私の大切な友達A

 

 相手の喉をめがけて、持っていた鎌をふるう。それを察したのか、相手はバックステップの要領で大きく後ろへ下がった。狙いが外れ、鎌は喉ではなく空を切る。

 こちらの攻撃が外れた隙を狙って、今度は相手のナイフがギラリと光る。それはまっすぐ胸を突き刺そうと、そのまま直線的にこちらへと向かってきた。反復横飛びの要領で、大きく右へと移動する。あちらの狙いも外れ、ナイフもそのまま空を切る形となった。

 

――分かってはいたつもりだけど……やっぱり本気なのね。

 

 五木綾音(女子1番)は、鎌を持った右手に少しだけ汗が滲むのを感じていた。けれど、それを悟られてはならない。戸惑いや躊躇、それらの弱みを知られてはならない。知られてしまえば、それは相手に付け入られる隙となってしまう。

 そんな思考を巡らせた次の瞬間には、相手から攻撃を仕掛けられる。今度は間合いを詰めて、そのまま体当たりの形でナイフを突き刺そうとしているのだと一瞬で理解した。避けるのは無理だと判断し、持っていたデイバックを盾にしてガードする。両腕を前に伸ばし、相手の身体ごとその攻撃を受け止めた。ほぼ何も入っていないデイバックこそ貫通してしまったが、そのナイフが綾音を傷つけることはなかった。

 そのまま相手の身体を、デイバックごと横へと投げ飛ばす。倒れた隙を狙って、今度は胸に鎌を突き刺そうと上から振り下ろした。しかし、それはあちらが転がる要領で避けたことで、身体を傷つけることなく地面に突き刺さる。

 

「逃げるな!」

 

 こちらの攻撃が当たらない苛立ちから、そんなことを口にしてしまう。けれど、その言葉に対する反応はない。それどころか、相手の立ち振る舞いには苛立ちも、驚きも、焦りもない。おそらく今、こちらを殺すことに意識を集中しているのだろう。もしかしたら、決着がつくまでは、もう言葉すら発することはないのかもしれない。

 その相手は、ナイフを持ち直す。今度は喉元めがけて横凪に振るってきた。タイミングを見計らって、それを後ろに下がることでかわす。しかし完全にかわすことはできなかったのか、チリッとした痛みが首元からはしった。触れてみれば、指先に真っ赤な血が付いている。

 

――あと少しタイミングが遅かったら……! このままじゃ、いつかは本当に殺されてしまうかも……!

 

 思わず、そんな弱音を吐きそうになる。けれど、それを相手に悟られてはならない。今は、命を懸けた勝負の最中なのだ。一瞬の油断、一瞬の躊躇。それら全てが、敗北への要因となってしまう。

 綾音は、クラスの女子の中では一番運動神経がいいはずだ。陸上競技は誰よりも一枚上手だったはずだし、中学最後の市大会では100m走で優勝もした。陸上競技以外でも、いつだって他のクラスメイトよりもいい成績を修めてきた。それは、この状況でも有利に働くはず。そう思っていた。だからこそ、当然この勝負でも勝つつもりだった。

 なのに、この状況はどうだろう。こちらは命のやり取りをしているという緊迫感からか、いつもよりも動きが鈍いような気がする。おまけに大した運動はしてないはずなのに、息切れすら起こしている。対して相手に、目立った変化はない。息切れはおろか、テニスの試合をしているときよりも動きが俊敏であるようにすら見える。

 

――これが、本気の理香子ってこと……? それとも、本気で人を殺すことを決意したら、こんなにも違うものなの……?

 

 そんなことを考えているにも、状況は変化し続けている。相手は容赦なく、ナイフをこちらの急所を狙って振り回す。時にはそれが、綾音の皮膚に細い切り傷をつけていく。それをかわし、時には鎌を突き刺そうと試みるものの、当たるどころかかすりもしない。これが経験の差なのか。人を殺した人間と、殺したことのない人間との、決して埋められることのない――明確な差なのだろうか。

 

『遅いってー! 早くしないと、みんなに置いていかれるわよ』

 

 そんなことを考えていたら、突然自分の声が聞こえた。以前に理香子に対して言った声が。昨日までいたはずの日常の中で、発した他愛のないやり取りが。

 

『ねぇ、綾音。今日は、みんなで図書館へ勉強しに行くんだって』
『そうなの。理香子は?』
『私はいいや。人がいると自分の勉強が捗らないから。家庭教師役には希美がいるしね。綾音はどうする?』
『そうね、私は行こうかしら。希美の教え方は大ざっぱで理解できないだろうし。あの子らだけだと、騒がしくなって図書館から締め出されそうだし』
『あー、確かにそうね。じゃ、私も行こうかな。家庭教師兼保護者として。綾音一人に任せるのも申し訳ないし』
『ふふ、保護者って何よ。理香子はみんなの母親なの?』

 

 過去の記憶が蘇る。けれど、それはただの昔の出来事。今はもう違う。あのとき話した彼女は、今は殺すべき敵。そして、大切な友達を奪った仇だ。

 

『本貸してくれてありがとう。綾音ちゃんの貸してくれた本、すっごく面白かったよ』
『優勝おめでとう! 最後の大会で一位なんてすごいよ!』
『日直の仕事、手伝わせちゃってごめんね。須田くん忙しそうだったから、一人でやろうと思ったんだけど……』

 

 消してしまいたい記憶と、忘れたくない思い出。身体とは裏腹に、頭は現実とは違う映像を映し出す。逃げてはいけないのに。立ち向かわなくてはいけないのに。

 殺さなくてはいけないのに――誰を? 仇を取らなくてはいけないのに――誰の?

 

 あの子は、本当にそれを望んでいるの?

 

『綾音ちゃん、そんなことしたらダメだよ!!』

 

 記憶にはない声が、刹那に大きく響いた。そして、一瞬だけ目の前が真っ白になった。

 

――ダメ……?

 

 次の瞬間には、現実が目の前にあった。立ち尽くす綾音のすぐ近くに、殺意をむき出しにした相手が、ナイフを持ってすぐそこにいた。こちらを殺そうと、刃先を胸元に向けた状態で。

 避けられる。そう思った。先ほどと同じ要領で横に逃げれば、もしくはナイフが刺さる前に相手の手首を掴めれば、それは現実のものへとなったはずだった。

 

 けれど、綾音はそうはしなかった。

 

 何も行動を起こさなかった身体に、容赦なくナイフが突き刺さる。刺す際に手元が狂ったのか、刺さったのは胸ではなく腹部のやや左側、そこからわずかばかりの血が吹き出した。痛みと熱が同時に襲いかかり、意志とは関係なく顔が歪む。

 

「な、なんで……」

 

 目の前の相手は、小さくそうつぶやいていた。目的を果たしたはずなのに、明らかに動揺していた。その顔は苦しそうで、泣きそうで、何かに耐えているような――そんな表情をしている。相手のそんな表情を見るのも、初めてだった。

 思わぬ展開に身体が固まってしまったのか、相手はナイフを抜こうとも、止めを刺そうともしなかった。刺されたままの状態で、綾音はその両手をグッと掴んだ。

 

「一つ、聞きたいことがあるわ」

 

 静かにそう話を切り出した。おそらく最後になってしまう――遺言というやつを口にするために。

 

[残り20人]

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