自尊心

 

 先ほどの放送で、現在生存しているのは二十一人。プログラムが始まってから既に十八時間以上経過しているが、まだクラスメイトの半数以上は残っている状態だ。その中で、自分が出会ったのはたった一人。加えて怪我一つしていないのだから、おそらく運は悪くない方だろう。おかげさまというべきか、願望とは裏腹に身体は至って健康そのものだ。

 だが、動けるエリアは時が経つにつれて除々に狭まっている。先ほどの放送でも新たに三つの禁止エリアが指定され、これで入れないエリアは合計十個になった。ここまでくれば、移動を余儀なくされた人間も何人かいるだろう。なら、そろそろ別の誰かに遭遇するかもしれない。

 

――けれど、俺にとってはどうでもいいことだな。だって武器もないし、足が速いわけでも、増してや頭がいいわけでもないんだから。誰かに殺されそうになったら、潔く諦めた方が何かと楽かもなぁ……。

 

 エリアA-4にいる五十嵐篤(男子2番)は、大木にもたれて休息を取りつつ、そんなことをぼんやり考えていた。

 

――誰にも会わなけりゃどこにいても同じだし、静かに過ごせるならそれでいいか。別に会いたい人もいないし、誠吾には二度と会わないだろうし。そういえば、あいつ今どうしているかな……? それに、あれをどう使うつもりなんだ……?

 

 下柳誠吾(男子7番)と別れてからというもの、ふらふらと当てもなく彷徨い、疲れたらこうして休息を取ることを繰り返している。死に急いでいるかと言われればそういうわけでもなく、かといって生きる気もないのは相変わらずだ。おまけに武器は誠吾に取られてしまっているため、今は完全なる丸腰状態。やる気の奴に会ったら、その瞬間におそらくゲームオーバーだ。

 だからこそ考えてしまう。そういう人間に出会ってしまった場合、無抵抗におとなしく殺された方が、何かと苦しまなくてすむのではないかと。

 

――抵抗したって、どうせ助からないし……。

 

 それは最初からぼんやりと考えていたことだけれど、誠吾に会った後はそのイメージがより鮮明に描かれている。“生きるために仕方なく人を殺すことを選んだ人間”に会おうと考えていたことなど、今となってはどうでもいいことだ。

 死にたくなくても死んだ人間がこんなことを聞けば、なんと不謹慎な考えなのだと憤慨するのかもしれない。けれど、世の中というものは、残念ながらそういう風にできているのだ。生きたくても生きられない人もいるし、死を望んでもそれが叶わない人もいる。望んだ通りに事が運ぶなどと考える方が、篤から見ればよっぽど憤慨ものだ。

 

――それにしても暇だな……。まぁ、暇ってことは何もないってことなんだから、ある意味平和でいいことかもしれないけど。

 

 大木にもたれかかりながら首だけ上に動かし、空を仰ぐ。木々の隙間から見える透き通るような青い空が、この状況にはとても不釣り合いに思えた。むしろ曇天なくらいな方が、プログラムに相応しいのではないだろうか。それはそれで気が滅入りそうだが。

 

――あー、でも雲がちょっと多い気がする……。もしかして、これから天気悪くなったりして。雨が降ったりしたら、みんなどうするだろう……? どっか室内で雨宿りとかするんだろうけど、やる気の奴は変わらず動いたりするのか? 時間制限もあるし。まったく御苦労なことだな。それでもし死んだりしたら、ホント無駄な努力だろうに……。

 

「あれー? そこにいるのはだーれぇ? 何だか知らない人がいるみたいだけどー?」

 

 雲の多い青い空を視界に映したまま、耳だけその声に反応した。キーの高い女の子の声。向こうが知らないと言っていたが、こちらも声だけでは分からない。男子のことすら完全には把握していないのだ。女子のことはなおさらである。

 

「あんたこそ、誰?」
「えー? 私のこと知らないのー? クラスメイトなのにー?」
「あんただって、俺のこと知らない人って言ったろ? お互い様だ」
「あっ、それもそっか。でもさ、せめてこっち向いてよー。顔見せてくれなきゃ、誰か分かんないってー!」

 

 大変面倒だと思ったが、相手の言っていることはもっともだ。やれやれといった感じで、篤は仕方なく声のする方へと顔を向けた。高めの位置での二つ結び、パッチリとした大きな瞳、かなり小柄な体型の女の子。本当に同級生かと疑ってしまうほどに幼い容姿だ。けれど、理解したのはそこまでで、やはり誰かは思い出せなかった。

 

「やっぱ分かんない。あんた誰?」
「えー? 私だよ私、真田葉月だよっ! 一年近く一緒にいて、その反応はひどいんじゃないのー?」
「真田……ね。じゃ聞くけど、あんたは俺が誰か把握してんの?」
「んー? わっかんなーい」

 

 自分のことは棚に上げて、その反応かよ。心の隅でそう思ったが、言葉にはしなかった。目の前にいる真田葉月(女子8番)とやらにそんなことを口にしたところで話は進まないし、時間の無駄だ。

 

