第三回目放送

 

 時刻は十二時を回ろうとしている。即ち、もうすぐ放送の時間だ。

 

 澤部淳一(男子6番)は、横になっていた身体をゆっくりと起こし、軽く頭を二、三度振った。前回の放送から約六時間。十分な睡眠が取れたとは言えないが、この緊迫した状況において休息できた方ではあるだろう。プログラムが開始して既に十二時間以上経過している今、これだけ体力が温存できるだけでもありがたいと思わなくてはならない。

 そんなことができるのも、友人である宮崎亮介(男子15番)が見張りをしてくれているおかげだ。信頼できる人間がいるということが、今はこんなにも有り難い。合流した当初は亮介を死なせないようにすることだけで頭がいっぱいだったが、こうして長い間一緒にいると、助けられているのはむしろ自分の方ではないかと思う。他人に助けられ、心から感謝する日が来るだなんて、これまでの淳一からしたら考えられないことだ。そんな自分に、多少の違和感すら覚える。

 

『ここが人殺しを強要される世界なら、そしてそれが常識なら、そんな世界も常識もくそくらえだ。そんなの、俺は絶対認めない。そんなことをするくらいなら、その世界の方を変えてやるよ』

 

 それでもやることは変わらないし、変えるつもりもない。それにあんな大口まで叩いてしまった手前、もう後には引けない。方法どころか、まだその糸口すら見つかっていないけど、それでも絶対に亮介は死なせないという決意は、時が経つほどにより強いものになっている。状況が悪くなれば、もしかしたら自分は亮介を見捨ててしまうかもしれないと心のどこかで懸念していたが、今のところそんな気さえ起こらない。

 

『大丈夫。淳一になら、絶対できるよ』
『俺、そのためなら協力を惜しまない。それでみんなが、淳一が助かるなら、俺は全面的に協力するよ! 体力だけには自信があるしさ!』

 

 それはおそらく、自分がどうこうというより、亮介が淳一のことをあそこまで純粋に信じてくれているからだろう。客観的に考えれば、淳一は人にそこまで信用されるような人間ではない。そんな淳一に対して、亮介は疑うという感情を微塵も持ち合わせていない。あんな家庭環境でここまで素直な人間に育つなんて、正直少し信じられないくらいだ。そんなところは、尊敬すべきところなのかもしれない。

 

――尊敬……か。そんな感情、父親以外の人間に抱く日が来るだなんて、思わなかったな……。

 

「淳一……? 少しは休めた……?」

 

 寝起きの自分を気遣っているせいだろう。恐る恐るといったような感じで、亮介が近くまで歩み寄りながら話しかけてきていた。

 

「ああ。見張りお疲れ。悪いな。疲れただろう」
「いや、俺は全然平気だから。探知機のおかげで見張りもそんなにきつくないし。それに、さっき休ませてもらったし」

 

 まるでなんでもないかのように、亮介は首を振りながらそう答えた。けれど、いくら人間が普段起きている時間帯とはいえ、六時間も一人で見張りをしていて疲れていないわけがない。けれど、そんなところは見せまいと気丈に振る舞う亮介を見ていると、無理をしているのではないかと変に勘ぐってしまう。

 

――亮介は俺よりも体力あるし、本当に疲れていないだけかもしれないけど……。でも、元々無理するような癖がついてしまっているから、なおさら心配になってしまうな……。

 

 今度から、休息は三時間区切りにした方がいいのかもしれない。一人で六時間もただ探知機を見ているだなんて、何もなくても退屈すぎて精神的に参ってしまいそうだ。幸いにもまだ人間の活動時間内でもあるし、二人とも怪我一つしていない。そう考え、亮介に提案しようとしたところ、突然耳触りな大声が聞こえてきた。

 

「はいはーいッ! みんな、そろそろ慣れてきたかな? ただいまから 第三回目の定時放送を始めまーす!!」

 

 教室で高らかに説明していた寿担当官の放送も、もうこれで三度目だ。そのやたらテンションの高い声のトーンと、スピーカーから流れるノイズ混じりの大声には、何度聞いても慣れそうにない。

 

「ほ、放送……」

 

 担当官の声が聞こえた瞬間、亮介は少しだけ怯えたような表情をする。これが始まってから、ずっとそんな調子だ。誰かの名前が呼ばれるたびに、歯を食いしばって涙を堪えているような、不安と悲しみの入り混じったような、そんな辛そうな表情をする。前の放送で唯一人弓塚太一(男子17番)の名前が呼ばれたときは、泣きそうな表情を浮かべ、ショックのせいかペンの動きが完全に止まっていた。後に、太一とはそれなりの親交があったということを亮介から聞かされ、それでショックが大きかったのだと納得した。

