かすかに聞こえる銃声。それに合わせるかのように響く、鳥たちの羽ばたくような音。それに混ざって何か鳴き声が聞こえたような気がしたが、それが何かは分からない。けれど、それは一瞬の出来事で、足音に気をつけなければならない静寂が戻るのにそう時間はかからなかった。
橘亜美(女子12番)は、一瞬だけその方角に視線を向けたが、すぐにそれを元に戻した。聞こえるか聞こえないかくらいの銃声であるならば、今から向かったとしても間に合わない。正確な場所も分からないし、同じようにしてやってきたやる気の人間と鉢合わせしてしまう可能性だってある。手かがりのある方へ行くことが人を探す上では効率がいいのだろうが、さすがにリスクの大きすぎる選択はできない。自分が生きていること、それもなるべく無傷で生きていることが重要なのだ。
下手な戦闘はするべきではない。無事でいられる保証はないのだから。それにこちらが何もしていなくても、仮に怪我一つしていなくても、服についた返り血一つで何かと疑われる世界なのだ。
――とは言っても、誰にも会わないのは、それはそれで困るんだけどな……。
八木秀哉(男子16番)に襲われてから、これまで誰にも会っていない。何度か銃声も聞こえたが、遠すぎることと、危険であることを理由に近づくことはしなかった。むしろ、その音から遠ざかるように移動を繰り返している。
おかげさまというべきか、特に大きな怪我もなく、身体も至って健康だ。ただ、これまでほとんど人に会わないのは、もしかすると慎重すぎるこの行動のせいなのかもしれない。
――マシンガンだけは避けるべきだろうけど、単発なら敢えて近づくという手もありかしら。といっても、有馬くんがその手の銃を手に入れた可能性だってあるし……。
最重要危険人物である有馬孝太郎(男子1番)は、おそらく主にマシンガンを使用している。しかし、マシンガン以外の銃を持っていないとは限らない。つまり単発だからといって、彼でない保障はない。もっといえば、曽根みなみ(女子10番)を殺したことで、おそらく彼はナイフを手にしている。つまり音がないからといって、その時人を殺していないとも限らない。結論からいえば、知らない間に近づいている危険は、常に存在しているようなものだ。
そう、可能性ならいくらでも存在する。今この瞬間ですら、彼に近づいているのかもしれない。知らない間に、殺されに行っているのかもしれない。そう考えると怖くなってしまうが、だからといって歩みを止めるわけにもいかない。
――困ったな……。何もないのなら、じっとしているに越したことはないんだけど、そういうわけにもいかないし……。これからは、もっと積極的に動くべきかも……。会わないまま辻さんに死なれてしまったら、仮に私が生きていても、弓塚くんの頑張りは全部無意味になってしまうし……。
そこまで考えたところで、弓塚太一(男子17番)の言葉を、辻結香(女子13番)に必死で伝えようとしている自分に少しだけ違和感を覚えた。二人とは約一年間同じクラスだっただけで、それ以上の関わりはない。あそこに居合わせたのは偶然で、太一が亜美を結香と勘違いしたのも偶然で、太一が結香に遺言を遺したのも――必然に近い偶然。どれもこれも、そうしなくてはいけない理由にはならない。太一の死に関しても、亜美が責任を感じる必要はまったくない。遺言を伝える義務もない。他人を蹴落とさなくてはいけないここでのルールにおいて、そうすることで得るものもほとんどない。
なのに、どうしてこうも必死なのだろうか。本来ならば、最優先されるべきなのは自分の命であるはずなのに。
『よ、良かった……。結香……無事だったんだな……。ごめんな……待って……やれなくて……』
もしかして、無念に死んでしまった太一に、同情でもしているのだろうか。恋人の死に目に会えなかった結香に、申し訳なさみたいなものを感じているのだろうか。
それとも、二人の姿に、どこか両親をダブらせているのだろうか。あんなに愛してくれた、自身を省みずに愛してくれた、あの両親に――
