私の大切な友達@

 

 五木綾音(女子1番)は、エリアD-2を歩いていた。その足は、先ほど銃声が聞こえた方角へと向かっている。疲れてはいるし、危険だろうし、距離も相当あるだろうが、だからといって動かないわけにはいかなかった。動かないままでは、また知らない間に失ってしまうかもしれないから。

 

『まずは女子7番、佐伯希美さーん。続いて女子11番、園田ひかりさーん』

 

 そう、先ほどの放送で、同じ主流派グループである佐伯希美(女子7番)園田ひかり(女子11番)の名前が呼ばれてしまった。これで、実質仲のいいメンバーは半分になってしまったことになる。もうこれ以上友人を失わないためにも、今後は音のした方へ積極的に動くことを決意した。その矢先の銃声だ。危険であることは重々分かっていながらも、動かないわけにはいかなかった。

 それに、東堂あかね(女子14番)辻結香(女子13番)は、綾音と同じように友人を探しているだろう。もしかしたら、手掛かりのある方へ向かった方が会えるかもしれない。細谷理香子(女子16番)は、加えてそんな二人のことを心配して探しているのかもしれない。いずれにせよ手がかりがあるのなら、そちらの方へ向かう必要がある。たとえ、徒労に終わったとしてもだ。

 何もしないで死なせるなど、それだけは絶対にあってはならない。大切な友人を失うことは、もう絶対に――

 

『五木さん……。あ、これからよろしくお願いします』

 

――香奈子……。

 

 綾音の心に落とす、一つの影。青奉小学校から中学校へそのままエスカレータ式に進学して、最初のクラスで出会った大切な友人。公立の小学校出身で、中学受験でこの学校へ進学してきた子。一番長いつき合いで、一番近くにいて、誰よりも応援してくれた彼女。綾音の一番の友人であり、最初の放送で呼ばれたクラスメイトの一人――鈴木香奈子(女子9番)のこと。

 学校から出発した際、校門付近で倒れていた曽根みなみ(女子10番)の遺体。その存在に驚いたことも事実だが、何よりも殺した人間がまだ近くにいるかもしれないという不安に駆られた。一瞬、後から出てくる友人たちのことが頭をよぎったが、身の安全を優先してしまった結果、そこからすぐに離れたのだ。学校からある程度離れて落ち着いたとき、そのことを激しく後悔した。希美と理香子は先に出発してしまったので合流は難しかっただろうが、少なくとも自分よりも後に出てくるメンバーを待つことは可能だったはず。それに、みなみは教室まで聞こえたマシンガンで死んだ可能性が高い。心のどこかでそう推測できたのなら、みなみ以外の遺体がないことで襲撃者はもういないと分かったはずなのに。待たなかったことで誰かに殺されてしまったらどうしよう。早く見つけなくては。見つけて守らなくては。そんな焦りと不安がないまぜになった気持ちから、周囲を警戒しながらも、音のした方角は避けながらもずっと探し回っていた。休んでなどいられなかった。

 そして、綾音の不安は最悪の形で的中してしまったのだ。それも、一番最初の放送で。

 

――香奈子……。どうして……。

 

『どうして、香奈子はそんなにみんなに遠慮をするの?』

 

 頭の中で響く、昔の自分の声。どうしてこんなことを思い出しているのか、自分でも分からない。一年前くらいに二人きりになったとき、綾音の方から口火を切った話だった。

 

『えっ……?』

 

 鳩が豆鉄砲をくらったようなきょとんとした顔で、香奈子はそう返答していた。その反応は、少なからず綾音にとっては意外だったが、だからといって話を止めるわけにもいかず、そのまま言いたいことを口にしていた。

 

『香奈子さ、いつもあかね達に意見言われても、どちらでもいいって言うじゃない。そんなに遠慮なんかしなくていいのよ。もっと自分の意見、言ったっていいのよ。誰もそれを非難したりしないんだから』

 

 そうだった。一年のときからずっと香奈子と一緒にいて、そしてずっと感じてきた小さな違和感。誰かに意見を求められても、香奈子は絶対に自分の意見を言わない。『どちらでもいいよ』とか『みんなに合わせるよ』と言って、全ての決断を他人に委ねていた。それは、ある意味人任せとも言えるけど、綾音にはみんなに遠慮しているように感じていた。それで香奈子が窮屈な思いをしていないだろうか、ずっとそのことが気にかかっていたのだ。