 真っすぐで優しくて、他人の名前が呼ばれただけで心を痛め、それがある程度親交のあった相手であったときは泣きそうな顔をする。亮介以外のクラスメイトとはほとんど親交のない淳一に、そんな感情の起伏は存在しない。だから、授業で教師が黒板に書いた内容を写すのと同じような感覚で、淳一は放送内容を記録していた。今回も、そのつもりでペンと地図を取り出していた。

 ただ、今回はなぜか違った。胸騒ぎがするのだ。この放送だけは、これまでとは違う何かがあるような気がしてならない。これまで波紋すら生じなかった感情の波に、少しだけ乱れが生じているのが分かる。

 

――何だ……? 何でこんなに不安なんだ……?

 

「いつも通り、これまで死んだ子の名前を発表するよー。みんなーメモの用意はいいー?」

 

 どうしてだろう。やけに心臓の音がうるさい。まるでこれから起こることが分かっていて、身体がそれを拒絶しているかのようだ。ペンを持つ手が、どこか震えているのは気のせいだろうか。自分の身体なのに、どうしてそんな不可解なことが起こるのだろう。

 自分も、亮介も、何も危険な目に遭ってない。何一つ怪我をしていない。探知機にも、目立った部外者の反応はない。周囲の音も穏やかだ。銃声も、血の匂いもしない。なのに、どうして――

 

「では、今回の退場者を発表しまーす! まずは女子7番、佐伯希美さーん」

 

 一呼吸おいた後に担当官が発したその言葉。そのたった一人の名前が、淳一の思考を完全に停止させていた。そして、世界から完全に音が消えた。

 

――今……佐伯の名前が……呼ばれた……?

 

 担当官が呼んだ死亡者の、よりによって一番最初。自身が認めたライバルである佐伯希美(女子7番)の名前が、呼ばれたような気がした。

 

――あいつが……呼ばれた……。死んだ……のか……? あの佐伯が……?

 

 聞き間違いではないか。まず最初にそれを疑った。確認しなければと思ったが、既に三回目となっている放送において、繰り返し死亡者の名前を呼ぶということはしない。だから、確認のしようがない。けれど、あんなにはっきり聞こえたのだから、聞き間違いはほぼ有り得ない。現実的に考えるのならば、佐伯希美は死んだのだ。そのことを受け入れなくてはいけないのに、なぜか心のどこかでそれを拒絶している自分がいる。

 

――あの……殺しても死なないような奴が……死んだ……? 頭脳だけは俺が認めた奴が……俺の知らないところで……? 俺が、ここで休息を取っている間に……?

 

 淳一の頭の中は、完全に希美のことに捕らわれていた。そのせいか、希美に続いて呼ばれた名前も、その次に告げられる禁止エリアのことも、淳一の耳にはまったく入っていなかった。唯一認識できたのは、視界の隅で亮介が必死でメモしていることだけだった。

 そうして、どれだけの時間が経ったか分からない。淳一が少しだけ落ち着きを取り戻した時には既に放送は終了しており、周囲には完全な静寂が戻っていた。

 

「じゅ、淳一……。あの……」
「なぁ、佐伯の名前。呼ばれた……よな?」

 

 心のどこかでまだ信じられないせいか、亮介にこう質問を投げかけていた。そして、それを今の亮介に聞くことが、どれだけ残酷なのかも分かっていた。それでも、確かめずにはいられなかったのだ。もし、本当に、ただの聞き間違いだったとしたら――

 

「……うん。呼ば……れた」

 

 言いにくそうに、けれどはっきりと、亮介は答えた。その瞬間、ああ本当なのかと、ようやく受け入れることができた。

 

「そうか……。呼ばれたのか……」

 

 亮介がはっきりと本当のことを言ってくれたおかげで、もう聞き間違いを疑うことはなかった。佐伯希美が死んだということは、まぎれもない事実。結局一度も勝てないまま、彼女はいなくなってしまった。自分の知らない間に、おそらく誰かに殺されてしまうような形で。そうして少しずつ現実を理解していき、同時にどこか空虚な気持ちを味わっていた。