『お母さんは大丈夫よ。あなたが元気でいてくれるなら、それで十分』
『お前は何も心配しなくていい。これくらい何てことはないよ。それに、これは私と母さんが望んだことだから』
ズキンと胸が痛む。これが始まってからずっとそうだ。両親のことを思い出すと、泣きそうなほどに胸が締め付けられる。努力家で寡黙な父。優しくて穏やかな母。あまり多くは語らない両親が、一度たりとも親の都合を押しつけなかった両親が、たった一度だけ亜美に頭を下げて言ったこと。
『私立の中学校へ進学してほしい』
その理由を聞いて、亜美はその通りにした。いくつか受験し、特待生でいられて、かつ家から比較的近いこの青奉中学校を選んだ。それからは、家にいる時間の方が遙かに短いと思えるほどに両親は懸命に働いていた。父はたくさんの仕事を抱え、毎日夜遅くまで残業。母はスーパーのレジ打ちに、亜美が青奉中学校に進学してからはコンビニの深夜勤務も始めた。それでも何とか生活できる程度に、家計は火の車だった。いくら特待生で授業料が免除とはいえ、制服代や修学旅行代、そしてその他もろもろの費用。公立の中学校に比べてはるかにかかるそのお金の負担は、子供である自分の目から見ても大きなものだったから。
それでも、両親は一度だって亜美に弱いところを見せなかった。大丈夫だと言い続けていた。それが嘘だと分かっていても、まだ子供である自分にはどうすることもできなかった。早朝の新聞配達のアルバイトすら、両親は認めはしなかった。だから、成績を落とさないように勉強し、特待生で居続けることしか、亜美が両親にしてあげられることはなかった。
――なのに……こんなことになって……。
クラっと眩暈がして、思わずしゃがみこんで地面に膝をついた。ダメだ。ここで立ち止まっている場合ではない。一刻も早く結香を見つけなくてはいけないのに。こんなところで無駄な時間を費やす余裕など、今の自分にありはしないのに。
『すごいな、また学年で十番以内か。しかも、この間よりも平均点も上がっているな。これも、お前が毎日努力している成果だな』
『いつも頑張ってくれてありがとうね。あなたが頑張ってくれるから、母さんたちも頑張れるのよ。でも、無理だけはしちゃダメ。今が色んな意味で大事な時期なんだから』
「気分が悪い状況なのは理解するが、無防備なのはいただけないな」
聞き覚えのない声が頭上から振ってきて、思わず顔を上げた。そこには、中学生にしては大柄な体格。同級生であることを疑うほどの風貌。今はこちらの姿を見下ろしている古賀雅史(男子5番)がいた。相変わらず、何を考えているか分からないような無表情。混乱していた秀哉とは違って、彼は普段と変わらないらしい。それがいいことなのかどうかはさておいて。
「俺がやる気だったら、今のであんたは死んでるぞ」
「……ご忠告どうもありがとう。以後気をつけるようにするわ」
雅史の言葉に、膝についた土埃を払いながら亜美はそう答えた。思考を中断された苛立ちからか、少しばかりぶっきらぼうな返答になってしまったが、確かに彼の言う通りだ。ここでは、一瞬の油断が死へとつながる。秀哉に会う前もこんな風に物思いにふけてしまっていた。いいかげん学習しなければ。
不思議と眩暈も治まったので、そのまま立ち上がることにした。雅史とは身長が十センチほど違うせいか、立ちあがっても見上げるような形になる。本人にそんなつもりはないだろうが、身長に加えて体格もいいせいか、立っているだけでどうにも威圧感を感じてしまう。空手部は伊達ではないということか。
あまりにも距離が近すぎるような気がしたので、そこから二歩ほど後ろへ下がった。危険はないだろうが、念の為に。
「で、今ので殺さなかったということは、あなたはやる気じゃないということでいいのかしら?」
「結論を急ぎすぎているような気がするが、まぁそれでいい。そうでないと、話が進まないしな」
亜美の言葉に、いつもと変わらない調子で雅史は答えた。その発言に引っかかりを覚えたが、それを口にする前にあちらの方から切り出してきた。
