「一つ、聞きたいことがあるわ」
五木綾音(女子1番)はそう一言呟き、自分の腹部を突き刺している目の前の人物――細谷理香子(女子16番)を少しだけ睨みながら、そのまま言葉を口にしていた。
「あの子は……、香奈子は、死ぬとき泣いたの?」
綾音の質問が意外だったのか、理香子は目を見開いていた。けれど、その質問にはすぐに答えてくれた。
「……泣いたわ」
その答えを聞いて、ああと妙に納得をした。そうか、泣いたのかと。あの子が泣いたということは、そういうことなのだと。
――そうか、だからあのとき……
「そりゃ……そうよね。だって、香奈子にとっては……裏切られたようなもんだもんね。泣いたり、恨まれたりするのは当然よ……」
「あんたって、何も分かってないのね」
自虐的な理香子の言葉に、綾音はそう反論していた。そう、本当に何も分かっていない。あの子がそんなことで泣くはずがない。自分を殺したから、裏切ったから、そんなことで泣くような子ではない。それを、理香子は分かっていなかったのだ。それが、少しだけ悲しいと思った。
――伝わってなかったのね……。香奈子の気持ち……。
「香奈子は、そんなことで泣いたりなんかしない。自分がどれだけ痛い目に遭っても、どれだけ裏切られても、自分のことでは絶対泣かない。あの子は、あんたが思っているよりもずっと強いんだから」
続けて、はっきりとこう言っていた。理香子の耳に届くように、今できる限りの声量で。
「泣いたのは、あんたのためよ」
「えっ……?」という疑問が、理香子の口をついて出ていた。言っている意味が分からない。そんな気持ちが、そのまま現れたような表情を浮かべていた。だからこそ、綾音はその答えをはっきりと告げていた。
「あんたが、どうしてこんなものに乗ったのか。どうして自分を殺したのか。多分分かってしまったの、香奈子は。だから泣いた。あんたが、優勝するために乗ったんじゃないって知ったから。いつかは……いつかは、あんた自身も死ぬつもりだと分かってしまったから」
そう言い切るのと同時に、沈黙が訪れる。重い重い沈黙。理香子が全てを理解するまでの、少しだけ長い沈黙。
「そう……なの……」
「ホント馬鹿よ……あんたは。さっき戻れないって言ったけど、香奈子は戻ってほしかったのよ。自分を殺してしまっても、ほかのみんなのことは殺してほしくなかったのよ。懺悔も償いもいらないから、やめてほしかったのよ。そして、あんたにも死んでほしくなかったのよ。そういう優しい子なの、あの子は」
そう言いながら、ああ馬鹿なのは自分の方だ、そう思った。こんな大事なこと、今ではなく最初に聞くべきだったのだ。そしたら、こんな結末にはならなかったかもしれないのに。説得するなり、殺さずに無理矢理止めるなり、他の方法を取れたかもしれないのに。おそらく香奈子にとっては、これが最も望んでいない結末の一つであるはずなのに。
けれど、その一方で思う。もしそれを最初に知ったとしても、きっと自分は同じことをしただろう、と。香奈子の本心を理解したところで、理香子を赦せるはずもない。おそらく殺そうとしたに違いない。香奈子にとっては、綾音も理香子も同じくらい大切だった。けれど、綾音にとっての一番は、まぎれもなく香奈子だったから。
――ああ、ダメだな。私、友達失格だ。香奈子の一番望んでいないことをしようとしたりして。
だから、せめてもの償いに、今の自分にできるだけのことをしよう。そう思い、重い口を開いた。
「じゃあ……これだけは聞きなさいよ」
痛みに慣れてくるのと同時に、今度は身体の自由が奪われていく。刺されたところから滴り落ちる血の音が、少しずつ遠くなっていく。ああきっともう、たくさんの時間は残されていない。
「あんたはどうせ……これからもこうして行くんでしょう。出会った人、目的以外の人を、これからも殺していくんでしょう。あかねや結香のことも、会ったら殺すつもりなんでしょう」
返事はない。きっと肯定なのだろう。だから、止めることなく続きを口にしていた。
「お願いよ。あかねや結香のことは見逃してあげてよ。あの子らに、こんな辛い思いはさせないでよ」
「それは……」
「不公平だとでも言いたいの? 私と香奈子は殺すのに、あかねや結香は見逃すなんて、そんなことはできないっていうの?」
また訪れる沈黙。けれど、沈黙を許容できるほどの時間は残されていない。だから、それを破る形ではっきりと言葉を口にした。
「香奈子と私がそう望んでいるんだから、そうしてよ」
人を疑うということを知らない彼女らに、こんな裏切りを知られたくない。こんな悲しい選択があることを知ってほしくない。きっと理香子は、これからも人を殺していくのだろう。そして、それを止める術はもうないのだろう。けれど、裏切りだけはもうしてほしくはない。
東堂あかね(女子14番)は、きっとプログラムをどうにかしようとしている。辻結香(女子13番)は、今も恋人を失った悲しみの中にいる。彼女らには、これからもやるべきことがきっとある。こんな悲しい出来事を、あの子らの耳には入れたくない。知るべきではないのだ。純粋すぎるあの子らは。
「……香奈子はね、何においても綾音。あんたの名前を一番に出したの」
ずっと黙っていた理香子が久しく口にしたことは、独り言に近い言葉だった。
