孤独のシンパシー

 

――どうしよう……。考え事をしていたせいで、こんなに近づかれるまで気づかなかった……。

 

 宮崎亮介(男子15番)は、探知機に視線を落としたまま、迫り来る事態にどう対応したらいいか必死で考えていた。探知機が示すのは、あくまでその範囲の中にいる人の存在だけ。それが誰であるか、男子か女子かすらわからない。増してや、やる気かどうか判別するなど困難だ。

 

――淳一に聞いてみるか……? でも、移動するにもこの距離じゃ相手に気づかれてしまう。やりたくないけど、もし戦闘とかになってしまったら、こっちには鉄串しかない。素手だったらまだしも、もし銃とかだったら……!

 

 一瞬、近くにいる澤部淳一(男子6番)に、どうするべきか聞くことを考えた。けれど、佐伯希美(女子7番)の名前が呼ばれた放送から、まだ三十分も経っていない。そんな短い時間で立ち直れるはずがない。それなのに、自らの不注意で招いた事態の処理を頼むことなどできるはずもなかった。

 

――もしかしたら、こっちにはこないかもしれない。もう少しだけ、もう少しだけ様子をみよう。

 

 食い入るように探知機を見つめ、動くマークが遠ざかってくれることを切に願った。しかし、そんな亮介の願いもむなしく、マークはどんどんこちらの方へと近づいてくる。

 

――どうしよう……。この小屋、出入り口は俺のいるドアだけだし、淳一のいるところはここからじゃ見えない。何かあったら、俺一人で対抗するしか……!

 

 近くの机に置いてあった鉄串を手に取り、何があっても動けるようにドアの前に立った。ここが住居ではなく農具を入れる小屋であるせいか、ドアには鍵が存在しない。つっかい棒はしているものの、これはほんの気休めだ。強硬手段を取られたら簡単に破られてしまう。そのわずかな間に、相手がやる気かどうか知ることはできるのだろうか。いきなり攻撃された場合、即座に対抗できるのだろうか。そもそも、相手はここに人がいることを知っているのだろうか。その全ての疑問の答えは、相手がドアを開ける瞬間まで分からない。

 

――何かあったら、淳一は窓から脱出できる。俺がここで足止めして逃げるように言えば、少なくとも淳一が殺されるようなことはないはず……!

 

 探知機のマークは、どんどんこちらの方へと近づいてくる。自分たちを示すマークと重なりそうなところまできている。それに合わせるかのように、心臓の音がうるさく聞こえてくる。鉄串を握った手のひらには、いつのまにかじっとりとした汗をかいている。

 

――どうか、やる気の人間じゃありませんようにッ……! できれば加藤とか、須田とか東堂さんでありますように……!

 

 そう心の中で願った次の瞬間に、目の前のドアが強引に破られていた。同時に、こんな声が聞こえてきた。

 

「たっ、たたた助けてッ……!」

 

 予想に反した救いを求めるような声に唖然とした。やる気かどうかということしか考えていなかったため、助けを求められるとは夢にも思っていなかったのだ。

 

「え、えっと……その……」
「宮崎……宮崎なのかッ! お前はやる気じゃないよな! 俺を殺そうとか思わないよなッ! 俺を助けてくれよ!!」

 

 その相手は小屋に入ってきた途端、亮介の制服の胸倉を掴み、鼓膜が破れそうなほど大声で叫んでいた。それは喧嘩のときに使う恫喝というより、救いを求めて相手に縋り付くようなものだった。その突発的な出来事のせいか、相手が誰かという最も重要なところに気づくのに、しばしの時間がかかってしまった。

 

「お前……広坂……?」

 

 今、亮介の目の前で泣きそうになっている人物は、これまでさほど接点のなかった広坂幸治(男子13番)だった。幸治はクラスの中で最も高身長なせいか、膝がついた状態でも亮介の胸元までその顔が届いていた。だからだろうか。その必死な形相がすぐ目の前にあり、その迫力にこちらは完全に気圧されてしまっている。

 