 希美が呼ばれるときのことを、まったく考えなかったわけではない。こうして誰がどこにいるのか分からない以上、いつどこで死んでもおかしくないのだ。目の前にいる亮介以外の人間のことは、放送が流れるまで今もこうして生きているかどうか分からない。だから、知らない間に死んでいる可能性はおおいに有り得ることなのだ。やる気の人間が確実にいるこの狭い島内では、どこでどんな修羅場が行われているのか。それを淳一たちが知る術はないのだから。

 けれど、もしかしたら心のどこかで、希美が死ぬことはないと思っていたのかもしれない。自分よりも成績がよく、頭の回転も速い。怯えるようなか弱い人間でもないから、そうやすやすと殺されたりしない。どこの誰とも分からない奴に殺されたりなどしない。まだ半分以上生きているこの段階で、こんな早々に死ぬことなんてない。大丈夫。きっとどこかで、いつもの調子で生きている。そう思っていたのかもしれない。

 どうしてそんな根拠のないことを、今の今まで思っていたのだろう。希美だって人間だ。それに頭こそいいけど、運動神経は人並みだけれど、仮にも女の子なのだ。襲われたら、どんなに頭が良くても、どんなに機転が利いても、殺される可能性は決して低くはないはずなのに――

 

――それとも、佐伯が殺されてもおかしくないくらい、こいつは進んでいるってことなのか……?

 

 希美が呼ばれたということは、プログラムも佳境に入っているということなのか。そういえば、他に呼ばれた人間はいるだろうか。そんな疑問を、亮介にぶつけてみた。

 

「他には……誰が呼ばれたんだ?」
「園田さんと……久住さんと北村さん。今回は女の子ばかりで……四人も呼ばれたよ……」

 

 つまり、これで希美を含めて十三人が死に、残りは二十一人。これが順調なのか、それとも進行としては遅いのかは分からない。けれど、希美が死んだという事実は、淳一にある種の危機感をもたらしていた。これから何が起こってもおかしくはないと。

 放送前に感じた身体の異変は、第六感的な何かでそれを感じ取ったからだろうか。何かの予兆だったのだろうか。そんなもの、今まで信じたことなどなかったのに。

 

「……淳一。これ、地図……。俺、一応全部メモしといたから……」

 

 淳一が黙りこんだせいだろうか。亮介が恐る恐るといった感じで、地図を差し出してきた。淳一が呆けている間に放送された禁止エリアの場所を写し取ったものだろう。ありがとうとだけ返事をし、新たに禁止エリアとなった箇所を自分の地図に写し取った。

 亮介の記録しておいてくれた地図によると、一時からG-5、三時からC-6、五時からB-6となっている。淳一たちのいる場所は含まれておらず、当面影響はないらしい。しかし、どんどん東側にある住宅街のエリアが狭まっている。これは、いよいよ誰かに遭遇してしまうかもしれない。

 そんなことを冷静に考えつつも、心のどこかではまだ希美のことが頭をもたげていた。それを察したのか、亮介がこんなことを口にしていた。

 

「淳一……少し休んだ方がいいよ……。顔、真っ青だから……」

 

 自分がそんな提案をすることがおこがましいと思っているからだろうか。その言葉はかなり小さな声で発せられ、言い方もとても遠慮がちだ。けれど、探知機を持っている右手はとても力強く握りしめられている。おそらくこちらが断ることを想定していて、けれどそれを渡して自分が休むつもりはまったくないのだろう。言葉は遠慮しているくせに、そのあたりはとても頑固だ。亮介にしても、ショックがまったくないわけではないだろうに。淳一との関係で、亮介も希美とはそこそこ会話することもあったのだから。もしかしたら希美は、亮介の中で一番近しい女子だったのかもしれないのに。

 心配そうにこちらを見つめている亮介の顔を見ると、安易に大丈夫だという嘘はつけなかった。それが嘘だと自覚している時点で、おそらく本当に“大丈夫”ではないのだろう。鏡を持ち歩くという習慣はないので分からないが、もしかしたら本当に顔色が悪いのかもしれない。いや、亮介がそう言うのだから、実際そうなのだろう。

 

「でも……亮介がずっと見張り……」
「俺はこれくらい大丈夫だから。徹夜だってよくするし、まだ明るいから問題ないよ。それに今最優先すべきは俺のことより、淳一の気持ちを落ち着けることだと思うんだ。だって正直さ、これからどうなるか分からないんだから……休めるときに休んだ方がいいと思うし……」

 