 綾音の気持ちが伝わったのか、香奈子はいつものような穏やかな笑顔を浮かべ、最初にこう言ったのだ。

 

『ありがとう、綾音ちゃん。綾音ちゃんは優しいね』

 

 『実は……』という肯定の言葉や、『そんなことないよ』という否定の言葉が出る可能性は想定していたが、お礼を言われることはまったく考えていなかった。だからこそ、綾音はとても驚いていた。そもそも、礼を言われるようなことは何一つしていないのに。

 

『私のこと、心配してくれたんでしょ? 私が自分の意見を主張できないから、窮屈な思いをしているんじゃないかって』
『だ、だって……、香奈子は、みんなに合わせてばっかで、自分の希望とか全然言わないじゃない。そりゃ、主張の強いあの子らに向かって意見を言うのは難しいかもしれないけど……だからって、いっつも意見を押し殺すことはないんじゃないかって……』

 

 綾音の言葉に、香奈子は首を振りながらこう答えていた。

 

『それは違うよ。私はね、みんなと一緒なら何でも楽しいの。何でも楽しいから、どっちでもいいの。どっちでもいいから、だから言わないの。別にね、我慢しているわけでも、自分を押し殺しているわけでもないよ。本当にどっちでもよくって、どっちでも楽しいから、だからそう言ってるの』

 

 それから、続けてこう言っていた。

 

『そりゃね、まったく遠慮してないかって言われたら、それは嘘になっちゃうけど。でも、本当にあかねちゃん達と一緒にいることが楽しいから。言ってみればね、それが私の自己主張。だから大丈夫だよ。全然窮屈な思いとかしてないよ』

 

 そう言って、香奈子はにっこりと笑った。まるで、心の底からそう思っていることを証明するかのような純粋な笑顔だった。

 その笑顔を見て、ああ自分はなんて馬鹿だったんだと思った。そんなこと、毎日見ていれば簡単に分かるはずではないか。

 

『綾音ちゃん……?』
『……ごめん。余計なお世話だったよね』
『そ、そんなことないよ! 綾音ちゃんが心配してくれたこと、すっごく嬉しかったよ。今までそんなこと一度もなかったからさ……余計に嬉しかったよ』

 

 笑いながらそう告げる香奈子の表情に、このとき一瞬だけ影が差した。香奈子がこれまでどんな人生を送ってきたのか。綾音はまったくと言っていいほど知らない。けれど、香奈子の態度や発言から、きっと周りに虐げられてきたのだろうということは分かる。だからこそ、今みたいな影が余計に気になってしまう。過保護な心配をしてしまうほどに。

 

『思えばさ、私、いっつも綾音ちゃんに助けられてばかりだね。最初に会ったときに、声をかけてくれたのも綾音ちゃんだったし。綾音ちゃんのおかげで、あかねちゃん達とも友達になれたんだし』

 

 その言葉を聞いて、それは違うと思った。あの子らは、香奈子本人に魅かれて友達になった。そこに綾音は関係ない。香奈子がいい子だから、友達になりたくなるような子だったから、だから友達になった。それは綾音のおかげなどではない、香奈子本人の力なのだ。

 

『ありがとう、綾音ちゃん。私、もうちょっと意見言ってみようかな。正直、言えなかったのも事実だしね。でも、綾音ちゃんはそう言うなら、きっと大丈夫だよね』

 

 そう言って、香奈子はまた笑ってくれた。その笑顔に、心から安堵した。あまり感情を表に出さず、はっきり物を言う性格たる故に、綾音も香奈子に会うまでは一人でいることが多かった。だから、あまり経験したことがないのだ。自分の意見をきちんと聞き入れてくれて、その気持ちをここまで汲んでくれるということは。

 

――違うよ。それは私が言わなくちゃいけないことなの。香奈子がそうやって気持ちを汲んでくれるからこそ、私もちゃんと言いたいことが言えるの。ちゃんと友達でいられるの。だから、私も毎日楽しく過ごせるの。

 