「そうだよッ! 見りゃ分かるだろッ! なぁ頼むよ、俺を助けてくれよッ!!」
「助けるって、お前別に誰かに追われているってわけでも――」
「亮介、何かあったのかッ?!」

 

 幸治とそんなやり取りを続けていると、奥のドアから勢いよく淳一が飛び出してきていた。同時にしまったとも思った。幸治がこれだけ大声で騒いでいるのだ。ドア一枚隔てたくらいでは、この事態に気づかない方がどうかしている。

 

「淳一……。あの、これは……」
「さ、澤部……? 何でお前がここに……?」
「それはこちらのセリフだ」

 

 幸治の存在を認識したのか。少しだけ眉間に皺を寄せた状態で、淳一はこちらの方へと近づいてきた。その雰因気が怒っているように見えてしまい、少しだけ怖いと思ってしまう。

 

「先に来ていたのは俺たちの方だ。後から来たお前に、とやかく言われる筋合いはない」
「俺たちって……。宮崎、お前まさか澤部と一緒にいるのか?」

 

 幸治の質問の対象が淳一から亮介へと変更されたことで、一瞬だけ沈黙が訪れる。その質問に答える形で、亮介は首を縦に振っていた。

 

「な、なんでだよ……! なんでこんな奴と一緒にッ……!」
「うるさい。ゴタゴタ文句を言う暇があるならとっとと出て行け。お前の居場所はここにはない」

 

 淳一はそう言って、今まで亮介の胸にしがみついていた幸治の身体を無理矢理はがし、ドアの向こうへと追いやっていた。しかし、幸治はそのまま素直に去っていくということはしなかった。それどころか、今度は淳一に縋り付いていたのだ。

 

「も、もももうこの際澤部でもいい! お前ら一緒にいるってことは、やる気じゃないんだろ?! じゃあさ、俺も混ぜてくれよ! もう一人は嫌なんだよッ!!」
「さして知りもしないお前のことを、そんな簡単に引き入れると思うな。俺はお前を信用しない。いつ寝首をかかれるか分からん相手を側においといてやるほど、俺はお人好しじゃないんだ」
「そんなこと言わないでくれよッ! あ、あれか? もしかしてプログラムをどうにかしようとしてんのか? じゃあ俺も混ぜてくれよ! 何でもする! 何でもするから!!」
「そう言われて、はいそうですかって言う人間がいると思うな。自分勝手な奴は嫌いだ」

 

 淳一に冷たく突き放されても、幸治はなおも縋り付いていた。ここまで動揺しているということは、出発してからこれまでの間に何か怖い思いをしたのかもしれない。なら、怖くて震えても仕方がない。それが一人ならなおさらだ。そこまで考えたところで、亮介にある疑問が浮かんでいた。

 

「なぁ広坂。須田はどうしたんだ? お前の次、須田だったよな? もしかしてはぐれたのか?」
「は、雅人? 知らねぇよ、あんな奴。そんな奴のことはどうでもいいからさ、俺を助けてくれよぉ……!」

 

 確かクラス委員である須田雅人(男子9番)は、幸治の次に出発している。てっきり仲のいいこの二人は一緒かと思っていたが、聞く限り幸治は待たなかったということなのか。雅人のことを信用できなかったのか。それとも、待つこと自体が怖かったのか。

 亮介の中で雅人は、誰が乗らないかと聞かれた時すぐに名前が挙がるほど信用できる人間だ。真面目で、いつも一生懸命で、誰かのことを悪く言ったりしない。時々失敗したり頼りないところはあるものの、それがどこか自分と重なってしまうせいか、それを悪く思うどころか一種のシンパシーすら抱いていた。だから雅人を信用こそすれど、疑うことはなかった。増してや、仲のいい友人同士なら尚更そうだと思っていた。

 

「ダチである須田のことも信用できねぇ奴が、俺たちのこと信用するってのか? それはまぁ虫のいい話だな。お前はそうやって、有馬のことも切り捨てるんだろうな」
「孝太郎は別だよ……。孝太郎だけは絶対に信じられる。孝太郎だけが、俺の友達なんだ」

 

