殺人選択

 

 銃声が聞こえた。けれど、それには見向きもしなかった。ここから離れているなら、自分に関わりがないのなら、気にする必要はない。いや、関係ないとはいいきれないけど、今から行ったところで間に合うわけもない。なら、気にするだけ無駄というものだ。

 下柳誠吾(男子7番)は、銃声前と変わらぬ速度で歩き続けていた。銃声の方角からは背を向けている形になるので、危険を回避するという意味ではこのままの状態で進んでいた方がいい。それが、この場における最も論理的な行動。今死なないための、現実的で理想的な行動。

 本来の目的のことを考えれば、この行動が正しいとは言いきれない。けれど、あの人がそう簡単に殺されるとも思えない。時期が来るまでは、こうしている方がいいだろう。あまり派手に動いて、自分のことがあの人の耳に入っても嫌だし、何より怪我をしたくない。死ぬことは一番に避けなくてはいけないが、怪我も極力しないに越したことはないのだから。

 

――武器は当たり。加えて、便利な物も手に入った。後は、これらをどう生かすか。願わくば銃をもう一つ、でなければ刃物関係を二つ手に入れたいところだな。

 

 しかし、武器を手に入れようとすれば、少なからず他人と接触することになる。穏やかに話ができる相手ならまだいいが、好戦的な人間、あるいは混乱している人間には会いたくない。増してや、やる気の人間など論外だ。特に、有馬孝太郎(男子1番)などという猫を被った人間には。

 かといって、やる気でない人間ならいいのかと言われれば、それもまた違う。そうである可能性の高い東堂あかね(女子14番)須田雅人(男子9番)も、孝太郎と同じくらい会いたくない人間だ。この二人が誰かを傷つけるとは思えないが、仲間を作ってプログラムを破壊しようと目論んでいることは大いに有り得る。そのような協力をさせられるのもお断りだ。

 

――それでは、何の意味もない。

 

 仮にそれがうまくいって、生きて逃げられたとしても、誠吾にとっては死んだも同じだ。これが始まる前だったなら、まだあかね達の側にいられたのかもしれない。けれど、今となってはもう遅すぎる話だ。これがプログラムだと理解したとき、これからどうするのかを考えて決めたとき、誰が何と言おうと果たしてみせると固く誓ったとき、ありとあらゆるものを捨てた。仮に救いを求める人が目の前にいたとしても、それを振り切っていくと決意した。だからこそ、幼馴染であった五十嵐篤(男子2番)のことを、最も残酷な形で放り出すことにしたのだから。

 

『お前は自分の望みのために俺を利用するくせに、俺の望みは叶えてくれないのかよ』

 

 暗に死を望んだ篤に対して、殺すことで楽にしてやることもしなかった。できなかったのではなく、しなかった。おそらく、それは篤にも分かっていたのだろう。だからこそ、あんなことを言った。

 そういえば、篤は今どうしているのだろうか。先ほどの放送で、名前は呼ばれなかった。けれど、だからといって、今も生きているとは限らない。銃声も聞こえた。それに関わっている可能性だって大いに有り得る。丸腰の状態では、抵抗すらできずに殺されてしまうだろう。そうなれば、誠吾は間接的に篤を殺害したことになるのだろうか。

 

『……最低だな、お前』

 

 もし仮にそうなったとしても、おそらく責任を感じることはないだろう。幼馴染――そう言えば聞こえはいいが、要は小さい時から互いの存在を知っているというだけで、それ以上でもそれ以下でもない関係だ。東堂あかね(女子14番)槙村日向(男子14番)のように、互いに関わりあって過ごしてきたわけでもない。そうでなければ、時が経つにつれて関係が希薄になるのは当然のこと。そうせいか、“最低だ”と言われても、心が揺らぐことはなかった。

 

『もし俺が死んで気が向いたら、線香の一本でも上げに来いよ。来れたらだけどな』

 

 捨て台詞とも取れる、あの言葉。あれは、篤の本音だっただろうか。それとも、性質の悪い冗談だろうか。篤は、どこまで分かっていたのだろうか。誠吾のことを――

 

――お前は、俺のことをどこまで分かっていた? 俺がやろうとしていることまで、分かっていたのか? 所詮は赤の他人って思っていたけど、その他人の中では近い存在ではあったんだよな。もしかしたら、俺の異常さくらいは、何となく察していたんじゃないか? 俺が、生きることに執着のないお前より、ある種異常であることくらい……

 

「あんたが、太一を殺したの?」

 

 思考を遮る、他人の声。まるで死刑宣告であるかのような、ひどく冷たい声。今まで聞いたことのない、怒りが全てを支配したような声。誠吾の記憶では、彼女がそんな口調で話したことなど一度もなかったはずだ。

 いつもなら無視をするところだが、今回はそうするわけにはいかない。なぜならその声色の張本人が、誠吾の左手の方角から、こちらに向けてまっすぐ銃口を向けているのだから。

 

「銃、持ってるよね。それ、マシンガンなの? それで、太一を殺したの?」

 

 目の前にいる声の主――辻結香(女子13番)は、その小柄な手には似合わない、大きな拳銃を持っていた。おそらく、それが彼女に支給されたものだろう。できればそれを欲しいと思ったが、とりあえずこの状況をどうにかすることに専念する。

 

「これは、マシンガンじゃない。それに、俺は弓塚を殺していない」

 

 嘘ではない。誠吾の持っているH&K VP70は、あくまで自動拳銃の部類であり、マシンガンではない。弓塚太一(男子17番)には、教室を出てから一度も会っていない。

 