 香奈子の言葉を聞きながら、笑顔を見ながら、ふと思った。香奈子には、今よりもっと幸せになってほしいと。今が十分幸せだというのなら、それ以上の幸せを。これまで辛い思いをしてきたのなら、それ以上に楽しい時を。遠い話だろうけど、いつか生涯をかけてこの子を愛してくれるような素敵な男性が現れてくれれば、それ以上の幸せはないだろう。そのとき、真っ先にその報告を聞けるような関係でいられればいい。

 これは、わがままかもしれない。けれど、これまでの人生で一番譲れないわがままだ。このわがままが一日でも長く、一日でも早く叶ってほしい。そう願ったのは、嘘じゃない。

 

――なのに、どうして……。どうして香奈子が死ななくてはいけなかったの?

 

 あんなに素直で純粋な子。優しくて、常に誰かのことを考えているような子。綾音がこれまで出会った誰よりも、生きるべきだった子。

 どうして殺されなくてはいけないのか。何度考えても分からない。あの子が、人を殺すはずがない。そんなことをするはずがない。殺される理由も、同じくらいに存在しないはず。なのに、現実はずっと前に誰かに殺された――

 殺した相手は、一体誰だろう。香奈子は人見知りもするから、不用意に相手に近づくとも思えない。無差別に殺すような輩の手にかかってしまったのか。それとも人見知りを必死で克服して話しかけた誰かに、騙されて殺されてしまったのだろうか。

 憎く思うより、理由を知りたかった。どうして香奈子が死ななくてはいけなかったのかと、殺した相手に問い詰めたかった。あの子は絶対に人を殺さないから、むしろ誰かのために命を投げ出しかねない子だから、どうして殺したのか聞きたかった。死にたくなかっただとか、優勝するためなどというくだらない理由だけでは、絶対に納得などしない。いや、どんな理由でも納得はできないだろう。ただ、知りたいのだ。この行き場のない辛い気持ちに、ちゃんとしたけじめをつけるためにも。

 

――でも、もし会ってしまったら……私はその人を殺してしまうかもしれない……。

 

 希美やひかりを殺した人間にも、そう聞きたい気持ちはある。けれど、それはほんのおまけ程度だ。二人には申し訳ないが、綾音の中で一番大切な友人は香奈子なのだ。もちろん現時点での最優先事項は、あかね達を見つけて守ること。けれど、もし殺した相手に出会ったとしたら、自分はどうなってしまうか分からない。支給された鎌を使って、相手の胸を刺したり、喉をかっ切ったりして、その人を殺してしまうかもしれない。もしそのときあかねや結香がいたら、絶対に止められるだろう。真っすぐで、正義感が強くて、人を殺すことなど絶対に認めないあの子らは、きっと賛成はしないだろう。

 

『そんなことしたって、絶対香奈子は喜ばないよ!』
『そうだよ! それより、綾音に生きててほしいって思っているはずだよ!!』

 

――そんなこと、分かっているわよ。あんたたちに言われなくても……。そんなこと、香奈子は絶対……

 

 カサッ

 

 そのとき、耳にかすかな足音が届いた。しかも、忍ぶような足音だ。なら、あかねや結香ではないだろう。そう結論づけ、相手の虚をつくつもりで、綾音は素早く後ろを振り返った。

 けれど、それだけだった。それ以上のことは何もしなかった。相手を出方を見たからではない。相手が、少なくとも探す対象の人間であったからだ。

 

「……綾音、久しぶりね」

 

 振り向いた先にいたのは、同じグループの一員である細谷理香子その人だった。ひどく寂しそうで、そして悲しそうな表情を浮かべた友人が、綾音の五メートルほど先に立っていた。ギラリと光るナイフを、右手に持った状態で。

 探していた友人に会ったというのに、綾音はそこから一歩も動かなかった。より正確言えば、動けなかった。

 

「……会って早速で悪いけど、一つ聞きたいことがある」

 

 駆け寄る代わりに、綾音は端的な言葉を口にした。そうさせたのは、理香子からにじみ出ている殺意に近い異様な雰因気だ。ただ、思ったよりも冷静にそう対処できたのは、綾音に一つの懸念材料があったからだ。確証はない。ただの不幸な一つの憶測。

 

「理香子、あなたはそっち側の人間? それとも、私と同じ側の人間?」

 