 ああ、亮介も同じことを考えているのだと、その言葉を聞いて思った。希美が死んだことで、いつどこで自分たちも危険な目に遭うか分からないと亮介も考えているのだ。二人にとって割と近しい、そしてクラス一の頭脳の持ち主が退場したころで、危機感はより一層増したということだろう。

 

「俺はさ……」

 

 そんな考え事をしていたら、亮介が続けてこう口にしていた。

 

「淳一や佐伯さんみたいに頭良くないから、こういうときどうしたらいいのか分からないんだ。気の利いた言葉なんてかけられないし、増してや淳一の気持ちを完全に理解……なんてのもできないと思う。だって……何ていうかさ、淳一と佐伯さんの関係ってどっか特別なんだよ。なんか上手く言えないけど、単純にライバルなんて言葉では片づけられないって俺は思ってる。でも友達とか、増してや恋人ってわけでもなくて、その……俺の貧相な言葉じゃ上手く言えないけど……。一番近いのが特別っていうか……」

 

 特別――。その言葉が、何だかとても重く響いた。そんな風に思ったことなんてなかったけど、もしかしたら本当にそうだったのかもしれない。こんなに動揺するくらいなのだから、少なくとも他のクラスメイトと同列ではない。かといって、亮介のようにはっきりとした間柄でもない。きっと言葉には形容しがたい関係だとは思う。でも――

 

「特別……か。そんなこと、思ったこともなかったのにな」

 

 最初は単純に、持っている実力を発揮しない希美にイラついていただけだった。それを希美自身に告げ、その後彼女が真っ向から勝負を挑んできたときは、馬鹿にしながらも今度は面白い奴だと思った。そして次の定期試験で本当に淳一を負かしたときは、悔しさと同時に嬉しくもあった。張り合いのある相手がようやく出てきて、ゾクゾクするような高揚感を味わえたのだから。

 一人の人間に対して、こんなに様々な感情を味わったことはない。一度決まった印象がほぼ覆らない淳一にとって、佐伯希美という人物は稀有な存在だったのかもしれない。それが、特別ということになるのだろうか。

 

「そうやってはっきり言えないんだから、きっとそうなんだよ。だって違ったら違うって、淳一ははっきり言うじゃんか」

 

 そう言ってくれた亮介の言葉で、何かがすとんと落ちたかのような気がした。

 

「そっか……そうかもな。違うって、確かにはっきり言えないもんな」

 

 はっきりした言い方をする淳一が、違うとはっきり言えない。確かに、それは淳一にとって不自然なことだ。だから大丈夫と言えないのも、違うと言えないのも、きっとそれ自体が答えなのだろう。言えないことが答えになるなんて、そんなことは初めてだ。これが試験だったなら、間違いなく不正解なのに。

 

「……ごめん。少しだけ頭整理してくる。きつかったら、いつでも言ってくれ。そのときは代わるから」
「分かった。淳一も交代するときや、何かあったら言って。それまでは、こっちから声をかけないから」

 

 亮介に甘えているようで申し訳なかったけれど、今の状態で見張りをしても危険なだけだ。もし何かあったとき、これでは咄嗟に対処できないだろう。こういう緊迫した状況下では、コンマ一秒の遅れが命取りになる。ただでさえ淳一自身は運動神経がいいとはいえないのだから、せめて気持ちくらいは万全にしておかないといけない。

 そう心の中で言い訳をしていたけれど、でもやはり一番の理由はショックが大きいからだろう。確かに、自分と希美の関係は平素な言葉で言えばライバルだ。でも、きっと辞書で書かれているような単純なものではない。そんなに単純なら、ここまでのショックを受けたりしない。そんな相手の死を聞いたことで、心の整理はしたいと思ったのは事実だ。

 

――何があっても、平常心でいるつもりだったのにな……。

 

 見張りの場所まで戻っていく亮介の背中を見ながら、そんなことを思った。そして同時に、一つのことを思い出していた。

 学校を出発した直後、自分より唯一先に出発した人間。その人間が校門付近にいないと分かったとき、思わず走り出したこと。目的である住宅街へ向かいながら、でも周囲を見渡して、その人間がいないかどうかを探すような真似をしていたこと。その行動に疑問すら感じていなかったけれど、今になって思う。

 

 どうしてもっと、きちんと探さなかったのだろうと。どうしてそのとき一人であった彼女のことを、もっと心に留めておかなかったのだと。

 そしてそうやって後悔すること自体、やはり彼女はどこか特別だったのかもしれないとも。

 

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