「……五十嵐篤。一応俺、あんたよりも先に出たんだから、そのくらい覚えておいたら?」
「あっ、あの五十嵐くんかぁ! 思い出した、思い出した! 確かいつも教室で寝てた人だよねー? もしかして、今もお昼寝真っ最中だったのー?」

 

 名前は思い出せなかったくせに、そういう余計なことは覚えているのか。そういえば、女というものは細かいことをよく記憶していて、それが不愉快なものであるほどずっと覚えていると聞いたことがある。まさかこの状況下で、それを実感することになろうとは。

 

「……まぁ、そんなところ。というわけで、さっさとどっかに行ってくれない? あんた邪魔なんだけど」
「えー? 女の子相手にそれはひどいんじゃなーい? 葉月は聞きたいことがあって、五十嵐くんに声かけたのにー」
「知るか。全身血だらけ女の聞きたいことなんて、どうせろくなもんじゃない」

 

 葉月の小柄な身体を覆い尽くす赤い色。この状況下で、それが何なのかは容易に検討がつく。赤いペンキなどという回答は、ここでは絶対にありえない回答だ。

 

「やだなー。葉月はただー、咲ちゃんや秋奈ちゃんを見なかったかって聞きたいだけだよー」

 

 声のトーンや調子を変えることなく、葉月はそう返した。普通の人間であれば、篤の言葉に多少なりとも動揺しそうなものだが、見る限り葉月にはそれが見えない。それどころか、どこかこの状況を楽しんでいる節すらある。いや、実際本当に楽しんでいるのかもしれない。でなければ、こんな風に明るく振る舞うことなどできるはずがない。

 そこでふと思った。もしかしたら、教室で背筋がゾクリとするような笑みを浮かべた有馬孝太郎(男子1番)も、葉月と同じような部類の――

 

「知らない」

 

 それ以上考えることは止め、端的にそう返した。実際女子にはこれまで会っていないし、それに“咲ちゃん”や“秋奈ちゃん”がどんな人物なのか、ほとんど把握していないからだ。

 “咲ちゃん”のことこそ、篤よりも先に出発した小野寺咲(女子4番)のことだと理解できる。しかし“秋奈ちゃん”のことは、フルネームや容姿も含めてまったく分からない。分からない相手のことなど、見たところで認識できるわけもない。

 

「そっか、知らないんだ。私の友達なんだけどなー」
「用件は済んだだろ。さっさとどっかに行ってくれ」
「ダーメ。五十嵐くんだけ特別扱いできないよー」

 

 何の事だと一瞬思ったが、すぐにその意味を理解した。全身に纏う赤い色が、それを否応なしに証明している。

 

――こいつはやはり、“あちら側の人間”ってことか。

 

 しかも葉月の発言からして、出会った人物は誰であろうと襲っているということだ。優勝するために自分以外の人間は全員死ななくてはいけないのだから、それは当然といえば当然だ。しかし、葉月の雰因気から察するに、それだけが理由ではないだろう。

 

「……聞いてもいいか」
「ん? 何ー?」
「あんたが人を殺して回っている理由は?」

 

 どうせ死ぬなら、と軽い気持ちで疑問を口にした。けれど心のどこかで、篤の期待するような答えは返ってこないと予感してもいた。仕方なくとか、プログラムだからという答えが返ってくるのならば、そんなに明るく楽しそうにしていられるわけがない。

 

「別に殺して回っているわけじゃないよ。葉月はね、ただ純粋に赤が見たいだけだよー。映画で観るようなシーンを、ただ自分の手で再現したいだけっ!」
「……それが、理由なのか?」
「そうだよーん」

 

 理解できなかった。いや、そもそも理解できるとは思っていなかったけど、これはさすがに篤の想像の域を超えていた。生きるためでも、増してやルール上仕方なくでもなく、純粋に自分の欲望のためだけに葉月はプログラムに乗ったということか。良心の呵責を感じることも、人の死に心を痛めることもなく。

 

「まったくもって理解できないな。そんなに人を殺すことが楽しいのかよ」
「そぉ? 葉月は、ただやりたいことやっているだけだよ? それのどこが理解できないの?」
「じゃ聞くが、無差別に人を殺しているくせに、どうして咲ちゃんや秋奈ちゃんとやらを探すんだ? 友達なんだろ? それとも、もう友達でも何でもないってか?」
「そんなの決まってんじゃん! 咲ちゃんや秋奈ちゃんの赤が見たいからだよー。だって、きっと二人ともすごく綺麗な色をしているからさー」

 

 予想の斜め上を行く回答に、思わず「はっ」という笑いがこぼれた。友達だから、きっともっと綺麗な赤い色だから、だから敢えて殺してその色を見るとでもいうのか。理解どころか、その言葉の意味を呑みこむことすら困難だ。

 そこまで考えたところで、自分にもある程度の常識とやらが備わっているのかと、妙に感心してしまったが。

 

「あんたみたいな狂った女に殺されたんじゃ、その友達とやらもたまったもんじゃないな。同情するよ、その二人に」

 