 それは、暗に雅人は友達ではないということだろうか。いつも一緒にいるのは、有馬孝太郎(男子1番)に合わせていただけなのか。それを雅人が知ったらどう思うのだろうか。その心中を推し量ったら、何だかとても悲しい気持ちになった。

 

「それはつまり、俺たちのことは信じてないってことになるな。ついさっき自分の言ったことすら責任を持てないような奴のことを、信じろっていう方が無理な話だ。さっさと出て行け。それと、もう二度と俺達に関わるな」
「そ、そんなこと言わないでくれよ!! 頼むから、俺を匿ってくれよ!!」
「無理なもんは無理だ。大体お前みたいなタイプを、俺は最初から信用してない」

 

 幸治が地べたに這いつくばりそうな勢いで懇願し、それを淳一が跳ねのける。そんな押し問答が、もう数分も続いていた。確かに淳一の言う通り、友人である雅人のことをどうでもいいといった人間を亮介たちが信用できる材料はない。それに思い返してみれば、幸治はいつも孝太郎にくっついていて、何をするにおいても孝太郎を通していた印象が強い。

 そもそも、淳一はそういったタイプの人間が大嫌いだ。雅人のこともどこか気に食わないらしいが、それ以上に幸治のことは嫌いらしい。だから淳一がここまで冷たく突っぱねるのも分かるし、言っていることも理論的だ。我が身の安全を最優先で考えるのなら、あまり信用できない人間は引き入れないことが身のためだろう。そう、現実的に考えるならば。

 

――でも、これでいいんだろうか……?

 

 さして関わりのない亮介たちに助けを乞うこと自体、幸治が追い詰められている証拠ではないだろうか。そんな人間を、保身のために追い返していいのだろうか。家族のことで追い詰められていたかつての自分の姿が、次第に幸治の姿と被っていく。

 

『ゴメンなさい……! 僕が悪かったから、だから怒らないで……! 殴らないで……!』

 

 誰にも打ち明けられなくて、いつも家族に卑下されてきた。ずっと孤独だった。学校で誰かと一緒にいても、心の中ではどこか空虚だった。それが埋められたのは、間違いなくあの時の救いの手だ。

 一人は怖い。その怖さを、自分はよく知っている。誰も手を差し伸べてくれなかったら、今もこうして生きていられたか分からない。それを知っているのに、目の前の人をその闇に追いやってしまっていいのだろうか。

 

「お願いだよッ……! 孝太郎が見つかるまででいいから……! 孝太郎が見つかったら、俺はここから出ていくからッ!!」
「その保障がどこにある? とにかく、さっさとどこかに行ってくれ。俺はこれ以上お前とは――」

 

 一緒にいたくない。おそらくそう言おうとした淳一の言葉を、亮介は肩を掴むことで遮っていた。

 

「亮介……?」
「淳一、俺からも頼むよ。広坂のこと、匿ってやろうよ」

 

 何を言っている。そう言わんばかりの表情で、淳一は亮介のことを見つめていた。いや、正確には怒っていたのかもしれない。もしかしたら、どうしてそんなことをしなくてはいけないのだと、そんな風に疑問に思っていたのかもしれない。

 

「どうしても広坂が信用できないのなら、休憩は一人だけにして、見張りは二人ですればいいよ。そしたら、どちらかは広坂を見ていられる。有馬がここに来れば出ていくって言ってんだから、それまででいいじゃないか」
「本気で言ってんのか……? なんで俺達がそこまで……」
「一人は怖いんだ。当たり前だ。俺だって怖い。そう言っている人間を、俺は放り出せない」

 

 言葉を口にしても、返事が返ってこない。手を伸ばしても、誰にも触れることはない。視界に映る景色を、誰とも共有することはない。ここに自分はいるのに、誰にも認識してもらえない。亮介にとっては、誰かに殺されるかもしれない恐怖よりも、一人でいることの方がずっと恐ろしい。それを嫌というほど分かっているのに、その闇に他人を追いこむことなどできない。それがさして関わりのない相手だったとしても、裏切るかもしれない相手だとしても、自分が加害者になってはいけない。そう思った。

 