「あんたは冷静そうだし、マシンガンのこともある。提案なんだが、ここで互いに情報交換しないか?」
「情報交換?」
「誰が乗っているかとか、持っている武器とかかな。あと、誰かを目撃したならその場所も」
雅史の提案に、場違いながらも亜美は感心していた。情報交換。確かにそれは互いに有益だ。もし彼が結香や東堂あかね(女子14番)らを目撃していたら、それを手がかりに探し当てることも可能かもしれない。もしかしたら、孝太郎以外に乗っている人間の情報を得ることができるかもしれない。その真意を推し量る必要はあるだろうが、判断材料が増えることはいいことだ。
断る理由はない。ただし、完全に信用してしまうには材料が足りない。少しだけ鎌をかけてみることにした。
「そんなことを言うってことは、私が知って得するような情報を持っているってこと?」
「さあな」
こちらの意図を察したのか、雅史に見事にはぐらかされてしまう。こちらが思っているよりも、頭の回転は速いようだ。もしかしたら彼自身はさほど有益な情報を持っておらず、あくまで目的は亜美が持っている情報を得ることなのかもしれない。確かに亜美が事実をそのまま話せば、彼が口にしたマシンガンの件は一応解決する。亜美の情報を完全に信じてくれればの話だが。
ただあちらの真意がどうあれ、こちらが情報が欲しているのは事実だ。色々と確認したいことはあるが、ここは素直に提案を受け入れることにした。
「……まぁいいや。別に断る理由もないし」
「意外とあっさりだな」
「情報が欲しいのは私も同じだしね。言って減るものでもないから」
そう言って、互いに持っている情報を打ち明けた。亜美はマシンガンの件、それに付随して孝太郎が乗っていること、秀哉がやや錯乱状態であること、そしてあかねの姿を目撃したこと。主にこの四つ。太一の死に目に遭ったことは流れ上話したが、遺言の中身――孝太郎以外の部分に関しては伏せた。雅史には関係ないからだ。
対して雅史の方は、一度だけ会ったという須田雅人(男子9番)に関する情報だった。雅人は乗っていないらしいという情報はそれなりに有益かもしれないが、推測通りの内容であったためにさして驚くようなことでもない。あと、下柳誠吾(男子7番)の姿を明け方に目撃したらしい。向こうもそれに気付いたようだが、互いに接触することなくそのまま別れたという。
「私には話しかけて、なんで下柳くんには話しかけなかったの?」
「勘。あと、どうも向こうからプレッシャーを感じたから。こっちに来るなっていう」
互いの話が終わってから、亜美は真っ先にそう尋ね、それに対して雅史はそう答えた。それは彼の考え過ぎかもしれないが、無理はないとも思った。亜美は誠吾とは二年時から一緒のクラスだが、普段から関わりがないどころか、これまで一度も会話をしたことがない。だから信用できますかと言われれば、どちらかというとできない部類に入る人間だ。まぁそれは、目の前にいる雅史にも言えることなのだが。
乗っているかどうかは分からないが、警戒をしておくに越したことはないだろう。一応、注意を要する人物として結論づけることにした。
「それにしても、あれが有馬のやったものだとはな」
誠吾のことはどうでもいいのか、雅史は話題を孝太郎の方へと変えてきた。
「の割には、あまり驚いていないみたいだけど」
「まぁ、時間的な意味では考えていなかったわけじゃないからな。ただ、積極的に乗っているというのはちょっと意外だった」
言葉とは裏腹に、いつもと変わらない調子で雅史は答えた。つまり、マシンガンの正体が孝太郎であるという可能性は頭に入れていたということか。
「ただ、弓塚の言うことを全て鵜呑みするわけにはいかないな。こんな状況だ。正直、どんな奴でも加害者側になる可能性はあると俺は思っている。弓塚にすれば騙されたかもしれないが、プログラムにおいては珍しいことではないだろうしな」
