生き残るべき者

 

 近代的な建物が何もない場所。見渡す限り無造作に生えているたくさんの不格好な木々。足元の生い茂った草は肌を突き刺し、無遠慮に飛び回る見たこともない虫たちが、私の神経を逆撫でする。こんなところ、一分一秒でもいたくないのに、帰る手段もなければ、帰らせてくれる人もいない。

 気に入らない。誰の許可をもらって、こんなところに放り出したのか。ただの一般人とは違う、この高貴な私を。

 

「まったくッ! 帰ったらこのプログラムに関わった政府関係者を全員クビにしてもらうよう、お父様に進言しなくては!」

 

 北村梨花(女子5番)は、エリアE-6をズカズカと歩き回っていた。学校登校時は常に車で送り迎え。体育のときですら身体を動かすことを極力避けていた梨花にとって、ひたすらに歩き回らなければいけないこの状況は大変気にいらないものだった。大企業を経営する父の一人娘として大事に育てられてきた彼女にとって、こんな何もないところをただ歩き回ることは拷問以外の何者でもなかったから。

 しかし、状況的にはそうせざるを得なかった。先ほどの放送で、梨花が隠れていた民家(その民家もかなり古びたものであり、仕方ないとはいえそこにいることも我慢ならなかったが)のあるD-5がお昼前には禁止エリアになってしまうということを知り、仕方なく(本当に仕方なく)移動している。こんな森の中をずっと歩き回ることは嫌なので、とりあえず今いるエリアにある商店へと向かっているところだ。そろそろお腹もすいてきたところなので、何か食べ物があることも期待した故の行動だった。

 いずれにせよ、こんな何もないところはさっさと立ち去りたいところだ。

 

――まだ九人……。この私のために、早く全員死んでくれないかしら? 帰るのは、この高貴な私と決まっているのよ。野蛮でいくらでも替えのきく一般庶民とは違って、私は特別な人間なんだから。

 

 生まれたときから特別扱いをされ、両親から甘やかされて育ってきた梨花は、自分が“特別な人間”であると信じて疑わなかった。他のクラスメイトとも、その辺にいる一般市民とも、自分は違う人間だと思っていた。そんな彼女にとって、自分が死ぬことなど想像できなかった。より正確に言えば、自分が死ぬことなど有り得ないと思っていた。

 

――野蛮な一般庶民のくせに、何を未練たらたらとこの世に留まっているのかしら? どうせならさっさと死んで、この私が少しでも早く帰れるよう、庶民なりに貢献してほしいものね。

 

 現在の退場者は、放送時のままであれば九人。まだ二十人以上の人間が生きている。家に帰るにはまだまだ死人の数が足りない。プログラムが始まってまだ一日も経っていないのだから、それは無理もないことではあったけど、一刻も早く家に帰りたい梨花にとって中々進行しないこの状況は、苛立ちを生む要因でしかなかった。

 武器が使えるものであれば、まだ自分でどうにかすることもできるだろう。けれど、支給武器は完全なる当たりとは言えない代物だった。支給されたのは、アストラプレッシンという手のひらに収まるほどのサイズの銃。装填数とやらは二発。一般的な銃とは違って、引き金を引くというより、銃全体を握りしめるような形で弾丸を発射する。手のひらに収まるサイズであるだけに、不意打ちにはもってこいの銃だろう。しかし二発しか連続で撃てないことから、撃ち合いとか、誰かと戦闘になったときにはあまり有利な武器とはいえない。弾切れになってしまったら、こちらは完全なる無防備になってしまうのだ。

 それに、人を殺す気はまったくない。それは、人を殺すことに抵抗があるわけでも、増してやクラスメイトの命が尊いと考えているわけでもない。野蛮な一般庶民に高貴な自分が直接手を下すことなど、汚物を処理するような下劣な行為だからだ。そんな庶民の血を見ることも、増してやその血で穢れることなどあってはならない。そんな汚物処理は、他の一般市民に任せておけばいい。最後に残った一人くらいは直接手を下さなくてはいけないのかもしれないが、それまではそのような穢れたものに触れることなどあってはならない。

 そう、高貴な私が人を殺すなど、そんなことはあってはならない。手を汚さず、できるだけ綺麗なままで家に帰るのだ。

 

――次の放送では、十人くらい呼ばれないものかしらね?