「もし何かあったときは、全て俺の責任にしてもらっていいから。絶対淳一は死なせないから。それじゃダメか?」

 

 この言葉に淳一は何か反論しようとしたけれど、亮介の顔を見て何があっても退かないと理解したのだろう。盛大に大きな溜息をついていた。

 

「だから……死なせないって何だよ……。さっきから言ってるだろ。一人で帰っても意味ないって」
「ごめん」

 

 発言の訂正はせずに、一言だけ淳一に謝罪した。そして、今度は幸治に向かってこう言っていた。

 

「今言った通りだ。見張りは二人でする。あと、俺達はここを動かない。有馬を探したりしない。ここに有馬が来れば、お前は出て行けばいい。そういう条件でいいなら、ここにいてかまわない」
「えっ……。動かないのか……?」
「俺たちはずっとそうしている。それが嫌なら、別に無理強いはしない。言っておくが、お前が匿ってくれというから匿うんだ。それが嫌なら、別に出て行ってもらっても――」
「分かったッ! 分かったから!! それでいいから!!」

 

 亮介の言葉に一類の希望を見出せたからだろうか。それとも最後のチャンスだと思ったからだろうか。こちらが全て言い終わる前に、幸治は慌ててこちらの条件を呑んでいた。

 

「ここに匿う上で、俺から二つ条件がある。一つは、いつ出て行ってもらってもかまわないけど、必ず俺達に声をかけてくれ。突然いなくなられると、こっちも心配になる。一応ここで徒党を組むような形になるんだから、そこは礼儀としてちゃんとしてほしい」
「わ、分かった……」
「あと、もう一つだけど」

 

 そこで、一度言葉を切る。そして、深呼吸をする。今まで使ったことのない言葉を、それもあまり使いたくない言葉を口にしようとしているせいか、先ほどとは違う意味で緊張する。覚悟を決めて大きく息を吸ってから、亮介はゆっくりと口を開いた。

 

「絶対に、俺達を裏切らないでくれ。俺達は、お前を殺すようなことはしない。だから、お前も俺達を殺そうとしないでくれ。そんなことされたら……俺はお前を――」
「わ、わわわ分かったッ!! 分かったからッ!! それ以上は言わないでくれ!!」

 

 亮介の言わんとすることが理解できたのか、遮るような形で幸治は了承した。それは、こちらの意図が伝わったというよりも、恐怖を突きつけられることへと拒絶のようにも思えた。

 

「……ごめん、淳一」
「まぁ……お前がそこまで言うなら止めないけどよ……」

 

 亮介がそうした真意を察したのか、淳一も渋々といった形で了承した。亮介の心境をどれだけ理解しているか分からないが、それなりに理由があるということは察してくれたのだろう。

 話し合いの結果、それまで一人だった幸治を先に休ませ、その後淳一、亮介という順番で三時間置きに交代で休息するということで落ち着いた。そして、身体検査も兼ねて幸治の武器を確認したところ、何と当たりの部類である銃だったのだ。見張りの者がそれを持つべきだという淳一に押し切られる形で、幸治は渋々こちらへ銃を渡していた。代わりに亮介の支給されていた鉄串を持たせたが、幸治は「これじゃ不公平だ」とぶつぶつ言いながら仕方なく受け取っていた。

 幸治が先ほどまで淳一のいた部屋へ入ったことを確認した後、こうなった経緯と探知機の確認を怠ったことへと謝罪をしたが、淳一はもうそれ以上言うなと言うだけに留めた。

 

――部外者を引き入れた以上、これから何が起こってもおかしくないんだ……。でも、何があっても淳一だけは死なせないようにしなきゃ……!

 

 淳一と見張りをしながら、亮介は心の中で色々考えていた。この選択が正しいかどうか分からない。いや、おそらく正しくはなくて、下手をすれば自分らの命を縮めてしまう行為だ。それでも、確信のない未来の安全よりも、目の前の人を救うことを選んだのだ。その責務は、何があっても果たさなくてはいけない。

 たとえこの命が潰えることになろうとも、この希望の光だけは消させやしない。

 

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