「だからきっと、香奈子にとっての一番は綾音なの。香奈子にとっての一番を、私は殺すの。なのに、あかねや結香は殺さないっていうのは……できない」
「だから、それでもいいって――」
「だから、会わないようにする。見つけても、声をは掛けないし、不意打ちで襲ったりしない。黙って二人から離れるって約束する。お願いだから、それで勘弁してよ……。元々、私は香奈子にもそのつもりだったの……。みんなには会わないようにしてたの……。だから、出発してすぐ学校から離れたのに……。見つからないように注意していたのに……。なのに、どうして……! どうして会う人はみんな、私が殺したくない人たちばかりなのよッ!!」
掴んでいた両手に、透明な滴が落ちる。温かい滴。優しい涙。ああ、いつもの理香子だ。ズケズケと物は言うけれど、友達のことは大切にする、いつもの優しい理香子だ。そしてこれが理香子の、心の奥底にしまい込んだ本音だったのだ。目的のために、人を殺すことを決意した。けれど、友達のことは殺したくない。だから会わない。探しにも行かない。助けることもしない。あわよくば、彼女らには知らないところで、自分とは関係のないところで死んでほしい。そんな――都合のいい願い。
無駄にまっすぐで、無駄に真面目で、だからこんなにも苦労している。分かっていたはずなのだ。理香子だって、本当はとても優しい子なのだと。だからこそ、香奈子も理香子を大好きだったはずなのだと。
「ねぇ綾音、教えてよ……! 私は、あの人に生きててほしいのッ……! 生きて戻ってほしいのッ……! だから、他のみんなを殺すことを決めた……。ねぇ、それって間違ってる? 大切な人に生きててほしいと思うことは、間違いなのッ?!」
泣きながら、理香子は柄にもない大声でそう叫んでいた。ずっとひた隠しにしていた気持ち。自分で選んだ道だけれど、誰かに後押しをしてほしかったという本音。いやもしかしたら、反対されてもいいから、ただ誰かに聞いてほしかっただけかもしれない。
間違いではない。そう思った。誰かに生きててほしいと思うのは、決して間違いではない。それが偽りのない気持ちなら、むしろ純粋で綺麗な想いなのだ。自分と同じように、親しい人間以外には心を開かない理香子が想う気持ちは、きっと何よりも本物であるはずなのに。他のみんなを殺すという決意以外なら、きっとみんな賛成したはずなのに。協力したはずなのに。理香子も含めて生きてここから出ることを、特にあかねは望んでいたはずなのだから。
それを言おうと思った。けれど、それを告げられる力も、その時間も、もう綾音には残されていなかった。
「ホント馬鹿……。あんたってホント馬鹿よ……。聞くの、遅すぎるのよ……」
掴んでいた両手に、力が入らなくなってスルリと落ちる。それと同時に、身体を理香子に預ける形になる。驚きながらも、理香子がその身体を支えてくれたおかげで、地面に倒れることはなかった。
「あ、綾音……?」
視界が狭くなる。声は遠くなる。少しずつ身体の機能が停止していくのが分かる。
身体が動かない。声も出せない。今はもう、ただ死ぬ瞬間を待つことしかできない。
「……友達になってくれてありがとう。おかげで、ここでの学校生活は楽しかったよ」
かろうじて残る聴力で、理香子の言葉を聞いた。少しだけ落ち着きを取り戻した声で、先ほどよりはハッキリとした声で、理香子は確かにそう言った。
「香奈子が、そう言ってたの……。それを、みんなに言いに行こうとしてた。怖かったはずなのに、たった一人で、みんなのこと探そうとしてた」
ああ、そうか。あの子は、そんなことを考えていたのか。誰よりも人を想い、誰よりも優しいあの子が、考えて考えて決めたことなのだろう。持てる勇気を振り絞って、起こした行動だったのだろう。それを思うだけで、涙がこぼれそうになった。
「多分香奈子、生き残る気はまったくなかった。死ぬ覚悟……してたと思う。だから、たった一人でみんなのこと探してた。人見知りなのに、姿の見えない私に必死で話しかけて、少しでもみんなの居場所を知ろうとして、それだけじゃなくて持っていた食糧まで分けようとしてたの。きっとそれだけ……香奈子にとってみんなのことは大切だったのよね……」
――馬鹿ね。その“大切”な人の中に、あんたも入っているのよ。その言葉、あんたに向かって言ったんでしょ? 香奈子の“大好き”って気持ち、ちゃんと伝わっていたんでしょ? だからこそ、もう戻れないなんて思ったの?
その言葉を口に出せないまま、時間はゆっくりと過ぎて行く。それにつれて、周囲の音が段々小さくなっていく。ああ、もう聴力残っていないんだな。そう思って死を覚悟したら、今度は別の声がはっきりと聞こえてきた。
『綾音ちゃん、ごめんね……。私がちゃんと止められていたら……』
――いいのよ。私こそ、あなたの気持ちを汲まなくてごめんね。理香子にも、死んでほしくなかったのよね。生きててほしかったのよね。それに、あの人がそれを望まないことも、分かっていたのよね。
――こんな私だけど、そっちにいったらまた友達になってくれる?
返事はいらない。優しいあの子は、きっとまた友達になってくれるから。
優しい声と、温かい笑顔。綾音が最期に見た映像は、大好きな友人の一番好きな表情だった。
女子1番 五木綾音 死亡
[残り19人]