 

 だからこそ、プログラムという名の現実は、梨花にとってはどこか別の世界の出来事でしかなかった。誰かの死に悲しむことも、自分が死ぬかもしれない恐怖を感じることもない。まるでテレビの向こう側にある、映画やドラマのような虚構の世界。自分自身には何の関わりもない世界。

 ここにいる誰にも干渉しない。干渉されてもならない。こうして時間が経てばそのうちプログラムも終わり、また家に帰れる。そして、贅沢で何も不自由しないいつもの生活を楽しむのだ。これからも、ずっと、永遠に――

 

「あっ……梨花ちゃんだぁ……」

 

 干渉されないはずの私に、礼儀も知らない野蛮な一般庶民が声をかける。無礼な。この高貴な私に、何の断りもなく、しかも姿の見えない背後から声をかけるなど。そう梨花は思っていた。

 

「私だよ……? 梨華だよ……? 良かったぁ……ずっとずっと探していたんだからぁ……」

 

 そう言った人物は、まるで縋りつくかのようにこちらの腕を掴んできた。そして、もう二度と離れないといわんばかりに、きつくその腕にしがみついていた。

 ああ、そうか。そういえば、そんな子がいた。久住梨華(女子6番)という、金魚のフンのようなうっとおしい子がいたのだと。声をかけられて梨花が思ったことは、そんな何の感慨もない簡素なものだった。

 

「待ってなくてごめんねぇ……。ほら、間もすごく空いていたからさぁ、待ってるのも怖くて。あんな遅い時間に外出なんてしたことなかったし……。でも梨華……ずっとずっと梨花ちゃんのこと探してたんだよぉ……。だからさぁ、怒らないでね?」

 

 何を言っている。誰がそんなことを頼んだ。このままずっと会わないまま、どこかで野たれ死にしてくれればよかったのに。どうしてこの金魚のフンは、いつもいつも高貴な私に縋りついてくるのだろう。うっとおしい。どこか遠くの知らないところへ行って、私の前から永遠にいなくなってくれればいいのに。梨花が心からそう願ったことは、これまでの人生で数知れない。

 

「梨花ちゃん……? もしかして怒っているの……? ごめんねごめんね……何でもするから……だから許してぇ……!」
「じゃ、ここで死んでもらえる?」

 

 苛立ちの度合いがピークに達したとき、梨花は梨華に向かってそう吐き捨て、同時に掴まれていた腕を強引に振り払っていた。

 

「何でもしてくれるんでしょ? だったら、今すぐにここで死んで。そうでないと、私が家に帰れないから」

 

 そう言った後、しばしの沈黙が流れる。肝心の梨華は、何を言ってるのか理解できないと言わんばかりの表情をしており、身体は完全に動きを止めていた。それはまるで、突然電池が切れたおもちゃのように、無様で滑稽なものだった。

 

「え……? 梨花ちゃん……何言ってるの……?」
「理解できなかった? じゃあ親切にもう一度言ってあげる。今すぐに、ここで、私の為に死んで。ほら、ちょっと行けば東の方に飛び降りられる崖があるでしょう。そこから無様な鳥みたいに飛んで落ちればいいじゃない」

 

 そう口にした後、思わず笑い声がこぼれた。一人では何もできない愚かな梨華に、“無様な鳥みたいに飛んで落ちる”という例えは、何とも皮肉で、そしてある意味とてもお似合いだ。それに、その方法から死体も見なくて済むし、自分の周りで血が飛び散ることもない。

 

「本気……? 梨花ちゃん……本気で言ってるの……?」
「あら、冗談に聞こえた? あんたみたいな馬鹿でも分かるように、もっときつい言い方の方がよかったかしら?」
「だって……私達……友達――」

 

 友達――そんなくだらないものにしがみつく梨華が本当に滑稽で、今度こそアハハという大きな笑い声が出た。

 

「友達? 何それ? それって、あんたみたいな野蛮な一般庶民が生んだおかしな幻想? 私のような高貴な人間に、そんなものは必要ないの。私にとって必要なのは、私の言うことを何でも聞く使用人、何でも言うことを叶えてくれる両親。それだけあればいいの。あんたなんか、私には必要ないんだから」

 

 そう、世界は私を中心に回っている。私の言うことを聞く者だけが、役に立ってくれる者だけが、私にとって必要な存在。家柄も、教養も、私よりはるかに劣っている梨華などが、必要な存在であるわけがない。

 むしろ、付きまとわれることもなくなってせいせいする。大体、最初から気に入らなかったのだ。両親と少し近しい間柄というだけで、小さい頃が隣にいることが当たり前であるかのような振る舞い。プログラムでいなくなってくれるなら、むしろ都合がいい。もう二度と、その辛気臭い顔を見なくていいのだから。

 

「嫌だッ……! 私には、梨花ちゃんしかいないもんッ……! 私には、梨花ちゃんが必要なのッ!」
「身の程をわきまえなさいよ。私にあなたはいらない存在な――」
「いらないなんてッ! そんなこと言わないでよぉ!!」

 