「嘘、ついているんじゃないの?」

 

 しかし、結香はその言葉を鵜呑みにはしなかった。それは、ある意味正しい反応だ。自分が人に信頼されるような人間ではないことは、重々承知している。そんな人間が違うと言ったところで、信じないのは無理もない。

 ただ、今の結香の返答は、相手が誰であるかというのはあまり関係ないようにも思えた。“疑わしきは罰せず”の反対は――“疑わしきは罰する”だっただろうか? とにかく、今の結香の心境はそんな感じだろう。

 

「マシンガンは、もっと大きい。こんな小さな拳銃じゃない。君が持っている銃だって、連射はできないんじゃないのか? 俺が持っているこれは、君のより小さいだろう」

 

 努めて優しい言葉を選び、穏便に説得を試みる。このまま逃げても、結香の武器の特徴から考えれば、撃たれてもおそらく当たることはないだろう。しかし、それでは誤解されたままになってしまい、下手をすれば犯人扱いされてしまう。これが妙な形で広まってしまったりしてあの人の耳に入ったりすれば、会ったときに面倒なことになりかねない。こういう面倒事になりそうな種は、できるだけ取り除くべきだ。いざというときに、こういった邪魔が入ることが、現時点で最も好ましくないことなのだから。

 

――それに、今この場に人が来たらそれこそ面倒だ。早めに終わらせないと。

 

 結香は、何も言わなかった。そして、銃を下ろすこともしなかった。それが意図することは、やはり”疑わしきは罰する”か。

 

「弓塚の復讐か? なら、今撃つのは止めておいた方がいい」
「何? あんたも偉そうに説教するの? あんたに、私の気持ちなんか――」
「復讐をしようとしているのなら、殺す相手は確証を持ってからにした方がいいと言っているんだ。違う相手を殺してしまえば、あんたはそいつと同類に成り下がるだけだぞ。それに、あんたの持っている銃は、そんなに何発も乱射できるものじゃない。相手を殺す前に、あんたの肩がイカれるだけだ」

 

 誠吾の人生史上、類を見ないほどの優しい言葉でそう諭した。そんな誠吾の言葉に対して、結香は反論しなかった。けれど、それは決して誠吾の言葉を受け入れたのではない。反論できる材料が存在しなかっただけだ。まったく、珍しく人のためにアドバイスしているというのに、こうも拒絶されてしまうとは。別に傷つきはしないが、これも日頃の行いのせいだろうか。これが太一の友人である加藤龍一郎(男子4番)であったなら、ハイハイと素直に聞くくせに。

 それにしても、あの辻結香がこうまで変わってしまうとは想定外だった。プログラムに巻き込まれている以上、その可能性も大いにあり得ることだ。けれど、それをいざ目の前に突きつけられると、改めてここは日常とは別世界なのだと思い知らされる。別に結香がどう変化しようが、誠吾に何ら影響はない。けれど、結香がここまで変わってしまったのは、決して理不尽でも自分勝手でもない。ただ純粋に誰かを想う気持ち。おそらく、ただそれだけのことだろう。

 

――愛は人を狂わす……か。

 

 結香のこの行動の根底にあるのは、愛する人を奪われた憎しみ。もっと深いところでいえば、それだけ彼女は人を愛した。愛したからこそ、赦すことができない。その愛の深さ故に、殺していないという確証がない以上、相手を見逃すことができない。

 少しだけ同情した。けれど、それだけだ。結香が何と思おうと、どれだけ太一を愛していたにせよ、あらぬ罪で殺されるのはごめんだ。

 それに、こちらにはこちらの事情がある。結香が太一の復讐を果たそうとしているように、誠吾にはやらねばいけないことがあるのだ。

 

「悪いな。あんたの事情に、俺は無関係だ。ここは引かせてもらうよ」
「……逃げるの?」
「ああ。殺さないだけ、ありがたく思えよ」

 

 それだけを告げ、誠吾は結香から遠ざかるように右手の方角へと走り出した。追いかけてくることも想定して、持っていた銃の安全装置を外し、引き金に指はかけておく。しかし、結香は追うどころか撃ってすらこなかった。それは、誠吾が太一を殺したのではないと理解したからなのか。それとも、単純に追いかけるという発想がなかっただけなのか。

 

――なんだ。生きのいいことを行っていた割には、行動に矛盾があるな。まぁ、一貫されても困るけど。

 

 そこまで考えて、ああ自分も人のことは言えないなと思い、苦笑した。矛盾しているのは、自分の方であるくせに。あの人が結香に殺されないとも限らないのだから、誠吾の方こそ結香を殺すべきだったのに。

 結香だけではない。目的のことだけを考えるなら、以前に会った篤や、明け方見かけた古賀雅史(男子5番)のことも、見つけた瞬間殺しておくべきだったのだ。最も確実で、一番有効的な方法を選ぶのなら。

 

 けれど、これからどれだけ危険な目に遭っても、おそらくそれをしないだろう。でも、それは決して道徳心や倫理を尊重しているからでも、他人の命を大切に思っているからでもない。むしろその反対で、他人に無関心で、他者の人生に干渉したくないからだ。干渉したくない他人に殺されるのはごめんだし、かといって殺すのも同じくらいごめんだ。

 そう、生かすも殺すも、それを選ぶも選ばないも、全ては自身の勝手。たとえ世界中に非難されても、それを曲げることは決してない。

 

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