 細谷理香子は、自分とは違う立場の人間ではないかと。

 

 綾音本人にも言えることだが、理香子は喜怒哀楽を表に出さないことが多い。淡白で、キツイ言葉も躊躇いなく吐き、そして好き嫌いがはっきりしている性格だ。それ故に、人に誤解されることも多いらしい。実際、今までこんな大所帯のグループに所属したことがないと、本人から聞いたことがある。そのせいだろうか、同じグループに所属こそしているものの、時々理香子が何を考えているのか分からなくなるのは。ただ、普段は自分もそうである分あまり気にしないし、ある意味気兼ねしなくていい分、付き合いやすいなと思っていた。しかし、それは平和な日常生活の中での話。こういった極限状態では、それらはただの懸念材料でしかない。生死のかかったこういう場面において、理香子はあっさり自分らを切り捨ててしまうのではないかと――

 

 そんな気がかりから生じた疑問を、自分でも驚くほど落ち着いた口調でそう告げていた。一年近く仲良くやってきた友人に対して疑いの言葉をかけるなど、あかねや結香なら絶対にしないだろう。むしろ、そんなことを言う綾音に対して怒るのかもしれない。けれど、今彼女らはここにはいない。いくら言っても、責める人間はこの場に一人しかいない。そしておそらく、目の前の彼女はそれをしない。

 そんな綾音の質問に、理香子は返事をしなかった。

 

「何よ、いつもの理香子らしくないじゃない。そうならそう、違うなら違うって、いつものあなたならはっきり言うでしょ」

 

 沈黙を破るかのように、綾音は続けてそう発言した。けれど、理香子はそれにも返事をしなかった。白黒はっきりつける理香子が、こちらの質問に何も返答をしない自体、極めて珍しい。

 それはおそらく、そうせざるを得ないほど本人にとって都合の悪い質問なのだろう。そう、つまりは――

 

「……綾音」

 

 綾音の思考がそこまで及んだところで、ようやく理香子は言葉を発していた。

 

「その質問の答えは……前者よ。私は、綾音とは違う立場の人間。だから――」

 

 そこまで口にしたところで、理香子は右手をスッと持ち上げていた。その手にあるナイフの刃先を、綾音の方にまっすぐ向けて。

 

「悪いけど、死んでくれる?」

 

 目の前の友人から「死ね」と言われているのに、心のどこかでは冷静な自分がいた。その言葉を、その言葉の意味のまま受け止められるのは、こう言われることを予測していたからだろうか。これを言われたのが綾音でなくあかねや結香なら、疑うことを知らない純粋なあの子らだったなら、おそらくかなり動揺してしまうだろうに。

 いや、それだけだろうか。冷静でいられるのは予測していたから――本当にそれだけだろうか。最初から理香子のことを信じていなかったからではないだろうか。だからこそ、あんな思いを抱いてしまったのではないか。もしかしたら理香子だけでなく、あかねや結香のことも本当は信じていないのではないか。

 もしかしたら――思っている以上に、自分は他人に対して冷たい人間なのではないだろうか。仲良くやってきたはずの友人を、簡単に疑ってしまえるほどに。

 

「もう一つ、聞いてもいい?」

 

 その全ての疑問から目を背け、綾音は別の質問を口にした。

 

「あんた、もう誰か殺したの?」

 

 無理矢理話題を変えるような発言だが、その質問を口にした理由はちゃんとある。一つは、理香子が本当の意味で違う立場なのか見極めるため。二つ目に、目を凝らせば見える、袖口に少しだけついている赤いものの正体を知るため。そして三つ目、限りなく可能性は低いが――理香子が香奈子を殺したかどうか確認するため。

 既にそれが実行されたのなら、説得はもうできないし、するつもりもない。その場合、取る手段は一つだけだ。

 

「……聞いてどうするの?」
「いいじゃない、別に聞いたって。どうせ、私のことも殺すつもりなんでしょ? 死人に口なしって言うじゃない」
「答えになってない」
「答えてくれたら、逃げないで相手をしてあげる。返答によっては、私も本気で殺しにかかるから。言っとくけど、私が本気で逃げたら、あんたじゃ追いつけないわよ。それが一番困るんじゃないの?」

 

