届かぬ慟哭

 

――須田くん……?

 

 東堂あかね(女子14番)は、呆然とした表情で歩いていく須田雅人(男子9番)を見て、思わず辻結香(女子13番)を抱きしめる腕が緩むのを感じていた。いつもとはあまりに違う雅人の姿に、呼吸すら忘れそうなほどだったから。

 普段の雅人は、少々頼りない一面はあるものの、本当に真面目を絵に描いたような人だ。サボったことなどもちろんないし、誰かが大変そうにしていれば、率先して手を差し伸べようとするほどの優しさを持ち合わせている。仕事ができるかできないかと言われれば、それはどちらともいえないというのが正直なところだ。けれど、雅人の人のいい優しさと実直さは、あかねに絶対的な信頼を与えてくれ、相棒としてはこの上ない人物だという確信を持たせてくれる。

 慌てる姿や、謝る姿は何度も見たことがある。けれど、あんなに呆然とした雅人を見たことはなかった。雅人と、今倒れている田添祐平(男子11番)の間には、知る限りではほとんど関係性はなかったはずなのに。

 

「田添……?おい……田添……?」

 

 祐平の元へと歩み寄り、傍らにしゃがみこみ、雅人は何度も祐平の肩を揺すっている。もちろん、祐平は何も返してくれたりしない。額に穴が開いた人間が生きているわけがないのだから。それでも雅人は、何度も何度も祐平へと呼びかけている。

 

「田添……?なぁ……田添……」

 

 雅人の言葉尻が、次第にはっきりしなくなっていく。嗚咽の混じったような声で、涙を堪えるかのように唇を噛みしめながら、それでも同じことを繰り返している。まるで――そうすることしかできないロボットであるかのように。

 すると、次第に教室の雰因気が変化していく。あかねにすがりついていた結香が冷静さを取り戻したのか、スッとあかねから身体を離す。泣いていた者の涙を止まり、叫んでいた者を口を閉じていた。中には、冷ややかな目で雅人を見ている者もいる。心なしか、教室内の空気そのものが冷え切ったような錯覚にすら陥った。

 そう、雅人の不可解とも言える行動に、皆冷静さを取り戻しつつあるのだ。そして、いわば無駄な行動をしている雅人に対して、いわゆる"白けた”感情を抱いているのだ。

 

――須田くん……

 

 でも、あかねには分かっている。雅人だって本当は理解していることを。祐平は死んでいて、もう何も返してなどくれないことを。けれど、頭では分かっていても、そうせずにはいられないのだ。

 そうでもしないと、自分がどうにかなってしまいそうだから。

 

「須田くん」

 

 何度も呼びかける雅人の後ろに、寿担当官がゆっくりと近づいていた。そして、静かに声をかける。その声はひどく優しいもので、まるで母が息子にかけるような、そんな慈愛に満ちたもののように聞こえた。

 

「席に……座ってくれるかな?」

 

 その声で、雅人は祐平の身体を揺するのを止めていた。声をかけるのも止めていた。そして、見開かれた祐平の目をそっと伏せさせ、そのままゆっくりと立ち上がる。担当官に真正面から向き合う雅人の目には、涙が浮かんでるように見えた。

 

「どうして……どうして死ななくちゃいけなかったんだ……」

 

 その声色に、あかねは少しだけ鳥肌が立つのを感じた。こんな雅人の声など、今まで聞いたことがなかったからだ。元々男子にしてはキーの高い声が低く押さえられ、まるで怒りを押し殺しているかのような雰因気がにじみ出ている。その表情も、睨みつけるかのように険しいもので、いつもの優しくて穏やかな表情など、どこにも存在していなかった。

 

「田添が……何かしたのか? ここ死ぬほど……殺されなくちゃいけないほど……田添が何かしたのかよッ!!」

 

 今にも掴みかからんばかりの勢いで、押さえきれない感情を吐き出すように、雅人は担当官に食ってかかっていた。祐平を殺したのは、正確には担当官ではない。だから担当官に食ってかかるのは、本来ならば筋違いなのだ。もしかしたら雅人だけ、先ほどの一連のやりとりも耳に入っていないのかもしれない。だから今だに、祐平を殺したのは担当官だと思っているのかもしれない。

 

「そこのクソガキが反抗したからだよ」
「笠井ッ!!」
「担当官、やはりこの者も始末しましょう。プログラムの傷害になりかねません」

 

 先ほど祐平を射殺したその兵士――笠井といったその兵士が、今度は雅人に銃口を向けていた。それに反応するかのように、雅人の近くにいた何人かが距離を取ろうとする。けれど、雅人自身は微動だにしない。それどころか、小さく何かを呟いている。

 

「笠井。何度も同じこと言わせないで。減給されたいの?」
「そ、それは……」
「階級を下げることだってできるのよ。分かったら、その口を慎みなさい。さっさと銃も下ろして」

 

 その言葉通りに笠井兵士が銃口を下げたことを確認してから、担当官は雅人に優しく声をかけていた。

 

「うん、田添くんは何もしてないよ。言っていることも、間違っているわけじゃない。さっきのは完全にこちら側の過失。本当にごめんね」
「謝ってすむ問題じゃ……」
「うん、分かってるよ」

 

 本当に申し訳なさそうに謝罪する担当官に、雅人は再び罵声を浴びせようとする。しかし、その前にその内容が理解できていたのか、雅人の言葉を遮るかのように担当官が再び口を開いていた。