 一度離れたはずなのに、梨華がもう一度しがみついてくる。今度は両腕で梨花の身体をはがい占めにするかのように、先ほどよりも強い力で。あまりにも強い力でしがみつかれているせいか、今度は簡単に引きはがすことができない。まるで払っても払っても飛びまわる虫のように、梨華はしつこく縋ってくる。

 

「一人は嫌だよッ! ずっとずっと一人で、誰も信じられなくてッ!! 夜とかすごく怖かったんだからぁ!! 私には、梨花ちゃんしかいないの! だから一緒にいてよぉ!!」
「うるさいわねッ!! 離しなさいよ!!」

 

 力づくで、梨華の身体を何とか引きはがそうとする。けれど、まるで接着剤でも付けたかのように、梨華の身体は少しも離れなかった。執着の度合いを見せつけるかのような梨華の行動に、このとき初めて恐怖を覚えた。

 

「いいかげん離しなさいよ! これじゃ何もできないでしょうッ!!」
「じゃあ、梨華と一緒にいてくれる? もういなくなってとか言わない? 言わないよね? 友達だもんね? ねっ? ねっ?」

 

 一類の希望を見出せたからだろうか。梨華がこちらに視線を合わせ、このとき始めて笑顔を見せた。まるで幼い子供がおもちゃを買ってもらって喜ぶかのような無邪気さで、それでもその瞳はある種の狂気で歪んでいる。

 この子は危険だ――。そう思わせるには十分すぎるほどに、梨華の存在は脅威と化していた。

 

――やりたくなんてなかったけど、このままじゃ一生この馬鹿に付きまとわれるわ……!

 

 決断は早かった。右手に持っていた銃を、梨華の左横腹に押し付ける。その瞬間、始めて梨華に動揺の色が見られた。

 

「え……? 梨花……ちゃん……?」

 

 離れられる前に、アサトラプレッシンとグッと握りしめた。くぐもった銃声が二回。それに合わせて、梨華の身体が二度大きく揺れる。その拍子に、口から大量の血を吐き出していた。そして、そのまま地面に倒れていく。そんな梨華の変化を、梨花はただ黙って見ていた。

 

「なんでよ……。どうしてぇ……」

 

 どうして? だって、散々言ったでしょう? 死んでくれって。いなくなってくれって。あなたは必要ないって。

 そう、全てはあなた自身が招いたこと。私の言うことを聞かないから。だからこんなことになるの。

 

「一人になるのも、飛び降りるのも怖いんでしょ? だったら、私が直接殺してあげる。感謝してよね。馬鹿で無能な金魚のフンさん」

 

 絶望している梨華に向かって、心からの笑顔を向けてあげる。心の底から――蔑むような歪んだ笑顔を。

 

「なんで……? どうしてぇ……」

 

 口から大量の血を吐きながら、梨華はずっとそう呟いていた。そう呟いたまま、その声は小さくなっていき、やがて完全に聞こえなくなった。息絶えた梨華を見下ろし、あちこちに付いた血を見て、梨花はひどく顔をしかめた。

 

「汚らしいッ……!!」

 

 こんなもので、私の身体が穢されることなどあってはならない。こんな野蛮な一般庶民の血が、私の身体に触れていいわけがない。なのに、こんな形でその汚らわしいものに触れることになるなんて。

 けれど、今回ばかりは仕方がない。こちらの言うことを聞かなかったあちらが悪いのだ。この私の言うことに逆らうことなど、絶対にあってはならないことなのに。

 

「優勝するのは私ッ……! 家に帰るのは私なの!! あんたと違って、私はこの世界に必要な人間なんだからッ! あんたみたいに何の取り柄もない、野蛮な一般庶民とは格が違うのッ!!」
「そいつはどうかな?」

 

 突然聞こえた低い声。それと同時に感じる強烈な痛み。首は熱く、でも逆に身体は冷えていくような、そんな奇妙な感覚。

 それが何を意味するのか、梨花が正確に知ることはなかった。鋭い刃物で正確に頸動脈切られたことで大量に出血し、そのせいで一瞬のうちに意識は飛んでしまっていたから。声を出すことはおろか、まるでいきなり舞台が暗転したかのように自身に何が起こったのか欠片も理解できなかった。誰が自分を殺したのか。どうして自分が死ななくてはいけなかったのか。その全てを知ることがないまま、痛みを感じる頃には梨花は完全に事切れていた。

 

「俺からしてみれば、お前も久住と大して変わらねぇよ。馬鹿で無知で、傲慢で世間知らずのお嬢様」

 

 梨華の上に折り重なるように倒れている梨花の死体を見ながら、有馬孝太郎(男子1番)は一人不敵に笑っていた。

 

女子6番 久住梨華
女子5番 北村梨花 死亡

[残り21人]

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