 自分のように死にたがっているのなら、まだマシなのかもしれない。けれど、自分のようなタイプがそう多くいるとも思えない。これまで放送で呼ばれていないことを踏まえても、生きたいとは思っていても死にたいとは思っていないはずだ。果たしてその二人がプログラムに乗っている側の人間かどうかは分からないが、それでも葉月のこの考えは想定外だろう。

 

「やだなー。別に五十嵐くんには関係ないことじゃーん」
「そうだな。関係ないな」
「でしょー? だからさー」

 

 そう言った後、右手に持っていた斧をブンッと一回振る。その斧には、人を殺したことを証明するかのように赤いものがベットリとこびりついていた。隠す気も、道具を手入れする気もないのか。元々そんなマメなタイプでもなさそうだが。

 

「そのままじっとしててねー。すぐ終わるからさー」

 

 明るく楽しそうに、ついでに満面の笑みで、葉月はこちらに近づいてくる。それを見て、篤はゆっくりと立ち上がった。

 

「あーッ! じっとしててって言ったじゃーん!!」
「はいとは言っていないだろう。そもそもあんたみたいな人間の言うことを、どうして俺が聞かなきゃいけないんだ」

 

 パッパッと土ぼこりを軽く払った後、横に置いていた荷物を肩にかける。荷物といっても、入っているのは食糧と飲料くらいなものだが。

 

「でもでもぉ、五十嵐くんは別に生き残りたいわけじゃないんでしょー? でなきゃ、こんなところで昼寝なんかしないよねー」

 

 葉月が続けて言った言葉に、篤は思わず苦笑した。なんとまぁ、痛いところをついてくる。女というのはどこか鋭い一面があるらしいが、どうやらそれは本当だったようだ。

 

「まぁ、確かにな」
「じゃあさ、葉月に何されても別に問題ないでしょー?」
「そうかもな」

 

 確かに、葉月の指摘は正しい。篤は生き残りたいわけではない、むしろ死ぬことを暗に望んでいた。その理屈で言えば、葉月に傷つけられようが殺されようが、何ら問題はないはずだ。

 

「けどな」

 

 葉月にこれ以上何かを言わせまいと牽制する意味も込めて、少しばかり声を張り上げる。その瞬間、計ったかのように風が吹き、地面に落ちていた木の葉を舞い上げた。そして訪れた刹那とも呼べる沈黙の間に、周囲に他の人がいないことを素早く確認した。

 

「残念ながら、人を殺すことに何の罪悪感もない奴に無抵抗で殺されるほど、俺はお人好しでもないんでね」

 

 そう言い切るのと同時に、篤は走り出した。走るなんて疲れるし、逃げたからといって殺されない保障はないが、それでも無抵抗でただ殺されることだけはゴメンだった。

 

「……あーッ! 待ってよぉ! 逃げないでよー!!」

 

 一瞬の沈黙の後、葉月は大声で静止を呼び掛けていた。篤の行動が意外だったのか、その声色には今までなかったような焦りが混じっている。もちろん、それは篤の知ったことではない。

 

――あーッ! 大声出すんじゃねぇ! またお前みたいな変な奴に見つかんだろうが!!

 

 葉月みたいな人間に会うなんて、不運以外の何物でもない。確かに死ぬことを望んでいたけれど、それでも子供が玩具をぞんざいに扱うような形で殺されるなんてゴメンだ。そのくらいの自尊心は、まだ篤にもあるのだ。

 

――どうしてこうも両極端な奴にしか会わないんだッ! もっとまともな奴はいないのかよ!!

 

 慣れない全力疾走で駆けていく中、視界の真正面に誰かが映りこんだ。小柄な体型でズボンを履いているらしいというところまで分かったが、何せ全力で走っているせいで、目に映る情報を上手く認識できない。そこにいる人物が誰であるかということすら分からないまま、気づいたらその人の腕を無理矢理掴み、そのまま走り続けていた。

 

「えっ……? こ、これは……?」
「訳は後で説明してやるから、今はとにかく走れ! でないと殺されるぞ!!」

 

 最後の一言が効いたのか、篤に腕を掴まれている人物は抵抗することなく、黙ってその言葉に従った。しかし、篤のスピードについていけないのか、時々バランスを崩したかのようにふらついている。それを気遣う余裕などあるわけもなく、そのまま強引に走り続けていた。

 

「君……五十嵐くんだよね……? どうして僕のこと……?」
「全部後で説明してやる! とにかく走ることだけ考えてろ!!」

 

 相手に質問にかなり乱暴に答えてしまったが、実際説明している余裕はない。それ以上のことは言わず、篤はただ走り続けていた。とにかく、遠くの足音が完全に聞こえなくなるまで、一瞬たりとも油断できない。

 ただ今のやり取りで、篤には今この手でつないでいる人物が誰か判明した。篤の中で半数ほどしかいない、声と名前と容姿が一致する人物。篤より前に出発した、それもあのマシンガンの銃声よりも前に出発した――数少ない人物。

 

――こいつ、確か……冨澤って奴か……?

 

 篤の記憶と聞き間違いでなければ、今この手につながれているのは冨澤学(男子12番)という名のクラスメイトであるはずだった。

 

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