 

「謝ってすむ問題じゃないってことくらい、分かってるよ。けどね、そうする以外どうすることもできないの。私は神様でも何でもないから、田添くんを生き返らせることなんてできない。だから、謝ることしかできないんだ」

 

 担当官はそう言って、そっと雅人の手を取ろうとする。しかし、雅人はその手を思いっきり振り払っていた。ここまではっきり拒絶する雅人の姿など、見たことがない。今まで知らなかった雅人の色んな姿に、なぜか言いしれぬ不安が広がっていく。

 

「須田くんは優しいね。そういうところ、いいところだと思うよ。……けれど、今は座ってくれないかな?」

 

 なだめるかのように、優しく労るかのように、担当官はそう声をかける。けれど、雅人はその言葉には従わなかった。それどころか、握りしめた拳を振り上げようとする素振りまで見せている。その間にも、先ほど祐平を射殺した笠井という兵士の右手が、下ろされたはずの右腕が、ゆっくりとまた上へと上がっていく。

 

――ダメッ!! 須田くん、お願い座って!!

 

 このままでは、雅人までもが死んでしまう。もう誰かが死ぬ瞬間なんて、増してや今まで一緒にクラス委員をやってきた相棒の死ぬ瞬間など、見たくない。あかねは大声で雅人へ声をかけようと思った。けれど、思ったよりも上手く言葉が出てこない。それどころか、勝手に呼吸が乱れていく。

 内心焦っていたそのとき、静かに声を発した人物がいた。

 

「止めろ」

 

 静かで通る声。あまり聞いたことのない声。その主は普段はおとなしくて目立たない、今は雅人の前の席に座っていた末次健太(男子8番)のものだった。

 健太は、そのまま静かに立ち上がって雅人の元へと歩み寄る。そして、グッと雅人の右手を押さえつけていた。

 

「死にたいのか?」

 

 その言葉に、雅人は返事をしない。けれど、健太はかまわず続けていた。

 

「ここでお前まで死んだらどうなる? ここで死ぬことが、今するべきことなのか? お前が田添だったなら、ここでまた誰かが死ぬことを望むのか?」

 

 最後の一言で、初めて雅人に反応が見られた。ハッとしたような表情になり、そこでようやく健太の方へと視線を合わせる。そして健太は、雅人から視線を逸らさずに、続きを口にしていた。

 

「気持ちは……分からなくもない。けど、今何をすべきか考えろ。ここでお前まで死んだら、今のお前のように、悲しむ人がいるだろ」

 

 健太の言葉に、雅人は一筋の涙を流していた。そして、視線をゆっくりと動かしていく。クラスのみんなの顔を確かめるかのように、一人一人の顔を凝視している。そしてあかねの方を見たところで、その動きは止まっていた。

 ダメだという意味を込めて、あかねは一生懸命首を振った。視界が歪んでしまうほどに首を振った。そのとき、目から涙がこぼれ、頬を伝った。それでも、あかねは首を振り続けていた。

 あかねの動きを見た雅人は、そこでようやく健太に返事をした。

 

「……分かったよ」

 

 それだけだったが、健太は掴んでいた手をすっと離した。

 

「……ごめん」

 

 静かに謝罪の言葉を口にした後、雅人は自分の席へと歩いていった。健太も、その後に続く形で戻っていく。

 

「ありがとう、末次くん」

 

 歩いていく健太へ向かって、担当官が優しく声をかけていた。すると、健太は足を止めて、担当官の方へと視線を合わせる。

 

「……分かってるよ。でも、お礼は言いたかったから。優しいね。末次くんも、もちろん須田くんも」

 

 健太の雰因気で察したのか、そう言葉を付け足していた。それに健太は返事をすることもなく、そのまま自分の席へと腰掛ける。椅子を動かすガタンという音が、やけに大きく響いていた。

 

「はいはーい、みんな席に座ってー! 今から出発してもらうからねー!」

 

 説明するときの口調へと戻り、再びプログラムを進行しようとする。全員が黙ってその言葉に従った。それどころか、もう発言する素振りを見せる者も、増してや拒否しようとする者もいなかった。皮肉なことに祐平が殺されたことで、もう誰も反論すらできなくなっていたのだ。

 

「ではでは、これから一人ずつ出発してもらいまーす! さっきも言ったけど、ここから出発したら各自自由に行動していいからねー! タイムリミットの問題はあるけど、これから日も暮れてくるし、しばらくは様子見ってのもありだからねー!」

 

 そう明るく告げる担当官の言葉を聞きながら、あかねはギュッと拳を握りしめる。これからのことを考えると、憂鬱な気持ちになる。四月から仲良くやってきたクラスメイトと殺し合いをしなくていけないことなど。最後の一人を残して、他のみんなが死ななくてはいけないことなど。

 

 そんなの、絶対に認めない。

 

――私は、殺し合いなんてしないんだから!

 

 そう固く決意する中で、心にひっかかりを感じることがあった。それは、先ほど雅人が小さく呟いたこと。元々、あかねは五感に優れている。それでもはっきりとは分からなかったけど、何となくこう言っているように聞こえた。

 

「何も……何も知らないくせに……」

 

 その言葉が、やけにひどく、頭の中で反芻していた。

 

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