、他のみんなより予測ができる。そういうもんだ』

 

 本当に――本当にそうなのだろうか? 彼らが人を殺していないという保証が、一体どこにあるのだろうか。こういうとき彼らがどういう行動を取るのか、自分は本当に理解しているのだろうか。彼らのことを、常に真正面から見てきたのだろうか。いいところも悪いところも、ちゃんと見えていたのだろうか。

 

――俺は……ちゃんとみんなと付き合ってきたのだろうか? 表面だけの付き合いだったのだろうか? いつだって本心で向き合ってきたつもりだけど、果たして本当にそうだったのか……?

 

 考えれば考えるほど、どんどん自信はなくなっていく。彼らの上辺だけを見て、嫌な所には蓋をして、ごまかしながらこれまで付き合っててきたのではないだろうか、と。一度でもそんな風に考えてしまえば、どんどん嫌な考えに陥ってしまう。

 

――俺は、ちゃんと誠実に向き合っていられたのだろうか。彼らに信頼されるだけのことはできたのだろうか。もしかして、疑われるんじゃないだろうか。友達でも、同じクラス委員の相棒でも……

 

 自分は、彼らの信頼するに値する人間だろうか。疑われるのではないだろうか。疑われたら? それでもし殺されそうになったら? 自分はいったいどうしたらいい?

 

『けれど、事故でも正当防衛でもいい。一度人を殺してしまったら、もうその禁忌は犯したことになる。そしたら、もう何人殺しても一緒だとか、この際優勝しようとか、そう思う可能性が極めて高い。俺が言いたいのはそういうことだ』
『俺から見れば、お前にだってその可能性は十分あり得る』

 

 殺されそうになったら、自分は持っている銃で相手を殺してしまうのだろうか。正当防衛という形で、彼らを殺してしまうのだろうか。そんなことはしたくないのに、身体はそんな風に反応してしまうのだろうか。

 葉月に襲われたときは、無我夢中だったせいか逃げることしか考えていなかった。けれど、もし逃げられない状況だったら? 相手を殺さない限り、自分が死んでしまうような場面だったなら?

 そのときは――この銃の引き金を引いてしまうのだろうか?

 

「そんなこと……そんなことできるわけッ……」
「そんなことって何ですの? 須田雅人くん」

 

 雅人を呼ぶ、一人の女の子の声。静かで、けれど何か言いようも知れぬ威圧感。丁寧な口調ながら、どこか高圧的な響き。澤部淳一(男子6番)とは違う、この特徴的な話し方。

 この人物を、自分はよく知っている。二年のとき、ずっと一緒に仕事をしてきた相手だったから。

 

「先ほどから何かぶつぶつ言っているけど、あなたは一体何をしているのかしら?」

 

 小山内あやめ(女子3番)。二年生からのクラスメイトであり、二年時の女子クラス委員。つまり、雅人の前相棒というべき存在。常にこの国の総統を崇拝し、教室にいたときからこのプログラムを肯定していた人物。そして――今はその全身を真っ赤に染め、綺麗な刃物を右手に持った人物。

 ある意味一番会いたくなかったクラスメイトが、雅人の前に静かに立っていた。

 

[残り23人]

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