 わざと笑みを浮かべながら、綾音ははっきりとそう言った。その言葉に偽りはない。相手をすると言ったのも、本気で殺しにかかると言ったのも、嘘ではない。全て本当のこと。

 その言葉に少しだけ殺意が含まれているのも――きっと本当のこと。

 

「……ええ、殺したわ」
「何人?」
「人数なんて……どうでもいいでしょ」
「そうね。じゃあ質問を変えるわ。誰を殺したの?」

 

 綾音がそう口にした瞬間、理香子の顔が強張っていた。それを見た瞬間、綾音は即座に名前を口にした。

 

「まさか……香奈子や希美、ひかりとか言わないわよね?」

 

 この瞬間、理香子の視線がこちらの視線とかち合う。こちらに向けられた瞳の奥に、動揺の色が濃く映し出されていた。口で語るよりも、雄弁に答えを示した瞬間だった。

 

「へぇ、そうなの。殺したの? 三人を、あんたが」
「三人も殺してなんか……」
「三人も? じゃ、殺したことには変わりないのね。誰を殺したの? 希美? ひかり? それとも……香奈子?」

 

 確認のために順番に名前を出していくと、最後の名前でわずかに瞳の奥が揺れた。一番肯定してほしくなかった、その名前を出した瞬間に。

 

「そう、香奈子を殺したのね」
「……」
「違うなら違うって言いなさいよ。沈黙は肯定と取るわよ」

 

 綾音の問いに、返事はない。一分にも満たない沈黙の間に、一度だけ風を切る音がビュンと響いた。その間に、理香子はナイフを下ろしていた。

 

「そう……そうなのね……」
「……いいわよ、別に。軽蔑してもらっても」
「軽蔑? そんなものですむとでも思っているの?」

 

 どこか自虐的な理香子の言葉に、いっそう苛立ちが募る。右手に持っているこの鎌を、理香子に向かって思い切り投げつけてやりたい。そんな衝動に駆られる。しかし、それは鎌の持ち手を力いっぱい握ることで何とか踏みとどめた。

 

「あんたは裏切ったのよ、私たちを。香奈子が人を殺すような子じゃないって、こんなのに乗るような子じゃないって、知っているくせに、その手で殺したのよ」
「……そうね。その通りよ」
「じゃあなんで殺したのよ!」

 

 はっきりとしない理香子の態度に、思わず声を荒げてしまう。それでも、理香子の態度に変化はない。歯切れの悪い言葉。耳をすまさないと聞こえない声。いつもの理香子とまったく違うその全てが。

 

「……それは……言えない」
「言えないって何よ! 今さら何を言い訳しようとしているの? 香奈子を殺して、私も殺すつもりで、あかねや結香にも会ったら同じようにするつもりのくせに!」

 

 綾音の怒号に、理香子の反応はない。いつもとはあまりに違う理香子の態度。もしかしたらここでは言えない、何か綾音の預かり知らぬ理由があるのかもしれない。けれど、本当はそんなもの聞きたくない。仕方のない理由かもしれないけど、聞きたくない。理由を聞いたら、今抱いているこの気持ちが変わってしまうかもしれない。

 おそらく、自分に都合のいいように解釈しておきたいのだ。この殺意を鈍らせないためにも。

 

「……もういいわ。言い訳なんか聞きたくない。どんな理由があったにせよ、香奈子を殺していい理由にはならないもの」
「そうね。赦してもらおうなんて思ってないわ。あのとき、私は決めたの。どんなに恨まれても、人を殺していくことを。だから、何があっても戻れないし、戻らない」
「そう……。なら、ついでに私に殺される覚悟もしてくれる?」

 

 持っていた鎌の刃先を、理香子の方へと向ける。バナナ型のカーブを描いた刃物が、太陽の光を反射して一瞬だけ光る。それを見た理香子の目に、先ほどよりも殺意が色濃く映った。

 

「悪いけど、私はまだ死ねないの。綾音、悪いけどここで死んで」
「その前に、私があんたを殺してあげる。言っとくけど、もう友達とか関係ないからね。本気で殺しにかかるから」

 

 左足を一歩引いて、陸上部の名に恥じない速度で走り出す。そのまま理香子との間合いを詰めながら、右手の鎌を大きく振るった。

 

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