背中を預けている木から伸びている小枝を手でいじりながら、雅史はそう口にした。それは確かにそうかもしれない。孝太郎のここでの姿は、彼の本性ではなくて、この状況が作り出したものかもしれない。確かに、あれが孝太郎の本性だと結論付けるのは、早合点なのかもしれない。そして、それは何も孝太郎に限った話ではない。もしかしたら、亜美や雅史の知らない誰かが、この状況においてそのような残酷な一面を作り出されているのかもしれない。
――ま、私は弓塚の言葉を鵜呑みにしちゃうけどね。ただ、古賀くんには詳しいことをを話していないんだから、そう考えても無理ないか。言うべきことは言ったし、あとはそれを聞いた本人の判断に任せるとしよう。
「それに、生き残りたいのはみんな同じだ。死にたくないのも同じだ。なら、どうするか考えたとき、出る答えは一つだろう」
「だからプログラムに乗って、クラスのみんなを殺す……ってこと? まぁ、それは模範的な解答よね」
「須田はそれを否定したけどな。でも、それじゃいざ殺されそうになったとき、何もできないだろう。可能性はいくらでもあるんだから」
「だから、須田くんに現実を見ろって言ったわけ?」
雅史の言っていることは、この状況下において最も現実的な意見ではあるが、一番見たくない真実でもある。いくらそう言われたからといって、あの雅人がその言葉をすぐに呑みこめたとは思えない。おそらく混乱してしまっただろう。その出来事からかなりの時間が経過しているようだが、雅人は今どんな心境だろうか。
雅人の心中を推し量ったせいなのか、少し責めるような口調でそう聞いた。少し間を置いた後、雅史はこう答えていた。
「……でなきゃ、あいつ死ぬじゃないか」
これまで断定的な口調で話していた雅史にしては珍しく、小さくどもったような声でそう口にした。それだけの変化だけど、亜美には雅史が何を思って雅人にそう言ったのか、少しだけ理解できたような気がした。
――死なないために、敢えてそういうことを言った……とか。
おそらく雅人のことを思って、雅史はそう苦言を呈したのだろう。クラスメイトを盲目的に信じたままでは、これが間違っていると思っただけでは、何もできないし、何もしないまま死ぬ。そのことを雅史は懸念した。だから、敢えてキツイ言葉をかけた。それだけ、相手のことを心配していたのだろう。
一つ残念なことといえば、それが雅人本人にはまるで伝わっていないことか。
――別に感謝なんかされたくない、とか言いそうだけど。古賀くんって、やっぱ見た目通り不器用なのかしら?
「まぁ、俺から言えるのはこれくらいか。悪いな。情報交換を持ちかけたのに、俺からはあまり有効なものはなかったな」
「いいわよ、別に。とにかく有馬くんには気をつけるよう、会った人に伝えて回ってよ」
「相手が俺の言うことを信じてくれるならな」
雅史はそう言った後、おもむろにデイバックからペットボトルを取り出し、こちらに向かって放り投げていた。
「情報量」
「いいの? 二本しかないのに、一本丸々渡しても」
「水なんて、いざとなればどこかの民家や井戸からでも手に入る。別に大したことじゃない」
「……まさかとは思うけど、毒とか入っていないわよね?」
亜美にしては珍しく、冗談を言ったつもりだった。けれど、後から失言だったかなと後悔した。けれど、雅史はそれを分かっていたのか、少しだけ笑ってこう言ったのだ。
「冗談か?」
「冗談よ」
「悪い冗談だけど、あんたってけっこう面白いな」
少しだけ楽しそうな口調でそれだけ言った後、くるりとこちらに背を向け、雅史は歩き出していた。別れの挨拶であるかのように、左手をヒラヒラと横に振りながら。
「もし学に会ったら、俺のことよろしく言っといてくれ。それなりに元気でやってる、てさ」
今度は少しだけ寂しそうな口調で、そう一言静かに告げた。そしてゆっくりと、けれどどこか足早に、雅史はこの場から立ち去っていった。その姿を、亜美は完全に見えなくなるまで見送っていた。
名残惜しかったわけではない。どこか寂しそうな背中から、なぜか視線を逸らすことができなかったのだ。
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